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第四十五話 ソルセルリーリヴァル

 翌日、担任のフレデリク教官から呼び出されたブランシェは、正式にソルセルリーリヴァルの恤兵部第一学年代表に選ばれたことを告げられた。

 

「本当に……代表交代でいいんですか……?」

 

「当然、校長にも許可を取っているよ。大会当日までの日程が三週間しかないということもあったが、正直、上の連中は恤兵部のことなどどうだっていいのだろう。……私としては、君のような生徒はここで魔法でドンパチやるよりも、今すぐにでも魔法医学校へ転校して魔法医学の発展に寄与してほしいのだが。……まあ、出場するからには優勝したまえ」

 

 フレデリクは書類にサインしながら、校長からの通知書をブランシェに手渡した。

 

「は、はあ……」

 

 書類には、ポーラ・アロイジアからブランシェへと代表が変更になったことが記入され、そこにオレリアン校長のサインがあった。

 

(あの校長……結構いい加減な人なんだな……)


 ◆◇◆


 校長室の重厚な扉が、叩きつけられるようにして開いた。

 

「校長! あの生徒をソルセルリーリヴァルに出場させるなんて正気ですか!」

 

 メシエ教官の怒声が、机上に並べられた書類を震わせる。彼女は大股で詰め寄り、校長の執務机に両手を叩きつけた。

 

「彼女は沈黙者スィランスなんですよ!」


 その言葉が口から出た瞬間、校長室の温度が、数度下がったかのような錯覚が走った。

 

「……全く同感です」

 

 メシエの後ろから、ギラン副校長の氷のように冷たい声が続く。

 

「編入してまだ数日。実績も素性も定かではない。このままでは、我が校の伝統はおろか、王国が築き上げたソルセルリーリヴァルの歴史に泥を塗ることになります」

 

 二人の射抜くような視線が一点に集中する。

 しかし、大きな背もたれに身を預けたオレリアン校長は、組んだ指先を動かすことさえしなかった。ただ静かに、立ち上るルテの湯気の向こうから、二人を見据えている。

 

沈黙者スィランス……か」

 

 オレリアンは短く繰り返すと、手元にある皇帝の封蝋付きの推薦状に視線を落とした。そこには、かつての親友である男の、見覚えのある確かな意志の宿った文字で『アノマリー(規格外)』と記載があった。

 メシエ教官たちの鼻息が荒くなるなか、オレリアンはゆっくりと顔を上げた。その瞳には、怒りも困惑もなく、ただ静かな愉悦だけが揺れている。

 

「さて、諸君。その沈黙者スィランスの生徒が、編入からわずか数日で、わが校の五大星公爵家の子息と令嬢を二人も病院送りにしているのだが……?」

 

 オレリアンの声は、驚くほど低く、室内の隅々にまで染み渡った。

 

「これほどの『実力』を無視してまで、伝統とやらを守ることに意味はあるのかね? それとも、恤兵部に彼女以上の適任者がいるとでも?」

 

 教官たちの喉が、ひきつったように鳴った。

 

(ふふっ……アインズィードラよ。これも貴様の想定通りなんだろう?)


 ◆◇◆


 ――三週間後。

 

 開会式はお祭り騒ぎだった。年に一度、一般市民に開放されるアンヴァリッド魔法兵学校の四つの試合会場は数千人の観客で埋め尽くされている。この三週間、ブランシェは放課後になると恤兵部の寮の床をうっとりとした表情で黙々と磨き上げ、ひっきりなしにやってくるセリアとアガットをいなしつつ、光の共鳴フォトン・レゾナンスによるポーラの魔力回路の拡張と極限清掃を日課としてきた。

 

 一回戦、第八試合。

 第三ブロック試合会場の中央に立つブランシェの開始線の向かい側には、およそ祭典には似つかわしくない男が立っていた。

 

 一般参加枠、アダン・ジロ。

 無精ひげに覆われた頬はこけ、ぼさぼさの頭髪の隙間から覗く瞳には、生気というものが一切感じられない。痩せさらばえたその体型は、まるで墓場から這い出してきた幽鬼そのものだった。

