第二十八話 少女たちの初陣
(問題は、塔にいる二体のトロールだ。セリアが襲われた時の話と、さっきの男たちの話からすると、どうやらここのお頭はトロールを操れるらしい。そんな怪物を奴隷の逃走防止用に飼ってるわけない。外敵からの防衛用だ。となると、夜は番犬がわりに中庭に放してある可能性が高い。最初にお頭を潰せればいいんだが……)
地上へ出るための最後の扉が近づいてくるにつれ、ブランシェは違和感を覚えた。
(……おかしい。中庭の様子が、まったく『探知』できない……?)
扉の内側から中庭の魔物の様子を探知しようと集中するが、返ってくるのは不快なノイズだけ。まるで何も探知できないのだ。
(こんな感覚は初めてだ。頭の中が、真っ白な砂嵐になったみたいだぞ。だが、悩んでいても仕方ない!
――ええいっ、ままよ!)
勢いよく扉を押すと、すんなりと開いた。一瞬、静まり返った真っ暗な中庭が視界に入る。
(妙だな、本当に誰も――っ!?)
「――ヴォルガァァッ!!」
ブランシェとセリアが中庭に足を踏み入れた瞬間、死角から空間を裂く轟音と共に、巨大な質量が振り下ろされた。
――グヮッシャーン!!!
凄まじい衝撃波。ブランシェが念のため発動していた『光子透過迷彩』の残像を突き抜け、トロールの骨棍棒が地上への出口を文字通り「粉砕」した。
天井が崩落し、巨石と瓦礫が完全に通路を埋め立てていく。
(しまっ……! 地下の気配が完全に遮断された……!? ノラ、ウラリ、ジゼル……みんな無事なのか!?)
間一髪で直撃こそ躱したものの、崩れた瓦礫によって、地下に残した仲間たちと完全に分断されてしまった。
砂煙が舞う中庭に、不気味な足音が響く。
「おいおい。何事だ? トロールどもが騒がしいから来てみれば……。
――おいお前! どうやって監禁部屋から出た?」
中庭の中央。ランタンの灯りに照らされて現れたのは、青痣のお頭と、ブランシェの「殺すリスト第一位」のアウェ。その後ろには、剣を抜いた三人の甲冑姿の男が冷酷な笑みを浮かべて立ち塞がっていた。
「わざわざ夜中に鍵を持ってきてくれた、親切なお仲間がいたとしたらどうかしら?」
「ちっ! 大方またレプゴーの野郎だろ。あの間抜けが不覚を取ったとはいえ、ただのガキがミニステリアーレをどうにかできるわけねえ……お前、魔導師か?」
「ついでに教えてあげる。お前の部下たちは、地下で先にお寝んねしてるわ。――永遠にね!」
ブランシェは不敵に微笑み、青痣のお頭を思いっきり挑発してやる。
「最初の見立てどおり、いい度胸してやがる。だがな、お嬢ちゃん。残念だが少しばかり魔法が使えたところで、トロールの相手は無理だ。俺は今まで、大口叩く魔導師どもを何人もトロールに踏み潰させてきたんだよ」
青痣のお頭は、中庭の中央にある石の台座から、奇妙な『笛』を手に取った。それを口元に当てて息を吹き込む。
(――っ! これだ、さっきから頭の中に流れ込んでくる砂嵐の原因! あの『笛』が光子を攪乱してるんだ!)
人間の耳には何も聞こえない。しかしブランシェの知覚の中では、その『笛』から放たれる目に見えない凶悪な波動が、大気中の光子を激しく攪乱していた。
「グガァァオォォォッ!!」
『笛』の波動に宿る狂気に当てられ、巨大なトロール二体が咆哮を上げながら、ゆっくりとブランシェたちへ歩みを進めて来る。
(なるほど、そういう仕組みか。あの『笛』が魔導具なんだ! おそらく、魔物の脳か魂に直接作用する波動を出しているんだろう、その副作用として光子が乱されている。……でも、迷ってる暇はない! 早くトロールを片付けてノラたちを助けにいかないと、上の見張りが地下へ回り込んでしまう。一気に決着をつけるしかない!)
