第四十九話 決戦(第一部 完結)
オロールの晴れ渡った空に、決勝戦の開始を告げるファンファーレが鳴り響く。
演武場の富裕層向けの特別席の最前列で、とある若夫婦が決勝戦が始まるのを待っていた。
「すごいや! 本当にあの子が決勝に進んだね。初めて馬車で出会ったときは、まさかこんな大魔導師だったなんて夢にも思わなかったよ」
「そうね。あの子はきっと、この国を変えるわ」
「ちょ、ちょっと! 物騒なことを言わないでよ~」
(御義父様が、あの彗星号の乗客を何も調べずに送り出すはずがないでしょう。……でも、それでいいの。あなたがいつまでも『偶然』のままでいてくれるなら、後は全部私がやってあげる)
「そういえば、実況のマテューさんって、馬車で一緒だったハンスさんのお兄さんなんだってね。声がそっくりだよ。世間って狭いなあ」
「……世間が狭いんじゃないわよ。ふふ、さあ、もう始まるわ」
カロリーネ・ガルケは夫の横顔を愛おしそうに見つめながら微笑んだ。
◆◇◆
「皆様お待たせしました! フィールドの整備も終り、いよいよ決勝戦です。整備中に中佐と準決勝の各試合内容の解説を予定しておりましたが、機材の故障によりお届けできませんでしたこと、改めてお詫び申し上げます。……残念でしたね中佐?」
「おっ? おお、まあしょうがねえよな、故障は。どうしようもねえからな……」
「これより決勝戦を行うッ! 東のアクイラ、ブランシェ選手! 西のレオ、アンヌ・マルティノッジ・ウルススエトワール選手! 両者開始線へ!」
審判が、これまでにないほど厳かで重厚な声を響かせた。
「決勝戦のみ、このような呼び出し方法が執られます。今を去ること数百年前、建国の夜明けにこの地で戦った、初代レオエトワールと、挑戦者であった初代アクイラエトワール。その両者の故事に倣い、この『ソルセルリー・リヴァル』は始まりました!
七月の東の夜空に輝く大鷲座の方角からブランシェ選手が入場、西の夜空に輝く獅子座の方角からアンヌ選手が入場します。これから行われるのは、ただの試合ではありません。星の巡りがもたらした、神聖なる宿命の再現なのですッ!」
「始めッ!」
審判の合図に応じ、赤土のフィールドの中央で立ち止まったアンヌが、静かに地を踏みしめた。
(ヤシヌ大尉に使った銀の翼。……あなた、一体どれだけの鍛錬を積んだというの? でもね、私もできるのよっ、ブランシェッ!)
「――目覚めなさい、我が鍛錬の結晶!」
アンヌが虚空へ右手を差し出すと、足元の赤土から、ウルススエトワール家にのみ継承される圧倒的な密度の魔力が噴き上がる。地脈が激しく共鳴し、彼女の手のひらに向かって、大地の底から最高硬度の結晶が吸い寄せられるように集まっていく。
「地を割りて顕れよ!
——『エペ・ド・ディアマン(金剛石の巨剣)』!!」
――キィィィィンッ!!!
演武場全体に、鼓膜を震わせるほどの硬質な結晶音が響き渡る。彼女の手に握られたのは、地脈の底で数百年をかけて磨き上げられた、純度一〇〇パーセントの金剛石で形作られた、美しくも禍々しい巨剣であった。
陽光を浴びて、その金剛石の刃は虹色の冷たい光を撥ね返している。
「お、おおっとぉぉーッ!! アンヌ選手が先に剣を完全顕現だぁぁッ! 王国の守護者が今、一年生ブランシェの前に立ちはだかるッ!!」
マテューの実況が狂ったように叫ぶ中、アンヌはその巨剣を構え、涼しげな眼差しを真っ直ぐにブランシェへと向けた。
「……わたしが作った、世界で一番鋭い剣よ。『光』さえ切断できるわっ!」
「……ふふっ。凄いですね、先輩。少し驚きました」
ブランシェはローブの裾を揺らし、その言葉と同時に、背後から巨大な『銀の翼』を羽ばたかせた。
「――お、おおっとぉぉーッ!! これが、これが本当にアンヴァリッドの一年生と五年生の戦いなのかァァッ!? 鳴り響くのは金属音! 赤土を裂いて交錯するのは、アンヌ選手の『金剛石の巨剣』と、ブランシェ選手の『銀の翼』だぁぁぁッ!!」
マテューが狂ったように叫ぶ。
演武場の中央、陽光を浴びて眩く輝くのは、アンヌが血の滲む鍛錬で地脈から練り上げた、地上で最も硬い結晶――金剛石の巨剣。それが、ブランシェの展開する銀の翼と激突し、火花を散らして硬質な金属音を幾重にも響かせていた。
——キィィィン! ガガガガアンッ!!
