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第三十五話 帝国の双星

 窓の外は、一歩先も見えない漆黒の闇に支配されていた。

 しかし、彗星号の周囲だけは別世界だ。車体前方の巨大な魔導ランプが、数キロ先まで貫く純白の光の槍を放ち、街道を昼間のように照らし出している。時速百二十キロで駆け抜ける八脚馬たちの蹄が石畳を叩くたび、闇の中に青白い火花が激しく散り、後方へと流れていく。それはまるで、夜空を流れる彗星群のようだった。

  

 キャビン内では、給仕が簡素な木のボードやバスケットに盛られた、ブラートヴルスト・イム・ブレートヒェンを運んできた。

 

「まあっ! 正直、今の私の胃にはフルコースよりも丁度いいくらいですわ。皆さまとの災難の後の特別なひとときですわね」


 カロリーネが微笑みながらヴルストを手にする。

 

(ソーセージサンドってところか……うまそうだ。それと、飲み物は……まさか、あの黒いのは……)

 

 飲み物はまさかの「エール」だった。

 

「うへぇ……エール?」

 

「わははは。閣下、意外とお子様ですな。ほら、ザリナ嬢も平気ですぞ」

 

「お姉ちゃん、さっきはあんなに強かったのに苦いのだめなの?」

 

「う、うん……」

 

 ブランシェは、砦で出された泥水のような黒いエールを思い出していた。給仕が運んできたのはそれとは似ても似つかない、澄んだ液体だった。しかし、どうしても鼻の奥には、あの地下牢の「不潔な臭い」が蘇るのだ。

 

「ブランシェ様。無理なさらずともこちらに王国産のルテがありますよ」

 

「ルテですってぇ! ください!」

 

 カロリーネが手持ちのガラス瓶からルテを注いでくれた。

 

「ふふふ。ブランシェ様はかわいいですね」

 

 ルテが注がれたグラスを手にブランシェは上機嫌でヴルストを頬張る。

 

「ハンスさん、もう閣下呼びはやめてくださいよ。皆さんも『様』とかつけないで普通に呼び捨てでかまいませんから……」

 

「えっ、呼び捨て……? わかりました、ブランシェ。……『嬢』だけつけちゃだめですか……」

 

「命の恩人を呼び捨てなんてできませんわ。せめてブランシェさんとお呼びさせていただきます」

 

「お姉ちゃんでいいよね? それともブランシェがいい?」

 

「もう、好きに呼んでください……」


 和やかな空気の中、ハンスが身を乗り出してきた。

 

「しかしブランシェ嬢の魔法、すごかったですな! 私なんか、てっきり頸が胴体から離れてしまったかと思いましたから!」

 

「ハンスさん、言い方!」

 

「これは失礼。あの斬撃を防いだ魔法! あれは何という魔法なんです? 私初めて見ました」

 

「あっ、あれですか……えっーとですね……『金剛身アダマント』……かな……」

 

「すごい! 金剛身アダマントなんて聞いたことない防御魔法ですよ! それに一対多人数相手の魔法も初めて見ましたよ。しかも一瞬で全員を……あの威力。うちの兄貴にも見せたかったなあ」


 ハンスの口から魔法オタク特有の早口がこぼれ始める。

 

「あっ、実はうちの兄貴オロールで『空中送話局ラーディオ』に勤めてましてね、私以上の大の魔法マニアなんですよ。私はどっちかっていうと魔導具の方が好きで、あ、兄貴の話でしたね。魔法が好きと言っても魔法を使うのが得意というんじゃなくて、魔法の知識だけでして——」

 

「ちょっと! ハンスさん! ブランシェ様が引いてますよ」

 

「おっとっ! 私としたことが! これはやってしまいましたな。ついつい魔法のことになると熱く語ってしまって……面目ありません」

 

(くっ! ……適当な返事したら、ここまで突っ込んでくるとは……マニア怖っ……)

 

