第3話 サキュバスクイーン
「……閉じた」
静かにシャルルが呟いた。
長く細い耳が静かに揺れ、翠色の瞳が閉じた扉を見つめている。
「当然だろうな」
腕を組みながら、アウラが低く言い放つ。ゆっくりと猫耳が前方へ向く。
「どういう意味だ?」
「帝国軍の資料にも、似たような記録がある。高位のダンジョンには、挑戦者を識別する仕組みが備わっているものが多い。おそらくこの門も、挑戦者たちを認識した時点で、外部からの介入を遮断する設計になっているはずだ」
悠真の問い掛けに対して、アウラは短く答えた。
「つまり……我らがボスと決着をつけるまで、あの門は再び開かぬ、ということにございますな」
静かにホウキが続けた。切れ長の黒い瞳が、閉じた扉から前方の空間へと移っていく。
「勝つか、負けるか。どちらかが決まるまでは、外の誰も入ってこられない。そして、我らも出られない」
小さくアウラが頷いた。一瞬の沈黙が流れる。
「……なるほどな」
前髪を掻きながら悠真は、その事実を静かに受け止めた。
退路はない。助けも来ない。
この六人だけで、この先にいる存在と決着をつけなければならない。
「はっ、ちょうどいい。邪魔が入らないってことだろ。むしろ好都合だ!」
燃えるような赤いツインテールを揺らしながら、シュンリンが硬質な爪の拳を握り締めた。
赤金色の大きな瞳が、前方の暗闇を真っ直ぐに見据えている。
「ああ、同意だ」
アウラが短く言い、銃を構え直した。
「ところでシャルル、魔力残量は?」
「問題ないよ。昨日の休息で、しっかり回復した」
悠真の問い掛けに、シャルルが長杖を構えながら応じる。
翠色の瞳が静かに輝いていた。
「アイリス、幻影の展開は?」
「いつでも。三体同時展開、準備完了ですわ」
彼の言葉にアイリスは、金色の狐耳を立たせると、蒼い瞳が鋭く細まる。
「ホウキ、桜花千凜は?」
「全型、使用可能にございます」
悠真の問い掛けに、ホウキの切れ長の黒い瞳には、静かな炎が灯った。
そして彼はデッキケースを握り直す。
残枚数は把握している。
どのカードをどのタイミングで使うか、すでに頭の中で組み立てていた。
「よし……!」
悠真は前を向く。
ボス部屋の空間は広大だった。
天井は果てしなく高く、左右の壁は遠く、まるで一つの世界を切り取ったかのような規模がある。
地面には古代の紋様が刻まれており、それが微かな光を放っていた。
空気が違う。重い。密度がある。
この空間全体に魔力が充満している。
「……いる」
シュンリンが低く呟いた。
額の両側の龍角が僅かに赤みを帯びている。
本能が、この先の存在を感知しているようだ。
六人が横一列に並ぶ。
漆黒の扉は、もう開かない。
退路はない。
「……行くぞ」
悠真の一言が、静寂の中に落ちた。
六つの影が、同時に踏み出す。
そして――それは起きた。
天井から細かな石の破片が降り始めたのである。
砂が舞い、古代の紋様が刻まれた床に、白い粉が積もっていく。
「上だ!」
アウラが即座に銃を、天井へと向けた。
猫耳が鋭く逆立ち、青灰色の瞳が暗闇を見通そうとしている。
天井の一点が、ひび割れた。
亀裂が広がり、石材が砕けて落下し始める。
そして──轟音と共に何かが落ちてきた。
それは石とかではない。
粉塵が舞い上がり、視界が白く霞む中、六人は一斉に後退した。
悠真がデッキケースに手をかけ、ホウキが太刀を抜く。
アイリスがレイピアを構え、シュンリンが拳を握り締めた。
ゆっくりと粉塵が晴れていく。
その中心に、何かがいた。
着地の衝撃で砕けた石材が周囲に散らばり、そこに立っているのは──人の姿をした存在である。
身長は悠真より高く、全身のシルエットは紛れもなく女性のそれだ。
漆黒の長髪が床まで流れ落ち、白磁のような肌が薄暗い階層の中でも際立った輝きを放つ。
顔立ちは完璧と言える造形で、どの角度から見ても非の打ちどころがない美しさだ。
だが、その背中から広がる漆黒の翼が、人ではないことを示している。
額から生える一対の角が、この存在が悪魔であることを物語っていた。
全身を包む漆黒のドレスは胸元と背中が大きく開き、翼と尾が自然な動作で揺れている。
ゆっくりと深紅の瞳が、六人を見渡した。沈黙。
その存在は言葉を発しなかった。
ただ、ゆっくりと首を傾け、長い髪を肩に流す。
その仕草だけで、空気が変化した。
甘い香りが漂い、空間全体が熱を帯びるような感覚が走る。
「う……美しい……」
