第四十三話 恤兵部代表
「ブ……ブランシェ……。どう……して……?」
ポーラは薄れゆく意識の中で、夢でも見ているのだと思った。さっきまで遠くの観覧席にいたはずのブランシェが、なぜか目の前にいて、自分をしっかりと抱きかかえているのだ。
ポーラを含め、その場にいる全員が「何が起きたのか」「なぜブランシェが瞬きする間にポーラのすぐそばにいるのか」、理解できた者は一人もいなかった。
「大丈夫だから。すぐに治してあげるからね」
ブランシェは、焼け焦げてしまったポーラの栗色の髪をそっと撫でた。手のひらから流れ込む光子が、爛れた皮膚を、焦げた毛根を、一つひとつ丁寧に元の姿へと縫い直していく。苦痛に歪んでいたポーラの顔が、みるみる安らかになり、やがて静かな寝息を立て始めた。
「おい! 貴様は恤兵部の生徒だな! 試合中に勝手に台座へ上がって来るんじゃない!」
ようやく状況を把握した審判のジュペが、ブランシェに駆け寄り怒鳴りつけた。
「これって、ただの練習試合でしょ? とっくに勝敗はついてるのに、どうして制止しないんですか? ……それとも本当は、試合に託つけて恤兵部の生徒を痛めつけようとでもしたんですか?」
ポーラの損傷個所を光子で治しながら、ブランシェはジュペにカマをかけてみた。
「な、何を言っとるんだ貴様は! ……そ、そもそもソルセルリーリヴァルに降参はない! 相手が完全に戦闘不能になるか、死ぬまで続くのが伝統なのだ! わ、私の見た限り、この生徒はまだまだ戦闘可能だっただろ!」
(ポーラはとっくに酸欠で戦闘不能だっただろうが。……やっぱりこいつら、裏で握ってやがったんだな。恤兵部の生徒がどんなに重傷を負っても試合を制止しないように……)
「じゃあ、まだ試合続行中なんですね。……私がポーラと『交代』すれば、こんな試合簡単に終わりますよ」
「ジュペ先生ぇ~。俺は今から、こいつが相手でも全然構わないぜぇ~」
マチアスがジュペの肩に手を置いて、獰猛な笑みを浮かべた。
(かかった! 単細胞はこれだから助かる)
「何でもいいわ。好きな魔法を撃ってきなさい! 全部跳ね返してあげるから!」
マチアスを適当に煽りながら、ブランシェは担架を持って駆け上がってきたルシアンとフィリップにポーラを預けた。
(よし、これでもう傷は塞がった。あとは診療所でゆっくり眠ってもらえば十分だ。……髪だけはまだ少し縮れてるな。後で綺麗に伸ばしてあげなくちゃ……)
ルシアンとフィリップは、マチアスからあれだけの攻撃を受けたポーラがほとんど無傷になっていることに驚愕しながら、そっと運んでいく。
「てめぇ! 調子に乗んじゃねえ! さっき食堂で俺にのされたのをもう忘れてんじゃねえのか? ——先生ぇ~、こいつもこう言ってんすから、やっちゃっていいすよね~」
観覧席のセリアが、マチアスをブランシェにたかる羽虫でも見るような極寒の目で見つめている。
「よ、よろしい。で、では恤兵部ポーラ選手負傷につき、同じく恤兵部ブランシェ選手へ交代で練習試合を続行する!」
ジュペがマチアスに言われるがまま、選手交代を認めてしまった。
「さっきみたいなまぐれは、二度と通用しないぜ!」
文字通り、執念深い蛇のようにブランシェを睨みつけながら、マチアスが強大な魔力を練りだした。
「はあ? さっきのあれって攻撃だったの? 寝言は寝て言ってちょうだいね」
適当に煽りながら、ブランシェはふらりと力の抜けた状態で佇んでいる。
「ブランシェちゃんたら、あんな風にマチアスを煽りまくってるけど……大丈夫なのかしらぁ?」
