第四十二話 練習試合
貴族専用食堂は、ブランシェが昨日追い返された第一生徒館の建物の奥にあった。
「いい、ブランシェ? 私が五年間、どれだけあなたと食事をする日を夢見ていたか。この国で最も贅沢なデジュネを用意させたわ。だって前に一緒に食べたのって、例のパンとエールだったでしょ……」
「そうだよね~。エールは今でも苦手!」
「うふふふ。ここにはすごくおいしいルテがあるのよ。後で飲みましょう。……で、あなたはいつまでいるのアガット?」
セリアの冷ややかな視線が、対面に座るアガットを射抜く。
「ひどぉ~い。私たち、親友じゃないのぉ。聞いてブランシェちゃん。セリアったらね、朝から『恤兵部に転部する』って騒いで大変だったのよ。『転部できなきゃ退学する』って言い出して、担任の教官が青ざめて気絶寸前になってたわぁ」
「だから何? 私はブランシェと一緒なら、アンヴァリッドなんてどうでもいいわ! ブランシェは、うちに居候すればいいし」
「だ、駄目だよセリア。ちゃんと学校は卒業しなきゃ。私とはいつでもこうして会えるんだから」
「そう……わかったわ。ブランシェがそう言うなら、そうする」
「ええぇ~!? セリアがこんな素直なの、初めて見たわ。それに、こんなに上機嫌なのも初めてよぉ~」
「おいおいおい! 何だ、この薄汚い白変種は? セリア、お前が連れて来たのか?」
静まり返った貴族専用食堂に、場違いで不快な怒声が響き渡った。
声の主は、マチアス・ミュラトール・ド・セルペンスエトワール。セリアと同じく五大星公爵家の血を引く男だが、その瞳には五大星公爵家末席という劣等感と、歪んだ選民思想とが入り混じった色が宿っている。
「何か問題でも?」
セリアが冷徹な声を返す。その周囲の空気が、パチパチと紫電の火花を散らし始めた。
「ここは貴族専用だろうがよっ! 掃き溜めの恤兵部が、ましてやそんな色の抜けた出来損ないが立ち入っていい場所じゃねえんだよ!」
「これ以上、私の友人を侮辱することは、この私が許さないわ。……消えなさい。今すぐに」
「うるせえ。うっとおしいって言ってんだろ!」
――ガシャアンッ!!!
マチアスの乱暴な蹴りが、ブランシェの座っていた椅子を直撃した。
幼い体躯のブランシェは、椅子の衝撃とともに無防備に床へと投げ出される。雪のような純白の髪が、硬い食堂の床に広がった。
「——ブランシェ……ッ!!」
セリアの絶叫とともに、食堂内の温度が急激に上昇した。
彼女の体から、今まで見たこともないほど巨大で、禍々しい紫の放電が立ち昇る。
「……貴方。今、自分が何をしたか分かっているの?」
ゆっくりと立ち上がったセリアの顔は、もはや人間のそれではない。怒りを超えた殺意。王国の至宝である「紫電」が、マチアスの喉元を焼き切らんばかりに収束していく。食堂にいる全員が気絶しそうなほどの威圧感だった。
「……セリア。待って、大丈夫だから」
短く、けれど食堂中の空気を一変させるような穏やかな声が、ブランシェの小さな唇から漏れた。
「き、き、今日のところはこれで引き上げてやる……! 二度とそいつを食堂に入れるなよ!」
一目散に逃げ去るマチアスの背中を見送り、セリアは震える手でブランシェの肩を抱き寄せた。先ほどまでの殺意は消え、今は申し訳なさそうに眉を下げている。
「ごめんね、ブランシェ。……あいつ、私に嫌がらせをしに来たのよ」
「嫌がらせ? 私を蹴っ飛ばすのが?」
ブランシェがローブについた汚れを指先で軽くなぞると、まるで最初から何もなかったかのように、光の粒子となって消えた。
