File 15 子猫を救え!
「いつも応援ありがとうございます!さくら台駅前ペット探偵事務所、第15話です。ヒカルはどうなる?お楽しみください!」
ポンと自分の胸を叩いて、俺は言った。
「……気にしないでください。壁から出すことまでは、依頼としてキッチリ受けました。あとはうちの事務所で引き取って、病院へ連れて行きますよ」
フミさんが、涙を流しながら、感謝してくれた。
「イナガキさん……! 助けてもらった命なのに、私たちが引き取れないなんて…… 本当に、本当にごめんなさいね……」
「ヒカル、急ぐぞ! 瑞希先生のところへ!」
*
数十分後、『さくら台動物病院』では、診察台の上で、瑞希先生が手際よく子猫に点滴と処置を行っていた。
「……ギリギリだったわね。でも、点滴が入ったからもう大丈夫。一命は取り留めたわ」
「よかった……。ありがとうございます、先生」
安堵して息を吐いたが、冷や汗が止まらない。
(……って吉田さんの前でカッコつけて言ったはいいが、うちの事務所も超がつくほどの火の車だぞ……! 数万円の治療費の持ち出しは、マジで痛い……っ!)
こっそり財布の中身を確認したら、足りているか不安になり、顔が青ざめてしまった。
瑞希先生が、俺の様子を見て、ふっと笑って提案する。
「イナガキさん、ヒカルくん。私から一つ提案があるんだけど」
「え?何ですか?」
「うちの病院の電子カルテのシステム、使い勝手が悪くて困ってたのよ。……そこで、ヒカルくんに、うちのデータベースを新しく構築し直してもらうってのはどう? 報酬は……この子の治療費と相殺ってことで」
先日、ブチを診察してもらった時のヒカルの異常なシステム構築を見た瑞希先生からの、粋なバーター提案だった。
「先生……! そいつは助かります!ヒカル、行けるか?」
「……現在の病院のデータ量と要求スペックなら、約3日で完了する。……悪くない取引。受理」
「ふふ、頼もしいわね。……それと、この子のこれからのことだけど、信頼できる保護団体に心当たりがあるわ。今、連絡をとってみるから」
「何から何まで、ありがとうございます」
*
さらに、数十分後
数十分後。首からNPOのIDカードを提げた、温和で優しそうな女性がやってきた。
「瑞希先生、お電話ありがとうございました。NPO法人『さくら台しっぽの会』の大木葉子です」
大木さんは点滴を受けて眠る子猫を見ると、愛おしそうにそっと撫で、そして俺たちに深く頭を下げた。
「探偵さん、この子の命の音に気づいて、助け出してくださって本当にありがとうございます。依頼人のご夫婦が高齢だから飼えないというご判断も、この子の未来を想えばこそです。……ただ」
大木さんは、少しだけ表情を曇らせた。
「最近は無責任に捨てられる子が多くて、うちのシェルターも常に満杯状態なんです。正直、里親探しは決して簡単ではありません」
現場のリアルな厳しさが、その言葉に滲んでいた。探偵が助け出しても、その後の命を繋ぐハードルは途方もなく高いのだ。 だが、大木さんはすぐに力強い笑顔を見せた。
「それでも、あなたたちが命を繋いでくれたんです。あとは私たち『しっぽの会』が責任を持って、この子に最高の新しい家族を見つけますね」
「よろしくお願いします」
カロリーを完全に使い果たしたヒカルは、壁に背中を預け、ズルズルとへたり込んだ。
「あっ、ヒカル。大丈夫か!」
「問題ない。誤差の範囲」
そういって、プロテインウォーターを出して一口飲んだ。
*
一方その頃。都心の洗練された大手のオフィス。
部下から報告書を受け取った桐生は、目を見開いて絶句していた。
「……あの複雑な壁の構造を、たった一つのピンポイントの穴でぶち抜いただと……? バカな……」
桐生の視線の先にある報告書には、笑顔の老夫婦と子猫、そして泥だらけのイナガキと、壁にもたれて座り込む無表情のヒカルの写真がクリップされていた。
素人の道楽だと見下していた。だが……私が貸した機材すらも、ヤツらの手足として完璧に機能したというのか。
桐生は忌々しそうに、だが探偵としての喜びに、楽しげに口元を歪めた。
