第二十六話 作戦会議
地下牢の間取りは二間構成になっていた。
廊下側に鉄格子の扉がある「前室」と、ジゼルが臥せっていた「奥の間」だ。前室と奥の間の中間にも鉄格子のついた扉があるが、鍵もなく開け放されたままだ。
砦が機能していた時代には、捕虜を奥の間へと監禁し、前室で看守が常時監視を行っていたのだろう。
しかし、今では野盗もどきのミニステリアーレたちが勝手に奴隷の監禁部屋として使っているため看守もいないのだ。
床は冷たい石床で、どこかの屋敷で使い古されたボロボロのキャンバス生地のマットレスがいくつか転がっている。半円状のドーム型の天井は、長い年月の黒い煤で汚れていた。壁にはかつて捕虜の拷問や拘束に使ったのか鉄のリングが不気味に埋め込まれている。幸い彼女たちに使われた形跡はなかったが……。
さらに奥の間の隅には申し訳程度の板で仕切られただけの暗渠があり、黒ずんでカビの生えた木製の蓋が置かれていた。ここで用を足さなければならなかった彼女たちの屈辱はいかばかりか……。
(さてと……。まずはこの暗渠から片付けるとするか)
ブランシェが木蓋を開けて、細長くて暗い暗渠を覗き込むと、さらに奥の闇に鉄格子が見えた。中からは汚水の流れる音と共に、強烈な悪臭が立ち上ってくる。持ち上げた木蓋はカビか苔で汚れていて。ぬるぬるとした最悪の手触りだった。
(ここで数日間過ごした彼女たちって……すごいな)
ブランシェは、即座に最大出力の光子分解洗浄を発動させる。光子が暗渠の内部にこびりついた排泄物や雑菌を、分子レベルで一瞬にして分解、蒸発させていく。もちろん暗渠自体は言わずもがな、外部の川へ通じる長い地下水路に至るまで、悪臭の原因を完全に「沈黙(殺菌)」させた。
(天井、壁、床、全部ひどいものだ。家畜小屋が高級ホテルに思えるくらいだ。……よし、チマチマやるのは面倒だ。全部まとめて一遍にやるか!)
(――範囲指定、地下牢全域! 天井の黒煤、硝石、汚水の染み、歴代の囚人たちが残した壁の汚れ、下品な落書き、床の泥、脂、腐汁その他不衛生な汚れ全部!)
「――『極高圧光子剥離』!」
ブランシェの小さな身体を中心に、地下牢の暗闇を消し飛ばすほどの、凄まじい純白の光が一閃、爆発的に輝いた。
(……うんうん、いいぞ! どんなに汚れた場所であっても、掃除を徹底すればそこは神聖な場所になる。掃き清めれば神だ!)
そこにはかつての陰惨な地下牢の姿はなかった。
天井も壁も石床も、まるで昨日切り出したばかりの大理石のように白く美しく磨き上げられて、清々しい空気に満たされていた。
「あっ、女神さまだ! お姉ちゃん! やっぱりほんとうにいたよ!」
ブランシェがピカピカの壁を眺め、仕事終わりの充実感に浸っていると、突然、後ろから大声がする。
振り返ると、奥の間からウラリとジゼルの姉妹が揃って起き出してきたところだった。
「な、何よ……この部屋!? 一体どうなってんの!? ……これ、またあんたの仕業なわけ?」
ウラリが、塵一つない『究極清掃された元・地下牢』を見て目を丸くしている。
「だからお姉ちゃん! 女神さまのおかげなんだってば!」
「あんたはややこしいからちょっと黙ってなさい! ブランシェに聞いてるんだから!」
ウラリがジゼルの頭を後ろからぺしっと叩く真似をする。
(やれやれ、一気に騒がしくなったな……。まあ得意先からのこんな反応も悪くないけどね)
「ジゼル、まだ、どこか痛いところや具合の悪いところはある?」
「ううんっ! 女神さまが、ぴかーってしてくれたからジゼルもう痛くないよ!」
ジゼルが小さな手足を大きく動かして、子供らしく身振りを加えて元気に説明してくれた。
「そう。よかったわ。あとね、私は女神じゃなくてブランシェよ」
「ブランシェ……さま?」
「様もいらないよ」
「わかった、ブランシェ! ――じゃあ、ぎゅーってしていい?」
ジゼルは両手を大きく広げると、満面の笑みで突進してきた。
「い、いいよ……。――って、くるしっ……」