「セリアっ! 行くわよ!」
ブランシェは声を張った。トロールの圧倒的な質量と、目の前で従者たちを惨殺されたトラウマを前に、真っ青になって身を竦ませているセリアを強く鼓舞する。
◆◇◆
「きゃああああっ!」
地上へ出ようとしたその頭上。トロールの一撃によって崩落した天井から、巨大な瓦礫の雨が降り注ぐ。
三人が逃げ場のない死を覚悟したその瞬間、ノラの全身が蒼く輝いた。
(……何もかも諦めて、受け入れるのはもう嫌! 私はこの子たちを絶対に守る。ブランシェが言ってくれたもの。みんなと一緒に堂々とここを出るんだって!)
ノラの体内を流れる魔力の清流が、一瞬にして「結晶」へと姿を変える。
吐息が白い霧となり、ノラの周囲だけ時間が止まったかのような静寂が訪れた。心臓の鼓動さえも凍りつくような極冷の波動が、指先を通じて外の世界を純粋に「拒絶」する。
「――『アイズィゲ・ヴェルト(凍てつく世界)』!」
ノラの足元から、大気を凍らせながら巨大な氷の柱が幾本も突き上がった。それは三人を包み込む堅牢な氷のシェルターとなり、落下してきた瓦礫をすべて受け止め、ピキピキと音を立てる美しい結晶の天井へと変えてしまった。
ノラは白く凍った自らの指先を眺め、愛おしそうに笑った。
「ノラ姉……! すごい、助かったんだね……!」
頭を抱えて蹲っていたウラリが、結晶の鳴る音がする天井を眺めながら感心する。
「お姉ちゃん! わるものが、あっちからくるよ!」
ジゼルが指さす通路の奥から、五人のミニステリアーレが駆けてきた。出口を塞がれた三人の少女を見て、男たちは下卑た余裕の笑みを浮かべる。
「観念しな! 袋のネズミだぜ!」
「お嬢ちゃんたち、おイタが過ぎるんじゃねえか? お仕置きが必要だな」
「レプゴーじゃねえが、ちょっと可愛がってやるぜ!」
ゲスな笑みを浮かべながら五人がじりじりと距離を詰めてくる。
「わるもの飛んでっちゃえ!」
ウラリが止める間もなく、ジゼルが突っ込んでいった。その小さな身体の周りで、鋭い小さな竜巻がまるで生き物のように飛び跳ねる。ジゼルから放たれた空気の刃が、先頭の二人を容赦なく吹き飛ばし、壁に叩きつけた。しかし、そのまま勢い余って男たちの前に転倒してしまうジゼル。
「くっ! クソガキが、妙な真似しやがって……!」
激高した男が、転倒したジゼルを捕まえようと手を伸ばす。――その瞬間、男の右腕が根元から焼き切れた。
「がはぁっ! ぎゃゃゃぁぁあああ!?」
「触らせない! お前らにはもう、絶対その子を傷つけさせないんだから!!」
ウラリの瞳が、怒りで紅蓮に染まる。
「――『フラメン・ヒンリヒトング(劫火の処刑)』!」
三人の男たちの足元から、超高熱の炎が爆発的に噴き上がった。それは一切の悲鳴すら許さず、男たちの肉体を肉が焦げる臭いすら残さぬ灰へと変え、一瞬で消し去った。
一瞬にして仲間が消滅した光景に、壁に叩きつけられて生き残っていた二人の男が、泣きながら命乞いをする。
「……お願い、た、たすけて……」
その情けない姿を、ノラが冷たい瞳で見下ろしながらゆっくりと近づく。
「その言葉……ここへ来てから、私たちも、何度も言ったわ」
「ゆ、……許してくだ、さ――」
「あなたたちの罪も、その穢れた魂も……すべて、底の知れない泥濘へ」
ノラの背後から、光を吸い込むような闇の濁流が溢れ出した。
「――『アプグルンツ・フェアゼンケン(深淵への沈没)』!」
不気味な黒い水が男たちを包み込み、引きずり込んでいく。断末魔の叫び声さえも水泡へと変えられ、完全に消滅した。通路には静寂だけが戻る。
「あいつらがあっちから来たってことは、別の出口があるってことよね?」
ウラリがジゼルをそっと抱きかかえ、衣服の汚れを払ってやりながら、ノラの元へ合流する。
「ええ、急ぎましょう! ブランシェたちのところへ!」
お互いの無事と強さを確信した三人の少女は、もう怯える奴隷ではなかた。軽やかな足取りで、奥の通路へと駆け出していった。
◆◇◆
「セリアはそっちのトロールを! あっちのは私がやるから!」
「ゴルァアア!」
迫りくるトロールの圧倒的な巨躯。地響きと共に、セリアの脳裏にあの日の絶望が鮮烈に蘇る。メートルが引き裂かれ、血の海に沈んでいったあの光景が。
「……いや、来ないで……ッ」
ブランシェに引き出してもらったはずの魔力が、恐怖で散り散りに霧散していく。頭の中に響くのは、トロールの咆哮と、――『家名を汚すな! 無能が!』という父の冷たい罵声。
「セリア……!」
その時、ブランシェがセリアの前に飛び出してきた。背後から迫るもう一体のトロールには目もくれず、ただ真っ直ぐにセリアだけを見つめ、優しく微笑んだ。
(駄目っ! ブランシェがメートルのように殺されちゃう……!)
