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第四十七話 王国の守護者

 健やかな晴天の下、王立大演武場が、それまでの喧騒を嘘のように剥ぎ取られ、一瞬で厳粛な沈黙へと包み込まれた。

 

 中央の王賓席の二翼に、純金で刺繍された獅子の紋章の巨大な旗が厳かに翻る。金管楽器の高く澄んだ斉奏が白亜の回廊に木霊すると、観客席の数万の群衆が一斉に起立し、音を立てることも忘れて深く頭を垂れた。

 

 国王一家の親臨。

 その重厚な威厳は、擂り鉢の底にある薄暗い控え室の窓にまで、肌を刺すような魔力の圧となって染み込んできた。

 ブランシェは小さな窓枠に手をかけ、雪のような白い髪を揺らしながら、遥か高座へと進む国王の姿を見上げていた。白銀の衣を纏った王が座を占めると、演武場全体の空気が、まるで巨大な氷塊に変わったかのように張り詰める。

 

「……凄いね。真ん中の人が座っただけで、みんな静かになった……」

 

 ブランシェが深紅の瞳を瞬かせながら呟くと、後ろで借りてきた猫のように直立不動になっていたポーラが、消え入りそうな声で応じた。

 

「ブ、ブランシェ……! 不敬よ、声を落として……っ。国王陛下が戦いをご覧になるなんて、わ、私だったら息が止まっちゃう……!」

 

 この厳粛な静寂の直後、空中送話局ラーディオの集音器が、マテューの声を厳かに拾い上げる。

 

「国王陛下のご親臨を仰ぎ、これよりソルセルリー・リヴァル準決勝、その火蓋が切って落とされます……!」

 

 マテューの張り詰めたような声が、送話器を通じて王国全土へ響き渡る。

 

「ご覧ください! この日のために完璧に整備された中央のフィールドを! 通常の石畳ではなく、我が国の伝統に則り、一面に敷き詰められたのは燃えるような『赤土』! なぜ石を排し、あえてこの赤土が使われているのか? それは、これこそが魔導士たちの放つ魔力の奔流を最もダイレクトに、そして美しく地脈へと伝える最高の舞台だからに他なりません! 選手が踏みしめるたびに舞い上がる紅の砂塵は、まるでこれから始まる死闘への、大地の興奮を表しているようだぁぁッ!!」

 

 解説席のバティスト中佐が、ふん、と鼻を鳴らして集音器をたぐり寄せる。

 

「……当然だな。石畳などという人工物の盾は、実戦では存在せん。この生の赤土をどれだけ味方にできるか。特にこれから戦うヤシヌやアンヌのような土魔法で双璧をなす魔導師にとって、この赤土のフィールドは、己の肉体の一部も同然だ。逃げ場のないこの擂り鉢の底で、平民の手品が通用すると思うな」

 

「中佐……。ありがとうございます! 若干、昨日の茶話会が尾を引いてるようですが……。さあ! 赤土の粒子が陽光を浴びてキラキラと輝く中、いよいよ第一試合の選手が入場してまいります!」

 

 張り詰めた空気の中、第一試合(第二十七試合)であるアンヌとドロテーアの名が、地鳴りのような審判の声によって告げられた。

 

「――さあぁ、試合開始です! 第一ブロックの第一シードとして不戦勝から勝ち上がってきた絶対王者のアンヌ選手! 対するは、数多の強豪を焼き尽くし、帝国の天才の名を欲しいままにしてきたエリート士官候補生、ドロテーア選手! 準決勝進出者の中で、最も魔法の『天賦の才』を持つと言われるのが、この帝国のドロテーア選手です! その天性の火属性魔法が、今、赤土の演武場を紅蓮の檻へと変えていくぅッ!」

 

 マテューの実況が叫ぶ通り、ドロテーアが指先を鳴らした瞬間、彼女の天才的な魔力は一切の予備動作なく爆発した。地脈を無視し、大気の熱そのものから次々と生み出される火炎弾の嵐。

 だが、解説席のバティスト中佐は、傲然と腕を組んだまま低く笑った。

 

