第二十九話 巡察使
「ふあぁ……」
ウラリが大きくあくびをした。
「なんだかほっとしたら、急にすごく眠くなってきちゃったわ……」
育ち盛りの少女たちが、満足な食事も与えられず過酷な監禁生活を送ってきたのだから無理もない。加えて、先ほど膨大な魔力を一気に消費して初陣を飾ったばかりだ。全員、活動限界が近かった。
「ほらほら! 休むのは後! さっさと馬車の準備をするわよ!」
ブランシェは一刻も早くこの現場を離脱しようと、少女たちの尻を叩く。
「出発するって言ったって、どこへよ?」
「ここから北にある港町よ。そこから船で王国へ戻れば安全だから」
「ふ、船って……どうやって手に入れるのよ?」
「港へ行けばなんとかなるでしょ」
「あんたねえ……! ふふっ。まあいいわ。あんたなら、本当になんとかしちゃうかもね……」
ウラリとブランシェの漫才のようなやり取りを、ノラたちが優し気な表情で見守っていた。
――ふと、その時。
瓦礫と化した砦の外壁の向こう側から大勢の魔力反応の集団が急速に接近してくるのを、ブランシェは感知した。
(……魔導師が数十名? 帝国の正規軍……!?)
「我々は帝国典内院辺境警備巡察使だ! そこの白い魔導師! 大人しく降伏しろ!」
騎乗した数十騎の魔導師集団が砦を取り囲んできた。馬上から隊長らしき男が叫んでいる。
(……帝国典内院辺境警備巡察使だって? 降伏? 助けに来たんじゃないのか?)
「貴様がこのキュリンガー砦を急襲し、下級騎士たちを惨殺したことは先程命からがら脱出してきたザルツァ騎士長より直々に聞き及んでおる!」
(……はあ? ザルツァ騎士長ぉ? あの青痣のお頭のことか? さっき逃げて行った奴に一瞬で騙されてるのか? 国宝級の馬鹿なのかあの隊長は。やれやれ面倒だな……)
ブランシェが内心で激しい頭痛を覚えていると、隣にいたセリアが一歩前へ出た。
「巡察使様、違います! 私はロスナーサ王国、ルプスエトワール公爵家のセリア・オレリア・ド・ルプスエトワールです! 従者たちと共にアーヘンへ向う途上、この砦のミニステリアーレ達に襲われ、この砦に今まで囚われていたのです。それをこのリエヴァンの魔導師ブランシェに救助して頂いたのです!」
(……よく言ったぞセリア! 本来なら隠しておかなきゃいけないけど、こうなったら帝国当局に正式に保護を申し出て、王国からの捜索隊に繋いでもらうのが最善だ。ま、まあ惨殺したことは否定しないが……)
しかし、巡察使の隊長は鼻で嗤う。
「戯言を申すな! ザルツァ殿から貴様らは言葉巧みに讒言を弄する手合い。ゆめゆめ聞き入れてはならんと警告されておる! さっさと両手を頭の後ろに組んで跪け!」
(……まったく。どこの世界も役人ってやつは……。こうなったら仕方がない。やるしかないか)
ブランシェは深く落胆し、大きなため息をつきながら、静かに右手を前に突き出した。
◆◇◆
――数分前。
「助けて下さい! 我らはデュルンシュタイン辺境伯領、キュリンガー砦のヘルマン・ザルツァ騎士長です! 突然、正体不明の魔導師に砦を攻撃され、我々二人以外は……皆殺しにされました! とんでもなく凶悪な魔導師です。そいつのせいで砦は全滅してしまいました!」
命からがら砦を逃げ出したザルツァとアウェは、偶然にも、アインズィードラ魔導元帥からセリア捜索の密命を帯びた帝国典内院辺境警備巡察使イェルク二等巡察使正の部隊と遭遇し、『砦で起きた出来事』を詳細かつ歪めて報告したのだ。
