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第二十二話 沈黙(スィランス)の檻

「ちょっとあんた、大丈夫!? あいつは短気で凶暴な奴だから、絶対に刺激しちゃだめよ」

 

 冷たい石畳の上でパサパサと修道服の裾を払いながら振り返ると、そこにいたのは燃えるような赤髪を二つのおさげにした、端正な顔立ちの少女だった。泥色の粗末な貫頭衣を着せられているが、前髪の隙間からは強い意志を秘めた鋭い瞳が覗いている。

 埃っぽく薄暗い部屋の中を見渡すと、その赤髪の少女の他に、少し年嵩に見える金髪の少女、そして部屋の隅っこで完全に無気力に蹲っている紫髪の少女の姿があった。


「あんた、どこからきたの? ……それに、その真っ白な髪、一体……」


 赤髪の少女が、思ったことを隠せない様子で躊躇なく尋ねてくる。

 

「駄目よ、ウラリ。いきなりそんな初対面の子を質問攻めにしちゃ」

 

 すかさず金髪の少女が、ウラリと呼ばれた赤髪の少女の袖を引いて窘めた。


「あっ、全然大丈夫だよ。私はブランシェ。ロスナーサ王国の西の辺境、リエヴァンって街から連れてこられたの。……髪は生まれつき真っ白なんだ。瞳も、ほら……変わってるでしょ?」

 

 ブランシェは努めて子供らしい無邪気な笑顔を作り、後から色々と詮索されるのも面倒なので、自らの瞳の異質さも付け加えた。


「私はノラ。ウラリが不躾な口の利き方をしてごめんなさいね。でも、決して悪い子じゃないのよ。あなたと仲良くなりたいだけなの」


 金髪の少女はノラという名前らしい。淡い金髪を一本の綺麗な三つ編みにして肩から流していた。

 背が高く、ブランシェよりも二、三歳は年上だろうか。彼女もウラリと同じ汚れた貫頭衣を着せられていたが、少し困ったような、それでいてすべてを包み込むような温かい眼差しをウラリへと向けている。


「ちょっと、変なこと言わないでよノラ姉! ……私はウラリ。よろしくね、ブランシェ」

 

 ウラリが顔を少し上気させて照れくさそうに言った。確かに、根は心優しい少女のようだ。


 挨拶もそこそこに、ブランシェはそっと本題へと切り出した。


「ねえ、私をここに運んできた海賊から『ここはツゥラレラ帝国だ』って聞いたんだけど……。ここって、帝国のどの辺りなのかな?」

 

(……この不気味な黒石の砦からいつでも脱出できるように、今のうちに可能な限りの周辺情報を集めておくとしよう。まずは地理の把握からだ)

 

「あなた、王国から連れてこられたのね。ここはたぶん、『デュルンシュタイン辺境伯領』だと思うわ。いちばん近い街がアンファングっていう港町だと思うけど、私たちも目隠しされてたから……そこからかなり南の方かな」


(辺境伯領か……。とりあえず、港町アンファングからこの廃砦までのルートは、『完璧な3Dマップ』として既に保存済みだ) 


「ところで……その辺境伯様って、自分の領地で奴隷商人たちがこんな風に好き勝手に暴れていて、何とも思わないのかな?」

 

 ブランシェはアウェに蹴られた際に擦りむいた、肘と膝の汚れを払いながら素朴な疑問を尋ねた。

 

「私とウラリは帝国の出身なんだけど……聞いた話だと、あいつ等はただの奴隷商人ではないのよ。……『下級騎士ミニステリアーレ』って呼ばれている奴らなの」

 

「ミニステリアーレ……? 騎士、なの?」


「名ばかりよ。実際は複数の領主と契約を結んで、汚い仕事を一手に引き受けている『家士』みたいなもの。その実態は、ただの統制されたゴロツキ集団よ。こうして辺境の街道で、旅人や商人を襲っては略奪を繰り返しているわ」


「ええっ!? そんな無法者たちが好き勝手にしていて、どうして帝国の中央や軍は黙っているの?」

 

 ブランシェが呆れたように眉をひそめると、ノラは自嘲気味に息を吐いて首を振った。


「帝都の偉い貴族様たちからすれば、こんな下々の辺境で起きている出来事なんて知ったこっちゃないのよ。領地の治安を維持するのは、あくまでその土地の領主の役目だから。……それにね、帝国の領主には『接地物接収権』という、とんでもない権利が認められているの」


「接地物、接収権……?」


「簡単に言えば、『自分の領土内に落ちたものは、すべて領主の所有物になる』という特権よ。……あいつらミニステリアーレが街道で商人を襲って奪った荷物も、奴隷として拐ってきた人間も、表向きは『領地に転がっていた接地物』として処理される。だから、略奪品はすべて領主の正当な収入になるのよ。ミニステリアーレが奪い、その利益を領主と裏で山分けにしているっていう黒い噂は、ずっと昔からあるわ」


「何それ! 落とし物の法律を拡大解釈して、国家ぐるみの強盗を悪用してるってこと? 滅茶苦茶じゃないの!」


「そうよ、完全に滅茶苦茶。でも、動くお金が大きすぎて、一番儲かっているのが領主様自身なんだもの。そりゃあ黙認するでしょう?」


(……なるほどな。だからあいつら奴隷商人の分際で、使い込まれたガチガチの甲冑を着込んで武装してたわけだ。領主様のお墨付きという名の免罪符があれば、この廃砦を堂々とアジトに使える。……しかし、いくら強欲な領主様でも、あの塔の中にいる危険な魔物――トロールの飼育までオッケーしてるとは思えないな。やっぱりこの砦には、まだ何かある……)