「来月行われる、ソルセルリーリヴァル(魔法対抗戦)……。魔導部一年の代表、最初は私だったの。でも、そんなくだらないものに興味がなかったから、代表をマチアスに譲ってあげたのよ。それが気に入らなかったみたいね」
「まあぁ、馬鹿にされたと思ったんじゃないかしらぁ? そもそも、マチアスは五大星公爵家の末端ですもの。実力で勝ち取れなかったのが、よっぽどプライドに触ったのよぉ。午後の術科の演習は、恤兵部と合同のソルセルリーリヴァルの練習試合なのに……マチアスのアホは大恥かいちゃったわねぇ」
アガットは騒ぎなどなかったかのように平然とルテを啜り、眼鏡の奥で楽しげに目を細めた。
「恤兵部と合同で……? よく分からないけど、誰と誰が?」
ブランシェは嫌な予感がして聞き返した。
「確かぁ、ブランシェちゃんと同じ部屋の子じゃなかったかしら?」
「ポーラが……?」
(あんな奴と対戦するなんて心配だな。ちゃんと見ておくか……)
「じゃあねぇブランシェちゃん。午後またねぇ」
「あなたはいいのよ。ブランシェまたね」
「ルテは残念だったけど、おいしいデジュネごちそうさま」
三人は食堂を後にした。
◆◇◆
「ポーラ!」
第二生徒館に戻ると、ブランシェはすぐにポーラを探した。
ポーラは部屋の隅の方で、壁の方を向いて床に直に座り込んでいた。
「ソルセルリーリヴァルに出るんだって?」
ポーラは俯いたまま黙って頷いた。小動物のように丸い背中が、さらに丸くなっていた。
「すごいじゃん! 恤兵部の代表でしょ」
ブランシェは出来るだけ明るく話しかける。
「それは……そうなんだけど。……私、戦いとか無理なんです。でも魔力判定では恤兵部の一年では私が一番魔力があるからって……そんなのって……ないよね」
ポーラは、人差し指で床に文字を書くような仕草をしている。
「ま、まあいいんじゃない? 一番優秀ってことでしょ?」
ポーラが指の動きをぴたりと止めて、
「……それって、本気で言ってます?」
と振り返った。その丸い瞳には、今にも涙が溢れそうになっている。
「あのね、ポーラ。自分では気づいてないようだから教えてあげるけどポーラには凄い力があるんだよ」
「か、からかわないでくださいよっ!」
「午後から対戦するやつはとても危険なやつだから、防御魔法ができるようにしてあげる」
「む、無理よ、ブランシェ! 私、防御魔法なんて一度も成功したことないんだもの。これからあんな怖い人と戦うなんて、もうおしまいだわ……!」
ポーラは、激しく首を振った。対するブランシェは、そんな彼女の肩をポンと叩き、至ってのんきに深紅の瞳を輝かせた。
「大丈夫だって、ポーラ。防御魔法って『硬い壁を作る』って思うから難しいんだよ」
「えっ……? 違うの? 壁じゃなかったら何なの?」
「ポーラの場合はさ……底知れない『水たまり』かな?」
「ほぇ?」
ポーラが呆けた声を出す。ブランシェは雪のような白い髪を揺らし、ポーラの耳元で内緒話をするように囁いた。
「ポーラは水属性でしょ? 相手の魔力が飛んできたら、カチカチの壁で受け止めようとしないで。……ポーラの魔力は、もっと優しくて、どこまでも深いんだから。飛んできた魔力を、全部吸い込んで、大きな水たまりに『ぽちゃん』って落として……そのまま、海の底に沈めちゃうイメージでやってみて」
ブランシェはポーラの手を優しく握った。ポーラのとてつもなく深い魔力の一端に触れる。
「ま、魔力を……沈める……?」
「そう。自分を守るんじゃなくて、相手の魔力を包んで沈めるのよ。……ほら、もうできるわ。ポーラの優しさ、見せて」
ピクリとポーラの体が震える。
「な、なんか……頭の中にぼんやりあったものが、はっきりしたような気がします!」
「じゃあやってみて。体の前に『水たまり』を作るみたいに」