「本当に、夢みたいだわ……。こんな風にまた元気になるなんて……。ありがとう、ブランシェ。本当に、本当に……っ」
涙ぐむウラリによって、しがみつくジゼルを引き剥がしてもらう。
その騒々しさに眠っていられなくなったのか、それともタイミングが皆同じなのか、ノラとセリアも起き上がって眠そうに目をこすっている。
「――えーっと。みなさんお揃いのようで。寝起きのところ今のご気分はいかがですか?」
「……冷たくて、とても静か。私の中に泉が湧き出たみたい……」
ノラがうっとりとした表情で、胸元に手を当てて呟いた。
「なんだかとにかく熱いわ! でも不思議と怖くないの……。あいつら全員焼き尽くしてやりたい!」
ウラリの瞳が、内なる激情を宿して紅蓮に輝く。
「すごいよ! 体がふわふわして飛んでっちゃいそう!」
ジゼルが部屋の中を楽しそうにびょんびょん駆け回っている。
「……お父様の声……もう聞こえないわ」
セリアもまた、これまでのように無気力で怯えた様子は全くなくなっている。
「よろしい。まだしばらくは、急激に目覚めた魔力に肉体が慣れるまで時間がかかると思うけれど。焦らずに、徐々に身体を鳴らして行けばいいから」
「で、これからどうするつもりなの?」
ウラリが、はやる気持ちを抑えきれずに尋ねてくる。
「みんな揃って、ここを出ていきます」
ブランシェの迷いのない言葉に、みんな唖然として彼女を見つめた。
あまりにも渇望し、同時にあまりにも絶望的だと諦めていたことを、唐突に、ブランシェが平然と口にしたからだ。まるで一泊した宿屋から翌朝、家に帰る普通のことのように。
「ちょ、ちょっと待って! あんたふざけてるの?」
「いいえ、ウラリ。大真面目よ。私に完璧な計画があるの。――さあ、今から奥の間で作戦会議よ」
ブランシェは廊下に面した前室で計画を話すのは憚られたので一同を奥の間へ誘った。
奥の間は、あの暗渠のある部屋だが、光子分解洗浄のおかげで暗渠の闇の底から聞こえる水流の音すら、清らかで心地いい。
壁に穿たれた細い隙間からの漏れ光が、日が暮れかけていることを伝えていた。
ブランシェは、部屋の中央へと進むと、ポケットから「鏡の破片」を取り出して、床にそっと置いた。
「みんな、目をつぶらないでね。少しだけ『視界』を借りるわよ」
ブランシェの細い指先から、鋭い一筋の光が破片に照射される。
「――『光子空間投影』!」
鏡の破片の表面から白い光子の霧が噴き出し、一気に部屋全体へ広がった。
「はへ……っ!?」
ウラリが素っ頓狂な声を上げる。
次の瞬間、地下牢の奥の間が、一瞬でかき消えた。
地面の土の質感、城壁に生い茂る苔、高い塔の位置、そして周りを歩くミニステリアーレたちなど、生々しく再現された『中庭のど真ん中』に、全員で立っていた。
「何これ……!? 景色が動いて、頭がクラクラするわっ!」
「すごぉい!…… これ、本物なの!?」
ジゼルが足元に生えている地面の草をむしり取ろうとしゃがみ込んだのを、やめさせようとウラリもかがんだ。
その時、映像の中のブランシェがアウェに後ろから激しく小突かれたせいで映像全体がグラリと揺れた。
「お、おえっ! 気持ち悪っ!」
「まあっ! ウラリったら、大丈夫?」
視界の急激な揺れに酔ったのか、ウラリがノラに背中をさすってもらってる。
「あ、そこ大丈夫かな?」
ブランシェは気を取り直して、中庭の映像の続きを映し出して説明を続ける。
「今、みんなに見えてるのは、私が今日ここへ連れて来られたときの記憶映像よ。この経路を逆に行けば迷うことなく地上の出口まで簡単にたどり着けるってわけ」
ブランシェはホログラムの映像を見つめる一同へ向けて、淡々とプレゼンを続けた。
「……じゃあ、作戦を言うわね。中庭の真ん中にある地面からせり出してるのがここの地下室の入口。そこを出たら、真っ直ぐ中庭を突っ切って突き当りの大きな門が出入口よ。元々城塞か砦として作られてるから出入口はここだけよ。こっちの高い塔には番犬がわりの森巨人が飼われてるわ。この砦のミニステリアーレの総人数は、ざっと二十人。トロールが二体よ。それでね……」
