第2話 デッキ強化、すなわちレベルアップ報酬
『ダンジョンの知識……まるでラノベみたいな展開だ。こりゃぁ、覚えるしかねぇだろ』
当時、そう呟いていた自分の姿が脳裏に浮かぶ悠真。
息を切らし、額に泥を塗りたくった状態で、それでも講堂の魔導黒板を凝視していた悠真。
あれが戦う決意を初めて持った瞬間だったかも知れない。
しかし毎日のように繰り返される訓練の日々に、当然の如く初期の段階で精神的に限界を迎える者もいた。
嘔吐する者、逃げ出そうとする者、泣き叫びながら元の世界に帰りたいと懇願する者。
だがダンジョンをクリアしない限り、誰一人として日本に戻ることは叶わない。
そして、訓練の日々が続くと、やがて物覚えの良い者たちが順応し始めた。
それは偏に一軍の男子と女子だ。
彼ら彼女らは騎士達からも評価され、訓練メニューの中でも”前衛訓練”や”魔導特別演習”といった選択課題へと進む。
すなわちダンジョン攻略組一軍候補である。
一方で、そのグループに入らなかった者たちは、通称”二軍”として区分されていった。
実力が中程度で努力すればなんとかなる者たち。
騎士達の指導も通常通りに与えられ、日常生活においても、特に問題なくクラスメイトたちと交流できる程度の立場である。
だが悠真は、そのどちらにも含まれなかった。
カードを用いた能力という力は戦闘の様式が全く異なる。
既存の戦術理論に照らして応用できないうえ、カードごとに効果が違い、実験・検証の余地が多すぎるのだ。
そのため騎士達は悠真の訓練を”別枠”として処理し、結果的に単独行動が増える。
当然、クラスメイトたちも、彼を”特殊”な存在として見做した。
「ねぇ、アイツってカードの能力でしょ? きっしょ! ここにきて、まだカードとか」
「無理、きもきも!カードゲームって、小学生じゃん」
そう笑うのは一軍の女子たちである。
だが相手を馬鹿にする言動を騎士達が止める事はない。
なぜなら差別や嘲笑を禁じるルールが存在しないからだ。
生存を賭けた集団において、協調しきれない者は”不要”とみなされる。
それが、ここのルールだった。
こうして悠真は立派な三軍として、ソロ冒険者へと至ったのである。
魔物を狩るのも、魔力の回復を待つのも、報告書をまとめるのも、すべて一人。
与えられた部屋も単独で、食堂ではなるべく他人の目を避けて時間をずらして食事を取る。
孤独は今や日常となった。
しかし、悠真自身にとって、それはもはや慣れた環境であり――何よりも“静かにカードと向き合える時間”である。
そして日が経つにつれて、悠真が孤立した状況は次第に明確になり、それが当たり前と化した。
それからクラスメイトたちは、自分たちの職業に適した能力を覚え、立派な成長を遂げたのである。
特に優れた能力を持つ者たちは、ダンジョン攻略組一軍候補から、晴れて正式に一軍として扱われ次々にダンジョン攻略に参加して成果を上げていった。
正式なダンジョン攻略組の一軍に属する者は、主に樟葉や奏恵や姫香や麗華や鈴音や、その他大勢と言う感じである。
そして現時点での状況を改めて整理するならば、まず明らかに浮かび上がるのは、一軍と呼ばれる男女の存在。
彼らは常に集団で行動し、クラスの中でも最上位に位置づけられていた連中であり、その物言いや振る舞いには、遠慮や謙虚さといったものはほとんど見受けられなかった。
むしろ彼らは、選ばれた者としての自覚と自負を隠すことなく露わにしており、まるで他の者たち――すなわち、二軍、三軍、あるいはそれ以下の人間たちを従えるかのようにして、ダンジョン攻略に挑んでいたのである。
その行動様式は、率直に言えば支配的であり、時に高圧的ですらあった。
だが、彼らに従う者たちは不思議と反抗の色を見せなかったのである。
それは能力差ゆえの諦めか、あるいは人気者たちと共に行動することで生じる些細な恩恵への期待か。
理由は定かではないが、いずれにせよ一軍の面々は、少なくとも表向きにはグループとしての統率を保ち、結果を出していた。
事実、彼らの配信は人気を博しており、映像を通じて見る者たちは彼らを一種のヒーローのように扱っている節すらある。
