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第三十六話 エーベンの門

 国境の街エーベン。王国側の呼び名はエベンスといい、帝国と王国の領有権が何度も争われてきた係争地である。

 二百数十年前、北方の混沌を平定した初代皇帝の軍勢は、怒涛の勢いで南下し、当時この地を支配していた王国軍をここまで追い詰めた。このエーベンで講和条約が結ばれて以来、かつての王国の広大な肥沃の地は、無慈悲に一本の国境線で引き裂かれることとなった。王国にとってここは、新興の帝国に領土を毟り取られた「歴史の屈辱」そのものなのだ。

 

 そういった歴史的経緯から、通行する馬車や貨物は全て両国の軍の監視下に置かれる。外交官、商人、巡礼者、さらには密偵たちが、エーベンの門が開くのを待つために同じ宿に宿泊した。ここは「敵国」の情報が最も早く手に入る、吹き溜まりのような場所でもあった。

 サナア母娘が国境を越えず、あえてエーベン側の停車場で下車していったのはこういった複雑な国際情勢があったのだ。

 

 現在、彗星号は王国側へ抜けるための二重に区切られた城壁の門の前に停車していた。

 夜間は閉じられていた門がようやく開いたため、大勢の馬車や人が行列を作っている。通常、王国側へ行くためには国境で王国の馬車へ乗り換え、積荷も全て積みなおさなければならない。そのため、朝に通過するためには前日到着が基本であった。

 だが彗星号は、帝都から王都へ直通の超豪華定期便だ。乗り換えの必要も、通関検査も外交特権によって本来は免除されている。しかし、予定時刻に到着しなかったことから王国側が難癖をつけてきて、理不尽な停車を余儀なくされていた。

 

「予定時間を大幅に過ぎている。これは正規の運行ではない。よって、外交特権は一時停止し、全件検査を行う必要がある。しかも車体に損傷が見られるではないか! 大幅な遅延に車体には傷……これですんなり通せとは、冗談にもほどがあるだろう」

 

 王国側の門を警備する、王国魔導憲兵隊ジャン・ヴァロー憲兵大尉はかっちりと固めた頭髪に、染み一つない軍服を身に着けた男で、普段から外交特権で目の前を通過する彗星号を苦々しく思っていたのだ。

 

「これは皇帝陛下の定期便だぞ! 貴様、国際問題にするつもりか!」

 

 レバネの叫びにヴァロー大尉は冷笑を返すだけだった。

 

「ここは王国の領土への入り口だ。貴殿らの国の事情など知ったことではない。なんなら、この馬車を一生ここで腐らせることもできるのだよ」

 

「だめだこりゃ……。皆さま申し訳ございません。すぐに帝国側の巡察使隊に連絡して、この石頭を排除いたしますので……」

 

「——貴様、怪しい奴めっ!」

 

 レバネが乗客に頭を下げ、帝国側の巡察使の詰所に向かおうとしたとき、ヴァロー大尉の怒声が響いた。

 

「あっ、はい。私ですか……?」

 

 検問の様子を窓から覗き見していたブランシェが、ヴァロー大尉に見咎められたのだ。そののんびりとした返事が、さらにヴァロー大尉を激高させる。

 

「貴様しかおらんだろうが! ……面妖な風体をしおって! 何者だっ!?」

 

「あ、あのっ……ブランシェっていいます。オロールの魔法兵学校へ編入するために、向かっているところです……」

 

「兵学校へ編入だと? 嘘をつくな! 前代未聞だ、そんなことは!」

 

「ほ、本当なんです、本当です……!」

 

「この方は、帝国魔導師の最上位である『特異魔導師アノマリー・マギアー』だぞ! いいのか、そんな態度で!」

 

 異常を察知したレバネが、ブランシェの援護に駆けつけてくれた。

 

「ふんっ! だから貴殿らの国のことなど知らんと言っとるだろうが! 元帥だろうが乞食だろうが私の前では同じなんだよ!」

 

「す、……推薦状があります……兵学校の校長への……」

   

「だったら、さっさと見せてみろ! どうせ偽物だろうがな」

 

 ブランシェは、アインズィードラから渡された銀の筒を手荷物から取り出してヴァロー大尉に手渡した。

 

「ほーん。中々うまく作ってあるじゃないか……」

 

 ヴァロー大尉は帝国の刻印がされた銀の筒を引ったくるように受け取ると、乱暴に中身を取り出した。

 

 中には、封蝋がされた上質な紙質の書状が入っていた。

 その封蝋は純金のような輝きを持ち、帝国の象徴たる「双頭の鷲」の紋章が深く刻まれた金属質な蝋だった。朝日に照らされた瞬間、封蝋の紋章が生きているかのように怪しく蠢いた。

 その金色の紋章を見た瞬間、ヴァロー大尉は自分が「取り返しのつかない冒涜」を犯そうとしている、本能的な恐怖に襲われた。

 

「あ……ああ……。あ、開けるぞ!?」

 

「あ、はい、どうぞ……」

 

 ブランシェは、なんでもいいから早く済ましてほしいという態度でヴァロー大尉を促した。

 その背後では、レバネとヨハンが眼球をひん剥いて、石像のように硬直している。

 

(こ、これは皇帝陛下の紋章……ッ! もし……もしもこれが本物で、勝手に開けたりしたら……運がよくて死罪。へ、へたをすると指を一本ずつ切り落とされて……一族全員が……!)

