第二十三話 共鳴(レゾナンス)
「この子はジゼル。あたしたちは五日前、一緒にここへ連れて来られたの」
ウラリは涙をこらえながら、怒りに震える声で語り出した。
「ここへ着いた日、あいつらの中に小太りの汚い男がいたでしょ? そいつが夜中に、あたしを別の部屋へ連れ出そうとしたの……。そのとき、ジゼルが男の腕に思い切り噛みついて助けてくれたの。……あいつら、その仕返しにジゼルを寄ってたかって酷く殴ったのよ! いくら頼んでも、手当すらしてくれなくて……っ」
(……商品には手を出さないんじゃないのか? アロイスたち海賊の奴らの方が、何倍もマシな奴らだったな……)
ブランシェがマットレスの横に膝をつき、ジゼルの身体へと近づく。ツンと鼻を突く、衣服の汚れと腐敗の混じった死臭が漂ってきた。
(……これは酷いな。よく今まで命が持ったものだ。……さっきの消え去りそうな魔力、間違いなくこの子だ)
ブランシェの右手の先から淡い白銀の幾何学模様が浮かび上がる。
「――『光子極微透過』、開始」
目に見えない光子がジゼルの全身を隙間なく透過していく。
光子が損傷部位の細胞を優しくコーティングし、どろどろに溜まっていた膿や内出血、そして不快な腐敗臭を一瞬で蒸発させていく。全身の精密診断を完了させると同時に、まずは最優先で、ジゼルの脳へと伝わっていた苛烈な激痛の電気信号を完全に遮断した。
「……きもちいい……女神、さま……なの……?」
高熱が急速に下がり、あれほど苦しめられていた痛みが嘘のように和らいだのだろう。ジゼルは薄く目を動かし、長い睫毛の隙間からブランシェを見つめて微かに呟いた。
「女神じゃないわ。ブランシェっていうの。今まで、本当によく頑張ったね。もう絶対に大丈夫だから」
「ブランシェ……?」
その温かい言葉に心底安堵したのか、ジゼルは何日かぶりの、深く穏やかな眠りへと静かに落ちて行き、小さな寝息を立て始めた。
(……よし。内部の損傷箇所の特定と、痛みのシャットアウトという応急処置は完了だ。――本番はここからだな)
「ジゼル……っ」
ウラリが今にも泣き出しそうな表情で身を乗り出し、ジゼルの顔を覗き込む。
「――『光子再構成』!」
ブランシェはジゼルの痛々しい腹部へと、静かに両手をかざした。
かつてエミの肉体に修復工事を行ったときと同じ、手のひらと肉体の間に、極小の魔法円がいくつも重なり合って、立体的なホログラムのように展開される。それはまるで、精密機械の透過図面を見ているかのような、神聖で美しい光景だった。
いつの間にか、背後からはノラとセリアも息を呑んでその光の手元を覗き込んでいた。
(……まずは、打撃によって破裂した大腸の修復からだ)
破れた大腸の腸管膜を光子が見えない針と糸のように、目にもとまらぬ速さで精密に縫合していく。塞がれた箇所は、細胞組織が瞬時に再結合し、最初から傷など存在しなかったかのような滑らかな生体組織へと生まれ変わっていく。
(……よしっ。 内臓の修復は完了。次は、骨折だ)
ボキボキと鈍い音を立て、折れて歪んでいた肋骨が、光子の誘導によって本来あるべき正しい位置へと寸分の狂いもなく戻っていく。それと同時に、赤黒く不気味に腫れ上がっていた脇腹の皮膚は、みるみるうちに健康的な元の艶を取り戻していった。
(……あとは、細胞の隙間に溜まったゴミ(鬱血)を、全部綺麗に掃き出せば……!)
