File 5 猫はテリトリー
「いつも応援ありがとうございます!さくら台駅前ペット探偵事務所、第5話です。今回は、ヒカルの指示で、イナガキが足で稼ぎます。お楽しみください!」
ヒカルが淡々と口を挟む。
「……カメラは下向きに設置し、人間の顔は基本的に映らない設定。足元しか記録されないため、プライバシーへの配慮は原則不要」
「……ってことだ。俺たちも探偵の端くれだ、無断でコソコソ盗撮みたいな真似はしねえ。だから根回しを頼む!」
タエ子さんは、ポンッと手を打って豪快に笑った。
「なるほどね! 顔が映らないなら問題ないわ! そういうことなら、この私に任せなさい!」
*
タエ子さんからゴミ捨て場の設置許可をもらい、さらに商店街への根回しを任せた俺たちは、再びビルの裏手へ戻った。
ヒカルは機材バッグから動体感知式のトレイルカメラを取り出し、ゴミ捨て場の死角に一つ目のカメラを手際よく設置した。
*
俺が立ち上がり、膝のホコリを払って大通りへ出ると、向かいの『さくらベーカリー』からエプロン姿のカスミちゃんが駆け寄ってきた。
「おはようございます。お二人で、お仕事ですか?」
「ああ、カスミちゃん。実は町内をうろついてる野良猫で、ブチ猫を探しててな」
「ブチ猫ですか? 私、姿を見たことはないんですけど……猫の声なら毎朝聞いてますよ」
「声?」
カスミちゃんは少し頬を赤らめ、チラチラとヒカルの方を見ながら言った。
「はい。うちのパン屋、朝5時から仕込みを始めるんですけど、そのくらいの時間になるといつも、このゴミ捨て場の裏から『にゃーん』って誰かに甘えるような声が聞こえるんです。でも、朝の6時くらいになるとピタッと鳴き止んで、聞こえなくなるんです」
「なるほど。朝の6時に鳴き声がなくなる……。ところで、カスミちゃん、猫にパンの耳とかあげたりすることあるかい?」
俺が尋ねると、カスミちゃんは慌てて首を振った。
「そんな! 絶対あげませんよ」
「そうだよな。ありがとう、助かったよ」
カスミちゃんが仕事に戻っていくのを見送ると、ヒカルがノートパソコンを開いて淡々と言った。
「……情報ソースの一つ目を確保。次の目的地は、夕方4時の『美容院』の裏。……イナガキさん、ここから美容院までの50メートル、すべての『領域』の徹底捜索を」
「50メートルの『領域』を全部? おいおい、住宅の隙間から路地裏まで全部チェックしてたら、何時間かかるか分からねえぞ!」
「すべての隠れ家候補を一つずつ潰し、消去法で居場所を炙り出し。……機材バッグから『LEDヘッドライト』を出して」
有無を言わさぬヒカルの指示に、俺は深いため息をついた。
*
俺は頭にLEDヘッドライトを装着し、民家と民家の間のわずかな隙間、駐車場の車の下、自動販売機の裏側まで、文字通り地面に這いつくばって覗き込んでいった。
少しでも猫の通り道になりそうな獣道があれば、俺がそれを特定していく。
ブルルルッ。 その時、俺のジャージのポケットでスマホが震えた。タエ子さんからの電話だ。
「はい、もしもし」
『イナガキ所長! 町内会長や商店街のみんなに電話で話つけといたわよ! 足元しか映らないなら、路地でも通路でも自由にカメラ置いていいってさ!』
「ありがとうタエ子さん! 助かるよ!」
俺は電話を切り、ホッと胸を撫で下ろした。
「よし、これで通路にも大手を振ってカメラが置けるぞ。ヒカル、さっきの設定で頼むぞ」
ヒカルは機材バッグからトレイルカメラを取り出し、無表情で設定を行った。
「……カメラの設置角度、俯角45度。マスキング設定完了。これで人が通る生活道路や死角など、すべての領域の網羅が可能」
猫の通り道になりそうな路地の角などに、ヒカルが次々とカメラを手際よく設置していく。
その時、路地裏のブロック塀の上に、白黒の模様をした丸っこい猫の姿が見えた。
「……あっ! いた、白黒のブチ!」
前回のコロの時のように、大声で駆け寄っちゃダメだ。そーっと、そーっと……。 俺は息を殺して忍び足で近づき、ブロック塀の上の猫へそーっと手を伸ばした。
「シャアァァッ!!」
「うおっ!?」
猫の電光石火の猫パンチを間一髪で避けたが、バランスを崩して無様に尻餅をついてしまった。
「ちょっとアンタ! うちのモモちゃんに何してんのよ!!」
近所のおばさんが血相を変えて飛び出してきて、俺の頭をホウキでペシペシと叩く。
「い、いてて! すいません野良猫と間違えて……って、よく見たら牛柄じゃねえか!」
ヒカルが涼しい顔で言い放つ。
「……視認エラー。対象と柄が不一致のただの飼い猫。さらに、猫の動体視力と反射神経は人間の約3倍。素手での接触および捕獲行動は物理的に不可能。イナガキさん、対象の確認前の無謀な突撃は、無駄なカロリーと体力の消費」
「お前、見てたなら俺が飛び込む前に言ってくれよ!」
*
すれ違う住人に片っ端から聞き込みを行っても、「気にしたことがない」と冷たい反応ばかり。自分に関係のない野良猫など、誰の記憶にも留まらない。
「……クソッ。膝は痛てえし、徒労ばかりだぜ」
泥だらけの膝を叩く俺の横で、ヒカルは涼しい顔で地図アプリに「確認済み」のピンを立て続けている。
*
1時間後。ヨシエさんが経営する美容院の裏手。俺は再び這いつくばり、室外機の周りをヘッドライトで照らした。
「……おいヒカル。ここ、人が通らねえ割に奥の段ボールが不自然に潰れてる。室外機の温風も当たるし、間違いなくここを寝床にしてるな」
俺は経験則を働かせた。
「……不正解」
ヒカルが単眼鏡を覗き込んだまま、淡々と一蹴した。
「……ここは一時的な休憩所にすぎない。本格的な寝床なら、排泄物の痕跡やより濃い残留臭が検出される。……対象は夕方4時の西日と温風を利用し、ここで数時間の休眠をとっていただけ」
「なんだ、本当の寝床じゃないのか。……でもよ、周辺をくまなく探したけど、茶色い毛なんて1本も落ちてねえぞ。コンクリートの隙間にあったのは、さっきゴミ捨て場で見つけたのと同じ『白と黒の毛』だけだ」
俺からピンセットを受け取ったヒカルは、単眼鏡でその毛をじっと観察した。
「……毛根とキューティクルの状態、ゴミ捨て場の検体と完全一致。……夕方4時の西日の反射。白が茶色に見えただけの視覚的誤認。……さらに室外機の温風による体毛の膨張」
「それで、丸々と太った『茶色い猫』に見えたわけか!」
ヒカルは頷きながら、新しいポリ袋に毛を密閉し、「採取地点:美容院裏・室外機横」と素早くラベリングする。そして、ここにもトレイルカメラを一つ設置した。
「……茶色い猫とブチ猫、『同一個体』の確率99パーセント。……さらに抜け毛の油分が示す、異常な高栄養状態」
「誰かが確実に、高カロリーなエサをやってるってことか」
「……でも、一つ不可解なノイズ……」
「えっ?」
「ミツコさんの証言。現場の状況と不一致。どうして?」
「ここまで読んでいただきありがとうございました!
次回、猫は捕まえられるのか……!?
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