「ふん、天賦の才、か。帝国が誇る天才の炎は確かに凄まじい。だがな、マテュー。我が王国の最高峰を、血の滲むような『努力』と『鍛錬』の結晶を、そんな天性の一言で片付けられては困るな」

 

「おおっと、中佐の言葉通りだぁッ! アンヌ選手、顔色一つ変えずに地を踏みしめる! 天才の業火を迎え撃つのは、彼女が幼少期から何十万回、何百万回と繰り返してきた、寸分の狂いもない防御術式の完全展開だァァッ!!」

 

 地を揺るがす轟音とともに、磨き上げられた黒曜石の防壁が赤土を突き破って出現した。

 ドロテーアの放つ避ける隙のない圧倒的な火炎弾が防壁に衝突し、狂ったように牙を剥く。しかし、アンヌの防壁は傷一つ付かない。それどころか、アンヌがこれまで重ねてきた過酷な鍛錬は、敵の爆炎の熱量さえも地脈へと逃がし、自らの防壁の硬度へと変換する完璧な循環を構築していた。

 

「なっ……!? 火を『喰って』やがるのか……!? だったら! これで、どうだ!」

 

「――『マシーネン・ゲヴェーア(焦熱蜂巣)』!」

 

 ドロテーアの瞳の奥に、初めて焦燥の色が走る。どれほど天才的な魔力で火力を上げようとも、アンヌが血の滲む努力で練り上げた「ウルスス(土熊)の巨壁」は、すべてを冷徹に受け止め、無慈悲に無力化する底なしの墓標だった。

 

「身の程を知ることね、帝国の仔犬さん。確かに貴女に才はあるけど、私が積み上げてきた時間の前には、ただの火遊びに過ぎないわ!」

 

 アンヌが重厚な足取りで一歩を踏み出す。その瞬間、ドロテーアの足元の赤土が、まるで巨大な熊の顎のように牙を剥いた。四方から迫る巨大な土の腕が、ドロテーアの細身の体躯を容赦なく捕らえ、その動きを完全に封じ込める。

 

「くっ、そ……! 動け、ねえ……!」

 

 タイトな制服の脚を巨腕に囚われ、ドロテーアは屈辱に唇を噛んだ。

 

「勝負あり! 勝者、アンヌ・マルティノッジ・ド・ウルススエトワール!」

 

「決まったァァッ! 昨年の覇者アンヌ選手、天才の火炎弾を完膚なきまでにねじ伏せ、衣服の乱れ一つなく決勝進出を決めましたァァッ!!」

 

 会場が割れんばかりの歓声に包まれる中、中佐は満足げに深く椅子に腰掛けた。

 

「見事だ。これこそが規律と練錬が生む、本物の魔法。……あの平民のインチキ手品野郎が万に一つでも決勝に進むことがあっても、このウルススの巨壁に激突して粉々に砕け散る様が、今から楽しみでならんよ」

 

 ドロテーアを拘束していた土の巨腕がサラサラと赤土に還っていく。ドロテーアは赤土に汚れた制服の膝を叩きながら、不機嫌そうに吐き捨てた。

 

「チッ! ……クソ不味いルテの国の令嬢様は、随分と固い壁をお持ちのようだねぇ」

 

 負けてなお、その薄い唇から漏れるのは品性のない毒舌。しかし、その声はどこか、全力を出し切った者の清々しさを孕んでいる。

 

「積み上げた時間が違うと言いました。精進することね……」

 

 アンヌは衣服の乱れ一つなく、黒髪をさらりと流してドロテーアを見下ろした。その瞳に侮蔑はなく、ただ油断のない「観察」の光だけが残っている。

 

「……ハッ! お堅いことで。でもさ、令嬢様」

 

 ドロテーアはぽりぽりと頭をかき、顎でブランシェたちのいる控え室の方をしゃくった。

 

「あんたのその大層な『鍛錬の壁』、あっちの白いチビに壊されちまわねえように気をつけな。あの小娘、あたしとも、あんたとも、全然別の場所にいるぜ。……爺さんに聞いた話だと、あいつ一人でボスルレスの黒瘴龍を倒したらしいからなぁ」

