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第九話 聖女

「突如として姿を現したと言うのだな」

「はい。何者かが山中で待ち伏せをしており、我々を狙ってあの泥人形ゴーレムを『出現させた』としか考えられません」

 すっかり回復し、それどころか以前よりも肌に瑞々しさを取り戻したエミが、エヴィック大司教に向けて緊迫した面持ちで報告していた。 薬草採取に向かった一隊は、幼いブランシェが起こした奇跡のおかげで、たった一人を除いて全員が無事にリエヴァンの街へと帰還を果たしていた。

 

「それで、案内役として同行したジョスタンが消えた、と」

「はい。……恐らくはジョスタンが敵と内通し、我々をあの場所へと手引きしたのだと思われます」

「こちらの動きが完全に筒抜けだったというわけか。……エミよ、辛い過去を思い出させて悪いが、あの一体は、十五年前に君たちを襲った泥人形ゴーレムと同じものだったのか?」

 

 大司教の執務室の窓から、遠方にそびえるオレオル山の雄大な稜線を見つめながら、エミは記憶を手繰るように静かに目を閉じた。

「……よく似ていました。ですが、あの時は森の奥から歩いて現れ、大きさも普通の人間ほどでした。しかし今回は、遥かに巨大で……何より、自ら魔法まで行使したのです」

 

拘束魔法リガチュールか」

「はい」

 エヴィックは信じられんといった表情を浮かべ、机の上の水差しからコップへ水を注ぐと、一口だけ喉を潤した。

 

「……で、それをまだ五歳のブランシェが倒したというのだな」

「私がブランシェの盾となって拳に打たれた後、あの子は見たこともない奇妙な魔法円サークルを描き……」

「確か、『光子分解洗浄フォトン・クレンジング』と唱えたのだったな?」

 エヴィックは、未知の古代呪文の響きを確かめるように、ゆっくりとその言葉を聞き返した。


「はい。周囲のあらゆる光が泥人形ゴーレムへと集まっていき、眩い白に包み込んだまま、跡形もなく消滅いたしました。大きな爆音も、地響きのような衝撃すらなく、まるで……」

「神の奇跡、か……」

「あんな幾何学的で冷徹な術式は、見たことも聞いたこともありません。いいえ、あれが本当に既存の『魔法』と呼べるものなのかさえ、私には……」

 エミは、ブランシェが展開した光の円と、不浄の塵一つ残さずに世界を拭い去ったあの光景を、できる限り詳細に説明した。


「ふむ……。その直後、同行した熟練の回復師ゲリソールたちでさえ匙を投げた君の致命傷を、以前よりも若々しく治してみせたというのだな」

   

「あ、は、はい……。まるで全身の古くなった組織が、すべて新しく作り直されたかのような、不思議な感覚で……」

 

「……。で、大聖堂に戻った後、私が渡しておいたあの『魔力鉱石イゾラント』で、既定通りブランシェの魔力総量を測定してみたのだろうな?」


 エヴィックの問いに、エミは急に言葉を詰まらせた。

「あの、それが……」

「どうした? まさか、魔力が不安定で測定できなかったとでも言うのか?」

「そ、その……測定に使用したイゾラントですが……」 

 

 エミは震える手で、懐から取り出した小さな絹の包みを机の上に置いた。

「ブランシェが触れた瞬間、白金プラチナの恐ろしい光を放ち、そのまま粉々に砕け散りました……」

「なん……だと……!?」

 大司教エヴィックの鋭い眼光が、驚愕に大きく見開かれた。


 通常、このロスナーサ王国において、国家による魔力判定ノブレスリットが執り行われるのは、子供が十歳に達した時である。

 そこでは貴族、平民の身分を問わず、強制的な選別が行われていた。十歳に満たない子供の魔力は不安定であり、正確な結果は望めないものとされている。しかし、今回の凄惨な襲撃事件を受けて、大司教エヴィックの手により、大聖堂の密室でブランシェの魔力測定が秘密裏に課されたのだった。


 判定方法は、個人の魔力に敏感に反応する特殊な結晶――『魔力鉱石イゾラント』と呼ばれる無色透明な石を用いて行われる。対象者にイゾラントを強く握らせ、結晶が変色すれば魔力の保持者である「共鳴者レゾナンス」、無色透明のままならば魔力を持たぬ「沈黙者スィランス」と判定される。


