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第二十七話 脱出の火蓋

 ――その夜。

 静寂に包まれた地下牢の廊下に、ペタ、ペタと、極力足音を忍ばせた足音が響いてきた

 やがて前室の鉄格子の向こうから、ゆらゆらと揺れるランタンの光が近づいてくる。

 

(……本当に来たな。ウラリの言ったとおりだ)

 

 ランタンの逆光のせいで男の表情は見えないが、暗闇に浮き上がるシルエットからあの小太りのレプゴーだとわかる。

 

 ウラリによれば、この男は、ジゼルに大けがを負わせたあと、それが原因かはわからないがしばらく姿を見せていなかったらしい。今日わざわざ食事を持ってきたのは、新入りの『白いガキ』に興味を持ったからで、今夜必ず現れるに違いないとのことだった。

 だから、対策として、前室にはブランシェだけが眠り、後の四人は奥の間で固まって眠ってもらうよう指示した。ノラは強く反対したが、「絶対に大丈夫だから」と説得して奥の間に寝てもらった。これはウラリの話を聞いてブランシェが立てた『害虫駆除』の作戦だった。

 

(……明日を待たず、わざわざ鍵の方から来てくれるとは……手間が省けて助かる)

 

 レプゴーがランタンを高く掲げると、鉄格子の隙間から漏れた光が磨き上げられた白い壁に何本ものストライプの影を落とし、ゆらゆらと不気味に揺れた。

 前室のマットレスで寝ているのがブランシェ一人だけだと確認すると、男は下卑た笑みを浮かべ、素早く鍵を開けて前室へと、するりと侵入してきた。マットレスの足元を照らすランタンの光が腰に付けた鍵束に反射してキラリと光る。

 

 レプゴーはブランシェの細い足を乱暴に蹴って声を潜めて耳元で囁いた。

 

「おい、静かにしろ。起きて俺に付いてこい」

 

(……連れ出すってそういう? 好都合だ、せっかく向こうから鍵を奪うチャンスをくれたんだ。とりあえず言うとおりにしておくか)

 

 ブランシェは、男に手を引っ張られて廊下に出された。レプゴーは背後で鉄格子に素早く鍵をかけると、そのままブランシェの手を引いて廊下を歩き出した。

 廊下の左右には同じような監禁部屋がいくつか並んでいたが、すべて空き室のようで人の気配はない。

 少し離れた並びにある、別の監禁部屋の前まで来ると、男は乱暴に扉を開けて、ブランシェの身体を中へ強引に引きずり込んだ。

 ブランシェたちがいる部屋より一回り小さく、真ん中に薄汚れたマットレスがぽつんと一つだけ敷いてあった。

 

 男は無言のまま、ブランシェをマットレスの上へと乱暴に突き飛ばした。

 

「うわわっ!」

 

 さすがのブランシェも、全身に凄まじい悪寒と気分がひっくり返るほどの嫌悪感を覚えた。ランタンの鈍い光が、暗闇の中で薄汚れたマットレスの輪郭だけを浮かび上がらせていた。

 

「……おい、無駄な抵抗はすんなよ。金髪の子は、仲間の命と引き換えに……俺の言うことに何でも従ったよ」

 

 ――っ!!!


 その言葉を聞いた瞬間、彼女の脳内で、何かが決定的にブチ切れる音がした。


(ウラリは気づいてなかったんだ……。きっとノラはウラリたちのことを守るために……それを、この男は……!)

 

「――この、人間の形をした廃棄物野郎が! この世から消え失せろっ!!

 ――『光子根絶フォトン・イラディケイション』!」

 

 両手の指先から、一切の音も、一切の慈悲もない、絶対的な『純白光』が解き放たれた。

 声を上げる時間すら、与えない。


 ――ッッッ!!!


 まばゆい光の奔流に包まれた瞬間、レプゴーの肉体、衣服、そしてその下劣な魂に至るまで、すべての生体細胞の分子構造が強制的に断ち切られて、蒸発していった。一粒の光も残さず、根こそぎ消し去られた。

 

 ――チャリン!

 

 何も残っていない石床にレプゴーが腰にぶら下げていた鍵束だけが落ちてきた。

 

 ブランシェは、初めて人を殺した。リエヴァンの時は泥人形ゴーレムだった。しかし、不思議と人を殺してしまった罪悪感は微塵も湧かず、排除しなければならない『究極の汚れ(廃棄物)』に対する絶対的な嫌悪感の方が強かった。


 ブランシェは少しぎこちない動作で、床に落ちた鍵束を拾い上げ、ノラたちのいる監禁部屋へ戻った。

 

「ブランシェ! 大丈夫だったの!?」

 暗闇の中から、ジゼル以外の三人の少女が飛び出してきた。

 

「――『光子微光フォトン・グロウ』!」

 

 ブランシェが灯した暖かな光が、少しだけ疲弊した彼女の横顔に深い陰影を落とす。

 

「……なんだ、みんな起きてたんだね」

「当たり前でしょ! あいつがブランシェを連れ出すのが見えて……心配で、生きた心地がしなかったんだから……!」

 

 ウラリが涙目のまま、縋るように近づいて来る。ブランシェは手元の鍵束を軽く鳴らした。

 

「……殺したわ」

 

 しばしの沈黙の後、ノラが黙ったままぎゅっとブランシェを抱きしめてきた。

 

「……ブランシェがやらなかったら、私が焼き殺してやったわ! あんな奴……っ!」

 

