第三十話 深淵の隠者
「貴様! 魔導師が右手を突き出すということがどういう意味か分かっているのか! もう一度言う! 両手を頭の後ろに回して跪いて降伏しろ!」
イェルク二等正は血相を変えて、眼前の少女に警告を発した。
帝国の『魔導行使に関する戦時規定』によれば、魔導師の利き腕そのものが「常に装填済みの銃」として扱われている。当然、「銃口(右手)を向けること」が法的な一線を越える行為であることは論を待たない。
(……先に手を出すわけにはいかないな。正当防衛を演出しないと後々面倒なことになりそうだ)
砦の瓦礫を間に挟んで、ブランシェたち五人の少女と、帝国典内院辺境警備巡察使の騎馬部隊三十人が緊迫した空気の中で対峙した。
「け、警告を無視だと! よろしい、帝国への敵対行為とみなす! 魔導突撃銃小隊前へ! 魔石弾装填!」
イェルクの号令により、緑の腕章を付けた風魔導師たちで構成された部隊が、一斉に魔石弾へと魔力を注入していく。個人の魔力差に関わりなく、一定の威力で魔石弾を連続で発射できる『魔導突撃銃』を装備した帝国魔導軍の精鋭部隊である。
「目標、前方の白い魔導師! 一斉射用意っ! てぇーっ!」
帝国魔導軍が誇る突撃銃小隊が、次々に魔石弾を放つ。風魔導師二十数名による一斉掃射が起こり、数百発もの魔石弾が暴風のようにブランシェに向かって殺到した――。
「――『光子結晶』!!」
ブランシェの前面の空気が、一瞬にしてダイヤモンドよりも硬い透明な防壁へと変質した。
降り注ぐ魔石弾がその境界に触れた瞬間、幾何学的な光の紋様が広がり、激しい火花を散らして無惨に弾き返されていく。
着弾の砂埃と火花が立ち消えた後、完璧な光子の膜に守られたブランシェは、髪一筋すら乱れず無傷のままそこに佇んでいた。
「なっ? ば、馬鹿な!? ありえっ……ない! 帝国軍の最新鋭銃だぞ!?」
イェルクは声を裏返らせた。大気を操る「緑」の階位の極みである一斉射を、ただの一歩も退かずに防ぎきるなど、彼の常識には存在し得なかった。
(……これでこっちが攻撃しても正当防衛だな。しかし、相手は帝国の正規軍だし、怪我しないようにそおーっとね)
心の中で元清掃員らしい現実的な計算を終えると、ブランシェはすっと右手をさらに前へと突き出した。
「――『光子深層麻酔』」
宣告と共に、彼女の手のひらから不可視の光波が放たれた。それは波紋のように大気を伝い、魔導突撃小銃隊の肉体を音もなく通り抜ける。
傷一つないはずの魔導師たちは、次の瞬間、糸の切れた人形のようにどさどさと落馬し、そのまま深い眠りへと落ちていった。
「突撃銃小隊が……ぜ、全滅だと……魔法耐性を持った風魔導師だぞ!? やはりザルツァ殿の報告のとおり化物級の魔導師だ!」
狼狽するイェルクの傍らで、副官のヴァルター三等巡察使監が鋭い視線で戦況を観察していた。彼は上司の前に進み出ると、冷静な声で進言する。
「二等正殿! アインズィードラ魔導元帥閣下からは、『ルプスエトワール家のご令嬢らしき人物を発見次第、直ちに保護し、報告せよ』との御命令を受けております。今の攻撃も、我が隊に致命傷を負った者はおらず、ぐっすりと眠らされているだけです。彼女に殺意はないと思われます! それに……彼女たちは『砦で囚われていた』と主張しております。辺境伯領でのミニステリアーレたちの良からぬ噂は、頻繁に耳にしております故……ひとまず彼女たちの話を……!」
「ヴァルター! 貴様、自分が何を言っているかわかっているのか! 相手は既に帝国の『家士』を手にかけている化物だぞ! もはや戦争だ! 近隣の魔導軍へすぐ増援要請しろ!」
「ちょ、ちょっと! あんたさっきのセリアの話聞いてた? あんたに告げ口したザルツァっていう男は砦を隠れ蓑に奴隷売買をしてたんだよ。隣国の公爵令嬢まで攫って、魔物を使って従者も皆殺しにしたんだ! 騙されてるんじゃないよ!」
