第三十八話 アンヴァリッド魔法兵学校
駅の巨大なアーチから駅前広場へ抜けた途端、さっきまで緊張で火照っていたブランシェの頬を、初夏の風がさらっていった。解放感よりも、今はまだ、背中に冷たい汗が張り付いていた。
「なんだか、あんまり味がしなかったな。……ハンスさん、また今度、さっき言ってたコンクトワール(カウンター店)に連れて行ってくださいよ」
(やっぱり、カウンターでハムサンドでも頬張る方が落ち着くよ……)
「お安い御用ですよ。やっぱりブランシェ嬢は、そういうのが好きなタイプだと思っていたんですよね。私もああいうのは苦手です」
ハンスもカロリーネが作り出した異常な緊張感から解放されて、今は生き生きとしていた。ブランシェが庶民的な舌で安心したようだ。
「ここからアンヴァリッド行きのオムニバス(路線魔導馬車)が出ています。さあ、こっちです」
ブランシェが駅前広場を見ると、色鮮やかな二階建ての馬車が列をなしていた。
「えっと。……確か青い車体の……七区だったっけ……。あった、あれだ」
ハンスがてきぱきと慣れた様子で、多数の馬車の中から目当ての馬車を見つけ出した。
「アンヴァリッドって?」
「……知らないんですか? アンヴァリッド魔法兵学校。正式名称ですよ……」
「あっ、あー、そーだっけなー」
(これ独りだったら絶対辿り着けてなかった……っ!)
ブランシェの乗ったオムニバスは、石畳をリズミカルに鳴らしてセクアナ川を渡っていく。
「アンヴァリッドは、大昔、魔導軍の駐屯地だったらしいですよ。魔導軍を退役した傷痍魔導師たちも住んでいた歴史があるそうで。いわば『魔導師の魂が集まる場所』ってところですかね」
馬車が巨大な広場の端で止まり、ブランシェは大きなトランクを抱えてステップを降りた。
前方にそびえ立つのは、黄金色に輝く巨大な円蓋。そして目の前に見える、獅子の彫刻で飾られた漆黒の巨大な正門を、ハンスはなぜか素通りしていく。
「あっ、あの……ハンスさん?」
「ああ、門はこの壁沿いをしばらく行ったところですよ、まったく、こんな石壁しかない場所が停車場なんてねえ……」
正門の扉には、獅子の紋章と金文字で「識る者に門を、視ざる者に壁を」と刻まれていた。
(ハンスさんには、視えないんだ……)
ブランシェは、ハンスには石壁にしか見えないその場所に、自分を呼ぶ強烈な魔力の拍動を感じ、深く息を吸い込んだ。
「やれやれ、やっと着いた。ここが入口ですよ」
ハンスの指さす先には、装飾の無い巨大な灰色の石材と鉄柵で作られた裏門があり、石壁にはすり減った文字で「資材搬入口」「恤兵部入口」と書かれた表札があった。
(資材搬入口だって? ……新しい職場か……。最高じゃあないか)
「ブランシェ嬢、どうしたんですかニヤニヤしちゃって。やっぱり、これからの学園生活を考えるとわくわくしちゃいます?」
「ふえっ? 私、ニヤニヤなんかしてましたか……」
「……いいんすよ。じゃあ私はここで。絶対。また会いましょう。今度兄貴も紹介しますから。それじゃあ」
「ええ、ぜひ。ここまで案内してくださって、ほんとにありがとうございました。」
踵を返して、ハンスは元来た石壁に沿って歩いて去って行った。
ブランシェが門の方へ向き直ると、鉄柵の向こう側に白いローブを着た門番が立っていた。左腕には「衛兵」と書かれた腕章が見える。
「あのう……」
ブランシェが巨大な鉄柵越しに話しかけると、門番はゆっくりと顔を上げた。
「何だい、君は?」
「失礼します。本日、ここへ編入するためにきたブランシェといいます。……入口、ここで合ってますよね」
「編入生だって? 珍しいな……」
閉ざされた巨大な鉄の門扉の右端に、人間一人がようやく通れるほどの小さな扉――「潜り戸」があり、門番が腰に下げた大きな鍵束から一本を選び、錆びた鍵穴に差し込んで回した。
「……どうぞ、ブランシェ」