 

「——馬鹿なことを言うなぁ!!!」

 

 突然、解説席の集音器からバティスト中佐の怒号が割って入った。

 

「黒瘴龍っていやあ、魔導軍の一個大隊でも倒すのは無理なんだよ! 人間が相手できるもんじゃねえんだ! いい加減なことを言うと殺すぞ貴様!」

 

 中継中なのも忘れるぐらい、バティスト中佐は激しく興奮していた。まるで、自身のおぞましい記憶が呼び覚まされるのを恐れるように。

 

「おっかねーなあ。俺は爺さんから聞いたことをそのまま伝えてるだけだぜ? 爺さんがでたらめを言う理由がないだろ」

 

「お前みたいな馬鹿に、こうやって拡散させるのが狙いかもな!」

 

「そんなの、戦えばすぐにわかるのにか?」

 

 バティストは背筋を冷たいものが駆け抜け、全身から脂汗が滲み出すのを止められなかった。

 

「ま、まあ中佐! それくらいで……! ここは健闘を称える場ですから! 惜しくも準決勝で敗退しました、帝国魔導士官学校のドロテーア・フォン・ボルヒャルト選手でした。ありがとうございました!」


「ハッ、いい暇つぶしになったよ。……あの白いチビとも、いつかどこかでまたやり合ってみたいもんだね」

 

 ドロテーアは、制服の襟元を緩め、最後にちらりとブランシェの控え室の方へ視線を投げると、がさつな足取りで演武場を去っていった。一人残されたアンヌは、ドロテーアが去った赤土を見つめ、それからブランシェのいる方へと視線を移す。

 

「……別の場所、ですか」


 ◆◇◆


 整備が行われているフィールドを、中継室から呆然と見下ろしているバティスト中佐に、マテューは先ほどの件を質した。

 

「中継中に殺すぞはいくらなんでも言い過ぎですよ、中佐。一体どうしたんですか?」

 

「……俺がまだ大尉だった頃のことだ……。一個大隊を任されて、ボスルレスに調査遠征したことがあったんだ……」

 

 マテューは黙ってルテのカップを手渡しながら頷いた。

 

「隊の血気盛んな奴が、偶然遭遇した黒瘴龍に手を出しちまいやがった」

 

「それは初耳でした。……それで、隊はどうなったんです?」

 

「……全滅させられた……。たった一匹に、だ。それを十五やそこらの小娘が一人で倒しただって? 興奮するのもわかるだろう」

 

 中佐の手元で、受け取ったばかりのカップがカタカタと小さく震えていた。見えない圧力に怯えるように、額にはべっとりと汗がにじんでいる。

 

「わかりますよ、中佐。でも……本当はブランシェちゃんの実力、わかってらっしゃるんじゃないですか?」

 

「あいつ、昨日の茶話会の時、黒瘴龍と同じ『眼』をしてやがった。あの得体の知れない、決して人間が対峙しちゃいけねえ気配。それが瘴気のように、アンヴァリッドに入り込んでるような気がしてな……。セリアが言うには、あいつに閉ざされてた魔力を開放してもらったんだそうだ。全てが気に喰わねえ。……なあ、マテュー。おかしいのは俺の方か?」

 

「いいえ、当たり前の反応ですよ。但し、中佐は偏見が過ぎます。謙虚に認めるところは認めないと」

 

 マテューは苦笑交じりに肩をすくめた。

 

「ブランシェちゃんは、そんな邪悪なもんじゃないと思いますよ。セリア様との因縁も、歓迎すべきじゃないですか? 私が以前お見かけしたセリア様と、今のセリア様では、まるで別人のように明るくなられましたよ。それが全てではないですか、中佐」

 

「……」

 

「そろそろ『深淵の秘蔵っ子』の試合が始まりますよ。ワクワクしませんか?」

 

「……ああっ、そうだな。『恤兵部に非ずんばアンヴァリッドに非ず』を見せてくれるんだったな」

 

(全く……。素直になれないだけで、こういうところが憎めない御仁なんだよな)

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