「ブランシェの言う通りよ! 私たちが何をしたっていうの! この砦の奴らが私たちにどんな酷い仕打ちをしたか知ってるの? 奴らは全員人でなしよ! セリアの家来もこいつらに殺されちゃったのよ」
辛抱堪らずウラリも怒りを爆発させ、巡察使隊に食って掛かる。
「ぶ、無礼者! 平民どもが言葉が過ぎるぞ! ミニステリアーレと貴様らの言葉、どちらを信用するかは火を見るよりも明らかであろう! 全員拘束しろ!」
「――イェルク、少し黙らんか!」
突然。
しわがれた、しかし絶対的な威厳を持つ声が、イェルク二等正を一喝した。
イェルクのすぐ傍らに、いつの間にか小柄な老人が立っていた。どこにでも居そうな好々爺にも見えたが、長い銀髪と、すべてを見透かすような鋭い金の双眸が、周囲の空気を物理的に重く狂わせるほどの威圧感を放っている。その身に纏うのは、帝国最高位の紫の『帝国魔導元帥』のローブだ。
「――っ! こ、これは、アインズィードラ魔導元帥閣下!」
イェルクとヴァルターが即座に姿勢を正し、直立不動の敬礼を捧げた。
「先刻、ヴァルター三等監より『伝声鏡』で、ルプスエトワール公爵令嬢らしき少女を発見したと報告があったのでな、急ぎ『転移』してきたのじゃが……貴様、何をしとるんじゃ?」
「そ、それはっ! 元帥閣下に申し上げます! この白い魔導師めが帝国の『家士』たちを惨殺し、砦を破壊した犯人でありまして、我が隊に対しても警告を無視し、攻撃を加える素振りを見せたため……やむなく交戦中でありました。ちなみに、白い魔導師の一味にはルプスエトワール公爵令嬢を詐称する娘も同行しております!」
「この、痴れ者めがっ! ごろつきどもの讒言にまんまと引っ掛かりおって! ルプスエトワールの公爵令嬢なら儂がこの目で見れば一目瞭然じゃわ! 直ちに知らせよとあれほど言うたじゃろ!」
「うへっ? あ、あの少女、ほ、本物なのですか?」
イェルクの顔から血の気が引いていく。アインズィードラはその無能な部下を一瞥もせず、正面の少女へと視線を向けた。
「なあ、そこの白き魔導師よ! 矛を収めてくれんか」
(……この爺さん、相当強いな。いきなり空間を無視して『転移』で現れたことといい……。まあいい、一対多数戦は一番強い奴を倒しさえすれば後は総崩れだ!)
戦闘モードのままのブランシェは、容赦なくその小さな手を老人へと突き出した。
「――『光子神経遮断』!!」
彼女の指先から、思考速度を超える神速の光波がアインズィードラの脳を狙って放たれた。だが、それが直撃する直前、アインズィードラの身体から漆黒の帳が脈動し、迫りくる光波を嘲笑うかのように広がった。
――シュンッ。
光波が闇に触れた瞬間。
眩い輝きや火花を散らすことすら許されず、深淵の底へ吸い込まれるように完全に消失した。
「無駄じゃよ、光の仔よ。儂に届く光など、この世には存在せぬからな……」
アインズィードラは平然と告げた。しかし、その内心は冷や汗に満ちていた。
(やはり、光の魔法か……ヴァルターから『砦に属性不明の神級魔法と思しき痕跡がある』と聞いておったから防げたが、危なかったわい。まさか、この娘がアルビナの……)
「えっ? 消え……た……!?」
ブランシェの深紅の瞳が驚愕に見開かれる。
(……馬鹿な! 俺の光が届かないだと!? 闇が光子を飲み込んで、存在ごと消滅させたっていうのか?)
だが、元清掃員の頑固さに火が付いた。汚れが落ちないなら、より強力な洗剤を、より強い水圧をかけるまでだ。
「ふんっ! ……闇がすべてを飲み込むというのなら、飲み込みきれないほどの光をくれてやる!」
ブランシェの右手に、見たこともない巨大な白銀の魔法円が展開される。その深紅の瞳が、限界突破の出力によって黄金色の不気味な光を帯び始めた。
「焼き尽くせ! ――『光子爆砕』!!!」
(何じゃと! ……い、いかん!!)