ギィ、と耳障りな金属音が響き、小さな扉が開く。門の向こう側は、華やかなオロールの街並みが嘘のように、灰色の石壁と湿った影が支配する別世界だった。
門番は、潜り戸を抜けてきた少女を見て、一瞬だけ鍵を回す手を止めた。雪がそのまま形を成したような髪に、吸い込まれるような深紅の瞳。
「……ブランシェ、か。なるほど、名前負けはしてないな。僕は恤兵部の五年生でエティエンヌ・モランだ。正門から入れなかったということは僕たちの後輩……になるのかな、歓迎するよ、よろしくね」
「は、はあ……よろしくお願いします」
ブランシェは、聞きなれない「恤兵部」という名前と、なぜ生徒が衛兵として門番をしているのかが理解できなくて混乱していると、
「どうしたんですか、エティエンヌ先輩?」
門のすぐ脇にある検品小屋の中で、届いた薬草の数を記録していた生徒が作業を中断して出てきた。「立哨」と書かれた腕章を付けている。
「ああ、ルシアン、おつかれさま。彼女はブランシェ、編入生らしいんだ。こっちの検品はやっておくから、庁舎まで案内してやってくれ」
ブランシェよりはるかに上背のあるルシアンは、彼女を見下ろしながら、
「君……、その髪。それに、ずいぶんと背が小さいけど何歳?」
と無遠慮に尋ねてきた。
「十五歳です……」
「なら、俺と同じ第一学年だな。ルシアン・ヴァレだ、よろしく」
ルシアンはぶっきらぼうに手を差し出したが、すぐに思い直したようにそれを引っ込めた。
「案内するよ、こっちだ」
彼はそう言い捨てて、大股で先に歩いて行く。
「今見えている石造りの建物が第二生徒館、俺たち恤兵部の入っている寮だ。あっちの黄金のドームが見えるか? あれが第一生徒館、魔導部の連中の御殿だ」
「あのお……じゅっぺいぶ、って何ですか?」
「驚いたな! 知らないで編入してきたのか君!?」
「あっ、違うんです! ずっと修行の旅に出てたりしてて……その……」
ルシアンは、世間知らずの編入生の少女に恤兵部の現状を知らしめるべく語り出す。
「恤兵部というところは、魔導軍の後方支援、治癒、救護を担当する魔導師の育成を担うところだ。一見聞こえはいいけど、要は軍の最下層を支える労働者の集まりだ。俺みたいに恤兵部の生徒が『実務教育』という名目で、裏門の立哨や搬入資材の検品なんかも全部押し付けられてる。本来ここは、貴族で占められる魔導部の楽園で、俺たちはその『掃除係』ってわけさ」
黙って聞いていたブランシェが立ち止まって、うつ向いたまま小刻みに震え出した。
「ど、どうした、気分でも悪くなったのか?」
(まだだっ、まだ笑うなっ! ……それにしても『掃除係』だと……いや、控えめに言って最高すぎる……!)
ブランシェは歓喜で緩みそうになる口元を必死に誤魔化そうと、ルシアンをじっと見つめて、
「それで……まだ歩くの?」
と聞いてみた。
「ああ、庁舎へ行くには裏門からじゃ、貴族たちがいる第一生徒館を迂回して行くしかないんだ。俺たち恤兵部の生徒は立ち入り禁止だからな」
ルシアンが自嘲気味に指差した先には、傾き出した陽光に輝く黄金のドームと、それに寄り添う冷徹な庁舎の影が見えた。
庁舎の重い扉を押し開くと、そこは別世界だった。外の喧騒を拒絶するような高い天井に、深紅の絨毯。一歩踏み出すたび、足の裏に吸い付くような贅沢な厚みがあった。
(……この絨毯、相当古いな。埃が繊維の奥まで入り込んでる。まあ、今は関係ないか)
ルシアンは教官室の重厚な扉の前で一度立ち止まり、乱れがないか自分の制服を整える。そして表情を引き締めると、静まり返った廊下に響き渡るような大声で叫んだ。
「恤兵部! 第一学年! ルシアン! 編入生を連れて参りました! 入室を許可願います!」
ルシアンがその声を上げた瞬間、教官室の中から「入れ」という短く、冷徹な返事があった。ルシアンはブランシェに視線を送ることなく、機械的な動作で扉を開け、直角に曲がって教官の机の前まで行進する。
(な、なんだっ……こいつ、さっきまでの気怠い感じ、どこいった?)