「――私のせいで、誰かがいなくなるのは、もう嫌なの!!」
セリアの魂の叫びに呼応するように、空気が軋むような高周波と共に、セリアの全身から禍々しいまでの紫の放電が爆発的に噴き出した。凄まじい電磁のプレッシャーに、突っ込んできたトロールさえも本能的な恐怖で足を止め、距離を取る。
「再生が追いつかないほど――一瞬で、塵にしてあげる……ッ!」
セリアの瞳が、気高き雷霆の紫に染まる。
「――『エクレール・ヴィオレ(紫電)』……ッ!!」
指先から放たれたのは、細く、鋭く、そしてどこまでも美しい青紫の奔流だった。
闇を切り裂いた絶対的な高電圧は、『笛』の力で劇的に跳ね上がっていたトロールの超回復すら置き去りにして細胞を分子レベルで焼き尽くし、その巨躯を瞬く間に光の塵へと変えていった。
それは、失ったメートルたちへの鎮魂、自分を縛り続けた父への決別であり、彼女が自分の人生を自分で選び取った、「解放の光」だった。
「……勝てたよ、ブランシェ。私、もう独りじゃなかったから」
「やったね! セリア!」
トロールのいた場所には、焼け焦げた大地の匂いと、肺の奥まで清めるような濃密なオゾンの残り香だけが漂っていた。
「なっ……なんだとっ!? 馬鹿な!」
中庭の中央で、青痣のお頭こと、ミニステリアーレのボス、ヘルマン・ザルツァが驚愕に顔を歪める。
(ルプスエトワールのガキも魔導師だったのか!? トロールを丸ごと消滅させやがった! じゃあなんであの時に……? クソッ、こうなったらすぐに損切りだ!)
形勢不利と悟ったザルツァは残った一体のトロールをブランシェたちへの盾として突撃させると、部下たちに自分の周囲を固めさせながら、中庭の隅にある厩舎へと一目散に走りだした。
「このっ! 逃がすかっ!」
ブランシェは、残った一体のトロールと、逃走を図るザルツァたちが一直線に重なるタイミングを見計らい、力強く右手を突き出した。
手のひらの前に、幾何学模様の精密な魔法円が幾重にも重なって展開され、夜の暗闇を一瞬で塗り替えるほどの純白の光が収束していく。
「何かやべえぞ、あれは――ッ!」
ザルツァが本能的に危険を察知し、盾にするように部下の三人を前に押し出し、地面に突っ伏した。慌ててアウェもザルツァにしがみつく。
「――『光子爆砕』!!」
ブランシェの指先から、閃光が放たれる。針のように細く鋭い「白い光の糸」が、音もなくトロールの巨躯を、そして背後の部下たちを紙切れのように貫き、そのまま砦の外壁をも穿つ。
一瞬の静寂。
貫かれた点から、ピキピキと無数のひび割れが走り、そこに「白い光の血管」が浮き上がる。数秒の沈黙の後、 内側に凝縮された光子エネルギーが臨界点を突破し、火山の噴火のごとく大爆発を起こした。
――ズガガガガァーン!!!