 ノラの語る帝国の胸糞悪い社会構造を頭の中で整理しながら、ブランシェは視線を部屋の奥へと巡らせた。そこには、さっきからずっと、会話に加わることもなくこちらを凝視している「紫髪の少女」の姿があった。

 ブランシェは意を決すると、その紫髪の少女へと話しかけてみることにした。

  

「私はリエヴァンのブランシェ。よろしくね」


 ブランシェがそっと歩み寄ると、間髪を入れずにウラリが少し腹立たしげな声を上げた。

 

「その子は駄目よ。私たちと口を利こうともしないんだから。……何でも、王国の偉い貴族様のお嬢様らしいわ」

 

 部屋の隅の暗がりに蹲っている少女は、ブランシェが話しかけると、怯えるように鮮やかな紫色の髪で自らの顔を完全に隠してしまった。

 泥に汚れてはいるが、彼女が身にまとっているのは、一般の平民には到底手の届かない上質な鹿革ディアスキンの乗馬ジャケットだった。ジャケットの銀のボタンは乱暴にほとんど毟り取られ、鋭い刃物で裂かれたような痛々しい傷跡の隙間から、仕立ての良い白いシャツが覗いている。

 だが、その左胸に刺繍された『狼と五つ星』の意匠を凝らした紋章は、まだかろうじて残されていた。

 

(……狼に五つ星の紋章。あれはたしか、王国の五大星公爵家の一つ……まさか!)


 ブランシェは思考を巡らせると、教会で死ぬほど叩き込まれた、淑女としての最高敬礼カーテシーを試してみることにした。白い修道服のスカートの裾を指先でそっとつまみ、背筋を伸ばしたまま、優雅に片膝を深く折る。自分を「ゴミ」や「モノ」扱いするこの薄汚れた空間において、それはあまりにも不釣り合いで、完璧なまでに洗練された美の所作だった。


「お目にかかれて光栄に存じます、お嬢様マドモアゼル」 


 あまりの礼儀正しさと高貴な立ち振る舞いに、ノラとウラリは息を呑み、呆然とブランシェを見つめた。

 すると――紫色の前髪の奥から、濡れた双眸がゆっくりとブランシェの姿を捉えた。


「……アルビナ様の、大聖堂の祭壇画にそっくり……」


 それまで頑なに黙秘を貫いていた紫髪の少女が、掠れた小さな声で呟いた。


「あなた、リエヴァンに来たことがあるの?」


「……セリアよ。私の名前は、セリア・オレリア・ド・ルプスエトワール」


 セリアは、ブランシェの完璧な礼式に呼応するように、自然と自らの高貴な本名を名乗っていた。

 このおぞましい地下室で、ブランシェが差し伸べた「かつて自分がいた輝かしい世界の礼節」が、絶望の底にあったセリアの心を、確かに救い上げたのだ。

 

「ふんっ! あんた、喋れたんじゃない!」


 ウラリが驚きと、どこか呆れたような調子でセリアを睨みつける。


「よろしくね、セリア」


 ブランシェはにっこりと微笑むと、セリアの隣へと腰を下ろした。

 そして、先ほどアウェに蹴飛ばされて石畳に転がった際に負った、自身の肘と膝の擦り傷へと右手をかざす。手のひらと膝の隙間に、極小の魔法円が現れ、一瞬にして破れた皮膚が分子レベルで再生されていった。


 隣にいたセリアが、ぎょっとしてその手元を凝視する。


「あ、あなた……! いま、魔法を使ったの!?」


 突然、ウラリが血相を変えてブランシェに詰め寄ってきた。激しい興奮と、何かの藁にも縋るような必死さがその瞳に宿っている。


「ええ? まあ、少しなら……。って、あなたたちも使えるん、じゃないの……?」


「つ、使えるわけないじゃない! お願い、お願いだから……っ! 私の妹を……妹を、治してくれない!?」


(……妹? そうか。さっきから俺の索敵レーダーに引っかかっている、今にも消え入りそうなほど弱々しい、死にかけている魔力波長……。あれがウラリの妹か)


「あいつらに酷い目に遭わされて……奥の部屋に寝かせてあるの。一緒に行きて!」 

 

 ウラリはブランシェの手を強く引っ張ると、奥の部屋へと連れて行った。


(……っ!? なんだ、このひどい悪臭は……!)

 足を踏み入れた瞬間、血と膿、そしてカビの混じった不快な臭いが鼻を突いた。衛生状態は最悪だ。元・清掃員のブランシェの顔が、嫌悪に険しく歪む。 


 ウラリの妹は、奥の部屋の中央に置かれた不衛生なマットレスの上に寝かされていた。

 幼い顔には何度も拳で殴られたような痛々しい打撲痕があり、大きく紫色に腫れ上がっている。目を固く瞑ったまま、絶え間なく襲いかかる痛みに小さな身体を歪めていた。


「お、おねえちゃん……い、痛い……よぉ……」


 紫色に腫れた口元から、か細い、今にも消え入りそうな声が漏れた。

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