一帯が消失せんばかりの膨大な光子エネルギーを察知し、アインズィードラが表情を戦慄に染めたその瞬間。
「――駄目っ! ブランシェ! アインズィードラ様!」
セリアが、ブランシェとアインズィードラの間に両手を広げて割って入った。
「私は王国のセリア・オレリア・ド・ルプスエトワールです。この者は、リエヴァンのブランシェ! 奴隷として私と同様にこの砦に囚われていたのです! 決して帝国に敵対する者ではありません!」
必死の叫びに機先を削がれ、ブランシェの魔法は不発に終わった。白銀の光子がぱちぱちと虚空に霧散する中、ブランシェはぽかんとして佇む。ノラたちも巡察使隊も、ただ呆然と三人を見つめるしかなかった。
「レイモン王子御誕生の折以来ですな。大きくなられて、爺はうれしゅうございますぞ。爺の元に参られるのを楽しみにしておりましたから」
何事もなかったかのように、セリアに優しい笑顔を向けるアインズィードラ。
(……やれやれじゃわい。セリア嬢が止めに入らなければ、ここら辺一帯が消し飛んでおったじゃろう。儂はともかく何人犠牲が出たことか……この馬鹿者、見境なしに規格外の光魔法を撃とうとしおって。 ……しかし、セリア嬢があの娘のことをリエヴァンのブランシェと呼んでいたな。リエヴァン壊滅と時を同じくして『聖女』が帝国に現れるとは。よもや偶然とは言えんじゃろう)
「よし! 白い魔導師を取り押さえろ!」
しかし、空気を読まないイェルク二等正が、セリアとアインズィードラのやり取りをぼんやりと見ていたブランシェを拘束するよう命じた。
まだ眠らされていなかった数人の巡察使が、ブランシェを地面に向かって後ろ手に押さえつける。
「うわっ! 痛いって!」
「やめて! ブランシェに乱暴しないで下さい!」
セリアが必死に叫ぶ。
「セリア様、そうは言われましても……元帥閣下への攻撃と子供とはいえ凄まじい魔力。身柄の拘束をせねば危険過ぎます!」
イェルクが頑なに突っぱねたその時、砦の奥から別の巡察使が血相を変えて走ってきた。
「報告します! 二等正殿、砦内を捜索したところ九名の遺体が発見されました。いずれもザルツァ殿の部下と思われます」
「本当か! 酷い有様だな……」
イェルクが忌々しげに呻く。
「あんたたち! ブランシェから離れなさいよっ!」
ウラリが巡察使に向かって激しい殺気を放つ。
「私たちも砦のミニステリアーレを殺したのよ……本当はもっといたのよその人たち……」
ノラもまた、冷徹な瞳で背後から殺気を放っている。
「がるる!」
ジゼルの周囲で小さな竜巻が巻き起こり、今にも撃ち込まれんばかりに膨れ上がっていく。
「き、貴様ら!? 非導体のゴミじゃないのか? 反逆罪だぞ!」
イェルクの怒号が響き渡る。
「イェルクよ。いい加減にせい!」
アインズィードラの一喝が、イェルクの言葉を完全に叩き潰した。
「もう限界じゃ。現時刻をもってお前を解任する。典内卿には儂から後ほど伝えておく。ヴァルター三等監、今からお前が指揮を取れ! まずは彼女達を保護し詳細に事情を聴取せよ。丁重にな。それから……リエヴァンのブランシェと言ったかな。まずはセリア嬢のこと、礼を言うぞ。危うく外交問題になるところじゃった。なにしろルプスエトワール家のバティストがうるさくての……」
イェルク二等正は、あまりの衝撃にがっくりと肩を落とし、その場に崩れ落ちた。
「アインズィードラ様! ブランシェは……みんなも正当防衛だったんです! ミニステリアーレたちはルプスエトワール家の仇だったんです。メートルたちの仇をとれたのはブランシェのおかげなんです」
「何っ? メートルが……ミニステリアーレにやられたのか……?」
「……はい。私を守るために……ミニステリアーレの操るトロールに……」
アインズィードラの雰囲気が変わった。それまでの穏やかな雰囲気からがらりと変わり、空間が軋むような、ピリピリと刺すような殺気が放たれる。
(……ミニステリアーレどもめ! 久々の再会を楽しみにしておったのじゃが……イェルクの大馬鹿め、逃走のための時間稼ぎまでするとは……)
「私の……『絶縁』していた魔力を解放してくれたのもブランシェなんです! それで、トロールを、メートルの仇を討つことができたんです!」
「なんと! セリア嬢がトロールを?」
(……ルプスエトワール公爵家のため、セリア嬢の魔力を覚醒させてくれとのメートルからの依頼じゃったが、ブランシェという娘、もうそれなりに光を操れるようじゃな。トロールを倒したということは、セリア嬢は既に特級以上ということか。最優先事項はセリア嬢の確保じゃったが……)