ついさっきまで、顔を歪めて苦悶の表情を浮かべていたジゼル。彼女は今、完全に血色の戻った安らかな表情で、寝息を立てている。
(……よし。ついでに魔力回路の「目詰まり」も掃除しておいてあげるか)
ブランシェの手のひらを通じ、ジゼルの内側でせき止められていた魔力が、一気に勢いよく流れ出した。それは、どこまでも自由で爽快な、「風」の魔力の流れだった。
「ああぁ……っ! ブランシェ! 本当に、本当にありがとう……っ! もう、絶対に駄目かと思っていたの……!」
ウラリは涙をボロボロとこぼし、ノラがその震える背中を優しく包み込むように撫でていた。
「本当に奇跡だわ……。なんて言うか、ブランシェ、あなたってまるで神様みたいね!」
ノラもまた、感極まった様子で瞳を潤ませている。
(……いや。ジゼルの内側に、これほどまでに強大で純粋な風の魔力が眠っていたからこそ、あいつらの暴力にここまで持ちこたえられたんだ。……間違いない。この小さな身体で、こいつは『上級魔導師』クラスだ……)
「さあ、次はあなたたちの番よ」
ジゼルの呼吸が完全に安定したのを見届け、ブランシェが何気なく告げた言葉に、ノラとウラリはキョトンと目を丸くした。
「はあ? 次って……一体何のこと?」
「ノラとウラリも、ジゼルと同じ『共鳴者』なのよ。今まで誰かに言われたことない?」
「レゾナンス……? なによそれ、聞いたこともないわ」
要領を得ない二人を見かねて、それまで静かにブランシェを見つめていたセリアが、口を開いた。
「魔力を持った人間のことよ。ロスナーサ王国では、十歳になった国民は全員が例外なく『魔力判定』を受けさせられて、共鳴者か沈黙者のどちらかに明確に判別されるの。個人が生まれつき持っている魔力の総量を、魔力鉱石を握らせて計測するのよ。イゾラントの光る色で五つの階級と属性に分かれているわ」
立て板に水のごとく、流暢に解説してみせる。
「ちょっと! 何よ急に、ずいぶんと流暢に喋り出すじゃない! っていうか、何で少し偉そうなのよ?」
ウラリがすかさずツッコミを入れる。ジゼルの命の危機が去ったことで、彼女の心にも本来の快活な余裕が戻ってきた証拠だった。
「……帝国ではね、十歳になった子供は全員、軍による『魔力徴募』を強制的に受けさせられるのよ。帝国軍の戦力として使えるか否かを判別するためにね」
今度はノラが、辛い過去を思い出すように視線を落として静かに答えた。
「『検験器』っていう冷たい機械をこめかみや首筋に押し当てられて、無理やり魔力を測定されるの。私も十歳になってすぐに受けさせられたわ。そこで少しでも魔力反応があれば、『魔力保持者』として有無を言わさず軍へと徴兵されてしまう。……逆に、機械の針がひとメモリも振れなければ、国家から『非導体』……つまり役立たずの烙印を押されて放り出される。私は当然、その……あなたたちの言う『沈黙者』として処理されたわ」
ノラの話を聞いていたウラリが、突如として何かに気づいたように怒気を孕んで声を荒げた。
「あっ、そうだわ……! 思い出した! ここへ連れて来られたとき、あいつらゴロツキどもに妙な機械を押し付けられたっけ! 確か、顔に青筋のある『お頭』とか呼ばれてるやつが『おい、こいつらは本当に非導体なんだろうな? 万が一にも地下牢の中で火でも吹かれたら、俺たちの命がねえんだぞ』って言ってたわ! それから、あたしたちのことを、ただの『高いゴミ』だって……!」
ウラリは忌々しげに床の石畳を睨みつけ、拳を握りしめた。
「でもウラリ、あなたの実家は元々、帝国の貴族だったんでしょう?」
ノラの問いかけに、ウラリは自嘲気味に首を振った。
「そんなの大昔の話よ。ジゼルが生まれてすぐに、爵位も領地もすべて国に剥奪されたわ。幼すぎて、私はもう当時のことなんて覚えてもいないの。帝国は無駄に貴族が多すぎるから、浪費家で借金まみれだったうちの父親は、国にとって格好の標的だったのよ。それからはずっと貧乏暮らしの挙句……借金のカタに、とうとう娘の私たちまで売り飛ばされたってわけ」