「ちょっ! まっ! トっ、トロールって!? 絶望的じゃない! こっちは全員子供なのよ!」
ウラリが血相を変えて割り込んできた。
「ねえウラリ。最後までちゃんと聞きましょう。ブランシェは作戦があるって言ってるんだから」
「あーっ、そこ、御静粛に。えーっと、この砦には全員で二十人いるところまで話したかしら。ここに映ってるように、高い壁の上が通路になっていて、常に三人ぐらいが上から見張りをしてるから、ノラとウラリ、それにセリアたち三人で、まずはこいつらを倒してほしいの」
「……は?」
「ジゼルはちっちゃいからウラリが面倒みててあげてね。壁の上の見張りは全員クロスボウを持ってるから射殺されないよう気を付けるのよ。残りの十七人は、私が全部やっつけてから門の扉を壊すから、その隙にみんなで厩舎から馬車を拝借して脱出するってわけ。……あと、トロールは私とセリアで倒すから。セリア、悪いけどそのうちの一体はあなたに任せるわ。――ね、完璧でしょ?」
ブランシェの「作戦」を聞いてウラリが再び吐き気をこらえている。
「お、おえぇぇ……っ! 黙って聞いて損した! 普通、こういうのって闇夜に紛れてこっそり見張りの目を盗んで逃げるとかじゃないの!? 敵を全員力づくで全滅させるって……? それのどこが『作戦』なのよ!?」
「私も……少し無謀だと思うわ。そもそも、中庭までどうやって出るの? 鍵の掛かった扉がいくつもあったと思うし、それに、もし中庭まで出られたとしても、二十人もの甲冑を着た大人とトロールをどうやって!?」
ノラとウラリから容赦のない激しい正論が突っ込まれる。セリアも、トラウマであるトロールを任せると言われて青ざめている。
(……まあ、本当のこと言うと、作戦なんてなくても俺ひとりいればなんとかなるんだけど……。それでも彼女たちには……)
ブランシェは少女たちの顔を一人一人見つめた。
「そうね……みんなの言うこともよくわかるわ。ただ、今まであいつらに酷い目に遭わされて、たくさん泣かされてきたあなたたちだからこそ……私は、あいつらを叩きのめして堂々と正面の扉から出て行ってほしいの。隠れて逃げるんじゃなくて、最悪の過去を断ち切って新しい人生を生きるのよ。あなたたちはもう立派な魔導師なんだから。あいつらと対等以上に戦えるわ。楽勝よ、楽勝!」
ブランシェが小さくガッツポーズのような仕草をして見せると、ウラリが胡散臭そうな目を向けた。
「……じゃあ、そういうブランシェには、鍵を開けるような便利な魔法もあるってことよね?」
「ま、まあ……あるにはあるんだけど、ちょっと大きな音がしちゃうんだよね……」
「それって……開けるんじゃなくて、扉を壊す魔法ってことじゃない?」
「ええ、ま、まあ……そうともいう、かな」
三人の冷ややかなジト目が、ブランシェをひどく居心地悪くさせた。
「お姉ちゃん! ご飯持ってあいつが来たよ!」
ジゼルが前室から走りこんできた。ウラリたちと話し込んでる間に、退屈したジゼルは廊下側の様子を見に行っていたようだ。
いくら無法者どもとはいえ、商品価値を下げないためか、さすがに最低限の食事はちゃんと出るみたいだ。
廊下から、小太りの男が前室の格子戸の下の差し入れ口を「バタン」と開け、石床を擦る音とともに、手荒にトレイが付き出される。
ウラリがそのトレイを手元まで引き寄せて受け取る。この男は雑用係なのだろう、他の男たちと違って甲冑を着ていなかった。腰を屈めた瞬間、腰に付けた鍵束がガチャガチャと鳴った。
その時、男の目が、元気なジゼルの姿を捉え、ぎょっとしたように見開かれた。
「お、おい! そのガキすっかり怪我が治ってやがんのか?」
小太りの男がジゼルを指さして訝しんだ。
(……しまった! さすがにあれだけの怪我がすっかり治っていれば怪しまれてしまうか!)