「かならず、ルプスエトワール家で責任を持ちますから! きっとお父様もそうおっしゃるはずです!」
ブランシェに救われ、共に王国へ帰還することを約束していたセリアは、ここでブランシェが罪人として帝国に捕縛されるなど到底許容できなかった。
(確か……十年前、リエヴァンで『アルビナ再誕』との情報が、わが軍の「ディーベ(盗)」からもたらされたが、その後の調べで、その子は容姿のみがアルビナに生き写しなだけで、魔力は全く無かったとの顛末で調査は終結しておったはずじゃ。儂もただの戯言と高をくくっておったが……エヴィックの狐め! 十年もの間、これほどまでの『聖女』を隠し通してきたとはな。……セリア嬢には悪いが、帝国としても、みすみすこの『聖女』をルプスエトワールへ渡すわけにはいくまい)
「えぇ、えぇ。爺にはようく分かっておりますとも。しかし、大勢の命が失われたことも事実。ブランシェには正しい力の使い方を覚えてもらわねばなりませぬ故、ここは爺に任せて頂けていただけませぬか?」
「アインズィードラ様。……ブランシェは罪に問われますか?」
セリアは今にも泣き崩れそうだ。
「メートルは爺の大切な教え子でした。その無念を晴らしてくれたブランシェを、どうして罪に問うなどできましょうか。本件は爺が責任をもって詳細に調べます故、どうかご安心なされませ」
皇帝に対しても気兼ねなく進言できる帝国魔導元帥にここまで約束されれば、セリアとしては任せるしかなかった。
「ブランシェよ。大筋の話はわかった。この度の辺境伯領内でのごたごたを、儂が全て丸く収めてやろう。セリア嬢のことは心配無用じゃ。さきほど『伝声鏡』でセリア嬢の叔父のバティストに知らせておいたから、すぐに国境まで駆けつけるはずじゃ。そこの三人のお嬢さんたちも、帝国の施設で大切に……」
(うん? ……なんじゃこの三人の雰囲気は! 後ほど『検験器』で正確に測定せねば……これもこやつの仕業か?)
アインズィードラの金色の双眸に射すくめられ、ブランシェはそっと目をそらす。
「ところでブランシェよ。お前はどのようにしてリエヴァンの大災厄から逃れたのじゃ?」
その問いに、ブランシェは小首を傾げた。
「はい? リエヴァンがどうかしたのですか?」
「お前……、知らぬのか!? リエヴァンが魔物に襲われて壊滅したことを……」
「――っ!!!」
ブランシェの思考が真っ白に染まった。
「ええぇ!! いつ!? それはいつのことですか!? わた、私は三日前に船でリエヴァンを出て、昨日帝国へ着いたんです!」
「ちょうどその三日前の出来事じゃ。間一髪じゃったということか……」
「そんな!? ひどい!」
セリアが悲鳴のような声を上げる。
(……また、失ったのか……)
乾いた砂を噛むような感覚が、ブランシェの口の中に広がっていった。
彼女にとって、リエヴァンは単なる生まれ育った場所ではなかった。確かに実の母親には疎まれていた。しかし、孤独だった前の人生にはいなかった仲間がいた。自分を命がけで守ってくれた祖母がいた。
ピカピカに磨いたステンドグラスに壁や床、そして街中を輝かせた鏡。それらすべてが、ようやく手に入れた『本物の生』の証だったのだ。
(……アルビナさん、あんまりじゃないか。せっかく、今度こそ、大切にしようと思っていたのに……)
視界が急速ににじみ、足元の乾いた土に、ぽつり、ぽつりと黒い染みが落ちた。
「……さて、ブランシェよ。泣き止んだら、行くかの」
アインズィードラが、優しく、しかし抗いがたい重みを持って、彼女の華奢な肩に手を置いた。
「……どこへ、ですか」
「決まっとるじゃろう。魔導の極み……いや、お前という『光』の真実を知る場所へじゃ」
やがて、セリアたちを乗せた馬車が遠ざかっていく。泣きじゃくるジゼルの声が耳に残る。
ブランシェは一度だけ強く目を拭い、かつて鏡を磨き続けたその手で、アインズィードラの差し出した漆黒の手を取った。
こうして、リエヴァンの『聖女』と呼ばれた少女は、帝国の深淵へと姿を消した。
――それが、後に大陸全土を揺るがす「最強の掃除屋」誕生の、静かなるプロローグになるとは、まだ誰も知る由もなかった。
小説を書くのは初めてでしたけど、なんとかここまでやってこれました。
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