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第四十八話 頂への階段

「――さあぁ! 続く準決勝第二試合、通算第二十八試合! 燃えるような赤土の演武場、その中心に佇むのはまるで一輪挿しの白い花! 純白の恤兵部のローブを揺らすブランシェ選手! 対するは、不動の精神を鋼の軍服に包んだ、現役の魔導軍将校ヤシヌ大尉だぁぁッ!」

 

 マテューの実況が、国王親臨の厳粛な空気を破って響き渡る。開始の号鐘と同時に、ヤシヌ大尉の銀縁の眼鏡が鋭く光った。彼は一切の躊躇なく両手を赤土へ突き立て、軍人としての容赦のない戦術魔法を展開する。

 

「軍導式――『エクラズマン・ドゥ・ローシュ(連岩圧殺)』――沈め!」

 

 ――ズズズズンッ!!!

 

 地脈が狂ったように咆哮を上げ、直径三十メートルの赤土のフィールドから、無数の巨大な岩塊が牙を剥いた。それは逃げ場のない『土の檻』であり、中心にいるブランシェの小さな体躯を、文字通り四方八方から押しつぶさんと一瞬で殺到する。紅の砂塵が爆発的に舞い上がり、ブランシェの姿は完全にその質量の下へと消え去った。

 

「ブランシェッ!!!」

 

 観覧席の最前列で、ポーラが悲鳴を上げて立ち上がる。解説席のバティスト中佐は、我が意を得たりとばかりに深く椅子に腰掛けた。

 

「勝負あったな。さすがに、対軍勢相手の戦術魔法を使うとはやりすぎかもしれんが……軍の圧倒的な質量の前には、平民の手品など……」

 

 中佐が言葉を言い切るより先に、演武場の中心から、全ての音を吸い込むような「清廉な静寂」が広がった。

 

 ――バサリ。

 

 それは巨大な鳥が羽ばたいたような、あるいは、極上の絹布が風に揺れたような音だった。

 押しつぶされたかに見えた岩塊の隙間から、眩いばかりの銀色の光が溢れ出す。次の瞬間、砂塵を割って出現したのは、ブランシェの全身を優しく、そして絶対的な強度で包み込む、巨大な二枚の『銀の翼』だった。

 

 雪のような純白の髪が銀の光を吸い込んで淡く輝き、ローブの裾を汚れ一つなく揺らしながら、翼の守護の中で静かに深紅の瞳を開くブランシェ。

 その姿はあまりにも圧倒的で、あまりにも神聖だった。

 

「お、おおっとぉぉーッ!? これは……果たして防御魔法なのかァァッ!?」

 

 マテューが椅子を蹴り飛ばさんばかりに立ち上がり、集音器に向かって絶叫する。

 

「岩の巨兵に押しつぶされる寸前、彼女の背後から現れたのは、全てを拒絶し、全てを肯定する純白の銀翼! 傷一つないその姿は、これはまるで……かつてリエヴァンの大聖堂の奥に描かれた、祭壇画の女神そのものだぁぁぁッ!!……っと、げふん、げふん、いやその……」

 

「な……馬鹿な。軍導式を真っ向から受け止めて、無傷だと……!?」

 

 バティスト中佐が集音器を握りしめたまま、愕然と目を見開いた。ヤシヌ大尉の放った「連岩圧殺」の巨大な岩々は、ブランシェの銀の翼に触れた瞬間から、まるでもう戦う意志を失ったかのように、足元の赤土へとサラサラと崩れ落ちていく。

 

「……びっくりした?」

 

 ブランシェは翼をゆっくりと広げ、深紅の瞳をヤシヌへと向けた。その幼い体躯から溢れ出すのは、王国の階位制度など遥かに超越した『規格外アノマリー』の魔力。彼女は首を傾げ、歌うように呟いた。

 

「……さあ、今度はお返しに、私の『拭き掃除』を見ててね。

 ――『超高圧光子洗浄フォトン・クレンジング』!」

 