「しかしブランシェ嬢、さっき魔法を使うのに全く溜めや予兆が無かったですけど、あれって普通じゃないですよね?」


 ハンスの目が、急に商人のそれから観察者のものに変わった。

 

「私も今まで魔導師の戦闘を見てきましたけど、どうしても溜めの動作がありますから、あの剣士の一撃、あれを防げる魔導師はそういないと思いますよ。あの剣士、腕はかなりのものでしたからね」

 

 一瞬、ハンスの瞳の奥に凄味のある光が見えたのをブランシェは見逃さなかった。

 

(細けぇーっ、どんだけ見てんのさ。……でもこのハンスっていう男、馬車が止まった時の物腰といい、懐の魔力を帯びた反応といい只者じゃないな。……試してみるか)

 

「話は変わりますけど、ハンスさん。懐に何か魔力を帯びた物を持ってますよね。それも魔導具ですか?」

 

 ハンスがぎょっとした顔でブランシェを見た。

 

「これは驚きました。私の魔道具『悪意の短剣マレヴォレンス』を見破るとは。これは相手の悪意を吸って貯めこんで、それを電撃にして相手に返す能力があるんです。相手の悪意が強ければ強いほど威力も増すので、究極の護身武器と言えるかも知れません。魔力が無い私が何度も修羅場をくぐり抜けて来られたのはこいつのお陰なんですよ」

 

 ハンスは懐から短剣を取り出してブランシェに見せた。美しい両刃の短剣で幾重にも折り重なった鋼の層が不思議な模様を描いている。柄には、「茨に包まれた心臓」の意匠が施されていた。ブランシェはハンスに近づき、皆に聞こえないように耳元で囁いた。

 

「私に皆を連れて逃げろと言ったとき、懐に魔力を感知したんです。そんなすごい魔導具を持ってるなんて相当場数を踏んでますね。本当は私の出る幕なんてなかったんじゃないですか。……実はある人物を密かに守るよう雇われたとか」

 

「い、いやだなあブランシェ嬢。さっきのお返しですか? 一人であれだけの人数を相手にできるわけないじゃないですか……」

 

 ブランシェが近くに寄り過ぎたため、ハンスが慌てて身を引いた。

 

「あははは、お返しですよ。そういうことにしておきましょう。さらに話は変わるんですが、さっき彗星号を止めた『龍のドラッヘン・キーファー』っていう禁忌遺物アーティファクトのことなんですけどね。あいつらが言うには酒場で知らない男からもらったっていうんですよ。で、どんな速い馬車でも止めれるから彗星号を狙えって……これ、信じられます?」

 

「その話、待ってましたよ! 龍の顎の威力を試す目的なら……ありえなく無いですね。つまり実験です」

 

「実験? じゃあ、酒場で龍の顎を渡してきた男って……何者なの?」

 

「実は、龍の顎は元々は帝国の禁櫃庫きんきに封印されていた物なんです」


「えっ?」

 

「龍の顎を含む五つの帝国の禁忌遺物アーティファクトは、かつて南方の暗黒大陸のネムネス禁櫃宮で発見されたと伝えられるもので、魔力のない人間でも手にすれば神のごとき力を得られるという、危険過ぎる代物。だからこそ、帝国の禁櫃庫に厳重に封印されていたんですよ」

 

 ネムネス禁櫃宮という言葉にフードの母親……サナアがピクリと反応したが気づいた者は誰もいなかった。

 

「帝国の禁櫃庫にあったものが、何でごろつきの手に……」

 

「盗まれたんですよ。シュテルンという元帝国の魔導師にね」

 

「シュテルン?」

 

「あれ、ご存知ないですか? 暗黒星『ドゥンケル・シュテルン』のこと? 世間ではその強奪事件のことを『星亡き夜の静寂ナハト・オーネ・シュテルン』と呼んでいます」

 

「いろいろこんがらがってきたけど……要するに、五つものアーティファクトが消えたってことね」

 