シャルルが思わず呟いた。
長く細い耳が揺れ、翠色の瞳が存在から離れない。
「綺麗すぎる……あれが、ラスボス?」
歯を食いしばりながら、悠真は相手を見据えた。
その圧倒的な美しさに、油断しそうになる自分が居たのである。
しかし、何かが違う。
この甘い香り、この肌を撫でるような空気の変質。
戦闘経験が積み上げた本能が、警戒を叫んでいた。
「全員……待ってくれ」
低く声でホウキが言い放つ。
黒いポニーテールが揺れ、切れ長の黒い瞳が存在を鋭く見据えている。
太刀を構えたまま、彼女は続けた。
「あの翼……あの角……そして、この空気の変質。それらについて私は……祖国の文献で読んだことがございます……」
「……なんだ」
数秒の間を空けて、悠真が問い返す。
「それは……サキュバスクイーン。人の欲望を糧とする魔物、サキュバスの上位種にございます……」
一拍置いてからホウキは静かに、しかし確かな緊張を込めて言い放つ。
その言葉が落ちた瞬間、場の空気が変化する。
「サキュバスの、クイーンだと? ……ちっ、厄介な相手だな。サキュバス系の魔物は、視覚と嗅覚に干渉して判断力を奪う。上位種ともなれば、その効果は──」
アウラが低く唸った。
猫耳がぴたりと止まり、青灰色の瞳が険しく細まる。
「精神への直接干渉も可能、ということですわね」
静かにアイリスが言い切った。
金色の狐耳が逆立ち、蒼い瞳が存在を冷静に分析している。
「これが……ラスボス」
低くシュンリンが呟いた。
燃えるような赤いツインテールが静かに揺れ、赤金色の大きな瞳がサキュバスクイーンを見据えている。
普段の豪胆さが影を潜め、その瞳には珍しく緊張の色があった。
額の両側の龍角が、僅かに赤みを増している。
サキュバスクイーンは、ゆっくりと一歩を踏み出した。
その動作一つ一つが、舞踏のように優雅で、しかしどこか捕食者の静けさを持つ。
漆黒の翼が緩やかに広がり、深紅の瞳が悠真たちを順番に見渡していく。
甘い香りが更に濃くなった。
「全員、鼻を覆え。この香りが魔法の媒体になっている可能性がある。直接吸い込むな」
即座にアウラが指示を出す。
「「「了解」」」」
全員が素早く反応した。
『サキュバスクイーン!?』
『ラスボスがそれ!?』
『絶世の美女じゃん、えっど』
『これは強い、絶対強い』
『悠真くんたち気を付けて!』
『視聴者数また上がってる』
コメントが流れてゆく。
悠真はデッキケースを握り締める。
目の前の存在は、これまで戦ってきた、どんな魔物とも違う。
圧倒的な美しさの中に、底知れない力が潜んでいる。
「──やるしかねぇな」
彼の声が、静かに落ちた。
サキュバスクイーンの深紅の瞳が、悠真の瞳と交差する。
次の瞬間、彼女の唇が僅かに弧を描く。
言葉はない。ただその表情だけが、この戦いの始まりを告げていた。
重々しい魔力が、階層内に満ちてゆく。
空気が変質する。
先程までの甘い香りが消え、代わりに鉄と魔力が混じり合う、重い空気が肌に張りつく。
床に刻まれた古代の紋様が赤黒く光り始め、天井から落ちる砂埃が止まった。
まるで世界が、これから始まることを知っているかのようである。
「くっ……魔力密度が……。これまでのどの階層とも比較にならない……」
長く細い耳を立てながら、シャルルが長杖を両手で握り直した。
翠色の瞳が、空間全体の魔力濃度を測るように動いている。
「……当然だ。ここはダンジョンの最深部。その存在が、全ての頂点に君臨している」
短くアウラが言い切った。
銃を構え直し、猫耳を鋭く前方へ向ける。
青灰色の瞳に、軍人としての緊張が滲んでいた。
一方で、サキュバスクイーンは、なに一つ動じない。
ゆっくりと漆黒の翼を広げ、長い黒髪が重力に従って流れる。
深紅の瞳が六人を静かに見渡し、その唇が僅かに開かれた。
まるで勝利を確信した者の笑み。
「来るぞ……ッ!」
低く悠真が告げた。
「桜花千凜──壱ノ型、花散らし!」
その瞬間、ホウキが地を蹴り上げる。
太刀が花弁へと変じ、無数の刃がサキュバスクイーンへと殺到した。
桜の光が弧を描き、空間を切り裂いて迫る。
だが、サキュバスクイーンは身じろぎ一つしなかった。
漆黒の翼が広がり、花弁の刃を全て受け止める。
翼の表面に刃が触れた瞬間、まるで布を切ろうとしているかのように刃が滑り、弾かれた。
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