 それは、攻撃でも防御でもなかった。

 ブランシェが右手を上げ、空中で円を描くように動かすと、純白の魔力が光の波紋となって広がっていく。ヤシヌの放った無骨な岩塊が、まるで見えない手で『拭き取られる』ように、細かな光の粒子となって空中へ溶けていった。

 

「なっ……なんだ。まるで魔法を……『拭き取りながら消している』というのか!?」

 

 解説席のバティスト中佐が立ち上がり、驚愕で声を震わせる。

 

「あれがブランシェちゃんの本当の魔力……。理屈も戦術も通用しない、ただの純粋な『光』ですわねぇ」

 

 観覧席のアガットが満足げに目を細め、隣のセリアは、その神々しい姿を網膜に焼き付けるように、一点を見つめていた。

 

「素晴らしい……。あの姿は、世界をあるべき姿に戻すための姿……。ああ、ブランシェ……。今、この世界には貴方と私、二人しかいないみたいだわ……!」

 

 全てが拭き終わる頃、演習場の殺伐とした土埃は消え、そこにはただ、穏やかな陽光が差し込む平穏な砂地だけが残っていた。

 ヤシヌ大尉は、自分の魔法が「消された」のではなく「満足して眠りに就いた」ような不思議な喪失感に包まれ、静かに膝をついた。

 

「勝者、ブランシェ!」

 

 審判の宣告が響き渡る中、ヤシヌ大尉は自分の両手を見つめ、それから深く息を吐いてブランシェに歩み寄った。

 

「……見事だった、ブランシェ。……我が軍の連岩圧殺を、あれほど美しく解きほぐされるとは。完敗だ」

 

 ヤシヌは泥のついた軍帽を脱ぎ、幼いブランシェに対して敬礼を捧げた。その潔い姿に、集音器からマテューの声が割り込む。

 

「お、おおっとぉ! 敗れたヤシヌ大尉、なんと自らブランシェ選手へ最大の敬意を表しています! 中佐! これは一体どういうことでしょうか!?」

 

 解説席のバティスト中佐は、顔面を蒼白にしてマイクを握りしめていた。

 

「……ヤシヌ、お前……」

 

「中佐。彼女の魔力には、欺瞞も悪意もありません。ただ、我々では到達し得ない『深淵』があった。戦った私が保証する。……何か、時代というか、世界が変わるような気がします」

 

 ヤシヌが演武場から実況席を見上げ、低く、しかし通る声で中佐の言葉を遮った。その声は送話器を通じて全王国へ流れていく。

 中佐はぐうの音も出ず、椅子に深く沈み込んだ。


 ブランシェは、

 

「ねっ、恤兵部に非ずんば、アンヴァリッドに非ず。でしょ?」

 

 と、深紅の瞳を綻ばせてピースサインを作り、恤兵部のローブを揺らして、みんなが待っている観覧席へと歩き出した。

 

 大歓声に沸く恤兵部の観覧席。王国史上初、恤兵部の決勝進出であった。

 

「やったぜ、ブランシェ! このまま、ひょっとしたらひょっとするぞ。そしたら俺は、今日死んでもいい!」

 

「見えるっ! 見えるぞっ、新しいアンヴァリッドの未来がっ! 君こそマルク・ド・ラン全学年第一位だっ!」

 

 ルシアンとフィリップが拳を突き上げ、叫び声をあげる。


 ◆◇◆

 

 準決勝が続けて二試合行われたため、フィールド上は決勝戦に備えて式部卿府の職員が整備に取り掛かっていた。多少時間がかかるため、マテューが中佐との解説で間を繋ごうとしていた時。

 

「全く。決勝までに手の内を晒すとは、しょうがない奴じゃのう」

 

「こ、困ります。今中継中なんです!」

 

 引き止めようとする職員を無視して、紫のローブを纏った小柄な老人が中継室へ侵入してきた。フードの下の金の双眸が、バティストとマテューを射抜く。

 

「ちょっと、あなたは一体……何者?」

 

 マテューが用心深く身構えながら、素早く職員に手でバツの合図を送って集音器を遮断させた。

 