 

 ヴァロー大尉の顔面がみるみる土気色に変わった。

 彼は丁寧に書状を銀の筒に戻し、ブランシェにそっと返すと、膝をがくがくと震わせながらその場に崩れ落ちた。

 

「……失礼いたしましたぁぁぁッ!!」

 

 ヴァロー大尉は染み一つなかった軍服が汚れるのも厭わずに、叫びながら地面にひたすら平伏した。

 

「ど、どうしたんですか? 急に……」

 

 ブランシェが面食らっていると、レバネが近寄って来て囁いた。

 

「この馬鹿にも、現実がやっとわかったのでしょう……皇帝の封蝋を勝手に切るということがどういうことかを。いうなれば、皇帝の口に手を突っ込んで、無理やりこじ開けるのと同等の行為ですからね。こいつ一人、死罪で済めば運がいい方だったでしょう」

 

「……ま、まあ、王国の方も仕事熱心故のことだから、ねっ、すぐに通してくれるんならもういいんじゃないですか……」

 

(や、やべぇー……私、さっき開けていいよって言っちゃったよ……)

 

 ブランシェの言葉を聞くや否や、まるでばね仕掛けのようにガバッと起き上がると、ヴァロー大尉は部下に怒鳴るように指示を出した。

 

「開門せよ!! すぐに道を空けろ!! ……どうぞ、皆さま直ちに出発していただいて結構です!」

 

 レバネは先ほどからのヴァロー大尉の帝国への無礼な態度がまだ腹に据えかねているようだったが、オロールへの到着を急ぐため、足早に彗星号に乗り込んだ。


◆◇◆


 国境でサナア母娘が降りたので、ガルケ商会の二代目夫婦とハンス、そしてブランシェの四人の乗客となった彗星号は、一路オロールへ向けて順調に進行していく。

 

「さっきの憲兵隊の隊長、痛快でしたね。私も毎回エーベンの門では苦労させられますよ。……ところでブランシェ嬢、そろそろ何属性か教えてくれてもいいんじゃないですか?」

 

 緊張が解けたのか、ハンスがくだけた様子で話しかけてきた。

 

「えーとっ、それは……その……」

 

「ハンスさん! 何回言ったらわかるんですかっ! ブランシェ様が困ってらっしゃるじゃないですか!」

 

 ブランシェのピンチを、またもやカロリーネが救う。

 

「いや、だってほら! 一番重要じゃないですか、魔法属性って……」

 

「いいえ! さっきからあなたは、ブランシェ様が嫌がることばかりなさってますわ。年頃のお嬢さんに向かって、二言目には魔法がどうの、属性がどうって……頭がどうかしてるんじゃなくって!?」

 

(……ガルケ商会め、ブランシェ嬢を取り込むために、そろそろ俺に引導を渡す気満々だな……そうはさせるかってんだ)

 

 ハンスが形勢逆転とばかりに反撃に出ようとした際、カロリーネが近づいてきてハンスの耳元で囁いた。

 

「……ハンスさん。私、今回のオロール行きの件で、あなたがお義父様と裏で『色々なさっていること』、知ってるんですよ」

 

 カロリーネがにっこりと微笑んだ。

 

(なっ……! 気づかれてただと……?)

 

「いい? 私の目的は、ただ商会を盛り立てていきたいだけですよ。ハンスさんにとっても、それは損な話ではなくって?」

 

 ハンスの背筋に冷たい汗が流れた。

 ガルケ商会の先代からの依頼で、ハンスが二代目夫婦を密かに護衛していることは「極秘中の極秘」だったのだ。それがカロリーネには筒抜けだった。

 御曹司が一目惚れした「明るくて世間知らずな同級生」が、実は二代目を意のままにできるとしたら。帝国随一の経済力を誇るガルケ商会はカロリーネ・ガルケの手中にあるのも同然なのだ。

 

「……は、はは。……いやだなあ奥様、私はブランシェ嬢と一緒だったら、珍しい魔導具が手に入るかもって思ってるだけですよ……」

 

「だったら……今回、あなたが帝国で入手した『伝声鏡シュティンメン・シュピーゲル』の構造を、こちらに謄写させてもらえるかしら?」

 

「……なっ! ……参ったな。あれは複製を量産して、王国の富裕層の弱魔導師たちに普及させたら一世を風靡できると思ってたんですけどね……」

 

「残念ながら……イゾラントもリエヴァンの鏡も、あなたの力じゃ手配できなかったんじゃないの? ……だって、ウチが全部抑えてるんですから」

 

「……完敗です。……協力しましょう」

 

 ブランシェは、ハンスからの矛先が逸れたのには感謝したが、キャビンの隅で二人がこそこそ話をしている内容は知りたくもなかった。


(……やっぱりそういうことか。あの二人、最初からただの旅人じゃなかった。カロリーネさんは特に……あの笑顔の奥に何枚刃が入ってるんだろうな。関わらないでおこう)


 ブランシェがそっと視線を逸らした瞬間、カロリーネと目が合った。にっこりと微笑まれて、背筋がぞくっとした。


 やがて、緩やかな丘を彗星号が八脚馬の蹴りで駆け上がっていく。丘を越えた瞬間、ブランシェの視界を埋め尽くしたのは、地平線まで続く色とりどりのうろこのような屋根の群れだった。帝都アーヘンの重厚な石造りとは違う、どこか洗練された「光の都」の色彩。それはまるで、巨大な龍の背中のようにも見えた。

 

「乗客の皆さまに申し上げます。間もなくオロールに到着します」

 

 正御者レバネの誇らしげな車内放送が響いた。


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