配信の視聴者数は常に高水準を維持しており、サムネイルには彼らの凛々しい姿が映されていた。
それぞれの顔立ちは端整で、照明の当たり具合やカメラアングルすら計算されているのではないかと思えるほどに、画面映えしている。
男子の何人かは鍛え上げられた肉体を持ち、特に戦闘職に就いている者は鎧越しでも、その存在感を誇示していた。
女子の多くはスリムな体躯と整った顔立ちを併せ持ち、魔法職や支援職であっても戦闘時には華やかな動きを見せる。
その姿が視聴者たちを惹きつけ、彼らの人気を確固たるものにしていたことは疑いようがない。
安息地に戻れば、彼らは完全に"特別扱い"の対象であった。
街のメインストリートでは彼らの姿を見かけると、周囲の人々が声を掛けてくる光景が日常的に発生するほど。
中でも若い冒険者たち――特に新人の男たちは女子たちに、若い女たちは男子たちに、憧れの眼差しを向けていた。
彼らはただの学生ではなく、まるで有名な冒険者ギルドのトップに君臨する精鋭のように振る舞い、それに釣り合うだけの評価を安息地の住民から受け取っていたのである。
そして、悠真が見た限りにおいてではあるが、一軍の男子たちのうち何人かは、その立場を享受するように現地の若い女性冒険者たちと親しげに接していた。
夕刻、ダンジョン帰りに市場を通った際、彼らが若い女冒険者に囲まれて談笑している様子を目にしたこともある。
服装こそ冒険者のものではあるが、髪を丁寧にまとめ、装飾品をあしらったような女性たちで、明らかに好意的な視線を送っていた。
時には、控えめな仕草ながらも明確にナンパとも取れる言動を取っていた者もいたし、勇気を振り絞ったように見える告白の場面すらも目撃した。
ただ、それらに対して彼らが、どのように応じたのかまでは分からない。
笑顔で応じた者もいれば、無言で立ち去った者もいたように見えたが、はっきりとした内容は不明である。
ただ、その日の夜、人気の少ない路地裏を通り過ぎた際、数人の男子がホテル街のほうへと向かって歩いていく姿を悠真は見かけた。
建物の陰に消えていくその背中は、どこか浮ついて見えたほど。
後日、昼過ぎの宿場通りで、そのうちの一人が軽装のままホテルから出てくる姿を見かけた者がいるという噂も悠真の耳に入ってきた。
その話が事実であるかどうかを確かめる術はなかったが、周囲の連中は興味半分、羨望半分といった空気でその話題を口にしていたのである。
本人たちは多くを語らず、ただ笑って話題を逸らすばかりだ。
だが、彼らの肩の力の抜けたような歩き方と、わずかに火照った頬は、何らかの"楽しい出来事"があったのだと、暗に物語っていたのかもしれない。
それに比べて悠真は、明らかに遅れた速度でしか、ダンジョンを進行できていない。
一軍の者たちが大人数で連携しながら、効率的かつ華やかに階層を踏破していく一方で、悠真は常に単独行動を強いられていた。
言うまでもなく、仲間など存在しない。
ぼっちである以上、移動速度も、探索の密度も、戦闘の効率も、あらゆる面で劣るのは当然の帰結である。
騎士団から与えられた課題だけは、取りこぼしのないように誠実に消化しているが、それとて報酬は最低限の範囲内に留まり、目に見える成果として積み上がっているわけではない。
とは言え何もせずに立ち止まっているわけにもいかず、少しずつ経験値を重ねては慎重に、丁寧に、自身のレベルを引き上げている。
戦闘は一つひとつが緊張の連続であり、油断すれば即死すら免れない。
地形を確認し、罠の可能性を疑い、敵の出現パターンを記録しながら前進する。
その作業は単調で疲労を伴うが、確実に生存率が引き上げる為の手段でもあった。
現地の人間と会話を交わしたことは一度もない。
安息地で買い物をする時も宿屋の受付に話し掛ける時も、必要最低限の言葉だけを発して通り過ぎる。
通りに立つ商人や旅人たちが他の生徒たちと談笑している様子を、ただ遠巻きに見ることしかできなかった。
そもそも、この世界に来てからというもの他人に話し掛けられた記憶が、ほとんど存在しない。