「士官学校の跳ねっ返り娘が、決勝戦には儂が観に来ると伝えておらなんだかの?」

 

「まさかっ! アインズィードラ卿でいらっしゃいますか!? ドロテーア選手が確かにそんなことを言ってましたが、げ、元帥は国賓級なので……正式な手続きが……」

 

 マテューは、帝国のアインズィードラが『特殊な方法』で王国へ出入りしている噂を昔聞いたのを思い出していた。

 

「まあ、いいんじゃねえの。飛び入りの来賓ってことで。ところで、愛弟子のわけのわからない魔法についても、ぜひ解説をお聞かせ願いますかね」

 

 相変わらず適当なことを言う中佐であったが、これについてはマテューも同意するところではあった。

 

「それについては私から話すよ。バティスト中佐」

 

 中継室の一隅から威厳のある声が響いた。また、侵入者か、と訝しむマテューの視線の先にいたのは、第一種正装の軍服に身を包んだオレリアン校長その人であった。

 

「……ブランシェ君の魔法属性は『光魔法』だよ」

 

「光、魔法だって……?」

 

 光魔法。それは、王国の魔法属性・階位相関図から完全に削除された階位。何百年も該当する者がいなかった『神の領域プラティーヌ・ド・ディユ』のことであった。

 

「帝国では、既にあやつを特異魔導師アノマリー・マギアーに昇叙させておる。もっとも君らは、その彼女を沈黙者スィランスだのインチキ魔導師と呼んどるがの。理解できないものは拒絶する……王国の悪い癖じゃよ」

 

(に、二大巨頭が揃ってブランシェちゃんをここまで……。確かにさっきの準決勝の魔法といい、ハンスの野郎が俺に興奮して話してきた内容とも全部辻褄が合うぜ。それにしても、光魔法だって……!)

 

 そろそろバティスト中佐も、我慢の限界が近づいてきていた。苦虫を嚙み潰したような顔で吠える。

 

「だからよお! 大事な決勝戦を前に、お歴々がこんな場所で何しゃべくってんだ! 結局、あのガキは帝国の爺さんの差し金で王国をかき回しにきた密偵だったってわけかよ。それに、オレリアンのオヤジも一枚噛んでたってことでいいか?」

 

「いいや、儂はあの子には何も指図しとらんよ。あの子はただただ、セリア嬢に会いたさにアンヴァリッドの門をくぐっただけじゃ。……ただまあ王国を『お掃除』するとは言っておったがのお」

 

「中佐、もはや王国だの帝国だのという面子をいってる猶予はないのだよ。……リエヴァンの大災厄から、五年も経ってしまったのだからな」

 

 オレリアン校長がズボンのポケットからゆっくりと煙草を取り出して火をつけた。

 

「王国の調査は、未だに原因が何で、誰の仕業なのか一向に進んでいない。いや、するつもりがないのだ。……中佐、あれがオロールで起きたらと考えたことはないかね?」

 

「なっ、そ、そんなこと起きるわけねえだろ! 王都守備隊だって……!」

 

「五年も……『奴』に時間を与えてしまったのにか? ……暗黒星ドゥンケル・シュテルンにな」


 ◆◇◆


 王立大演武場の最も高い観覧席の柱の陰に、二人の男がいた。

 痩身の不気味な男と、老人のような男。周りの魔導師と同様にフードを目深に被っていて顔は見えない。

 

師匠マイスター・マギアー。あれは……光魔法」


 老人の傍らに跪く痩身の男が、地を這う泥のような声を絞り出した。

 

「どうやら、あのリエヴァンから生き延びていたようじゃな……」

 

「今、ここで殺りますか?」

 

 痩身の男が、命令を待つように身構える。

 

「ふっ、お前がか……? ……奴の手の内はもう見れたのだ。さっさと引き上げじゃ」

 

「あの……決勝は見ていかないのですか?」

 

「……見たいのか?」

 

「い、いえ……」

 

 二人の男が『転移』で音もなく消え去ったのを、熱狂する周りの観客も衛兵も、誰一人として気付かなかった。

 

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