およそ魔導士同士の戦いとは思えぬ、苛烈極まる剣戟。幼い体躯のブランシェは、ローブの裾を翻しながら銀翼を繰り出し、アンヌの放つ重厚な一撃をすべて受け流していく。しかし、王者の執念を見せるアンヌも一歩も退かない。長い黒髪を振り乱し、寸分の狂いもない剣筋でブランシェを追い詰めていく。
「……中佐。解説をよろしくお願いします」
「お、おい……! 俺も何が起きてるのかわからねえ! ただ、これだけは言える。お前ら、こっちは剣術の試合を見に来てるんじゃねえぞ!」
マテューの無茶ぶりに、長年の付き合いからの見事な返しで応じるバティスト中佐。
「アインズィードラ卿よ、卿にはかの者の銀の翼のことを聴こうと思っていたんじゃが……土熊の令嬢まで剣を持ち出しおった。……あんな物を初めて見るが、いずれも魔法で作り出したものなのかね?」
王賓席でロスナーサ王の解説役となったアインズィードラに、王が驚きながらも半ば呆れながらフィールドを指さした。
「御意。極限まで練り上げた魔力によって、それぞれが得意とするものに作用して完成されたものがあれらです。二人とも正に、魔導を極めし者と言えましょう。ですが……人の理はここまででしょうな……」
「――ガァァッ!!」
アンヌが泥臭く吠えた。目で追うのではない。大地を伝う空気の震え、野生の本能だけで、金剛石の巨剣を強引に振り抜く。
——ガギィィン!!!
闘技場に激しい火花が散った。アンヌの執念の刃が、ブランシェの放つ銀翼の斬撃を、文字通り「真っ二つ」に叩き切ったのだ。
ブランシェの白い眉がピクリと跳ねる。だが、切断された翼は消滅しなかった。行き場を失った光子たちは、吸い込まれるようにアンヌの金剛石の刃の中へと閉じ込められ、巨剣を内側から爆発的な虹色に輝かせる。
「言ったはずよ! わたしの剣は、光でも切断できるって!」
大歓声に沸く観客席。異次元の白い少女に、泥臭い一撃が、ほんの切っ先でも届いた瞬間だった。
「さすが昨年の優勝者だァァッ!! これはブランシェ選手も想定外かァぁ! 形勢逆転なるかァッ! 中佐、金剛石の剣、アンヌ選手は元々奥の手として隠していたんでしょうか? はたまた準決勝のブランシェ選手の銀の翼を見て考えたのでしょうか!? 後者だとするとアンヌ選手、とてつもない天才です!」
「金剛石の剣か……。まさに魔導部らしくて、美しいな……」
「いや、ブランシェ選手の銀の翼だって美しいでしょうが! ちなみに中佐は、まだ恤兵部の皆さんに謝っていませんよ!」
「うるせぇ! これが終わったら考えるよっ!」
マテューとバティストの無駄なやり取りが続く中、ブランシェはアンヌから離れ、魔法の間合いへと距離を取った。
「いいえ先輩、光は『切断』できないわ。そこに溢れるだけ。……全部綺麗にしてあげる。
――『光子高圧洗浄』!」
ブランシェの指先から、清冽な白銀の水流のような光子が溢れ出し、演武場を優しく満たしていく。
「いいえ! 終わりよ、ブランシェ!」
アンヌが叫ぶと同時に、金剛石の巨剣が瞬時に形を変え、ブランシェの全方位を囲む巨大な結晶の障壁へと変貌した。
「万物を拒絶し、永遠を閉じ込めよ。
——『ブークリエ・ディモルテル(不滅の金剛盾)』!!」
地脈のエネルギーを吸い上げたダイヤモンドの壁が、屈折する虹色の光を放ちながらブランシェを閉じ込めていく。それはただの防壁ではない。ブランシェの放つ白銀の光の魔法を、その結晶の内部へと永遠にとじ込め、無力化し、そのまま圧倒的な質量で押しつぶそうと狭まっていく「檻」だった。
「無駄よ! 私の『ブークリエ・ディモルテル』は、貴女の光をすべて屈折させ、内部に吸収する! 貴女の光は、この最高硬度の檻から永遠に出られない!」
「きゃあ! ブランシェ!!」
ポーラが悲鳴を上げる。
「ほらぁ、やっぱりアンヌ先輩を本気で怒らせちゃったわぁ~どうすんのセリア」
アガットが眩し気に扇子をかざしながら隣席のセリアを振り返ると、セリアは身をよじらせながら恍惚としていた。
「うらやましいわ、アンヌ先輩……。ブランシェとあんな風に全力でやり合うなんて……」
「はあぁ? こっちも手遅れかもしれませんわぁ……」
「——お、おおっとぉぉーッ!! アンヌ選手、ここで巨剣を瞬時に変形! 全方位からブランシェ選手を包囲する、ダイヤモンドの絶対障壁を展開したァァッ!!」