「そうです。ですが、私が知ってるのは三つだけです。一つは、巨大な城門も空間ごと嚙み千切る神殺しの兵器『龍のドラッヘン・キーファー』。二つ目は、あらゆる魔物を跪かせ意のままに操る『魔獣の王笏ベスティエン・ツェプター』。そして三つ目は、人間を泥人形ゴーレムに変えて動く死体と化す『泥濘の石棺ライヒェン・シュライン』です。……残念ながら、残る二つが何なのかは……」

 

「魔物を意のままに操るですって!?」

 

「何か、知ってるんですか?」

 

「実は五年前にもミニステリアーレと因縁があったんです。そのときにボスの男が『笛』を使ってトロールを意のままに操ってたんですよ。魔獣の王笏……そんな名前だったんだ……」

 

「まさか、その『笛』も消しちゃったんですか?」

 

「そんなわけないじゃないですか! 逃げられたんですよ、巡察使のせいで……」

 

「確かに私の経験上、連中はいつも難癖ばかりつけて話は聞いてくれませんが、さっきの隊長とはかなり親しそうな様子でしたね」

 

「ヴァルター二等長ですか。あの人の元上司が最悪で、五年前の……さっき話した魔獣の王笏を持ったミニステリアーレを逃がしたのもその上司が原因なんです。まあ、それがきっかけで私は師匠……アインズィードラ元帥閣下の元で修行することになったんですけどね」

 

「五年前というとブランシェ嬢はまだ十歳くらいじゃないですか、そのころから今みたいに魔法を……」

 

「あ、ええっと、いろいろありまして……リエヴァンが大変なことになって、丁度私だけ帝国へ来ていて難を逃れて……天涯孤独になった私を師匠が拾ってくれたのです」

 

(全部話すのは……さすがにちょっとね)


 ブランシェはそこで言葉を切ったが、心の中では別のことを考えていた。

 

(……泥濘の石棺で人間を泥人形に変える、か。……リエヴァンで起きたことと似ている気がするが、あの事件の黒幕が誰なのかは今もわからないままだ。……シュテルンという名前、覚えておこう)


 そしてハンスが続ける。

 

「でも、ブランシェ嬢。アインズィードラ閣下のお弟子さんならシュテルンの話をされないんですか閣下は?」

 

「えっ、どういうことですか?」

 

「かなり昔のことですから直接は知りませんが、シュテルンはかつて、アインズィードラ閣下と並んで、帝国の双星と呼ばれていたんですよ」


「ちょっと待ってください。シュテルンって……さっきの、アーティファクトを盗んだという……?」


「そうです。同一人物ですよ」


(……帝国の禁櫃庫から禁忌遺物を盗み、ごろつきに配って実験をしている犯罪者が、師匠の昔の盟友だって……? 師匠がこの五年間、一度もその名前を口にしなかった理由が……少しわかった気がする)

 

「本当ですか? 師匠は全然そんな話はしてくれないのでぜひ聞かせてください」

 

「……昔、魔導具を探して辿り着いた村の酒場で、古老から『儂の祖父から聞いた話じゃが』と言ってたのを聞いた話なんですけどね」

 

 いつしか、ガルケ商会の若夫婦だけでなくフードの母娘までもがハンスの話に耳を傾けていた。

 

「『双星の落日』という話です」

 

 ――シュテルンとアインズィードラ、二人は帝国魔導士官学校創立以来の天才じゃった。

 一人は天で輝き(グランツ)戦場を照らす「勝利の星」、一人は地で沈黙し(シュティレ)、深淵を見通す「叡智の星」。形は違えど、その魂の輝きはどちらも星のごとし。そんな民衆の憧れが二人を「帝国の双星ツヴァイ・シュテルネ」と呼ぶようになったのじゃ。

