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第二十五話 二重の呪縛

「ねえ、セリア! セリアってば! 聞こえてる?」

 

 ブランシェは、放心したようにその場に立ち尽くしていたセリアの元へ歩み寄ると、彼女の冷たくなった両手を優しく、しかし力強く握りしめた。

 

「はっ……! ……ごめんなさい、私、ちょっと考えごとをしていて……」

 

「ううん、急に大声を出しちゃってごめんね。びっくりさせちゃったよね」

 

「……違うの。驚いたのは、あなたのさっきの魔法よ」


 セリアはまだ微かに震える手元を見つめながら、消え入りそうな声で呟いた。

 

「あんなの……初めて見たわ。私の暮らしていた王都の屋敷には、それは見事な一流の魔導師ばかりが奉公していたけれど……。あんな、今にも死にそうだったジゼルを、たちまちのうちに最初から傷などなかったかのように治してしまう人なんて、いまだかつて一人もみたことがない……」


 セリアの言葉を聞きながら、ブランシェはそっと核心へと踏み込んだ。


「ねえ、セリア。……セリアってさ。王国の『五大星公爵家サンクエトワール』のお嬢様、なんだよね? その……さっき自分で『ルプスエトワール』って名乗ってくれたから、もしやと思ったんだけど」

 

「…………そう、よ。お父様は、当主ジャン・バルトロメ・ド・ルプスエトワール公爵。私は、その娘よ」


 セリアは自嘲気味に肩を落とし、泥の付いたディアスキンの紋章を小さく握りしめた。

 

「私ね、この砦に馬車で連れ込まれたとき、あなたたちの魔力反応を探知したの。その時はまだ、どれが誰のものかまではハッキリ分からなかった。だけどね……ひとつだけ、他とは次元が違う、とんでもなく強大で純粋な魔力があったの」

 

 ブランシェはセリアの濡れた瞳を真っすぐに見据え、確信を込めて告げた。


「それがね、セリア。あなただったわ」

 

「――そんなはず、ないわ!!!」


 セリアは激しく首を横に振り、ブランシェの手を振り払うかのように、悲痛な叫びを上げた。

 

「私には魔力なんてない! 現に、屋敷で触れさせられたイゾラントは、いくら握っても、透明なままでピクリとも光らなかったのよ……っ! 廊下の向こうで、お父様が『ルプスエトワール家の恥晒しが!』って、恐ろしい声で怒鳴ってるのが聞こえたわ……! 私は、魔力を持たない役立たずの『沈黙者スィランス』なのよ……っ!」


 耳を塞ぎ、過去の恐怖に怯えるように小さく身体を丸めるセリア。

 

(……なるほどな。これだけの強大な魔力を内側に秘めていながら、イゾラントが反応しなかった、か。……名門の家名という名の異常な重圧による精神的なストッパーか、あるいは、何か別の強烈な心理的トラウマ(呪縛)が原因で、出力が完全にロックされちまってるな。……よし、この頑固な目詰まりを綺麗さっぱりお掃除してやる前に、もう少し詳しく話を聞いておく必要がありそうだな)

 

「セリアのお父さんって……その、いつもそんな風に怒鳴ったりする人なの?」

 

「お父様からは……物心ついた時から、『ルプスエトワールの家名だけは絶対に汚すな』と、そればかりを言い聞かされて育ってきたわ。お母さまは私が生まれた後、すぐに病気で亡くなってしまったから……。私、どうやって生きるのが一番正しいのか、もうずっと分からなくなっていて……」


 セリアは泥の付いた両膝を抱え、小さく震えながら声を絞り出した。

  

「ふーん。サラブレッドに重い荷車を無理やり引かせるような真似を……。典型的な『毒親』ってやつだな」

 

「どく……おや? ブランシェって難しい言葉を知ってるのね」

 

「あっ、いやっ! ごめんね。こっちの独り言だから気にしないで! ……それよりも、よかったらその、イゾラントを触ったときのことをもう少し詳しく聞かせてくれない?」

 

 ブランシェは、床に敷かれた中古のキャンパス地のマットレスへ、「ぽすん!」と腰を下ろしながらセリアを促した。

 

「……その後、お父様の弟のバティスト叔父様が私の部屋に来てくれたの。『もう一度だけ、イゾラントを強く握ってみろ』って言われて……。それで言われたとおりに握ったら、叔父様が突然『一瞬だけ紫に光った!』って大騒ぎし始めて。……でも、私には何も見えなかったし、石はすぐに透明に戻ってしまったの」

 

「ふむ……。なるほどな」


 ブランシェは顎に手を当て、しばし熟考する。

 

