第四十四話 編入試験
熱狂に沸く演習場を、少し離れた古い巨木の木陰から見下ろす二つの人影があった。
一人は、退屈そうに銀のコインを指先で弄んでいる赤い髪の少女。もう一人は、青い髪と長い睫毛の奥に、計算高い光を宿した、落ち着いた佇まいの少女だ。
「マチアスの奴、だっせー。あんな平民のチビにいいようにやられちゃってさ。エトワールの名が泣くね、ホント」
コインを弄ぶ少女が、鼻で笑って毒を吐く。その視線は、演習場の中央で事もなげに佇むブランシェに固定されていた。
「まあ、恤兵部にしては、おもしろそうな奴が入ってきたのは間違いなさそうね。あのルプスエトワールがあれほど入れ込むなんて、ただの『白変種』じゃないわ」
隣の少女が、手にした手帳に何かを書き込みながら静かに応じる。彼女たちのローブの立て襟には、上級生だけが着けることを許された、金のエトワールを意匠とした記章が付いていた。
「ねえ、例のやつ、やりますか? あんな生意気な一年生、ちょっと教育してやんないと、ソルセルリーリヴァルが締まらないでしょ」
「そうね。私たちで、特別に『編入試験』をしてあげましょうか。アンヴァリッドの本当の厳しさを、あの子に教えてあげないと」
二人の瞳に、獲物を見つけた肉食獣のような鋭い光が宿る。 一人は拳を鳴らし、一人は不敵な笑みを浮かべて、木陰の中へと溶けるように去っていった。
◆◇◆
診療所のベッドの上で、ポーラは力なくうなだれていた。
自慢だった柔らかな栗色の髪はマチアスの火炎弾に巻かれ、背中まであった長さは、見る影もなく無残に焼け焦げてしまっている。
「ごめんね、ポーラ。私が交代するのが遅かったから……。今、元に戻してあげる」
ブランシェが申し訳なさそうに光子の粒子を込め、その焼け残った髪に手をかざそうとした。
だが、ポーラはその手を、そっと押し止めた。
「……いいの、ブランシェ。このままでいい」
「えっ? だってポーラ、自慢だったでしょ、この髪?」
不思議そうに首を傾げるブランシェに、ポーラは少しだけ照れくさそうに、けれど今までで一番はっきりとした意志を込めて微笑んだ。
「ううん。……私ね、このままでいいの。その……。ブランシェと同じ長さがいい。……これでお揃いになれるでしょう?」
ブランシェと同じ、肩に触れるか触れないかほどの長さ。
鏡を覗き込めば、そこには雪のような白と、陽だまりのような栗色――色は違えど、同じ髪型、同じ身長、同じ年齢の二人が並んでいる。
「……そっか。お揃い、だね」
ブランシェが嬉しそうに笑って、ポーラの少し短くなった髪を優しく整えてあげる。
焼け焦げた部分はブランシェの光子で再生されて、きれいに切り揃えられ、しっとりとした質感を取り戻した。
「あのさ、ポーラ。ソルセルリーリヴァルの代表のことなんだけど……」
「いいの。ブランシェが代表なら、みんな納得すると思うわ」
ポーラは肩の荷が降りたのか、髪が短くなって幼さが増した笑顔を向けた。
「でも、せっかく選ばれたのにさ、ご家族とか喜んでたんじゃないの?」
「うちの家系、おじいちゃんの代で没落した貴族だったんです。私が代表に決まった時にはすごく喜んでくれて……」
「えっ、あのっ……! だったら尚更……!」
ブランシェはたまらず、ベッドの脇に置かれた水差しへ視線を逃がした。光を反射する水面が、もっと他に方法があったんじゃないかと自分の思慮の浅さをなじっているように見える。
「違うんです! 本当はソルセルリーリヴァルなんて出たくなかったんです。私は人を治したり、人を守ったりしたくてアンヴァリッドに入ったんです。だから、魔法で人を傷つけることは……」
「ポーラには凄い力があるのは本当だよ。具合がよくなったらお昼の続きをやろう」
「ほんとに? 私、自分は何もできないって思い込んでたんです。でも……ブランシェに認めてもらえてから、何かが変わった気がするんです」
ポーラはあの絶体絶命の瞬間、予期せず目の前に忽然と現れた、白い小さな背中を思い出していた。
「おじいさんは、何があったの?」
「よく知らないけど……。お父さんもお母さんも詳しいことは話してくれなくて。ただ、王国の『禁忌』に触れたって、それだけ……」
ポーラはそう言って、包帯の巻かれた手首を指先でなぞった。もう火傷の跡も完全に消えているようだ。
「そうなんだ……」
ブランシェは少し居心地が悪くなり、立ち上がると、
「じゃあ、もう行くね」
「私も、もう少ししたら部屋に戻ります」
「無理しなくていいって。だって、明日あれ、やらなくって済むでしょ。『総員起こし!』ってやつ」
ブランシェは少し上を向いて、直立不動の姿勢で上級生の真似をした。
