第1話 異世界での勉学
――女騎士たちから手厚い御持て成しを受け、早くも半年という月日が経過。
今現在、悠真が居るのはダンジョン第十五階層”獣骸林”と呼ばれる場所だ。
しかも、ここは十五階層の中でも深部であり、地下に拡がる疑似生態系領域。
天井は遥か頭上に霞んでおり、どこまで続いているのかすら判然としない。
ところどころで苔のように発光する蔦が天蓋から垂れ下がり、濁った翡翠色の光が鬱蒼とした林床に影を落としている。
無数の枯れ木が地を覆い、幹には骨のように硬質化した苔と、乾ききった虫の巣が貼りついていた。
根は複雑に絡み合い場所によっては、人間の胴ほどもある大きさの甲虫の死骸が、うずくまっている。
空気は重く、湿っていた。
鼻腔をくすぐるの腐葉土の匂いではなく、甘ったるい、そして鉄錆にも似た金属的な匂い。
それは、この階層に棲まう魔物の血肉が地に沁み、気温と湿度に溶け、霧のように気化して漂っているせいだろう。
そんな中、乾いた一閃が暗がりを裂いた。
裂けたのは硬質な外殻を持つ巨大な昆虫の体――成体の鉄顎斧蜂。
体長は三メートルを超え、灰色の甲殻に黒い斑模様、角のように二又に分かれた顎は鋼の斧のように湾曲し、口からは毒液を垂らしていた。
悠真が打ち込んだカードスキルが甲殻を貫通し、魔力が内側から炸裂したことで、内部から破砕されるようにして絶命したのである。
最後に飛び散った濃緑色の体液は、まるで粘性のある塗料のように地面へと垂れた。
強い酸性のため、苔や地衣類は瞬時に蒸発し、煙を上げる。
それを見下ろしながら、悠真は小さく息を吐いた。
「……これで、今日のノルマも完了だな」
彼の呟きは誰に向けられたものでもない。応える声もない。
そして、どこか自嘲気味に唇を歪めたまま、悠真は腰に装着していたデッキケースを軽く叩いて蓋を開けた。
中には既に大量のカードが収納されている。
そのうちの一枚、先ほどの魔法カードを指で弾き戻し、スロットの奥へと収めた。
「ソロだと時間かかるのがネックだが……まあこればっかりはしゃーなしだな」
それは悠真の心からの本音ではない。だが、口にすることで自分を納得させるしかない。
彼は両手を軽く叩いて、周囲を見渡す。
音は、まるで死者の棲家に打ち鳴らす鐘のように、湿った空気のなかに吸い込まれて消えていった。
「……ま、今日はここまでにしておくか」
誰に向けるわけでもない呟きとともに、悠真はどっかりと岩の上へ腰を下ろす。
湿気を含んだ石の冷たさが、すぐに衣服越しに尻を打ち、背筋を通って首筋までぞわりと登っていく。
けれど、気に留める様子もなく、彼は両腕を組んで俯き、静かに目を閉じた。
悠真はゆっくりと息を吐き、脳内の記憶を整理し始める。
この異世界へ飛ばされてから、もう半年という月日が流れていた。
最初は、何もかもが理不尽だった。
突如として崩れ落ちた現実と、無惨に引き裂かれる日常。
誰もが理解する前に、死と戦いの只中へ放り込まれた。
そして今――。
彼は、相も変わらずクラスの誰からも距離を置かれている。
腫れ物扱い。学校いた頃と、何も変わらない。
だが、周囲が変わった。
例の女騎士たち――半年前に女神の預言とともに現れ、このユグ=リオニアでの生存方法、戦い方、規律。
全ては彼女たちの統制下に置かれ、否応なく悠真たちは”兵士”として訓練を受けることになった。
特に、ここ最近の指令は過酷だ。 『一人につき、一日五十体以上の魔物を討伐せよ』 数だけを見れば、無理ではない。
だが問題は、その質と環境だ。
昆虫型や変異体、奇形の魔物が跋扈するこの階層は、ただの討伐場ではない。
油断すれば即死――それが常だ。
「……戦ってる時は、何も考えられない」
悠真は小さく呟き、己の指先を見つめる。
指には乾いた血がこびりつき、甲には噛まれた痕が赤黒く残っていた。
薬草で応急処置はしたが、じくじくと痛みが引かない。