ブランシェは戸惑いながら後ろに着いていく。ルシアンは不動の姿勢のまま再び声を上げる
「本日編入のブランシェ生徒を、連れて参りました!」
教官は書類から目も上げずに
「そこに並べ」
と指示し、
「ルシアン生徒、貴様は戻ってよろしい。……ブランシェといったか、貴様はそこに直立して待て」
ルシアンは「ハッ!」と敬礼し、退室していった。
ブランシェは扉の近くで「気を付け」の姿勢のまま待った。
(……この部屋、窓枠の煤が酷いな。それと床板の継ぎ目に砂が詰まってる。誰も掃除してないのか……まあ、今は関係ないか。……それにしてもいつ来るんだろう)
何十分か経過しても誰も来なかった。やがて教官たちがようやくやってきたかと思うと、
「貴様は、何を勘違いして我が校の神聖な門をくぐったのだ!」
「慈善施設と間違えたのか? ええ?」
「それとも物乞いか?」
などと口々にブランシェを罵りだした。
(……やれやれ。待たされた挙句、やっぱりそうなるのか)
「失礼します……。私の師より、オレリアン校長へ推薦状をお渡しするように仰せつかっております」
ブランシェが手に持った帝国の刻印の入った銀の筒を、教官の一人に渡した。
訝し気に中の書状を手に取った教官が「皇帝の封蝋」に気づき、顔色を変える。
「……こ、これは……失礼した。そちらで掛けて待っていてくれたまえ」
教官の態度が突然豹変して、応接室へ通された。ようやく通された応接室は、耳が痛くなるほど静かだった。
(……こっちの絨毯は手入れが行き届いているな。壁の肖像画も定期的に拭かれてる。来客用だけ丁寧にしてるわけか)
絨毯の毛並みを数え、壁に掛かった古めかしい肖像画と何度目かの視線を合わせる。どれほど時間が経っただろうか。ようやく重厚な扉が開いた。
「お待たせした。校長がお会いになる」
ブランシェが重厚な扉を開けて中に入ると、黄金のドームを透かして降る日光が、床の大理石に刻まれた巨大な魔法円を照らしていた。
両側に教官が居並び、その中央に位置するデスクの後ろで、アンヴァリッド魔法兵学校の主が静かにブランシェを待っていた。
白銀の髪を厳格に整えた、獅子の紋章入りの魔導軍中将の制服に身を包んだ屈強な老人だった。その鋭い眼光が和らぎ、彼はデスクから立ち上がって深く頭を下げた。
「……よく来たな、深淵に導かれし仔よ。先程来の非礼を詫びる。申し訳なかった」
突然の謝罪にブランシェは手を左右に激しく振り、ぶんぶんと首を横に振った。
「そ、そんなっ、とんでもありません!」
「ふむ、謝罪を受け入れてくれてうれしいよ。ところでブランシェ君、詳細は『深淵』からの書状を読ませてもらった。……君の希望は、セリア嬢と同じ魔導部でいいのかね?」
「あっ、はい。セリアとは再会を約束していましたので……ぜひ」
「では、ブランシェ君をアンヴァリッドの魔導部へ編入させる。……許可するよ」
オレリアン校長のあっさりした言葉に、校長室の空気は凍り付いた。
「お待ちください校長! いくら帝国の推薦があるとはいえ、それはあまりに性急です!」
鋭い声を上げたのは、副校長のギランだった。彼は一歩前へ身を乗り出すとこめかみを押さえ、絞り出すような声を上げた。
「魔力測定も済んでおらず、しかも平民を魔導部へなどと……前例がありません!」
「困ったな……。ブランシェ君は帝国の『深淵』の元で五年間も修行を積んでいるし、推薦状にも実力は申し分なしと書いてあるんだが。……仕方ない。メシエ君、彼女の魔力の鑑定を」
「校長、正気ですか。魔力鉱石もなしに……。いくらメシエ先生が『生ける鑑定器』と呼ばれているからといって、あまりに非公式ではないですか」
副校長の制止も待たず、メシエの手がブランシェの肩に触れる。
「ひゅ……っ!」
触れた瞬間、メシエの全身が激しく硬直した。
鑑定の結果を口にする暇もなく、彼女は白目を剥き、まるで高圧電流に触れたかのように後ろざまに倒れ込む。
「メシエ先生!?」
ギラン副校長が悲鳴のような声を上げ、倒れゆくその体を抱き止めた。
騒然とする教官たちをよそに、オレリアン校長だけはデスクに肘をつき、興味深げに目を細めていた。