「あははは、ブランシェってば上手だね!」
髪の色が違うだけの双子のような二人の笑い声が診療所に響いた。
◆◇◆
診療所から一歩外へ出た瞬間、ブランシェの視界が赤い髪に遮られた。
「あんたさあ、さっきマチアスをぶっとばしてたじゃん。やるねえ。……ちょっと顔、かしてくんない?」
馴れ馴れしく肩に回された腕。声の主は、燃えるような赤いショートヘアが印象的な上級生、ラクロワだった。
彼女の瞳には、友好的な響きとは裏腹に、獲物をいたぶる前の肉食獣のような光が宿っている。
「誰ですか、馴れ馴れしい。約束があるんで失礼します」
ブランシェが冷たくその腕を振り払おうとするが、ラクロワの腕は頑として動かない。それどころか、指先から攻撃的な魔力が服越しに伝わってくる。
「つれねえなあ。……力ずくでも来てもらうぜ? あっちに『教導塔』っていう、あたいらが溜まり場にしてる場所があんだけどさ。――あんたに会いたいって言ってる『お偉いさん』が待ってるんだわ」
逆らえばこの場で暴れることも辞さないという、狂犬のような笑み。
(……面倒だな。でも、ここで揉めたらポーラまで巻き込むことになるし……それに、ちょっと気になるな。アンヴァリッドの上級生がどれほどのものか、見ておくのもいい機会か)
「いいですよ。案内してください」
◆◇◆
案内された「教導塔」の最上階。ステンドグラスから差し込む斜陽が、一人の女性の影を長く伸ばしていた。深い青色の髪を緩やかに波打たせ、豪奢な椅子に深く腰掛けたその人物は、手にした手帳からゆっくりと顔を上げた。
「……来たわね、恤兵部の一年生。私は魔導部三年のベアトリス・リアディス・ド・アクイラエトワールよ」
その名を聞いた瞬間、周囲の空気が重く沈み込む。五大星公爵家の名を冠しながら、彼女が纏うのは「静かなる威圧感」。手帳を閉じ、冷徹な青い瞳でブランシェを値踏みするように見つめるその姿は、マチアスとは格が違うことを物語っていた。
◆◇◆
ブランシェを追いかけようと診療所から出てきたポーラの前方に、赤い髪の少女に強引に肩を組まれて連れて行かれるブランシェの姿が見えた。
「あれは、たぶん魔導部の先輩……どうしよう! ブランシェが連れて行かれちゃった」
どうしていいか分からず、あたふたと診療所の前で両手を上げ下げするポーラに、
「驚いたわぁ! マチアスにやられた怪我は、どうなさったんですのぉ?」
突然後ろから声をかけられた。ポーラが振り向くと、アガットが取り巻きも連れずに独りで立っていた。
「アガット……さま」
ブランシェとセリアの距離感から麻痺していたが、平民である恤兵部の一年生が、五大星公爵家の令嬢に直接話しかけられることなど、普通ならあり得ないことだった。
「あなたには、お聞きしたいことが山ほどありましてよぉ~」
「ふ、ふぁい……な、なんでしょうか……」
ポーラはブランシェが心配なのと、公爵令嬢に話しかけられたショックで、何が何だかわからなくなっていた。
「あなたがマチアスとの対戦で使った、あの水魔法……『マール・アンフィニ』。……あなたの家に代々伝わるものなのかしら?」
「い、いえ……。父も母も沈黙者ですから……あの魔法は試合前に、ブランシェから……教えてもらって……」
「ふむ、ブランシェちゃんに……教えてもらったと。……いいえ! 『あれ』は教えてもらってできるようなものではなくってよぉ? 水魔法を司る、我がピスケスエトワール家でも、今では使える者は極少数……。あなた、ご両親が沈黙者とおっしゃいましたわね、では、御祖父様か御祖母様に共鳴者はいらっしゃらないの?」
いきなり、アガットがポーラの鼻先に扇子を突き出した。いつものふざけた様子は微塵もなかった。
「た、確か、おじい様は水魔導師だったとか……」
「それで……御祖父様のお名前は?」
「ア、アドリアン・アロイジアです……」
——その名を聞いた瞬間。
アガットは扇子を広げると、急いで口元を隠した。それは、笑みがこぼれたのを隠すためか、小声で囁いた言葉を隠すためか。
「当たりですわね……。『深淵』に魅入られた男……背教者アドリアン・アロイジア・ド・ラメール……」
「えっ、今何て?」
「ポーラさん!!!」
背後から、セリアの凄まじい怒声が飛んできた。ポーラがびくりと身を震わせる。
「あなた、何なの! その髪型はっ!? わたくしよりも先に、ブランシェとお揃いにするなんてぇぇっ!」
「ちょっ、ちょっとセリア! 今わたくしがポーラさんと大事なお話を……」
「あなたは黙ってなさい!!!」
アガットがポーラに迫る空気を、セリアが完全に粉砕した。さすがのアガットも、この状態のセリアにはなすすべもない。追い詰められたポーラが窮鼠猫を嚙むように叫んだ。