「砦が全滅……!? ザルツァ殿。ご安心めされよ。私は帝国典内院辺境警備巡察使、イェルク二等巡察使正です。して、その凶悪なる魔導師は何故にそのような暴挙を?」
「わ、わかりません! 外見は、どこにでもいる少女の姿をしています。ただ、髪が真っ白で、瞳は血のように赤く、部下を殺戮する姿は魔物もかくやという有様でした。そいつが真夜中に、『帝都はどちらに行けばいいのか』と砦を訪ねて来るなり、不意打ちで部下を次々と手にかけ、最後は属性不明の極大魔法で砦の城壁まで破壊したのです!」
「き、極大魔法で砦の城壁を破壊ですと! 何とも面妖な話。魔物か魑魅魍魎の類いやもしれませんな!」
「その通りです! イェルク二等正殿は、王国の港町リエヴァンが魔物の襲撃によって壊滅した噂をお聞き及びでしょう?」
「なんとっ! そのような大事件が……!? 隣国とはいえ、それは知らなかった。本件と何か関係が?」
「実は……その白い少女も、リエヴァンから来たと口にしておりました」
「何と……!?」
「王国のリエヴァン同様、我が帝国にも魔物を攻め込ませようとする尖兵の可能性が極めて高いかと……!」
ザルツァの狡猾な誘導に、元々生真面目で硬直した思考のイェルクは完全にマインドコントロールされた。
「それは断じて捨て置けませんな! 我らが直ちにその魔導師を討伐しましょうぞ!」
「お気をつけください。相当な手練れです。我々は大至急、辺境伯閣下にこのことを報告せねばなりません。申し訳ないですが先を急ぐのです」
「おおっ! それは当然です。すぐ向かわれるがよい。辺境伯閣下にもよろしくお伝え願いたい。お引き留めして申し訳なかった」
「いえいえ、とんでもございません。……ただ、二等正殿、その白い魔導師は非常に口が回り、色々と讒言を弄すると思います。高貴な方の名を騙って同情を引こうとするかもしれませんが、どうか奴の言葉には、決して耳を貸しませぬよう。……では我々はこれで」
(……ふんっ。巡察使の馬鹿なんざ赤子の手をひねるより容易いぜ)
薄明りの闇を切り裂き、ザルツァとアウェは辺境伯の屋敷とは『真逆』の方向へと全速力で馬を走らせていた。
「さすがお頭ぁ! うまく誤魔化せましたね」
「まあな。巡察使程度でもあの白いガキの足止めぐらいにはなるだろうよ」
「えっ? ……足止めって、まさか巡察使たちがやられるって言うんですかい?」
「当たり前だろうが。トロールを跡形も無く消し飛ばすような化け物だぞ。巡察使ごときが何十人いようが、まともな相手になる訳ねえ。今思えば、あのガキはな、わざと俺たちに囚われていやがったんだわ」
その言葉を聞いたアウェは、砦でブランシェを蹴り飛ばし、あの深紅の瞳に睨まれた瞬間を思い出して身震いした。
「お……追ってきやすかね、あの化け物」
「あのガキは帝国に来たばかりのはずだ。土地勘のないあいつに巡察使どもの邪魔があれば、十分な時間は稼げるさ」
ザルツァは手綱を握り直し、冷酷に口元を歪める。
(まあ、万が一追いつかれた時は、アウェ、てめえを身代わりに時間稼ぎさせてもらうだけだがな。――それにしても、この後、辺境伯は色々とヤバいかもな。何しろ、王国の五大星公爵家の令嬢を自前の下級騎士が襲った挙句、奴隷扱いしてたんだからな。まああの領主もいろいろと潮時だったし、他の領主に鞍替えさせてもらうさ。俺一人助かれば、いくらでも立て直せる。この禁忌の遺物『魔獣の王笏』がある限りな)
激しい蹄の音を響かせながら、ザルツァとアウェはさらに速度を上げて遠ざかって行った。