マテューの叫び声が、集音器が割れんばかりに響き渡る。
「ブランシェ選手が放つ白銀の光の魔法が、金剛石の結晶構造に触れた瞬間、すべて内部へと屈折し、吸収されていくぅッ! 光が、光が完全に閉じ込められていくぞォォッ!!」
演武場を埋め尽くす数万の観衆が息を呑む中、解説席のバティスト中佐は、打って変わって冷静に分析する。
「確かに、どんなに強力な光の魔法だろうと、完璧に練り上げられた金剛石の内部に入れば永遠に外へは出られん! しかし、これを準決勝のヤシヌ戦で一度見ただけで応用できるとは……空恐ろしい戦闘狂だぜ、アンヌよ……。このままブランシェを金剛石の盾で轢き殺す気か!」
「中佐、ようやく解説らしくなってきましたね! しかしブランシェ選手、未だ表情を変えません! 結晶の檻がじわじわと狭まり、彼女の小さな体躯を圧殺せんと迫っているがぁぁッ!?」
「マテュー! これであいつが終わるわけがねえだろっ! なにしろあいつは『規格外』なんだからなッ!!」
中佐の傲然たる咆哮が、王国全土へ響き渡る。
それに呼応するかのように、最高硬度の輝きを放つ『ブークリエ・ディモルテル』の檻の内部で、ブランシェはただ静かに、深紅の瞳を輝かせていた。
「……やっぱりこれ、隙間があるよ。閉じ込められてないよ、アンヌ先輩」
押しつぶされる寸前、最高硬度の金剛石の檻の中で、雪のような白い髪が静かに逆立つ。彼女の指先から溢れ出たのは、これまでのような「優しい光」ではなかった。
それは、世界を構成する最も極小の光――『光子』の奔流。
「どんなに固い石でもね、よーく見ると、ちっちゃい隙間がたくさんあるんだよ。……ほら、そこから入っちゃうね」
ブランシェが盾の表面にそっと触れた瞬間。金剛石の内部で、眩いばかりの純白の光が明滅した。
ブランシェの魔力は、金剛石の強固な炭素結合の、その原子の隙間へと、光子レベルで一寸の抵抗もなく浸透していったのだ。内側から膨大な光子に押し広げられた金剛石の結合が、一瞬で悲鳴を上げる。
「な……!? 盾の魔力の結合が……消えて……!? 金剛石が崩壊していくというの……!?」
アンヌが、恐怖で声を枯らした。
――パリ、パリパリパリ……。
次の瞬間、地上最強を誇ったアンヌの『金剛石の盾』は、音もなく、光り輝く細かな砂の粒子へと分解され、赤土のフィールドへとサラサラと崩れ落ちていった。
檻は消え、そこにはただ、恤兵部のローブを纏った一人の少女が、静かに微笑んで立っていた。
「勝負あり! 勝者、ブランシェ!!」
地上最強の盾が光の砂となって赤土に消え去った演武場で、アンヌはしばらく自分の両手を見つめていた。だが、すぐにふっと息を吐くと、衣服の汚れを気にも留めず、ブランシェに向かって歩み寄った。その顔には、敗北の悔しさではなく、見たこともないほどさっぱりとした笑みが浮かんでいた。
「……完敗ね、ブランシェ。私の積み上げてきた時間を、まさか世界の理そのもので叩き潰されるとは思わなかったわ。貴女は本当に、この国を変えるかも知れないわね」
アンヌは幼いブランシェに対して右手を差し出した。
「アンヌ先輩の乾坤一擲の魔法、凄かったです。ちょっとだけ本気になっちゃいました」
ブランシェがその手を微笑みながら握り返すと、演武場を埋め尽くした数万の観衆から、地鳴りのような拍手と歓声が沸き起こった。
「――き、決まったァァァッ! 昨年の覇者アンヌ選手、一年生ブランシェ選手の健闘を真っ直ぐに称えている! 新たなる王者の誕生だぁぁッ!!」
マテューの絶叫が響く中、演武場のゲートが押し破られた。
なだれ込んできたのは、これまで日陰者扱いされてきた恤兵部の生徒たちだった。彼らはブランシェを囲み、お祭り騒ぎで叫び散らす。
「おい! 誰だ、こいつのこと沈黙者って言ってた奴は! 神様の間違いだろ!」
「明日からブランシェは朝の磨き掃除しなくていいぜ! 俺が全部代わってやる! もっとも、もう磨く場所がなくなってるけどな!」
「やったぞ! 史上初、恤兵部の優勝だぁぁッ!!」
もみくちゃにされるブランシェの横で、栗色の短髪を揺らしたポーラが、
「本当に勝っちゃった……!」
と涙を流して喜んでいる。そして、信じられないことに、いつの間にか現れたバティスト中佐がその中に混ざっていた。