(……。叔父さんの前で一瞬だけ光ったのは、本来流れるはずのない内側の魔力が高圧になりすぎて、回路の隙間から外へ漏れ出して『火花スパーク』が起きたってことだ。

 永年にわたる毒親からの異常な重圧トラウマと母親不在の孤独。それらが、破裂しかねないほど莫大な中身ポテンシャルを抱えながら、外へ出さないよう無理やり肉体の内側に閉じ込めさせていたんだ。……例えるなら、満水で決壊寸前の巨大なダムに、針の孔しか開いてないような、凄まじい苦しさだったろう。よくこれまで心臓や神経が焼き切れずに無事だったものだ。それにしても、『紫』とはな……)

 

「それでね……執事のメートルが、『セリア様は魔力が【絶縁】されてしまっているだけです』って。帝国のアインズィードラ様ならそれを治せるからって、私をかばってくれたの」

 

「それで、お忍びで帝国へ?」

 

「そうなの。アインズィードラ様の元へ行って、魔力の『絶縁』を極秘裏に治してもらうことになったわ。でも、お父様からは『絶対に誰にも知られるな』って厳命されて……。だから、非公式に帝都アーヘンへ向かっていたの。……その途中で……ミニステリアーレたちに……」

 

「襲われた、と」

 

「……ミニステリアーレたちは恐ろしい森巨人トロールを連れていたのよ! 目の前で……みんな、無惨に殺されて……っ。メートルは風魔法の達人だったのに、トロールには風の刃も効かなかった……! 傷口が、一瞬で再生して生き返ってきて……うっ……うううっ……!」

 

 セリアの目から、大粒の涙がとめどなく流れ出す。

 自分のために命を懸けて尽力してくれた執事や従者たちが、人外の化け物に蹂躙され、肉塊へと変えられていったあの夜の惨劇が、フラッシュバックとなって彼女の幼い心を激しく苛んでいた。

 

「ごめん……ごめんね、辛いことを思い出させて。……でもね、もう大丈夫。もう自分を責めなくていいよ。私に任せて。さあ、手を貸して――」

 

 ブランシェは、セリアの細く震える指先を、温かな光を帯びた自身の手で優しく包み込んだ。

 

(……可哀想に。セリアは『絶縁』なんかじゃない。トラウマという強烈な自己拒絶による『二重の呪縛』だ。幼くして最愛の母を亡くし、残された毒親からの非情な拒絶。そこへ追い打ちをかけるように、今回のメートルの悲劇だ。……なるほど、これがセリアの心を、肉体を縛り付けていた『汚れ』の正体か。

 ……もう、独りで泣かなくていい。これ以上あいつらの理不尽に、お前の心が焼き切られちまう前に……。俺が、その溜まりに溜まった莫大な『エネルギー』の、本当の出口を作ってやる)


 ブランシェは精神を極限まで集中させると、セリアのズタズタに引き裂かれていた魔力回路に対し、光子の粒子を用いて網の目のように精密な『バイパス(架け橋)』を瞬時に構築した。そして――そこへ向けて、回路を無理やり呼び覚ますための『強心電パルス・ショック』を一気に送り込む。

 

(……さあ、目覚めろ。お前の居場所は、こんな暗がり(掃き溜め)じゃないだろ!)


 ドンッ!!!

 

 ブランシェの放った純白の「光」が、セリアの心を閉ざしていた分厚い闇――「二重の呪縛」を完全に穿ち、貫通した。その瞬間。


 ――バリバリバリィィィッ!!!

 

 セリアの鮮やかな紫色の髪が天に向かって激しく逆立ち、彼女の小さな全身を、空間を爆裂させるほどの「鋭い紫電いなずま」が縦横無尽に駆け抜けた。

 絶望に濁りきっていたセリアの瞳がカッと見開かれ、そこへ、ルプスエトワール公爵家の誇りを纏った紫の強い光が宿る。

 それまで地下牢を満たしていた埃っぽく泥臭い悪臭が、激しい放電がもたらした鋭利な「オゾンの臭い」によって、一瞬にして塗り替えられた。


 セリアは、自身の全身が、かつてないほど心地よく温かな熱に包まれていくのを感じていた。

 神経の、細胞の隅々までが、強大で清らかな魔力の糸で過不足なく繋がれていく圧倒的な全能感。

 彼女が薄っすらと目を開けると、眩い紫電の残光の向こう側に、あの白銀の髪を揺らした真っ白な少女――ブランシェが、静かに、優しく微笑んで立っていた。

 

「――ようこそ、マドモアゼル」

 

 その気高き挨拶の声を鼓膜に受けた瞬間、セリアの心を満たしていた恐怖の暗雲は完全に消滅し、まるで闇の世界から温かな光の世界へと優しく誘われるように、彼女は満ち足りた表情のまま、心地よい深い眠りへと落ちていくのだった。

 

(……よし。これで、お嬢様方はみんな揃ってお休みになられたようだな)


 ブランシェは、セリアの小さな身体をノラたちの隣へと優しく横たわらせた。

 薄暗い地下牢の全景を見渡す。

 

(さて、邪魔が入らないうちに……。この最高に汚れていて、最高にやり甲斐のある地下牢という名の「現場」を磨き上げてやるとするか……!)

 

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