File 9 桐生登場!
「いつも応援ありがとうございます!さくら台駅前ペット探偵事務所、第9話です。今回はライバルの桐生が登場します。お楽しみください!」
7月の上旬。初夏の陽射しが差し込む『さくら台駅前ペット探偵事務所』は、けたたましい笑い声に包まれていた。
「あははは! だからあの時、ヨシエさんったらスッ転んじゃってさ!」
「もうタエ子さん、その話はしないでってば!」
大家のタエ子さん(不動産屋)、美容院のヨシエさん、居酒屋のミツコさん。『さくら台FBI』の三人が、なぜか当然のように相談用テーブルを占拠し、持ち寄ったお茶菓子を広げて井戸端会議を開いている。
「スッコロビ! スッコロビ!」
窓際の鳥かごでは、オウムのステラまで一緒になって笑っていた。
「……あのな、あんたたち。ここは町内会の集会所じゃねえんだぞ。営業妨害で訴えるぞ」
俺はほうきを持ったまま呆れてボヤいたが、おばちゃんたちは
「いいじゃないの、どうせ依頼ゼロで暇なんでしょ?」
と意に介さない。
部屋の奥。ヒカルがいつものようにノイズキャンセリングヘッドホンをつけ、無表情で複数のモニターの為替チャートを眺めながらプロテインウォーターを飲んでいた。
「……大音量の会話。僕の作業効率を低下させる、ただのノイズ。……無視」
ヒカルは、おばちゃんたちの騒ぎを計算外のノイズとして完全にシャットアウトしている。
コンコン。その時、やけに冷たいノックの音が響いた。
「あら、お客さんかしら?」
タエ子さんが振り返ると同時に、ドアが静かに開いた。
そこに立っていたのは、さくら台の雑居ビルには全く不釣り合いな、パリッとしたスリーピースの高級スーツを着こなす長身の男だった。
氷のように冷たい、研ぎ澄まされた視線。 男は部屋を見渡し、おばちゃんたちと俺を一瞥すると、鼻でふっと笑った。
「……まるで動物園だな」
「動物園とは失礼ね!」
タエ子さんが即座に噛み付く。
男は冷ややかに目を細めた。
「では、お前らはこの事務所の職員なのか?」
「職員じゃないわよ! 私たちは……不動産屋の福田!」
「美容院の坂東!」
「居酒屋の石井!」
「三人揃って、『さくら台FBI』よ!」
「エフビーアイ! エフビーアイ!」
ステラが間の抜けた声で鳴く。
「……は? エフ、ビー、アイ……?」
エリート然とした男は、突然の謎の決めポーズとオウムの鳴き声に一瞬呆気に取られたが、すぐに冷ややかな視線を戻して鼻で笑った。
「……くだらん」
男は名刺入れから一枚のカードを取り出し、テーブルに滑らせた。
「『アイヴィ・総合探偵社』――チーフ調査員の、桐生だ」
「大手じゃねえか。そんなエリート様が、何の用だ」
俺が警戒して睨みつけると、桐生は壁に掛けられた額縁を顎でしゃくって、冷たく鼻で笑った。
「無許可のモグリかと思ったが……『公安委員会 探偵業届出番号』の標識は一応出しているようだな」
ヘッドホンを外したヒカルが、淡々とキーボードの手を止めて答えた。
「……日本の法律において、探偵業法に基づく届出は必須。無届け営業は懲役または罰金刑。開業前に、オンラインと窓口で処理完了済み。法律を無視したビジネスは、最大のバグ。非合理的」
桐生はヒカルを冷たく見据えると、本題を切り出した。
「単刀直入に言おう。一日2万円というふざけた価格設定で、業界の相場を荒らすのはやめろ。目障りだ」
「なんだと? ていうか、うちの基本料金はもともと一日8万円――」
「調査で、一日2万円で請け負っている事実は把握済みだ。依頼人に寄り添っているつもりだろうが、やっていることは逆だ」
桐生の言葉が、冷たい刃のように空気を切った。
「ノウハウのない素人がデタラメな捜索を行えば、ペットの警戒心を無駄に上げる。移動距離が伸びれば、後から我々プロが入った時の回収難度は跳ね上がるんだ。お前たちのやることは、結果として動物を危険にさらし、飼い主を苦しめることになる。正義感ごっこで素人が介入することなど、絶対に認めない」
俺が反論しようとした隙に、桐生は懐から一枚の書類を取り出し、テーブルに叩きつけた。
「これは今、私が請け負っている『完全室内飼いのペルシャ猫』の案件だ。この案件で勝負しようじゃないか」
「なんだと?」
「お前たちが私より先に見つけ出せたら、お前たちのそのふざけた日当である『2万円』を、私がポケットマネーから払ってやろう。……だが、負けたら即刻、この看板を下ろして探偵業から手を引け」
圧倒的な組織力を持つ大手からのデスゲーム。息を呑む俺の背後から、無機質な声が響いた。
「……桐生の主張は、データ上において完全に正しい」
ヒカルがヘッドホンを首にかけ、ビー玉のような透き通った瞳で桐生を見つめ返していた。
「大手の動員力と最新の熱源感知ドローンを使用したシステマチックな捜索は、現在のペット探偵業界における最適解。僕たちの貧弱なマンパワーと機材では、物理的なカバー範囲において勝率は限りなくゼロに近い」
「お、おいヒカル! 戦う前から白旗あげてどうすんだよ!」
俺が焦って声を上げると、ヒカルはプロテインウォーターを一口飲み、淡々と続けた。
「……一般論であれば、ね」
「え?」
「ここはさくら台。……このフィールドにおいてのみ、僕らに有利な『未確定のローカル変数』が存在。もしそのノイズが仮説通りに機能すれば……大手のシステムを凌駕できる。現在の勝率、50%。……受理」
桐生は冷たく眉をひそめた。
「……後悔させてやる」
桐生が踵を返し、ドアをバタンと閉めて去っていく。
「お前! 相手は全国展開の大手だぞ! ドローンとかすげえ機材持ってるんだぞ!」
「機材の性能差は、問題ではない。勝敗を決めるのは『対象の行動原理をどれだけ正確にモデル化できるか』、そして……『この町のノイズをどれだけ使いこなせるか』だけ」
ヒカルは立ち上がり、機材バッグを肩にかけた。
「行こう、イナガキさん」
「ここまで読んでいただきありがとうございました!
次回、大手探偵事務所と下町探偵事務所の調査の違いとは……!?
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