アガットが芝居がかった態度で、さも心配そうにセリアに囁く。
「あなた、目だけじゃなくて頭も悪いの? ……大丈夫じゃないのはマチアスの方でしょ。ブランシェはさっき『防御』すらしてないのよ。それに……」
(ブランシェのあれは……たぶん『転移』だわ。……アインズィードラ様がいきなり現れるのを昔見たことがあったけど……五年も一緒にいたブランシェなら……)
「それに……なあに? ——それよりもセリア……『闇属性魔法』って知ってるぅ?」
扇子を広げて口元を隠しながら、アガットが顔を近づける。セリアの眉がピクリと動いた。眼鏡の奥のとぼけた瞳が、セリアのイラつきを加速させる。
「あれってぇ~。王国内では『禁忌』なのよねぇ~」
アガットはセリアの紫水晶のような瞳をじっと見つめる。
「……何が言いたいのか、全然わからないわ」
「ふふふっ。私も、わかんなぁ~い」
セリアとアガットが牽制し合う間、マチアスは魔力を練り続けていた。火属性の魔力が噴火しそうな勢いて指先から溢れている。
「終わりだ! 魔力を最大限込めてやったぜ! お前にこれが防げる訳ねえっ!
——『エリュプション・バル(噴火弾)』!」
金髪を振り乱し、高慢な笑みを貼りつかせていた端正な顔立ちは、今や醜い獣のように歪んでいた。五大星公爵家の末端というコンプレックスを埋めるための、過剰なまでの火力。さっきよりもはるかに巨大な炎弾が、咆哮を上げてブランシェに迫る。
だが、ブランシェは避けない。深紅の瞳に炎を映しながら、彼女が空間を指先でなぞると、先ほどポーラが見せたのと同じような、境界線のない『水色の壁』が立ち現れた。
「——『境界喪失』!」
炎弾が、音もなく静かな水面へと吸い込まれる。一瞬の静寂。
マチアスが呆然としたその時、
「さっき言ったよね、……全部跳ね返すって……っ!」
「――『境界逆転』!」
凪いでいた水面が激しく爆ぜ、呑み込んだ熱量の全てがマチアスへと撃ち放たれた。
「なっ……!? ギ、ギャアアアアッ!?」
自分の放った『エリュプション・バル』に包まれ、マチアスが台座の上を転げ回る。 自前の魔力であるはずの炎は、ブランシェの手を通ったことで「異質の青い炎」に変質しており、マチアスの防御を無慈悲に焼き払った。
観覧席のセリアたちは、その光景に絶句していた。
「ブランシェ……! 相手の……魔法を……そのまま返すなんて……そんな魔法……っ!」
「あ、あれはっ! まさか深淵……魔法……!?」
いつもは道化を演じているアガットが、頬を伝う冷や汗にも気づかず、手に持っていた扇子を、無意識に地面へ落としていた。
演習場に、マチアスの無様な絶叫だけが響き渡る。 金色の髪は焦げ、誇り高きエトワールの紋章が付いた制服はボロボロに焼け落ちた。
「く、くそがぁぁ!」
うめき声とも悲鳴ともつかない声をあげて、マチアスがふらふらと立ち上がった。
「マチアス様! お怪我が……もうお止めになった方が……!」
ジュペもこのままでは危険だと思い止めに入るが、マチアスに乱暴に突き飛ばされる。周りの魔導部の生徒達も、水を打ったように静まりかえっている。
「絶対に許さんぞッ! 我がセルペンスエトワール家の究極魔法を以て、貴様を殺してやるからなッ!」
「あーはいはい。どうぞお好きに」
ボロボロになりながらも、瞑目して姿勢を整え、詠唱を始めるマチアス。
「誇り高きセルペンスエトワールの名において命ずる。我が背に負うは、天を巡る蛇の星座。焼き切れ! 万物を灰にする!