「あ、あのっ! た、大変なんです! ブランシェが赤い髪の上級生の人に連れられて、あそこの塔へ連れて行かれたんです!」
「ブランシェが!?」
「――ちゃんがぁ!?」
◆◇◆
「マチアスを倒すのを見てたわ。エトワールと言ってもあいつは末端。あなたの本当の実力が見たいのよ。だからここで『編入試験』をやってやろうってわけ」
「編入試験……ですか?」
「そう。まだ、試験受けてないんでしょ、あなた?」
社交施設だった頃の卓や椅子が乱雑に並ぶ、最上階の談話室。そこにベアトリスの冷たい声が響いた。
「ええ。推薦でしたから……」
「そりゃあいけないねぇ。だからマチアスの火炎弾を跳ね返したくらいで調子に乗っちまうんだよ。なんでここが『教導塔』って呼ばれてるか知ってるか? 先輩が、『ここで教育してやるよ』って笑うから、みんなここを『教導塔』って呼んでるんだ。……これからあたい達が『教育』してやるよ」
ラクロワがくくくっと嗤った。部屋にはベアトリスとラクロワの二人きりだった。他の上級生たちは、部屋の外で教官が来ないか見張りをしている。
「いうほど弱くなかったですよ、マチアスの火炎弾。……いいですよ、始めましょうか、試験。ここ、先輩たちしかいないから特別に見せてあげますよ……。『深淵』を……」
ブランシェの深紅の瞳が、スッと細くなった。
◆◇◆
「お前たち何の用だ! 塔は今、ベアトリスお嬢様がお使いになられている。お嬢様の許可なき者は立ち入ることはできないぞ!」
教導塔の入口で見張りをしている『風鷲一門』の二年生が、セリアたち三人を誰何する。
「今からそのベアトリスさんを助けに行くんだけど」
まるで無人の門を通るかのように、堂々とセリアが通り抜ける。
「ちょ、お前、何を言って……。——セ、セリア様……!」
「急がないとぉ~、みーんなやられてしまいますわよぉ~……」
「し、失礼しますっ!」
三人が急いで階段を登っていく。セリアのみならず、アガットまでいるとなるとさすがの風鷲一門も何も言うことはできなかった。
三人は最上階の三階まで一気に駆け上がった。重厚な扉をセリアが魔法で吹き飛ばそうとした、その瞬間。
内側から「ガチャリ」と、間の抜けた音を立てて扉が開いた。
「あれ? どうしたの、こんなところで三人そろって」
そこには、まるで午後の散歩をしてきたかのような、涼しげな顔のブランシェが立っていた。雪のような髪の一筋も乱れておらず、深紅の瞳は穏やかな光を湛えている。
「よかった! 無事だったのねブランシェ!」
ポーラが泣きそうな顔で声を上げ、抱き付いた。その後ろで、セリアがポーラを苦々しく睨みつけている。
アガットは眼鏡を指で押し上げて、開いた扉の隙間から室内を覗き込んだ。
「あらあらぁ……。これはまた、とんでもない景色になっていますわねぇ」
アガットの言葉に、セリアも視線を室内に転じた。
そこには、公爵令嬢としての威厳も何も無く、床に膝をついて虚空を見つめるベアトリスの姿があった。傍らに転がるラクロワは、
「合格……です。……ごう……かく」
と、うわ言のように呟きながら、壁にもたれてガタガタと震えている。
室内には、まるで『この世に存在してはいけない穴』でも開いていたかのような、本能的な恐怖の残滓が漂っていた。
「……ベアトリスさんが、あんな……誇りだけを支えに生きてるような人が?」
セリアが驚愕に目を見開く。
「まるでぇ~、何か見てはいけないものでも見てしまったみたいですわねぇ~」
ベアトリスの抜け殻のような姿を観察しながら、アガットがブランシェに尋ねた。
「いったい何を『見せた』んですの、ブランシェちゃん……?」
「うーん、ちょっとお話ししただけだよ。ね、ベアトリス先輩?」
ブランシェが振り返って無邪気に微笑むと、ベアトリスの肩がビクリと跳ねた。彼女はブランシェと視線を合わせることすらできず、ただ小さく、
「……言いません、私、何も、しゃべりません……!」
と、呪文のように呟いて両手で髪をかきむしった。
「言わなくても分かりますわぁ……。あなたのその綺麗な瞳、まるで真っ白に塗り潰されてしまったみたいですもの。……あの子、一体どんな『深淵』を見せたのかしらねぇ……」
アガットが震えるベアトリスの肩にそっと手を置き、間延びした声で囁いた。
「もういいわ、ブランシェ。こんな不潔な場所、一秒だってあなたをいさせたくないの。さあ、早くあなたの部屋へ行くわよ!」
セリアはブランシェの細い腕を引き寄せると、勝利の女神を連れ出すようにして塔を後にした。
ポーラは、変わり果てた上級生の姿に戦慄しながらも、ブランシェの小さな背中を急いで追いかけた。




