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第四話 命名

 教会の一室。赤ん坊を抱いたエミが、まだ興奮の冷めやらぬ産室の空気を落ち着かせようとしていると、部屋の外から酒の匂いを漂わせた男の声が響いた。

「なんだ俺の子、生まれたのか?」

 エミには聞き覚えのある、そして最も聞きたくない声だった。話し声が止むと部屋の扉が軋みながら開き、背の高い、ぼさぼさ髪の男がずかずかと入ってきた。

 

「アルバン! あんたどこに行ってたんだい? エレーヌが初産だっていうのに」

 エミが怒鳴りつけた。アルバンと呼ばれたこの男こそが、エレーヌの夫であり、この赤ん坊の父親だった。外見は絵に描いたような遊び人風で、真面目に働いている男には到底見えない。むしろ酒場の給仕女たちに無駄にモテるタイプだった。

 

「俺だっていろいろあるんですよ。そんなことよりそれ、俺の子でしょ。……うわっ! なんだよその色? 気色悪いな!」

「この娘は神聖な子なのよ! アルビナさまの生まれ変わりなんだから!」

「アルビナ? あーはいはい。そんなありがたい名前じゃ俺が落ち着かねえや。よし、ひとついい名前を付けてやりますよ」

 アルバンは生まれたばかりの娘の顔を見下ろし、白々しく拳を額に当てて思案を始める。

「あんたは余計なことしなくていいんだよ! これからこの娘は大聖堂に行って大司教様に名付けしていただくんだからねっ!」

 エミは激しく拒絶した。女神アルビナと瓜二つのこの孫娘に、こんなろくでなしの男がいい加減な名前をつけたらたまったものではない。

 

「待てよ。待て、待て……閃いた! 真っ白なんだろ。じゃあブランシェでいいや。単純で覚えやすいだろ」

 男の口から出たのは、思いつきの割には響きの良い言葉だった。エミは驚いた。適当に名付けられたはずなのに、不思議とその名に抵抗を覚えなかったからだ。

「ま、まだ決まったわけじゃないからね!」

(エミおばあちゃんも意外に納得してるみたいだな。ブランシェ。……悪くない名前じゃないか。前世のあの、ひどく目立つ赤色に比べれば、何色にも染まらない白のほうが、よっぽど俺にはお似合いだ)

 城田は腕の中で小さく安堵の息を漏らした。大司教が名付けるような大層な名前よりも、この気楽な名前のほうが、これからの生存戦略には都合が良いと考えたのだ。

  

「ところで、エレーヌはどうかしたのか?」

 きょろきょろと部屋を見回しながら、遊び人のアルバンもさすがに産後の妻のことは心配しているようだった。

「あの子は……困ったもんだよ」

 エミは、エレーヌが生まれたばかりの我が子に触ろうともしなかったことを、やるせなさに胸を痛めながらアルバンに伝えた。

「ふーん。こんな気色悪い子が生まれてきてびっくりしてんじゃねえの? じゃあ俺がちょっと慰めてきますよ」

 アルバンは少しふざけた調子で、俺に任せろと言わんばかりに胸を叩くと、軽い足取りで部屋を出て行った。

 エミはため息をついた。あんな軽薄な男だが、夫を魔物に殺され、絶望の底にいた幼いエレーヌの心の支えになってくれたのは、他ならぬ幼馴染のアルバンだった。その過去を思い出し、エミは少しだけ表情を和らげた。

 

 エミは孫娘を大切に胸に抱き、同じ敷地内にある大聖堂へと急いだ。荘厳な石造りで、天を突く高い二棟の塔がそびえ立つ巨大な建築。それこそが銀翼教会エールアルジャンの総本山、リエヴァン大聖堂であった。

 

「エミよ、先ほど知らせを聞いたぞ。本当なのか? エレーヌがアルビナ様に生き写しの子を産んだというのは!」

 大聖堂の奥から、長い銀髪をなびかせながら、鋭い眼光の男が早足で近づいてきた。上質な黒い法衣スータンを纏ったその男は、リエヴァン大聖堂を統べる大司教エヴィックである。

 「本当ですエヴェック様。この子です。見てやってください」

 「むむっ! なんという神々しさ……。まさに御姿の生き写しではないか! 創世記ジュネーズの予言通りであれば、この子は光の御業を行使できるということになるが……。生まれたばかりでは、まだ分からんな。これは、至急枢機卿にも報告せねばならん」

 普段はどんな政変にも動揺することのないエヴィックが、珍しく狼狽している。その姿にエミは深く驚いた。重鎮である枢機卿の名まで飛び出すとは、事態は想像以上に重大らしい。

 

「早速名付けだな」

「そ、それがエヴィック様。居合わせた父親のアルバンが『ブランシェ』という名が突然頭の中で閃いたと言い出しまして……いかがいたしましょうか? 私としましては……悪くは、ない、かと。しかし、エヴィック様に名付けてもらえれば、この上ない誉れなのですが……」

「むう。ブランシェか……」

 エヴィックは顎に手を当てて考え込んだ。そのあまりにも収まりの良い響きに、大司教としても認めざるを得なかった。

「その名は、単なる思いつきではないな。恐らく、女神様がアルバンの口を借りて言わせたのであろうよ。神の啓示だ」

「では、この子はブランシェと名付けてよいでしょうか」

「うむ。ブランシェ……恐らくそれこそが、この子に与えられた真名なのだ」

(この世界での名前が決まった。ブランシェという名だ。アルビナとそっくりな髪と目の色らしいが……俺はまだ、自分の顔を鏡で見ていない)

 城田は、大司教たちの勘違いをどこか冷めた目で見つめながらも、自分の新しい「器」の姿に、ほんの少しの好奇心を抱くのだった。

 

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