堅牢だった砦の壁が、消し飛んで巨大な大穴を開ける。断面は熱で赤熱し、キラキラした光の粒子が火山灰のように美しく舞い散っていた。
光の奔流に呑まれたトロールと部下三人は跡形もなく消滅した。――しかし、地面に転がった、ザルツァとアウェはなぜか無傷だった。
「は、……はあっ!?」
ザルツァは冷や汗を流しながら、信じられないものを見る目で大穴を見つめた。
(とんでもねえ化け物だ! 砦に大穴を開けやがった……。で、なんで俺様は無事なんだ? いや、そんなことは今はどうでもいい)
ザルツァは今や操る魔物がいなくなった『笛』を懐に大事にねじ込むと、ガタガタと震えるアウェの首根っこを掴んで、厩舎へと再び走り出した。
「……これ、本当にブランシェがやったの?」
「あんた、ホントにやるなんて頭おかしいんじゃないの!?」
砂煙の向こうから、丁度地上へ這い出てきたノラたちが、抉り取られた砦の惨状を見て開いた口が塞がらない様子で呆れていた。
「ノラ! みんな、無事だったのね!」
ブランシェとセリアが相好を崩して駆け寄り、少女たちは泥と埃に汚れながらも、お互いの無事を確かめ合うように強く抱き合った。
「だから、楽勝って言ったでしょ?」
「ばか! こっちは地下で死にかけたんだからね!」
ほっとしたのかウラリが涙目で毒づきだした。
「ジゼルも、みんなとギュッってするの〜!」
無邪気に飛び込んでくるジゼルを抱きとめながら、ブランシェはふと我に返る。
(んっ? ……ちょっと待って、青痣とアウェはどこへ行った……?)
砂嵐が消え去った頭の中でブランシェは再び『光子探知』を広げ、消えた二人の「廃棄物」の気配を探った。
「ヒヒィィィン!!」
厩舎の方向から、激しい馬の嘶きと猛烈な蹄の音が響き、遠ざかっていく。
「あいつら! 馬に乗って逃げる気だ! 追わなきゃ!」
大穴の瓦礫の向こう側に遠ざかっていく二人の気配を感知し、咄嗟に追いかけようとするブランシュ。しかし、その小さな手をノラが優しく引き留め、首を左右に振った。
「もういいじゃない、ブランシェ。私たちここから出られるのよ」
「でも、あいつらがセリアの大切な人たちを……ノラだって、あんな酷い目に……っ」
「いいのよ、ブランシェ。私たち全員が無事脱出なら『大成功』でしょ?」
セリアが穏やかな笑みを浮かべ、ノラ、そしてウラリの手をそっと握りしめた。
「ちょっ、あんた何勝手に手繋いできてるのよ! 離しなさいよ!」
「ジゼルはセリアのこと、だーい好きだよ~」
「ほら、ウラリも。自分の気持ちには素直になりなさいよ」
「う、うるさい!」
赤くなって顔を背けるウラリを見て、ブランシェの胸に温かいものが広がる。
(……よかった。ようやくセリアも、みんなと打ち解けられたみたいだ。これからのことも、みんなで相談しなきゃ)
「よーし! それじゃあこれから、みんなでセリアの家にお邪魔しちゃおう!」
「ね、ねえ……ブランシェ」
急にかしこまった様子で、ウラリがブランシェの手をきゅっと握りしめてきた。その大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出す。張り詰めていた感情が一気に決壊したようだった。
「ジゼルのこと……本当に、本当にありがとう。あの子と一緒に、生きてここを出られるなんて……私、本当に無理だと思ってたから……っ」
「いいよ、そんなこと。それより、これからの明るい未来のことを考えましょ」
「お姉ちゃん、泣き虫~」
「もうっ、ジゼルはうるさい!」
「うふふふふ!」
「あはははは!」
東の空から白々と、けれど確かな暖かさを持って朝焼けの光が差し込んでくる。
長い間、冷たい絶望の檻に閉ざされてきた少女たちの、鈴を転がすような澄んだ笑い声が、夜明けの砦にいつまでも響き渡っていた。