ポーラの手を胸の前に持ってきて、丸い円を作らせる。
「——『マール・アンフィニ(無限の水たまり)』!」
ポーラの体の前面に、立て掛けられた鏡のような、深くて底が知れない「水たまり」が現れた。
「で、できました!」
「でしょ。ね!」
(時間も無いし、ここまででできれば上出来か。……最後までやっちゃって魔力回路の書き換えまでやっちゃうと、反動で何時間か寝ちゃうんだよね……)
「おい、ポーラ! ブランシェ! 何してんだ! 演習場へ移動だぞ! ポーラ、お前代表だろ、早く行かないと!」
二人は、呼びに来たルシアンと一緒に慌ただしく演習場へと移動していった。
◆◇◆
魔法演習場は、第一生徒館と庁舎の間の「栄誉の中庭」にあった。大きさは直径が三十メートルほどの円形で、土で盛られた台座全体に石畳がきれいに敷かれている。北側の魔導部の方には豪華な観覧席があり、南側の恤兵部の方は当然、立ち見であった。
——当然、それを『セリア・ルプスエトワール』が許すはずがなかった。
「何、この席。まさか、ブランシェを立たせたまま私に座れと言うの……?」
セリアが冷ややかに一瞥しただけで、魔導部の空気が凍りついた。
彼女は有無を言わせぬ圧力で、平貴族たちが座るはずだった上等な長椅子を恤兵部側へと強引に移動させ、そこにブランシェと(おまけの)ポーラを座らせたのだ。
結果として、恤兵部側の平民エリアに、五大星公爵家筆頭令嬢セリア、観察者アガット、そして中心に平民のブランシェが並んで座るという、兵学校の秩序を根底から覆すような奇妙な観覧席が誕生した。
「ほら、ブランシェ。ここなら私の隣で、マチアスの無様な姿がよく見えるわ」
「あ、ありがとうセリア。……でも、ポーラが縮こまって座る場所がなくなってるよ?」
「いいのよ、ポーラさんはすぐ試合だから。……さあ、ジュペ教官、早く始めてください」
セリアの傍若無人な振る舞いに、周囲の貴族たちは顔を青くしている。
「あの子、確か食堂で……」
「セリア様のお友達みたいよ……」
と囁き合い、恤兵部の平民たちは、
「本当に一体何者なんだあいつ……」
と遠巻きに怪訝な視線を送っている。
ソルセルリーリヴァル本番を来月に控えて、この合同演習を担当するのは魔導部第一学年担任のユーグ・ジュペ教官であった。セルペンスエトワール家はアンヴァリッドの魔導部に対して毎年多大な寄付を行っており、ジュペはその最大の受益者の一人だった。
「それでは只今より、来月に行われるソルセルリーリヴァルの練習試合を行う。一年生代表選手は双方開始線へ!」
マチアスとポーラが演習場の台座に上がる。周囲から歓声が湧いた。
食堂の一件もあり不機嫌なマチアスと、顔面蒼白のポーラが開始線を挟んで対峙する。審判はジュペ教官だ。試合前もマチアスに愛想笑いをして話しかけていた彼が、どちらの味方かは明白だった。
「ポーラっ! 力抜いて! さっきのイメージ思い出して!」
ブランシェが大声で声掛けする。ポーラは少しだけ振り向いて、笑顏をこちらに見せた。
(……本当の実力が出せれば、こんな奴訳もないはずだが、いかんせん時間がなかったからな……)
「両者開始線へ。始めっ!」
マチアスが先に仕掛ける。完全にポーラを舐めきっていた。
「燃えろ! ——『バル・ドゥ・フー(火弾)』!」
五大星公爵家の固有属性魔法。火属性の炎の弾丸がいくつもポーラめがけて突き刺さっていく。
「こ、こないで! ——『マール……アンフィニ』……!」
震える手で差し出された手のひらの先に、空中に垂直に立つ丸い鏡のような「水たまり」が現れる。
放たれた火弾が水面に触れた瞬間。音も、水蒸気さえもなく、闇に飲まれるように消えた。
