第三十四話 特異魔導師(アノマリー・マギアー)
彗星号へ戻るとキャビンの床に正御者のレバネと副御者のヨハンが居住まいを正して跪いていた。たった今まで八脚馬の治癒に全力を注いでいたのだろう、彼らの仕立てのいい制服には泥と汗が張り付いていた。
「ブランシェ殿、いえ、帝国特異魔導師閣下と呼ばせていただきます。……ご乗車の際、階級章に気付かず申し訳ございませんでした」
「えっ?」
「我々帝国旅客公社の不手際で、閣下を含め、乗客の皆様を危険にさらすことになり……もし、閣下が賊の魔導具の威力を軽減してくださらなければ、彗星号は今頃、鉄の棺桶になっていたかも知れません。さらに妨害行為を行った賊どもの討伐まで……閣下には言葉に尽くせないほど感謝いたしております!」
レバネとヨハンは、目の前のブランシェが皇帝もかくやといわんばかりに跪いて言葉を震わせた。
「ひゃいっ! かっ、閣下とかやめて! やめてくださいよもうっ!」
「やっぱりそうだったんですね!」
ブランシェが顔を赤くして狼狽えていると、今度は商人が身を乗り出してきた。
「初めてお見かけした時に、あの階級章を見てそうじゃないかなと思ってたんですよ! 特異魔導師……帝国魔導師の十二階級の中で、帝国魔導元帥を除いた最高階級。まさか本物を拝める日が来るとは!」
「あ、あの……」
「お見それしました。私はハンス。ハンス・フラーデと申します。大陸を股にかけたしがない魔導具商人でございます。以後お見知りおきを」
ハンスは一息ついてから、今度はやや声を潜めて続けた。
「……ところで、ブランシェ閣下はまさかアインズィードラ魔導元帥閣下のお弟子様とかいうことは……?」
「は、はい……そのまさかです……」
「やっぱりそうですか!」
ハンスの目が輝いた。
「アインズィードラ魔導元帥閣下と言えば帝国の生ける伝説。三代に亘り皇帝陛下にお仕えして、今上陛下にも直に進言できる唯一の魔導師様です。未来永劫弟子は取らないとおっしゃっていた方が、帝都の公邸から突如姿を消してはや五年……少女と旅に出たらしいなどという噂が囁かれてきましたが」
ハンスは人差し指を立て、得意げに続けた。
「つい先日ふらりと帰還された元帥閣下の元に、ひっそりと付き従う少女がいたと聞いてビンと来たんですよ。その少女こそずばり、ブランシェ閣下じゃないかって! ならばこそ先ほどの閣下の実力もさもありなん。今日は本当に女神様の御加護の内にあったのですよ! ミニステリアーレどころかドラゴンもびびって逃げ帰ったでしょう」
そこまで一気に捲し立ててから、ハンスはにやりと笑った。
「……実は本当にアルビナ様の生まれ変わりだったりして?」
唯一秘密にしたかった身上を公にされてしまったことから、ブランシェはついに降参の意を示してテーブルに顔をうずめた。そのまま石像のように固まってしまい、くぐもった溜息さえも聞こえてこない。もはや乗客の誰とも視線を合わせる勇気も、気の利いた返事をする気力も残っていないようだった。
(死ぬ……いやもう死んだかもしれない)
「お顔をお上げください、ブランシェ閣下。この度は本当に感謝しております。閣下がいらっしゃらなければ私共は今頃どうなっていたことでしょう。私共は、帝国でガルケ商会という先代から引き継いだしがない商店を細々営んでいる若輩でして、ブルーノ・ガルケと妻のカロリーネです。オロールでもささやかながら商いさせていただいておりますので、またお立ち寄りください。お礼と言ってはなんですがその際は閣下には全品無料で提供させていただきます」
ガルケ商会の若夫婦がそっとブランシェに声をかける。夫に寄り添いつつ、カロリーネはハンスをきっと睨みつけるのを忘れなかった。
「……見事でした」
母親がフードを少しだけ上げ、穏やかな、しかし全てを見透かすような瞳でブランシェを見つめる。
「私はサナア。そして娘のザリナです。貴女の魔法には、南方の精霊たちと同じ、澄んだ響きがありました。やはりアインズィードラ卿の目に狂いはありませんでしたね。帝都を発つ際、卿から伝言がありました。『帰路は千の魔導兵を配備するより安全也』と……貴女という存在と知り合えたこと、この旅一番の収穫だと思っております」