 ウラリが怒りに身を震わせる。しかし、ノラだけはブランシェの小さな肩を抱きしめたまま、その白銀の髪を優しく撫でた。

 

「ブランシェは何も悪くないわ……」

 

 震えるノラの声。

(……ノラ。すごく辛かったろうに、優しくしてくれるなんて……)

 

 ブランシェは、ノラに残った最後の「汚れ」を本人にすら気づかれないようにそっと消し去った。それは単なる治療ではない。不純物を分子レベルで分解し、その肉体を、誰にも侵されていない生まれたままの純粋な質感へと「初期化リストア」する、ブランシェなりの極限清掃だった。

 

「おかげで、鍵が手に入ったわ。あいつが戻らなかったらじきに騒ぎになるわ。……真夜中のうちに脱出作戦決行よ!」

 

 セリアがブランシェの手を強く握りしめてきた。

「あいつも仇のひとりだったわ。ブランシェありがとう!」

(……セリアも従者たちを皆殺しにされた……。ジゼルもあのままだったら確実に死んでた……。この砦の奴ら一人残らず……「廃棄物」だ!)

 

 ブランシェの中で改めてミニステリアーレたちへの殺意が沸き上がってきた。


「よしっ! 行くわよ! 計画はみんな頭に入ってる?」

「い、一応はね……」とノラがためらいながら頷く。

「計画ねえ……」とウラリがジト目を向ける。

「……!」セリアが静かに頷いた。

「――ジゼルはけいかくきいてないよ!」

 

 さっき起きたばかりのジゼルがぽつりと言うと、みんなの緊張が少しだけ和らいだ。

 

「ま、まあ、私が先頭で進むから、あなたたちは後ろから付いてきて」

 

 ブランシェたちが、レプゴーが消滅した部屋を通り過ぎて、廊下を真っ直ぐ進むと、地上へと続く左回りのスロープが見えてきた。その上方からゆらゆらと松明の灯りが近づいてくる。

 

(……もう、様子を見に来たのか……早いな)


 ブランシェはためらうことなく、指先を向けた。

 

「――『光子神経焼灼フォトン・ニューロ・バーン』!」

 

 スロープの上の男は、中身の綿が抜けた人形のようにスロープを転がり落ちてきた。痙攣すらせず、ぐったりして動かない。

 

「ひっ! ブ、ブランシェ……!?」

 

 あまりの一瞬の出来事に、ウラリがブランシェの服の裾を震える手で掴む。

 

「大丈夫。神経を焼き切ったわ。他の連中は気付いてない」

「そ、そうね……本人も自分が死んだことに気が付いてないんじゃない?」

 

(……これで二人。分子レベルの消却は魔力を食うからな、これからは温存していこう。どのみちこいつらは全員セリアの仇だからな。許すつもりはない)

 

 ブランシェから立ち昇る殺気でみんな無言になった。スロープを上がりきると、一直線の地上への通路に出た。ここを抜ければ出口だ。

 ブランシェは『光子探知』を広げる。ワイヤーフレームの3D映像が頭に浮かんでくる。廊下の両側には部屋が二つある。

 右側の部屋は無人。左側の詰所には、廊下に面した部屋に起きている男が二人、さらに奥の仮眠室に六人。


 左の部屋の薄い壁越しに、下品な話し声が漏れていた。

 

「それにしてもレプゴーの奴ずいぶんと遅えな。ガキのとこへ行ったきりじゃねえか」

「さっきハウゼンが見に行ったからそのうち一緒に帰って来るだろ」

「しかし、レプゴーの野郎、新入りの白いガキにずいぶん御執心だったじゃねえか。あんな気持ち悪いのどこがいいんだ?」

「まア、でも見た目は結構上玉じゃねえかな〜」

「いや、いや~絶対気持ち悪いって~」

「でも、あの『白変種』相当高く売れそうらしいから、手を出したらレプゴーの奴、今度こそお頭にトロールの餌にされちまうぜ」

「そんな気味の悪い奴隷の話じゃなくって、俺たちが襲った貴族のガキが居ただろ? そのガキの家からたんまり身代金をぶんどるって話も出てんだよ」

「確か、アンファングの港湾役人が、王国の貴族のガキが極秘で、ほとんど護衛もなしに辺境伯領を通るって情報をお頭に売り込んできて、慌てて待ち伏せしたんだったな」

「魔導師のジジイに三人バラされちまったけど、トロールのお陰ですぐ片が付いちまった。あんときのお付きの女、最後舌を噛んで死んじまいやがった。全く惜しいことしたぜ」


 ――ピシリ、とブランシェの隣で、セリアの纏う空気が変わった。

 

「まっ、トロールを二体も操れるお頭がいる限り俺たちゃあ無敵だ……。――しかし、いくら何でもあいつら遅すぎるな。俺ちょっと見てくらあ」

 

 男の一人が立ち上がり、扉の方へ向かって歩き出す。その足音が扉に近づいた瞬間、ブランシェは冷徹に引き金を引いた。

 

「――『光子神経焼灼フォトン・ニューロ・バーン』!」

 

(……セリアの前で、よくもそんな胸糞悪い話を……。やっぱりこいつらは世の中の『ゴミ』だ)

 

 扉の向こうの二人だけでなく、奥で寝ていた六人の脳へも同時に光子を叩き込み、完全に神経を焼き切った。どさどさと、肉体が床に崩れ落ちる音だけが響いた。


 ブランシェは冷たい瞳のまま、かすかに震えるセリアの肩にそっと手を置く。


(……あと、十人)

 

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