第19話 初めての魔物との遭遇
「――これより進行を開始する。ついて来い」
部下達の整然たる姿を見て大きく一度だけ頷くと、ラヴィニアは迷いなく短い命令と共に一行は緩やかに、だが秩序だった足取りで進み始めた。
洞窟の天井には結晶の他にも、自然発光する黄緑の菌糸が点在しており、それがほかのに光を放ち辺りを淡く照らしている。
だが、ここでは地上のように日常の移ろいがなく、時間の概念が曖昧だ。
洞窟内部の空気は一定の温度と湿度を保っており、ぬるい息苦しさが肌を纏うように重くのしかかる。
厚い岩盤の隙間を歩く列は、まるで一つの生き物のようだ。
先導するラヴィニアの背に続き、八人の騎士たちは一定の距離を保ちながら慎重に進む。
道は細く両壁には湿った苔が生えて時折、滴る水がぽたぽたと岩に音を立てていた。
その度に女子の誰かがわずかに肩を竦め、男子が周囲を怯えた目で見回りしている。
そんな中、ラヴィニアは一人の人物だけに声を掛けた。
それは他でもない、このユグ=リオニアに転移してから一度も、まともに言葉を掛けられていない、そして先程の自己紹介すら奪われた、東雲悠真である。
「貴様……名は何という」
「……東雲、悠真です」
唐突に声を掛けられた彼は驚いたように目を見開くが、それでも小さくか細い声を出し猫背気味の姿勢のまま悠真は応えた。
普段から判目がちで覇気のない濃い茶色の瞳が、僅かにラヴィニアの背中を見据えている。
「東雲悠真……か。覚えておこう。今、この我らが歩む場所はネルヴァル=ガルダと呼ばれる区域。第五階層の深部だ」
彼女は短く頷き、そのまま前を向いて話を続けた。
「ネルヴァル=ガルダ……」
悠真は咄嗟に何も言えない。
だた、首を小さく傾けるようにして、その言葉を必死に頭の中で反芻する。
「ああ、そうだ。そしてこのダンジョンは、地下百層以上にわたり広がり、無数の通路と魔物が存在する。終わりなき深淵……」
ラヴィニアの言葉は低く、しかし抑揚のある語調だった。
依然として悠然の視線は前方に固定されたまま、明確に全体を統べる意思がそこにある。
「ここ第五階層は、すでに探索済みとされている場所だ。だが、油断はできん。突如として異変種や侵蝕体が現れることもあるからな」
「い……いへんしゅ……?」
悠真の声は震えていた。小柄な体躯が無意識に縮こまる。
闇色のロングコートが身体を包んでいるが、その下の本質は変わらない。
弱そうで、モブっぽく、放っておかれそうな陰キャそのものだ。
「気にするな。お前には、今は必要のない情報だ。代わりに、次に向かう場所のことを教えておこう」
そう言うとラヴィニアは、僅かに後ろを振り返り、悠真と目を合わせる。
「このまま我々は第十階層へと向かう。そこにはレーヴェルグ、通称”沈黙の集い”と呼ばれる安息地がある。レーヴェルグは、ダンジョン内部に築かれた定住可能な街だ。商人、冒険者、魔術師、学者、鍛冶職、娼館、あらゆる職業と人間が、あの地に集まっている。表では手に入らぬ品も、あそこでは手に入る。まあ、金があればの話だがな」
第十階層のことを説明する彼女の口調は、どこか宗教的で厳かな印象を与えた。
それを聞いて悠真は息を呑む。
この迷宮の中に街がある。生活がある。社会がある。常識外の発想だった。
「……ダンジョンの中に、街があるのか……」
猫背気味の姿勢のまま悠真は小さく呟く。
その声には驚きと恐怖が混ざっている。
「それが、この世界の現実だ。安息地は、一定の階層ごとに存在するが、その中でも最も栄えているのがレーヴェルグだ」
肩を竦めながらラヴィニアは、淡々とした口調で語りながらも、一行は淡々と足を動かし先へ進んだ。
そして第五階層深部の岩肌に刻まれた導路を抜け、隊列が急峻な坂を下ったそのとき、悠真は首筋に何とも言えぬ粘り気を帯びた冷気を感じ取る。
それはまるで、何か不浄なものが地の底から、吹きあがってくるかのようだ。
温度としては地表よりも高いはずなのに、そこに満ちる空気は死んだ泥のように重く湿っている。
「……空気が変わったな。……警戒を緩めるなよ」
先頭を行くラヴィニアの声が硬く響いた。
その背後を進む騎士たちは、一斉に小さく顎を引いて足を止める。
周囲の気配を探るように目を細め、手を己の武器に添える者もいた。
そして、それと同時に異変が起きる。
突如として鈍く重たい音が地中から響いた。
土が揺れて小石が跳ねる。
「な、何の音……?」
誰かが小さく呟いた瞬間だ。
唐突に彼らの行く手に穿たれた、地割れのような裂け目から異様な、それが大量に現れた。
腐臭、血と泥が混ざり腐ったような、鼻腔を突き刺す悪臭。
「う、うそ……なに、あれ……」
そして這い出てきた”それ”の姿を最初に視認した女子生徒の一人が、悲鳴を上げるよりも早く膝から崩れ落ちた。
出現したのは、かつて人であったと思しき者たち――いや、今やその面影すらおぼろな屍の群れである。
皮膚は土色に爛れ目は白濁し、歯列が剥きだしになった口元からは、涎が糸を引いて滴り落ちた。
男女の区別もある意味では明瞭で、腐り落ちた衣服の隙間からは、破れて胸部や陰部が露わになる。
そこには羞恥心など微塵も存在せず、ただ本能と呪詛だけが、かつて人であった者たちを突き動かしていた。
若い男のゾンビは、腹が裂け内臓を引きずったまま、四肢の関節をぎこちなく動かして迫ってくる。
若い女のゾンビは片乳が千切れかけ、乳首を露出させながら、両足を引きずって這いずるように全身していた。
皮膚の薄い部分には腐敗痕が穿たれ、内部の赤黒い肉と膿が露出している。
その外観は、まさに地獄の一言に尽きた。
「ひっ、ひぃぃぃぃ……っ!」
先程まで強気でダンジョン内を歩いていた、一人の男子生徒が顔面を引き攣らせて尻餅をつく。
他にも何人かの女子が震えながら後退りし列が崩れかける。
「お、おい……なんだよこれ……本当に、これが……魔物……?」
「うそだろ……ゾンビ? ゾンビなのか? ゲームとかで見たやつじゃ……」
「こんなの、ムリ……絶対ムリだって……!」
クラスメイトたちは口々に困惑と疑念。
そして恐怖の声を上げた。
その中には嘔吐しそうになりながら、口を押さえる者もいた。
それもそのはずである。
教科書もネットも通じない異世界の現実の中で、初めて”殺しに来る存在”を、しかもこんな形で目にしたのだ。
だが、それでも数人の男子と女子が震えながらも、腰に据えた武器――女神フォルトゥナから支給された各々の得物を構える。
「く、来るぞ……!」
「やるしかねぇだろ、死にたくねぇ……!」
手が震え剣先がぶれていた。それでも、彼らは後退らない。
その姿を見てラヴィニアは、僅かに口元を引き締めた。
そして無言のまま一歩前へと出て腰の細身剣を鞘から引き抜く。
その銀刃は魔石の光を受けて煌々と輝いた。
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