まるで、夜の海に小石を投げ込んだかのような、不気味な静寂だけが残った。
「はあ?」
静まり返った演習場に、マチアスの素っ頓狂な叫び声だけが響く。一呼吸遅れて、恤兵部から大歓声が湧きあがる。
「おい、見たか、ポーラのやつ?」
「すげえ! 防いだぞ! 相手はエトワールだぜ!?」
冷ややかな視線をマチアスに送るセリアと、ポーラに向かって静かに頷くブランシェ。
アガットがポーラの作り出した「水たまり」を見た瞬間、眼鏡の奥の瞳を見開いて驚愕していたが、開いた扇子に隠れて気づいた者はいなかった。
なにより、予想外の出来事に、当のポーラ自身が一番驚いていた。
「おいおいマジかよ、恤兵部の奴に防がれたぞ……!」
「さっき瞬殺するとか言ってたよな……」
魔導部の生徒たちの嘲笑混じりの囁きが、マチアスを追い詰める。エトワールを名乗るからには、恤兵部ごときに一瞬でも遅れをとることなど絶対に許されなかった。マチアスの怒りは頂点に達した。
「絶対に、ぶっ殺してやる!」
渾身の魔力を込めて炎の弾丸を練り上げる。
「クズがっ! ——『ラファール・フラム(炎の連射)』!」
息をつく暇もない速度で、無数の火弾を連射し続けた。
「ひいっ! ――『マール・アンフィニ』!」
ポーラも必死になって防御するが、あまりの火弾の連続に周囲の酸素が奪われていき、呼吸が困難になってくる。
「く、苦しっ……っ、い、息が……」
酸欠で意識を失いかけた時、ポーラを守っていたはずの水たまりが音もなく消失し、無防備となったポーラに火弾が容赦なく突き刺さった。
「きゃああああああ……っ!!!」
背中まであった柔らかな栗色の髪が焦げて焼け落ち、恤兵部のローブはボロ布のように飛び散った。傷口が熱で瞬時に焼かれ、血が飛び散る間もなく炭化していく。
ポーラの絶叫を楽しみながら、ようやく落ち着きを取り戻したマチアスは、セリアたちのいる恤兵部の方へ向かって大声で煽った。
「ひゃははは! ざまあねえぜ! お前らクズは、泥を這いずるのがお似合いなんだよ!」
「すぐにやめさせなさい! ジュペ教官! 勝負はもうついてるわ!」
セリアが絶叫する。
ところが審判のジュペはセリアたちの声に気付かないふりをし、マチアスを制止することもない。セルペンスエトワール家からの潤沢な寄付が、彼の良心を完全に封じ込めていた。
満足そうにジュペに目配せするとマチアスは残忍な笑みを浮かべた。
「これで終わりだ! 死ね! ――『バル・ドゥ・アンフェル(地獄の弾丸)』!」
マチアスの指先の炎の色が、赤から「青」に変わる。音速を超えて着弾と同時に周囲一帯を消し飛ばす地獄の炎だった。薄れゆく意識の中で、ポーラが死を覚悟し、ぎゅっと目を閉じた――その時。
「……よくがんばったね。……交代よ」
場にそぐわないほど穏やかな声がした。
ポーラが恐る恐る目を開けると、そこには、自分の前に立ちはだかる雪のような純白の髪がさらりとたなびく、小さな背中があった。
激しい爆鳴を上げていたはずの青い炎弾が、ブランシェの手のひらに触れる直前で、まるで見えない真空に吸い込まれるように、音もなく霧散したのだ。
「……はぁ? な、なんだ……何しやがった!?」
マチアスが愕然と目を見開く。
観覧席では、セリアが椅子から立ち上がり、拳を握りしめていた。
「見たかしら、アガット! あれがブランシェよ! ……それにしても、いつの間に台座の上に……」
「あらあらぁ……。あの子、瞬間的にあそこまで移動したみたいじゃありません?」
アガットの眼鏡が、かつてないほど鋭い光を放つ。
ブランシェは深紅の瞳をマチアスへと向けた。その瞳は、静かに、しかし取り返しのつかない怒りで燃えていた。