――『ギロチン・ドゥ・セルペンスエトワール(星蛇の断頭台)』!」
巨大な炎の刃が、演習場の真上に現れた。空中に吊るされた斜めの刃。そのまま落ちてくれば、ブランシェを両断するほどの大きさだ。間合いも何もない、ただただ魔力にものを言わせた大質量魔法だった。
「こういうわかりやすいの、私も大好き! ちょっと見直したよ、君!」
笑顔のブランシェの脳天に、巨大な炎のギロチンが振り下ろされる。
——ズゥシーンッッ!!!
演習場全体が揺れるほどの衝撃が響いた。
真っ二つに……なるかと思われたブランシェの頭に到達する寸前で、刃はピタリと停止していた。
ゆっくりとした動作でブランシェが炎に手をかざして拭き取ると、ギロチンは跡形もなく消去(お掃除)された。
「なっ? ば、馬鹿……な……」
火傷のダメージと、一族の最大魔法が難なく防がれ、跡形もなく消し飛ばされたショックで、マチアスは白目を剥き、ゆっくりと意識を失って倒れた。
「マ、マチアス様!」
ジュペが崩れ落ちるマチアスを抱きとめる。恤兵部からは地鳴りのような大歓声が巻き起こっていた。セリアも負けじと歓声を上げていた。
「ちょっとぉ~、それっていくらなんでも、魔導部としてまずいんじゃないのぉ~」
アガットに突っ込まれるセリア。
ブランシェの元には、ルシアンやフィリップたち恤兵部の生徒が興奮して駆け寄って来る。それを軽く制しながら、ブランシェがマチアスの胸にそっと手を置くと、柔らかな光の粒子がマチアスの火傷をなぞるように消し去っていった。
意識を回復したマチアスは、痛みが嘘のように引いていく感覚に呆然とし、それから、ゆっくりと立ち上がった。
「……は、ははっ。参ったな、こりゃあ」
焦げた金髪を無造作にかき上げ、マチアスは不敵に笑った。その顔からは、先ほどの卑屈な歪みが消え、強者に出会った高揚感が宿っている。
「今日のところは俺の負けでいい。認めよう、ブランシェ。お前をただの白変種だと侮っていた。だが見ろよ、この俺をここまで完膚なきまでに叩きのめした奴は初めてだ」
「……あ、怒ってないんだ?」
ブランシェが意外そうに瞬きをすると、マチアスは彼女の幼い体躯を見下ろし、その肩に力強く手を置いた。
「怒る? まさか! むしろ昂ぶっている。……ブランシェ、ソルセルリーリヴァルの恤兵部代表にはお前がなれ。あんな臆病な女じゃなく、お前が代表として俺の前に立つんだ。俺と当たるまで、他の雑魚に負けることだけは許さんぞ」
「ええっ! 代表はポーラで決まりなんでしょ? 私、そんな目立つこと……」
「——私が許さないわ!!」
演習場に、セリアの鋭い叫びが響き渡った。
観覧席から疾風のように飛び込んできたセリアは、マチアスがブランシェの肩に置いた手を、紫電を纏った手で叩き落とした。
「馴れ馴れしくブランシェに触らないで! それに、代表? 当然よ。ブランシェの『神域』を見せつけるには、ソルセルリーリヴァルという舞台は狭すぎるけれど、余興としては悪くないわね」
「ちょ、ちょっと! ポーラに相談もなしに!? ……ああ、もう、なんだか大変なことになってきちゃったなぁ……」
ブランシェは雪のような白い髪をかき回し、天を仰いだ。その隣で、アガットがゆっくりと階段を上がってくる。
「うふふっ、驚きの代表交代劇ですわねぇ。でもぉ、恤兵部の平民が魔導部のエトワールを倒して代表になるなんて、いろんな意味でアンヴァリッド始まって以来の『大事件』になるわよぉ……?」
アガットは、これからはピスケスエトワール家を挙げてこの「恤兵部の編入生」を観察していかなければならないと確信し、眼鏡の奥の瞳をすっと細めたのだった。
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