「ま、まあ約束だからなッ! 悪かったなお前ら……! お前らがいなきゃ軍は一日だって立ち行かねえ。だから、まあ……絶対に必要な仲間だってことだッ!!」
セリアの紫水晶の瞳が、中佐に優しく微笑みかける。五年ぶりの、バティストへの屈託のない笑顔であった。中佐の目頭に熱いものが滲んだが、突然体が宙に舞ったため、それは引っ込んでしまった。
「俺たちの中佐の胴上げだあ!」
恤兵部の生徒たちに無理矢理胴上げされる中佐。
「やめろっ! こらっ! 俺はそういうのは苦手なんだっ! くそ恤兵部どもがぁ!」
「中佐ぁ! 中佐が宙に舞ってます! これが恤兵部の本気だぁぁッ!」
とマテューが集音器で叫び続ける。
◆◇◆
セクアナ川河畔の王立大演武場前広場に設けられた街頭ラーディオ前。
演武場に入りきれなかった多くの人々が予想外の大波乱に騒めく中、フードを深く被ったままの女性が送話器の前に跪き、感極まって体を震わせて泣いている姿があった。
その所作は老女のようでありながら、フードからわずかに見える金髪や若々しい肌は少女のようでもあり、不思議な雰囲気の女性であった。彼女は立ち上がると、演武場の方角に向き直り、
「アルビナ様の加護のあらんことを……」
と呟くと人混みの中へと消えた。
◆◇◆
「凄い! 僕、後であの白いお姉ちゃんと試合したい!」
「あら、あらレイモン殿下、お勇ましいこと」
演武場の中央で恤兵部に胴上げされるブランシェの姿を、国王一家が見下ろしながら王が言葉を漏らす
「……少し、厄介な結果になったの」
「国王陛下におかれましては、あの者にはなにとぞ干渉されませぬよう」
「卿よ……。あの娘を、放置せよと言うのか? このままでは王国の秩序を乱しかねんぞ」
王の問いかけに、アインズィードラはただ深く、そして冷徹に首を振った。
「あれは、世界そのものの理に愛された我が弟子。……陛下、あれを縛る檻など、この世界のどこにも存在しないのです。もし、つまらぬ権威のためにあの者に牙を剥けば……」
アインズィードラの細められた金の双眸が、一瞬だけ、王の玉座すら消し飛ばしかねないほどの輝きを帯びた。
「この王国そのものが、先ほどの金剛石の盾と同じように、なりましょうぞ」
王は息を呑み、静かに背もたれに体を預けた。演武場では、何も知らないブランシェの胴上げが続いている。
◆◇◆
「ねえ。あれ全力だったと思う?」
熱狂が続く演武場の一隅で、決勝戦を眺めていた赤髪の少女が金髪の少女に問いかけた。
「まさか! 半分の魔力も出してないでしょ」
金髪の少女は、正気かといった様子で答える。
「ねえ〜早くあっちへお祝いに行こうよぉ~」
小柄で華奢なボサボサ髪の少女が、今にも駆け出しそうな様子で赤髪の少女の手を引っ張る。
「馬鹿! あたしたち手配されてるのよっ! あっちに行けるわけないでしょう。もう行くわよ!」
「ええぇ〜! せっかくきたのに~! お姉ちゃんもさっき嬉しそうだったじゃん!」
「は、はあ? な、何で私が嬉しそうなのよっ!」
「うふふっ……。お祝いに駆けつけてもいいのよ、ウラリ」
「もうっ! いいってば! 行くわよ!」
熱狂する観客席から、三人の少女が音もなく『転移』で消えた。
◆◇◆
「よーし! もう一度みんなで胴上げだ!」
ブランシェは何度も胴上げされながら、ふと観客席の懐かしくも危なっかしい気配に気づいた。しかし喧噪に紛れて、その気配はすぐに消えてしまった。
すぐ近くには、筆頭公爵家のマントを振り回し、顔を真っ赤にして、平民の男子生徒に負けない大声で歓声を上げるセリアがいる。それを少し離れた場所で、扇子を口に当てて見ているアガットが見える。泣きじゃくるポーラもいる。
もみくちゃになりながら、ブランシェは深紅の瞳を綻ばせ、セリアに向かって無邪気に手を振り、七月の晴天にひとつ、真っ白な光魔法の魔法円を放った。
第一部 完
初めての小説。最後はかなりかけ足になりましたが、なんとか第一部完結できました! ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。もし、「ブランシェにまた会いたい!」「続編を読みたい!」と思っていただけましたら、ページ下部の【☆】から評価いただけますと、第二部の執筆の大きな励みになります! ブックマークも大歓迎です!




