第5話 主人公、死す
「……だとしたら」
悠真は歯を食いしばる。
『悠真くん危なかった……』
『ホウキさんを助けた!』
『あの魔法、石畳が消えた……』
『サキュバスクイーン強すぎる』
『悠真くん、諦めないで』
『頼む、勝ってくれ』
コメントが流れていた。
「状況を……整理する。現時点で、ホウキが膝に損傷。アイリスが魔力を三割以上消費。シャルルが茨の魔法を二回使用して残量が少ない。シュンリンが翼の一撃を受けて、龍化の持続時間を消耗している。私は弾丸を五発使用済み……」
冷静な声でアウラが切り出す。
猫耳を立て直し、全員に視線を配る。
「……へっ、見事なまでに最悪な状況だな」
吐き捨てるように、悠真が呟いた。
「そのうえ、俺は手札も事故るっつーおまけ付きだ」
静かに付け加えた彼の一言が、空間に重く落ちる。
それでも、悠真の足は前を向いていた。
デッキケースを握り直す。
場に伏せたカードが端で静かに光を放つが、まだ今は使う時ではない。
「だけど、まぁ……諦めるつもりはないぜ。ここまで来たんだからよ。ほら、全員立て。次の手を考えるぞ」
悠真は言い切る。
そしてサキュバスクイーンが、ゆっくりと両手を再び持ち上げ始めた。
漆黒の魔力が、再び収束を始める。
サキュバスクイーンの両手の間で、先程より濃い闇が渦を巻いていた。
石畳が軋み、空気が震え、階層内全体が圧力に耐えるように鈍く唸る。
そしてその照準が、ホウキへと向いていた。
「ちっ……!ホウキ、逃げろ!」
アウラが叫ぶ。
だが、ホウキの膝の損傷は思いのほか深く、立ち上がることは出来ても歩行は厳しい様子。
太刀を地面に突き立てることで、己の体を支えることで精一杯のようで、負傷した側の足が主の言うことを聞く事はない。
そして――――悠真は走った。
他の誰よりも先に、迷わず。
ホウキの前に滑り込み、大きく両手を広げた。
「悠真様……!」
ホウキの切れ長の黒い瞳が、彼の背中を見上げる。
「な、何をしておられるのですか……!」
「見て分からねぇのか? お前を守るんだよ」
「馬鹿なことを言わないでください……!」
彼女の声が、珍しく震えていた。
「私の失態で、悠真様まで……このままでは貴方が死にます……! 私などは見捨てて、どうか……どうか逃げてくだされ……!」
「嫌だね」
振り返らずに彼は答えた。
「これは私の責任……怪我を負ったのは己の不覚です!だから!悠真様を巻き込むわけにはいきませぬ……!貴方様は……どうか生きて、このダンジョンをクリアしてください……!」
ホウキの声に、涙が混じり始める。
静かに悠真は息を吐いた。
漆黒の魔力が、臨界に近づいてくる。
空気が焦げるような感覚が、肌に焼きつく。
「……まったく、こういう肝心な時に限って手札が事故るってのは、カードゲームあるあるだよな。ほんと、勘弁して欲しいぜ」
文句を吐き捨てるように、彼は呟いた。
力の抜けた笑いが、悠真の口元に浮かぶ。
前髪が風に揺れ、茶色の瞳が漆黒の魔力を真正面から見据えている。
「はぁ……あとは頼んだぜ。ホウキ、みんな!」
「悠真……っ!」
ホウキが手を伸ばした。
しかし、その指先が届く前に、サキュバスクイーンが両手を解放した。
漆黒が解き放たれる。
それは光の反対とも見て取れる存在。
輝くのではなく、吸い込む。
存在を消去する純粋な闇が、悠真へと真っ直ぐに向かってきた。
だが尚も彼は一歩も、その場から動かない。
両手を広げたまま、その場に立ち続けた。
そして漆黒が悠真の肉体に衝突した瞬間――――世界が大きく歪む。
痛みという概念が、全身を同時に貫いた。
骨の内側から焼かれるような、皮膚が引き剥がされるような、魂そのものを引き抜かれるような感覚が、刹那に凝縮して彼の全身を蹂躙する。
「──ッッ……あ……」
声にならない声が漏れた。
漆黒が通り過ぎた後、悠真の身体は、ゆっくりと前のめりに崩れ落ちる。
石畳に膝がつく。手がつく。そして、横に倒れた。
「悠真くん……!」
シャルルの叫び声が、階層内に響き渡る。
長く細い耳が限界まで逆立ち、翠色の瞳が恐怖で見開かれていた。
「悠真……!」
声を荒げながらアウラが駆け寄ろうとする。
猫耳が固まったまま青灰色の瞳が、悠真の倒れた姿を捉えていた。
「悠真様……悠真様……!」
膝をついたままホウキは、彼の元へと這い寄る。
黒いポニーテールが乱れ、切れ長の黒い瞳から涙が溢れていた。
「なぜ……なぜ、このような……私のせいで……!」
「…………」
石畳に頬をつけたまま、悠真は目を細める。
視界が徐々に霞んでいく。
痛みが波のように引いていく。
それが良い兆候ではないことは、彼自身が一番理解している。
そして悠真が事前に、場に伏せた一枚のカードが、微かな光を放つ。
すると彼の視線が、そこへと自ずと向いた。
(──あとは、任せたぜ)
それだけ心の中だけで呟くと、悠真は生命の終わりを迎え、静かに目を閉じる。
それと同時にコメントが、静止するように止まった。
そして数秒の沈黙の後、怒涛のように文字が流れ始める。
『嘘だろ……悠真くん……死んじゃったの……?』
『起きてくれ頼む頼む頼む』
『仲間を守って死んだ……』
『泣いてる止まらない』
『噓だ! 噓だ! 噓だ! 噓だ!』
『ホウキを守るために……あいつ本物の漢だよ』
『悠真くんが死んだ……?本当に……?』
『俺たちのリーダーが……』
――そしてサキュバスクイーンが優雅な笑みを零す。
高く、甲高い笑い声が、階層内に響き渡った。
人の声ではない。圧倒的な強者が、弱者の終わりを嗤う声だ。
漆黒の翼を大きく広げ、深紅の瞳が天井を仰ぐ。
その笑いには、憐れみも慈悲もなく、ただ勝利の愉悦だけが満ちていた。
相手の笑い声が、仲間たちの耳にも届く。
シャルルは、その場で膝をついた。
「悠真くん……ごめんなさい……ごめんなさい……。僕がもっと早く回復魔法を使えていたら……」
髪が石畳に垂れ、長く細い耳が伏せられる。
翠色の瞳から、涙が一筋伝い落ちた。
それは偏に詠唱が間に合わないという、どうしようもないもの。
サキュバスクイーンの攻撃は、収束から解放までの時間が余りにも短かった。
回復魔法の詠唱を始めた瞬間には、既に魔法は解放されていたのである。
つまり無言詠唱以外、如何なる回復魔法を使用したとしても、それは絶対に間に合わない魔のタイミング。
さらに不運なことに、事前準備で用意していた大量のポーションも、戦闘の衝撃で全て砕けていた。
脆いガラス瓶は、サキュバスクイーンとの交戦の中で尽く破損していたのである。
つまりあの瞬間、悠真が身を挺する以外に、ホウキを守る手段は存在しなかった。
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