 判定された共鳴者レゾナンスたちは、変色した色に対応する属性と、魔力換算値に応じた魔導師の「階位」によって厳格に分類されていた。


 結晶が褐色に変色すれば『土属性』。魔力換算値一〜一〇〇の「普通魔導師オールドゥイネール」と呼称され、王国の平民出身の共鳴者はその大半がこの階位に落ち着く。


 青色に変色すれば『水属性』。魔力換算値一〇〇〇に達する彼らは「中級魔導師ドボンカリテ」と呼ばれ、下級貴族や王国軍の下士官、治安機関の職員などに多く見られる。


 緑色に変色すれば『風属性』。魔力換算値は一万。これらは「上級魔導師アラオートル」と尊称され、上級貴族や軍の将校といった特権階級がこの座を占める。


 そして、鮮烈な赤色に染まれば『火属性』。魔力換算値は最大で十万にまで及び、彼らは「特級魔導師グランクリュ」の畏称で呼ばれる。現国王や、王国を支える五大星公爵家の当主といった、文字通り国家の最高峰に位置する者たちだけが到達できる領域だった。

 大司教エヴィックもまた、実はこの特級に相当する絶大な魔力を隠し持っている。もっとも、彼は王国に対して公式には自らを魔力なしの「沈黙者スィランス」と偽って報告していた。教会の大司教が、国家を脅かすほどの強大な武力を持っていると王宮に知られれば、無用な警戒と弾圧を招くからだ。


 その特級の上には、さらに結晶が紫色に染まる魔力換算値一〇〇万の「神級魔導師プルミエール」という階位が存在するが、現在、世界でこれが確認されているのは、強大な軍事国家・ツゥラレラ帝国の魔導元帥、アブグルント・アインズィードラただ一人であった。


 ――だが、例外が存在した。

 

 銀翼教会の創世記ジュネーズの記述によれば、かつて女神アルビナがイゾラントを手のひらに乗せた際、結晶はまばゆい白金プラチナの光を放ち、そのまま耐えかねたように粉々に砕け散ったという。魔力換算値一〇〇万以上――測定不能。教会の歴史において、ただ神のみに許された絶対の領域、すなわち「神の領域プラティーヌ・ド・ディユ」と伝えられる伝説の現象。


 エミは、今まさに目の前の机の上に転がっている粉々の破片が、その伝説の「白金」の証明なのだと告げているのだ。


「本当に……白金だったのか……?」

 エヴィックの声が、微かに震えていた。

「は、はい。間違いなく、白金に輝いておりました……」

「イゾラントに不備が……いや、あるわけがない。教会の秘蔵する聖遺物アーティファクト級の魔力鉱石だぞ。石の不良など断じてあり得ん。それに、お前の言う『光子分解洗浄フォトン・クレンジング』などという術式、世界のどこの文献にも存在せぬのだからな。……それで、当の本人は何と言っている?」


「それが……。怖くて夢中で手を突き出したら、勝手に奇妙な『円』が現れて、勝手に魔法が飛び出した……と、あの子は怯えておりました」

 

 まさか中身の城田が、大騒ぎを避けるために「非力な五歳児のフリ」をして大人たちを綺麗に煙に巻いているとは、二人は知る由もなかった。

 

「もはや、疑う余地など何一つない。……本物の、本物の聖女だ!」

 エヴィックは大いなる歓喜に顔を歪めた。

「あの御姿だけでも、信者を集める広告塔として十分に利用価値があると思っていたが、見くびっていたな。ブランシェは真に、アルビナ様が我らの元へ遣わされた本物の聖女なのだ。……夢中で使えた、と言ったな? もしあの子が、その絶大無比な力を自らの意図で制御できるようになったとしたら……ふはは、ブランシェの前では、王国の軍隊など紙屑も同然だな!」


 エミは、大司教がひどく高揚している姿を見て、肌が粟立つのを覚えた。普段は冷徹そのもので、滅多なことでは感情を表に出さない男が、剥き出しの野心を滾らせている。


「エミよ、今日お前が目撃したものは、正真正銘の神の力だ。こんな規格外の怪物を王国が察知すれば、ブランシェは即座に王都へ拉致され、一生幽閉されて教会の脅しに使われるだろう。今日同行した者全員に、魂を懸けた緘口令を敷け! それと、あの裏切り者ジョスタンの徹底捜索だ。どのような手段を使っても、必ず生かして捕らえろ。断じて、ブランシェを王国の狗どもに奪われてはならん」


「はっ!」

 エミは、己の命に代えてでも、この愛しい孫娘を濁流のような大人の野心と王国の脅威から守り抜くことを、心の中で改めて強く誓うのだった。

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