 そうさな、今から百五十年ほど前、二人は世界の理、深淵の正体を確かめようと旅立ったそうじゃ。

 帝国の誰もが、あの二人なら世界の理を解き明かし、持ち帰ってくれると信じて疑わんかったそうじゃ。

 シュテルンは「光こそが正義」と信じる潔癖な男じゃった。対してアインズィードラは「光と闇は表裏一体」と闇をも抱え込む深い慈愛の男じゃった。

 ……世界の果て、白亜の深淵で二人が見たのは、一体何じゃったのか……。アインズィードラはそれを受け入れ、シュテルンは拒絶した。一人は隠者となり、一人は暗黒へと堕ちた。

 

 ハンスが語り終えた後、期待していたような感銘の声は上がらなかった。そんなに期待されてもといった困惑が、ハンスの物腰からも伝わってきた。

 

「ハンスさん、肝心の何があったかが抜けてるわ。吟遊詩人だったらきっと派手な演出でもっと面白くしてくれたでしょうね。結局つまらない英雄が道を踏み外したって話なんでしょ」

 

 カロリーネが退屈そうにしながら、結構辛辣に批判した。ブルーノが傍らで窘めている。

 

(……ひゃ、百五十年前って、あの爺さん一体今何歳なんだ? 普通とっくに死んでるはずだろ……まあ、あのじじいのことだから何か理由があるんだろうけど)

 

 ブランシェがぼんやりと考えているとキャビンの照明が絞られ、暖かな琥珀色の明かりへと変わった。対面の席のザリナが軽食に満足したのか、サナアの胸の中で毛布に包まって眠りに落ちていた。ふと目が合った、フードの奥のサナアの瞳が何か言いたげにブランシェをじっと見つめていた。


 ◆◇◆


 ――翌朝。目が覚めると彗星号は国境の街、エーベンの停車場スタスィオンに到着していた。

 

 レバネがドアを開けるとステップが音もなくせり出し、サナアとザリナが優雅に地面へと足を降ろす。レバネとヨハンが付き従うように荷物を抱えて追随する。ブランシェも眠い目をこすりながら別れの挨拶に向かった。

 

「ブランシェ、私たちはここでお別れです。ここから南へ向かい船で本国へ帰ります」

 

 そう言って、サナアは今まで一度も外さなかった深く被ったフードにゆっくりと指をかけて、払った。

 

「ブランシェ、これが私たちの本当の姿です。……貴女には、隠したくなかったので……」


(……帝国内では素性を隠す必要があったということか。それにしても)

 

 二人の絹の布が滑り落ちた瞬間、空気が一変した。

 ブランシェの目を釘付けにしたのは、その横顔から長く、優雅に突き出した尖った耳だった。琥珀色の肌に、朝日を反射する大河のような極彩色の編み込みブレイズが重なり、煌びやかな装飾がシャラリと涼やかな音を立てた。

 

「……綺麗……」

 

 ガルケ商会の若夫婦とハンスもその神秘的な姿に思わず息を飲む。

 ブランシェは言葉を失った。これほどまでに美しく、これほどまでに「野生」と「高貴」が共存する存在がこの世にいるなんて。

 

 思わず溢れた言葉に、ザリナはいたずらっぽく耳を動かして笑った。

 

「ふふっ、ブランシェの瞳も素敵よ。でも、今度会うときは『エール』飲めるようになっててね!」

 

「こ、こらっ!」

 

 ブランシェがふざけて拳を振り上げる。慌てて逃げるザリナ。サナアがそれを見て微笑みながらブランシェに近づき耳元で囁いた。

 

「私の真実の名は、サナア・ザマニ・ハルモア。ザマニ聖樹連合の王妃です。もし貴女が、進むべき道に迷ったなら……いつでも南方の風を頼りなさい。大地の精霊たちが、貴女を歓迎するでしょう」

 

 驚きに目を見開くブランシェを残し、王妃と、その横で誇らしげに微笑む姫ザリナは、いつの間にか彗星号の傍に停まっていた馬車に乗り込んでいった。御者台からサナアたちと同じ肌の色をした「庭師」のような男が降りてきて、無言でブランシェたちに恭しく礼をした。二人が乗り込むと、馬車は音もなく森の小道へと消えていった。


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