「考える余裕がない。課題が終わった頃には、もう何も考えたくなくなってる。飯食って、風呂入って……ベッドに倒れ込んで、気づけば朝が来てる」
そのサイクルはまるで呪いだ。 永遠に繰り返される、戦いと労働と睡眠の機械的日々。
ふと、彼の脳裏にベッドの感触が蘇る。
何故なら安息地にある宿屋が驚くほど快適だからだ。
その宿屋は白亜の石で組まれた外壁に魔力転写の細工が施され、常に温度と湿度が一定に保たれている。内部は天井の高いアーチ構造で、冷たいランプの光が静かに揺れていた。
特にベッドは異常なまでに柔らかい。
真綿のような触感の布団は、触れた瞬間に身体の重みを受け止めてくれる。
あまりに快適すぎて、気づけば数分で意識が落ちるほどだ。
朝には記憶が空白になっていることもしばしば。
「……今日みたいに早く終わることが増えれば、少しは考える時間も取れるんだけどな」
小言を漏らし、悠真は首を回す。
重い疲労感が、頸椎から背骨へとゆっくり降りていく。
だが、今夜はまだ冷静に思考できる。
疲労の中にも、わずかに残された余裕があった。
指を組み替えながら、彼は再び視線を下に落とす。
このユグ=リオニアに転移させられ、その最初の朝を、悠真は今でもはっきりと覚えている。
――異世界転移。
修学旅行中の二年一組を全員、まるで誘拐するようにして“こっち”に連れて来られた直後。
悠真たちは混乱と恐怖に支配されながらダンジョン内を歩き、ようやく辿り着いた“安息地”と呼ばれる場所。
そこで豪勢な御持て成しを受けた次の日の朝、彼らは“教育”を受け始めた。
『諸君らに与えられた運命は、過酷である。しかし、生き残る術を授ける我々の責務もまた、重い』
最初の朝礼で、ラヴィニアがそう宣言した。
彼女の声には一切の色気がなく、冷たく硬質である。
そして、その宣言の後から始まった訓練は、悠真の想像を遥かに超えていた。
まず朝六時には点呼。
陽の光が届かぬダンジョンの空間で、魔道具による時計が朝を告げると、全員が寝巻きのまま居住区の前に整列させられる。
その後、全員が転移の際に女神に与えられた服装に着替えさせられた。
特に女子たちは依然として、服装の際どさに羞恥心を高め、頬を赤らめていたほど。
そして自身の隣でぶつぶつと不満を漏らしていた眼鏡の女子も、最初の訓練日には泣きながら駆け足をしていたことを悠真は今も覚えている。
訓練の内容は極めて苛烈だ。
まず一限目は”基礎体力”。
安息地周辺を三週――約十キロ走破。
途中には魔力感知の障害物や揺れる吊り橋や、魔獣の鳴き声を模した幻影などが待ち構えており、ただ走るだけでは済まされない。
続いて”戦闘訓練”。
木刀などを使用した素振りと一対一の打ち合い。
筋肉痛になる暇もなく、騎士達の罵声が飛ぶ。
男子も女子も躊躇なく斬り合い強いられ打撲や裂傷が絶えない。
『足が止まったら死ぬ! 回避行動を怠る者は、味方を巻き込んで死ぬ!』
そんなラヴィニアの怒号が日常語となる。
汗と埃と血の臭いが充満した広場には、常に悲鳴と叱責が交差していた。
そして昼食を挟んだ後、午後からは”魔法訓練”と”ダンジョン座学”である。
魔法訓練では属性適性に応じてグループ分けがなされ、簡易な詠唱から始まり、徐々に実戦的な”構築魔法”へと進んだ。
悠真はカード由来の魔法ゆえに少し特殊であり、最初こそ制御が難しく爆発事故を何度か起こしていたほど。
その度に騎士に叱責され同時に、的確な修正指導を受けることで、今では普通にカードを扱えるまでに至った。
一方、座学ではダンジョンの構造、生態系、罠の種類、魔物の生態、過去の探索記録などが延々と教え込まれる。
まさに睡魔との戦いだったが、悠真はこれだけは得意だ。
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