名を呼ばれたこともなければ、見知った顔に手を振られたこともないのだ。
自分の存在が、この空間にとっては極めて薄いものであることを、歩くたびに実感させられる。
配信についても殆ど手を出していない。
魔道具による配信機材は最初から手にしていたが、それを使用してまで何を見せるというのかという話である。
華やかなスキルも派手なアクションもなければ、観客を惹きつけるような語り口も持たない。
ましてや一軍の連中が毎日のように、英雄のような派手な配信を行っていれば、相対的にこちらが目立つはずもないのだ。
多少の需要が存在するとしても、それは”過疎配信者好き”なる限られた層に限られる。
そういった視聴者が悠真の配信に来たところで、ほとんどは冷やかしか、奇をてらった暇つぶしでしかないだろう。
コメントの一つひとつに神経をすり減らすくらいなら、いっそ配信など行わない方が精神衛生上まだましなのである。
それでも悠真がレベルアップに固執している理由は明確だ。
すなわち、レベルアップ時に得られる報酬の中に含まれている、デッキの強化資源――新たなカードのパック、それを手に入れることで戦力を飛躍的に上げる事が可能になる。
その一点に全てを賭けていた。
今のところ女神から与えられた初期デッキは安定している。
基本構成はバランス型で、防御と攻撃が均等に盛り込まれ、属性の偏りも少ない。
だが、それだけに突出した強みもなければ、危機的状況を打開する一手も欠けていた。
時間を賭けて丁寧に構築したカード構成も、突発的なイベントや想定外の敵には脆い。
その限界を補うためにも、報酬として与えられるレアカードの獲得は必須だ。
いつまでも安全圏を這いずるような真似はしていられない。
ダンジョン全体としての攻略状況を見ても、まだ全体の半分に満たない進行度である。
階層は複雑化し探索には時間が掛かるのだ。
しかも、悠真たち異世界転移組だけでなく、この世界に元から住む現地の冒険者たちも意欲的にダンジョンへと潜っている。
中には歴戦の実力者も存在し、彼らの戦術は洗練されていた。装備の質や経験値の差も含め、決して油断できる相手ではない。
もし仮に、先にボス階層に到達し、ダンジョンの核心を突破する勢力が悠真たち以外であった場合、その時、果たして何が起こるのか。
それについて、女神は一切を語っていない。
だが、悠真の中に渦巻く予感は決して楽観的なものではなかった。
もし他勢力が最初にボスを打ち倒しダンジョンを攻略してしまったら、元の世界への帰還権利を永遠に失うことになるのではないか。
もしかすると、この世界に取り残されたまま、未来永劫、異邦人として生き続けることを強いられるのではないか――そんな疑念が、いつしか日々の思考の底に沈殿していた。
それでもなお、誰に頼ることもできず、他人の背中を追うこともできず、悠真はただ、カード一枚、経験値一点に全てを賭けるしかない。
そして冷たい岩の上に腰を下ろしていた悠真は、黙して思考を終えると静かに立ち上がる。
乾いた岩粉がズボンの尻部に付着しており、彼はそれを手のひらで軽く払った。
安息地での集合時間までには、まだ一刻ほどの猶予がある。
ゆえに幾ばくかの戦闘を挟む余裕は、まだあると判断した悠真は再び、ダンジョンの奥へと向かう決意を固めた。
目指すは、まだ踏破されていない副次ルート。魔物の巣が密集する小規模エリアだ。
経験値の効率が良く、比較的安全であることから、現地冒険者たちからは”蟻の廊下”と呼ばれている。
そして歩き出した瞬間、コートのポケットから金属音が跳ねた。
視線を落とせば、拳ほどの銀色の魔道具が、地面に落ちていたのである。
軽く湾曲したガラス製の画面、魔法式回路が彫り込まれた背面。
悠真の配信用の魔道具”マギスフィア・ミニ”だ。
半年も月日が経過すれば配信用の魔道具も改良され、今では物自体は小さくなり利便性が従来より遥かに増している。
勿論、その他の性能なども格段に従来の物より、アップグレードされているのだ。
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