File 20 老犬を探せ
「いつも応援ありがとうございます!さくら台駅前ペット探偵事務所、第20話です。ヒカルの推理は?お楽しみください!」
「なお、CASE2,CASE4,CASE6について、登場人物を増やしたため、大幅にアップデートしています。こちらも読み直していただけると話がつながると思います。」
「……その可能性はゼロ」
ヒカルが、画面の光に青白く顔を照らされながら淡々と口を挟んだ。
「15歳の大型犬。しかも視覚と聴覚に障害。……活動限界は半径300m以内と推定」
ヒカルがノートパソコンの画面を俺に見せる。そこには、田中邸を中心とした『半径300m』の円が、赤いグリッド線で明確に縁取られていた。
「犬の捜索の基本は『軌跡』。……だが、今回は目撃情報という『点』が完全にゼロであり、対象が長距離を歩くこともできない。したがって今回は特例として、この半径300mの円内を『領域』と見なし、内側をすべて潰す」
「なるほど。犬だけど、今回は『猫』と同じ探し方をするってわけか。じゃあ、獣道にトレイルカメラを仕掛けることにするか?」
「……不正解。対象は活動限界で動けない可能性が高く、カメラの動体感知は機能しない。それに、脱水症状のリスクを考慮すれば待つ時間はない。……イナガキさんの足で、この円の中をすべて直接目視で潰して」
「……わかった。よし、俺が徹底的に潰してくる!」
*
10月中旬とはいえ、日中の日差しはまだ少し汗ばむほどの暑さがあった。
俺はヒカルが指定した『半径300m』の円の中を、文字通りしらみつぶしに歩き回った。
「マックー! マックー!」
声を張り上げながら、民家と民家の間の細い路地、駐車場の車の下、自動販売機の裏のわずかな影まで、這いつくばってライトで照らしていく。
15歳の老犬だ。しかも、目も耳も悪い。こんな気温の高い中、水も飲めずに外を彷徨っていれば、脱水症状や心不全でいつ命を落としてもおかしくない。時間との勝負だった。
「すいません! 金色の毛をした、大きな老犬を見かけませんでしたか!?」
すれ違う近所の人や、庭掃除をしているおばあさんにも片っ端から声をかけたが、誰も首を横に振るばかりだ。
1時間、2時間と時間が経過していく。 歩き回る俺のジャージは泥と汗で汚れ、次第に焦りが募っていく。半径300mという狭い範囲なら、すぐに見つかるはずだった。なのに、影も形もない。
「……いないぞ、ヒカル」
俺は汗だくになって、ベースキャンプ代わりにしている公園のベンチでパソコンを開いていたヒカルの元へ戻ってきた。
「お前の指定した『半径300m』のブロック塀の影も、神社の縁の下も全部探したし、聞き込みもした。だが、マックの影すらないぞ」
ヒカルはタイピングの手を止め、静かに考え込んだ。
「……計算が合わない」
静かな呟き。完璧な計算を裏切る『不在』 という事実に、彼が思考の海へ深く沈み込もうとした、その時だった。
「あっ、おじちゃんだ!」
振り返ると、大林恵美さんと娘の結衣ちゃんと、以前助けた愛犬の柴犬・コロが散歩で通りかかった。コロは恩人であるヒカルに大喜びで飛びついてくる。
「恵美さん、結衣ちゃん、久しぶり」
「おじちゃん、あの時は本当にありがとう」
「いやいや。でも本当に保護できてよかったよ」
「今は、お仕事中ですか?」
「はい、15歳の金色の毛をした大きな老犬を探しているんです。でも、なかなか見つからなくて」
「おじいちゃん犬を探してるの? コロもお手伝いする!」
結衣ちゃんが元気に言うと、コロも
「ワン!」
と尻尾を振った。
ヒカルは、足元にすり寄るコロの温かい背中をそっと撫でた。
その瞬間。
ヒカルの脳裏に、事務所の部屋の隅に置かれた『空っぽの犬用ベッド』が静かにフラッシュバックした。
「……違う」
ヒカルが、ぽつりと呟いた。
「……外界情報が欠落。残る行動指針は、成功体験の記憶だけ……」
「つまり、一番楽しかった場所へ向かったってことか?」
「……正解」
「でも、一番楽しかった場所ってどこだ?田中さん本人に聞くのが一番確実だな」
「いや、事務所での電話のやり取りを思い出しても、電話でうまく意思疎通ができると思えない」
「そうだよな。かと言って、今から家まで聞きに戻っていたら、時間が無駄になる……!」
「お忙しそうですね。頑張ってくださいね」
恵美さんはそう言って、由衣ちゃんとコロと一緒に離れていった。
焦りで思考が空回りする。
「……クソッ、時間がねえ。焦っても仕方ない、まずは頭を回さねえと」
俺はカスミちゃんからもらった紙袋を開け、立ったまま意を決してあの『魔界の剣』のようなサンマパンにガブリと食らいついた。
「……うまっ! なんだこれ、サンマの蒲焼きと秋のキノコに、大葉と山椒の香りが和風バターと合わさって……見た目はすごいけど、味はめちゃくちゃ美味いぞ!」
その横で、ヒカルは一切の焦りを見せず、無表情のままプロテインウォーターを喉に流し込んでいた。
「お前も食うか?」
「……いくら栄養学的アプローチが理にかなっていようと、フランスパンから魚の尻尾が突出しているという視覚的エラーが、生物としての食欲を減退させる。不要。僕はこの液体で、次の思考に必要なカロリーを最短で補給する」
そんなやり取りをしていると、買い出し中の定食屋『さくら亭』の大将・ゲンさんの軽バンが通りかかった。
「なんだそのパン! 尻尾が生えてるじゃねえか! 鉄平の奴、また変なもん作りやがって! そんなゲテモノより俺の生姜焼きの方が美味いぞ!」
「いやゲンさん、これ見た目はヤバいけど味は絶品で……って、それより、田中さんって知ってるか?老犬のマックを飼ってるんだけど。実はマックの思い出の場所を探してるんだ。田中さんに聞きに戻る時間も惜しくて……」
「マック? ああ、あいつなら昔、よく田中さんと商店街の裏を抜けた『今は使われていない古い広場』へ遊びに行ってたな。あそこでよくボール遊びをしてたよ」
有力な過去情報だった。
「古い広場……! ここからなら、田中さんの家に戻るよりもずっと近い!ヒカル、時間もないしそこに向かうか?」
ヒカルは静かに画面のマップを見つめた。
「……古い広場までは1km以上。シニア犬の関節では、大通りの坂は登れない」
「そうだよな。大通りは車の通りも激しいし、目も耳も悪い今のマックじゃ、パニックになって動けなくなるはずだ」
ヒカルは返事をせず、地図を見つめ続けていた。そして、何かを思いついたように画面のマップを見直した。
「ここまで読んでいただきありがとうございました!
次回、ヒカルは何に気づいたのか……!?
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