ブランシェが内心で舌打ちをした瞬間、ウラリが咄嗟に言葉を返した。
「あっ、ええっと……! ずっと寝かせておいたら、自然に治ったみたい……です」
「ふうん。貧乏人のガキは雑草みたいに丈夫なんだなあ」
意外にも、さほど気にもせず小太りの男はブランシェの方を物欲しげにじろじろと嘗め回すように見ながら、廊下を帰って行った。
「大丈夫だったかな? ジゼルをあまり表に出さない方がいいね」
「あいつ……ジゼルにあんな酷いことしておいて……よくもあんな言い草ができたものだわっ!」
ウラリはトレイを置くと、小太りの男が去っていった暗い廊下を睨みつけながら呟いた。ノラも唇を噛んで下を向いている。
男が置いて行った食事はカチカチの黒パンと汚れた木製マグに並々と注がれた黒い飲み物だった。当然、パンにチーズやソーセージは挟まってなかった。その上、黒い液体の表面には泡が立っていた。
(……なんだ……これ? 飲んでも大丈夫なのか)
ブランシェの心配をよそに、ノラたちは手慣れた手付きでカチカチの黒パンを謎の液体に浸しながら食べ始めた。
「ブランシェ、食べないの? ……これを逃すと、明日の夕方までもう食事は出ないのよ」
ノラが黒パンを細切れにしながら、心配そうに声をかけてくれる。
「えっーとお。この黒くて泡立ってる飲み物は何?」
「何って……エールだけど」
「エール?」
(……ふーん。なるほどな、帝国では普通の飲み物みたいだな。飲んでみるか)
ブランシェは覚悟を決めて、一口飲んでみる。
(……おえっ! まずっ!! なんだこれ、腐った麦茶か! そうか、帝国ではリエヴァンみたいなきれいな井戸水は飲めないんだな……。気の毒に)
カチカチの黒パンをほおばって目を瞑ってエールで流し込み、中断していた作戦会議を再開する。
「ねえ、ブランシェ。計画がうまく行ってここを出られたとして、その後どうするの? 私たち、戻るところなんかないわ」
ノラが年長らしく、不安そうに現実的な身の振り方を聞いてきた。
「大丈夫よ、ノラ。セリアが帝国であいつらに攫われてからもう五日間は経ってるでしょう? いくらなんでも、セリアのお父様は今頃血眼になって捜索してるはずよ。セリアの捜索隊に合流すれば、私たちはセリアを助け出した褒美に王国で保護してもらえるわ」
「……あなたの家、そんなことできるの?」
ウラリが、セリアに向き直って尋ねた。
「えっ、ええ……。きっとお父様にお願いすれば大丈夫のはず……」
セリアは自嘲を隠すように僅かに視線を落としながらも、小さく頷いた。
「セリアのお家はね、王国でも五本の指に入る大貴族なのよ」
「へぇーそうなんだ。ただお高く留まってるだけと思ってたけど本当にすごかったんだ」
「ウラリ、そういう言い方しないの!」
ノラにピシリと軽く頭を叩かれ、ウラリが頭を押さえておどけて見せる。
「さっき食事を運んできた小太りの男、腰に鍵束をぶら下げていたわ。計画を前倒しにするためにも、なんとかあいつから鍵を奪えないかしら? 次の食事まで待たないと駄目かな?」
ブランシェが、音を立てずに脱出するための鍵の奪取について提案する。
「ううん、次の食事の時間なんてわざわざ待たなくてもいいと思うわ」
「……どういうこと?」
「――夜になればわかるわ」
ウラリが意味深に呟いた。