 

「ひぃっ……あの人、予選の相手を全員、再起不能にしたっていう……死神みたいな人ですよ……!」

 

 観覧席の最前列。ブランシェのためにセリアが強引に確保した特等席で、ポーラが短くなった栗色の髪を抱えて震えている。

 

「予選十枠を勝ち取った猛者の中でも、あれは異質だわぁ。巷の魔法自慢の中に、まさか『風魔導師』がいるなんてねぇ。……元軍人か、訳ありの貴族かしらねぇ」

 

 アガットが珍しく眼鏡の奥の瞳を鋭くし、ジロの魔力を分析する。

 隣のセリアは、肘掛けをミシリと鳴らし、紫電の残響を瞳に宿してジロを睨みつけていた。

 

「不愉快な男。あんな汚らわしい男と試合することさえ、私は許さないわ。……ブランシェ、さっさと終わらせて、一緒に美味しいお菓子を食べに行きましょう」

 

 そんな外野の喧騒を余所に、ブランシェは深紅の瞳をジロへと向けた。

 ジロが纏う風は、ベアトリスの高潔な風とは正反対のものだった。それは、触れるものすべてを腐食させる死の波動を纏っている。

 

(ソルセルリーリヴァルって、大人も参加できるんだ。……それにしても、掃除しがいのある人だな……)

 

 ブランシェは雪のような白い髪をさらりと揺らし、幼い体躯を無防備に晒したまま佇んでいる。その姿は、幽鬼を前にした一輪の白い花のようだった。

 

「始め!」

 

 審判の短い合図とともに、空気が一変する。

「幽鬼」アダン・ジロから、腐った沼のような灰色の風が吹き荒れた。ひび割れた唇をわずかに歪めると、

 

「…………殺す」

 

 ジロが初めて言葉を発した。掠れた、地を這うような声。

 無数の灰色の風の刃が、ブランシェの幼い体躯を切り刻まんと殺到する。風の刃が掠めた観客席の手すりが、まるで紙のように音もなく断ち切れて落ちた。

 

「ひゃああっ! ブランシェ危ない!」

 

 観覧席のポーラが悲鳴を上げるが、隣のセリアは落ち着き払ってルテを啜っている。

 

「騒がしいわ、ポーラさん。あんなの、ブランシェには一寸だって届かないわ」

 

 セリアの言葉通り、ブランシェは避けることすらせず、一歩前へ出た。

 迫りくる死の風。その中心に、彼女はただ優しく右手を差し出して呟いた。

 

「——『境界逆転リバース……インフィニティ・プール』……」

 

 ブランシェの右手の先に、彼女の背の高さと同じ『縁のない鏡のような水面』が現れた。

 灰色の風が水面に触れた瞬間。「吸い込む動き」と「吐き出す動き」が同時に起こる。まるで、水面が灰色の風を「折り返した」かのように見えた。

 

「ぎゃあああ!!!」

 

 ジロの身体中に、自らが放ったはずの『灰色の風の刃』が次々と突き刺さって消えた。がっくりと膝から崩れ落ちるジロ。

 

「勝負ありッ!」

 

 三人の審判が全員右手を上げている。呆然とする一般観戦者たち。ジロの傷口からは血が噴き出している。


「あっ、これはちゃんと治しておかないと」


 ブランシェは崩れ落ちたジロに駆け寄り、光子の粒子を傷口に這わせた。みるみる血が止まり、裂けた皮膚が静かに塞がっていく。駆けつけた救護の魔導師たちが、傷一つなく眠るジロの姿に目を丸くした。

 

「やったぞ! ブランシェ! 史上初の一回戦突破だ!」

 

 ルシアンとフィリップがそろって拳を突き上げる。恤兵部の応援席は大歓声に包まれていた。

 

「は、跳ね返した? いやいやあり得ない、あり得ない! ……なんなんだあの魔法は……!?」

 