横に並ぶザリナは、憧れを隠しきれない瞳でブランシェを見つめ、自身の首にかかっていた「南方の透き通った青い石」の首飾りをそっとブランシェに手渡した。
「絶対大丈夫だと思ってたわ。お守りに……持っていて。私たちの友達の印よ」
「あ、あの……ありがとう。大切にするね」
帝国最上位の魔導師で、かつ魔導元帥唯一の弟子でありながら、ばつが悪そうなブランシェの様子に、キャビン内には、先ほどまでの戦闘が嘘のような穏やかな笑い声が響き渡った。
(……なんかミニステリアーレのお陰でみんなと打ち解けられたみたいだ。まあゴミでもたまには役に立つことはあるんだな)
「失礼します」
微妙なキャビンの空気を察知したかのように御者のレバネがノックをしてキャビンへ入ってきた。
「閣下、緊急連絡しておいた、典内院辺境警備巡察使が到着しました。隊長が閣下にお話を伺いたいとのことで参っております。私が対応すると申したのですが……どうしても閣下にと」
(やれやれまた巡察使か。まあ今回は出まかせ言う奴がいないように全員眠らせといたから安心だけど。頭の固い隊長じゃなきゃいいけど……)
ブランシェがキャビンから出ていくと、懐かしい顔が迎えた。
「お久しぶりです。閣下、遅くなり申し訳ございません」
「あっ! ヴァルター……二等?」
「二等巡察使長です。閣下。五年で少しは出世しました」
「いや、閣下はやめてくださいよ」
「御者からあらましは聞きました。全く驚きましたよ。禁忌遺物による要人襲撃をお一人で撃退の上、賊を全員無傷で捕縛ですか……。さすがというか何というか……」
「それって褒めてます?」
「もちろん褒めてますとも。それにしてもこいつら彗星号を襲うとは……それで件のアーティファクトはどちらへ?」
「ヴァルター二等……非常に難しい質問ですね。……まず、アーティファクトの名は『龍の顎』です。でした……」
「龍の顎……すぐに元帥閣下へ報告致します。回収の方は巡察使隊の方で行いますので……」
(……あ、しまった。回収するつもりだったのか)
「早まってはいけません! あれは非常に危険なものでした……緊急に手を打たねば我々もどうなっていたか……」
(馬車が動かないから邪魔だったのでとっとと消しただけなんだが……そんなこと言えるわけないな。なんとか辻褄を合わせないと)
「と、言いますと?」
「アインズィードラ元帥閣下へはこう伝えてください。すぐに清掃、いや消去しなければ全員命はなかったでしょうと……」
「……つまり、アーティファクトはもう……」
「存在しません……」
「何とかならなかっ——」
「消すか、我々が消されるか……それくらい危険な代物だったのです!」
「——了解しました。また辺境伯が青くなりますな。元帥閣下にもありのまま報告せざるをえませんから」
「委細、よろしく頼みましたよ……」
眠り続けているミニステリアーレたちを幌馬車に乗せ、恭しく敬礼して去っていくヴァルター二等長と警備隊。
(よかったーっ、顔見知りで! ヴァルターさんならどんな無理難題でもなんとかしてくれるだろ。なんせ、五年前の元上司があれだったからな)
キャビンへ戻ったブランシェに悲しい知らせが飛び込んできた。
「閣下……ディナーのことなんですが……給仕長からの報告によると、急停止の衝撃により、準備していた食材の損傷が酷くて……」
「仕方ありませんわ。命が助かっただけでもよしとしなければね。給仕長に伝えてくださらない? 無事だった食材のあり合わせで軽食でもできないかしらと」
「恐縮でございます、奥様。直ちに確認して準備いたします」
カロリーネの機転でほっと胸をなで降ろしたレバネの元へ副御者のヨハンがそっと耳打ちする。すると、レバネは、ようやく自信に満ちた正御者の表情に戻り、乗客たちに力強く告げた。
「皆様、お待たせいたしました……。彗星号はこれより、失われた時間を取り戻します。車両および八脚馬(神獣スレイプニル)に損害はございません。これより遅延を取り戻すべく、速度を規定の百二十パーセントまで引き上げます! 再びシュピーゲル・ラウフ(鏡面滑走)の静寂をお楽しみください。明け方にはエーベンに到着し、オロール到着時刻に変更はございません。……ご安心を」
遠ざかる黒い森を背景に、彗星号は王都へ続く闇夜の道を再び鮮やかに切り裂いて行った。