「ウラリ……。ごめんなさい、辛いことを思い出させてしまって。……私は元々、ただの貧しい平民だったから。……ねえ、ブランシェ。表向きはどこの国だって奴隷の売買は厳しく禁止されているのよ。けれど、明日の食費にも困るような貧しい家は、当座の金のために自分の子供を裏で売るし、それを喜んで買う身勝手な金持ちも大勢いるわ……」
ノラの悲痛な言葉が、薄暗い地下室の空気に重く沈み込んでいく。それを聞きながら、ブランシェは内心で小さく、自嘲の溜息をついていた。
(……そうか……。俺は自分だけが悲劇の真ん中にいるような気になってたけど……この世界じゃ、親に売られるなんて特別でもなんでもなかったんだな……)
「実を言うと、私もさ……実の親に売られてここにきたんだ。あなたたちと、全く同じだよ。……っと、ちょっと話が逸れちゃったね。あなたたちには、測定器なんかじゃ計れない立派な『魔力』がちゃんとあるっていう……」
「だーからぁ! さっきからそんなの、私たちにあるわけないって言ってるじゃん!」
ウラリがやれやれと肩をすくめる。
ブランシェは不敵に微笑むと、両手を二人の前に向けて、力強く差し出した。
「いいから、私に任せて。……私が、あなたたちの内側で深く眠っているその魔力を、お掃除して引き出してあげる。――ねえ、今から試してみる?」
ブランシェは二人の返事を待つまでもなく、ノラとウラリの手を力強く握りしめた。
「ノラとウラリは、そっちで空いている方の手を繋いでね」
言われるがままに、三人は冷たい石畳の上で手を繋ぎ、車座になって座った。ブランシェは静かに瞼を閉じ、深く滑らかな瞑想の呼吸を始める。
「――『光の共鳴』!」
繋いだ両の手のひらを通じ、二人の体内へと純粋な光子の波形を送り込んでいく。深く沈澱し、眠っていた彼女たちの魔力を、激しく活性化させるために。
まず最初に、ブランシェはノラの手をぐっと強く握りこんだ。
握った瞬間、パキパキと「凍りついた膜」がひび割れていくような衝撃音が響く。過酷な環境で抑圧され、閉ざされていた彼女のどこまでも深い優しさが、ブランシェの送り込んだ温かな光の熱によって溶かされていく。
やがてノラの指先から、清らかで透明な「青い光」が、泉のように滾々と溢れ出た。
(……なるほど、ノラの魔力回路は『心の凍結』を起こしていただけか。光の熱で溶かしてやれば、あとは堰を切ったように勝手に流れ出す。……よし、不純物の一切混ざってない、極上の綺麗な水属性の魔力だ)
次にブランシェはウラリの手を強く握りなおした。
繋いだ手が瞬時に凄まじい熱を帯び、ウラリの肌が赤く火照る。ブランシェはその熱を恐れることなく、彼女の回路の奥深くへと、目詰まりを吹き飛ばすための「高圧洗浄(光子パルス)」一気に叩き込んだ。
ドクンッ!!!
ウラリの心臓が、まるで太鼓のように大きく跳ね上がる。内側に過剰なほど閉じ込められていた爆発的な熱量が、一瞬にして回路の壁を突き破り、彼女の身体から「鮮やかな紅蓮の光」となって激しく噴き上がった。
(……ウラリの方は『内圧過剰』だな。出力に対して出口(回路)の径が細すぎたんだ。光子で径を拡張してやれば、爆発的な出力が得られる。……火傷するなよ、じゃじゃ馬さん)
繋いだ手から、言葉を超えた生々しい「情報の奔流」がブランシェへと流れ込んでくる。
ノラの静謐な青、ウラリの苛烈な赤。
それらがブランシェの眩い白と混ざり合い、陰惨で不潔な地下牢の空間を、一瞬だけ神殿のような厳かさで塗りつぶした。
(……よし、これで二人の『定格出力』は完全に元通り、お掃除完了だ。……あとは、急激にまっさらに拡がった魔力回路が、自分たちの本来の出力に馴染んで追いつくのを待つだけだな)
あまりにも劇的な魔力の奔流と急速な回路の再編成に、ノラとウラリの二人は耐えきれず、心地よい極上の疲労感に包まれながら、その場で寄り添うようにして深い眠りへと落ちていった。
地下牢の闇が戻る中、三人の神秘的な「儀式」を目の当たりにしたセリアが言葉を失い、呆然とした表情のまま硬直していた。
(……さてと、次はこちらのお嬢さんの番だな)
ブランシェは、次なる「お掃除対象」であるセリアへとゆっくりと向き直った。