「だから言っただろ、兄貴! ブランシェ嬢は『アノマリー(規格外)』なんだって」

 

「馬鹿野郎! そんな次元じゃないんだよ! 風魔法は目に見えないはずなのに、あの水面は『風の指向性』だけを正確に捉えて反転させたんだ! 属性相性を完全に無視して、現象そのものを鏡合わせにするなんて、理論上は神級魔導師プルミエール以上の魔力制御が必要なはずなんだぞ!」

 

 さすがのハンスもドン引きする早口でまくし立てるマテュー。

 そっくりな二人の中年男性の大盛り上がりにブランシェが気付く。

 

「ハンスさん! 来てくれてたんだ!」

 

 恤兵部の生徒たちにもみくちゃにされていたブランシェが、特徴的なハンスの体系と頭髪に目敏く気づき、笑顔で駆けてきた。

 

「もちろん! 絶対に会いに来るって言ったでしょ。トーナメントに名前を見つけて、すっ飛んで来たんですよ」

 

「こっちがマニアのお兄さん? ほんとに双子だったんだ!」

 

 そこにいたのは、ハンスをさらに一回りふっくらさせ、そのまま放送局の制服に押し込んだような男だった。ハンスと同じく背は低く、そして同じくらい額の境界線が怪しくなっている。一目で、彼がハンスの言っていた『魔法マニアの兄』だと分かった。

 

「マテューです。『空中送話局ラーディオ』で魔法解説をやってます! この後の試合は、全部優先取材させてもらいますよ! ブランシェちゃんは今大会の台風の目ですからね! それからさっきの魔法……!」

 

 マテューは魔法の解説を喋りながら感極まって、ブランシェの両手を強く握りしめてきた。

 

「あの、ちょっと……手、痛いです……」

 

 ブランシェは身じろぎしながら助けを求めるようにハンスを見た。

 

「兄貴……さすがにそれは俺でもドン引きするよ」

 

 その時、空気が『ビシリ』と音を立てて凍りついた。

 オゾンの香りが周囲に漂い、観客席のセリアから、マテューを射殺さんばかりの視線が届く。

 

「し、失礼! と、とにかく、後二試合勝って準決勝に進めば、今日の夜行われる式部卿府の『茶話会』に参加できますんで、その時にじっくり取材させてもらいますよ!」

 

 命あっての物種と感じた双子は、ブランシェの二回戦が始まるまで離れることにした。

 

「ブランシェ。今の誰?」

 

 汚い虫でも払うように手を振りながら、まだ双子を睨みつけているセリア。

 

「えっと、空中送話局のマテューさんだって。取材に来てるらしいよ」

 

「そういえば、叔父様の知り合いの送話局の人に似てたわ」

 

「取材って、ソルセルリーリヴァルも中継したりするんですか?」

 

 最近、アガットによく懐いているポーラが質問する。

 

「田舎者のポーラさんはご存じないでしょうけど、準決勝戦からは実況中継があるのよぉ。このまま勝ち進めば、たぶん準決勝は第四ブロックシード選手の『ヤシヌ大尉』と対戦することになるわねぇ。現役の土熊陸軍の将校さんよぉ」

 

「大尉って……この大会、そんな偉い人まで出場してるんですか?」

 

「このところ戦争がない以上、軍人が名を挙げるチャンスは何でも利用しなくてはねぇ」

 

 妹分の面倒でもみるかのように、アガットが中庭に設置されたトーナメント表の前で、丁寧に扇子で指して解説していた。

 

「準決勝までいけばぁ~、今日の夜に茶話会があるんじゃないかしらぁ。内容がオロール中に中継されるのよぉ」

 

「心配ね。私がついて行く必要がありそうだわ」

 

「それはぁ、同感だわぁ」

 

 完全に一緒に行くつもりのセリアたちであった。

 その後、ブランシェは二回戦と三回戦ともに「インフィニティ・プール」のみで事も無げに勝利を収め、明日の準決勝への出場を決めたのだった。


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