*
さくら台駅前ペット探偵事務所。夜。
泥だらけのジャージ姿の俺は、ソファで腹の虫を鳴らしていた。 机の上には、先ほど老夫婦から受け取った2万円が入った封筒が置かれている。
「あーあ、腹減った! 大手の案件をこなした割には、全然金にならなかったな!」
俺は天井を仰ぎ、ふうっとため息をついた。
「それに、吉田さんたちもなあ……。猫の命は助かったけど、壁には俺が開けた穴がポッカリ空いたままだ。年金暮らしでギリギリだって言ってたし、あの修理費、どう工面するんだろうな……。ヒカルも、治療費と相殺でタダ働きだし。」
疲れ切った顔でプロテインウォーターを飲んでいたヒカルが、淡々と答える。
「……システム構築の労力は、負担のないタスク。それに、不完全なデータベースを放置する方が不快なノイズ」
「お前が負担じゃないならいいけど。……あっ! 俺の分のパン、お前が現場で全部食っちまったじゃねえか! 弁償しろ!」
「……緊急事態における、やむを得ない低血糖対策。不可抗力。だが、イナガキさんの損失額に対する補填として、今日のプロテイン代から数パーセントのキャッシュバックを検討する」
「金じゃなくて飯を奢れっての! 本当に金銭感覚ズレてんな!」
俺の情けないツッコミに、ヒカルは気にも留めず続けた。
「それに……あの冷やしレモンクリームパン。糖質と酸味の計算外の調和。……悪くなかった」
「……ふっ、お前も親父さんのパンの美味さが少しは分かったか」
俺は机の上の2万円が入った封筒を見つめ、少しだけ口角を上げた。
「カロリー! カロリー!」
鳥かごの中で、ステラが嬉しそうに鳴いた。
*
数日後の、8月20日。 ガチャリ、とドアが開いた。
上品なブラウスに日傘を持ったヒカルの姉、冴子さんが入ってくる。
「ヒカル、イナガキさん。今月もお疲れ様です。……はい、今月の『事務所の経費』と、『イナガキさんのお給料』。それと、『ヒカルの生活費』ね」
冴子さんは微笑みながら、三つの封筒を机に並べた。 俺はその中から自分の名前が書かれた封筒を受け取ると、ずっしりとした重みを確かめて誇らしく笑った
「あ、お姉さん! 毎月わざわざすいません!……本当によかった、これで今月も、あいつに養育費が送れます」
「ヨウイクヒ! ハチマンエン!」
「だからステラ、リアルな金額は言うなって言ってるだろ!」
冴子さんがクスリと笑い、デパ地下の紙袋を机に置いた。
「ふふ、イナガキさんもお父さんとして頑張ってくださいね。あ、これ差し入れの『国産ウナギの蒲焼き』よ。ヒカルも、ちゃんと季節のものを食べて栄養つけるのよ?」
するとヒカルは、空間の一点を見つめたまま淡々と言った。
「……イナガキさん。僕はプロテインがある。そのウナギのカロリーは、壁の切削で筋肉を消耗した君の疲労回復に回して」
「お、いいのか? あのクソ暑い現場で、俺の分のパンまでペロリと平らげた男のセリフとは思えねえな!」
ヒカルは少し気まずそうに、ふいと目を逸らした。
その視線の先には、部屋の隅にポツンと置かれた『空っぽの犬用ベッド』があった。
ヒカルは、子猫を抱き上げた時の柔らかな体温を思い出すように、自分の細い指先をひどく静かな瞳で見つめている。
俺は呆れながらも、ヒカルの不器用な気遣いに優しく笑った。
「じゃあ、ありがたく頂くぜ」
「カロリーノホジュウ! ホジュウ!」
ステラがマヌケな声で鳴いた。
(しかし、今回は何とか対応できたけど、ヒカルが動けなくようなことがあったらヤバいな……。まあ、心配しすぎか……)
窓の外では、少しだけ秋の気配を帯び始めた風が、さくら台の駅前を優しく吹き抜けていった。
「ここまで読んでいただきありがとうございました!
さくら台駅前ペット探偵事務所、とりあえずCASE4まで公開いたしました。
もし『続きが気になる!』『このコンビ、面白い!』と思っていただけましたら、下部の☆☆☆☆☆から【評価】や、作品フォロー&ブックマークをしていただけると、執筆の励みになります!ぜひよろしくお願いします!」




