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第二十一話 異国の砦

 ロスナーサ王国の東側と国境を接する、ツゥラレラ帝国。その北部に位置する港町アンファングの港へ、キラキラと眩しい朝日を浴びた波をかき分けながら、一隻のスマートな高速艇が滑るように入港してきた。

 マストに掲げられた旗は、いつの間にか帝国の辺境伯の紋章旗に変えられている。船尾の水魔導師イドロマンシアンたちの見事な操船技術により、船体は衝撃一つなく、静かに岸壁へと接岸した。

 

 リエヴァンから北に、海路で二日間の距離。もっとも、この高速艇と熟練の水魔導師の働きがなければ十日間はかかる距離だ。タラップが降りる直前、帝国の港湾役人へ歯抜けの中年男が皮の小袋に入った銀貨を渡していた。堂々たる賄賂だろう。


 いよいよ上陸というその時、『ヴィーヴル・デ・マレ』の首領――深海アビスのアロイスが、ブランシェの前に立ちはだかって声をかけてきた。


「おいお嬢ちゃん、ここは帝国のアンファングって街だ。……で、お前の今後の身の振り方だが、ちょっと事情が変わってな。当初予定していた奴らとは別のルートで取引することになっちまった。これから、新しく紹介された買い手どもの拠点で、しばらく待機してもらうことになる」 


 アロイスは気まずそうに頭を掻くと、慰めるように言葉を続けた。


「まあ、そう悲観すんなって。帝都で金持ちのお大尽の買い手が付くまでの辛抱だ。……それと、リエヴァンのことなんだがよ。……いや、なんでもねえ。ま、まあ、お前はまだ生きているんだ。運が良けりゃあ、これから幸せになれるさ。……あと、俺の名はアロイス。深海アビスのアロイスだ。まあ、二度と会うこともないと思うがな」


 最後まで言い淀んだアロイスを、ブランシェは冷徹な深紅の瞳で見つめ返した。

   

 その後、ブランシェは再び鉄格子の嵌められた木箱へと入れられ、表向きは「高級な荷物」として港の倉庫へと運び込まれた。アロイスたち『ヴィーヴル・デ・マレ』の面々とは、ここで本当にお別れとなる。


 薄暗い倉庫の中で木箱から出されると、先ほどの歯抜け男が申し訳なさそうな顔で、ブランシェに目隠しを施し、両手へ手枷を嵌めてきた。


「拠点までは馬車で行くからな。道が悪いから、揺れに気をつけて座っててくれよ……」


 歯抜け男は、およそ奴隷商人とは思えないほど丁寧な手付きで、ブランシェを馬車の座席へと乗せてくれた。


(……深海アビスのアロイス、か。海賊の割には、案外まともでいい奴らだったな。別れ際にリエヴァンのことを何か言いかけていたけど、一体何の話だったんだ? ……まあ、いいか。いまさら考えても仕方のないことだしな)


 パチィン! と御者が鞭を鳴らす音が響き、ブランシェを乗せた幌馬車は、静かにアンファングの倉庫街を出発した。 

  

 ブランシェにとって、施された目隠しなど何の意味もなさなかった。

 身体の表面から全方位へと放った光子が、周囲の物体に当たって跳ね返ってくる。その微細な振動を肌で感知することで、彼女は周囲の状況を完全に把握していた。それは視覚というよりも、脳内に「ワイヤーフレームの3Dアニメーション映像」がリアルタイムで構築されていくような感覚だった。


 感知した情報によると、この馬車に乗せられている奴隷はブランシェ一人きり。

 他には、手綱を握る御者の男が一人乗っているだけで、しかもその男は魔力を持たない「沈黙者スィランス」だった。

 目隠しをされ、手枷を嵌められた、魔力ゼロの十歳の子供――。

 相手からすれば、そんな無力な幼女に見張りなど付ける必要もないという判断なのだろう。ブランシェがその気になれば、いつでも御者を気絶させてどこへでも逃げられる状況だった。


(……完全に『ただの荷物』扱いだな。おかしいぞ、星金貨十枚じゃなかったのか? 扱いが雑すぎる。まあ、仮にここから今すぐ脱走したとしても、この世界に児童相談所があるわけじゃないしな。ひとまず、その『拠点』とやらまで大人しく連れて行ってもらうか)


 ブランシェは馬車の最悪の揺れに身を任せながら、港町アンファングからの移動経路を、脳内のワイヤーフレームから「3Dマップ」として出力し始めた。記録先は、リエヴァンからそのまま持参してきた、ポケットの中にある祖父の形見の「鏡の破片」だ。

 鏡の裏面に施された銀の粒子と、ブランシェの放つ光子が結合し、彼女のポケットの中でパチパチと微細な火花を散らしながらデータを蓄積していく。


(それにしても、これが帝国の馬車か。リエヴァンのものに比べて骨組みだけは頑丈だが……車輪の軸受けの油が完全に切れてるな。ガタガタと酷い縦揺れが起きている原因はこれか。これじゃあ長距離の移動には到底耐えられないぞ。……おまけに、車内の埃汚れと染み付いた臭いも酷すぎるな。奴隷は人間扱いされないってことか。……あー、駄目だ、元清掃員のプライドとしてこれ以上は我慢ならん!)


 ブランシェは手枷を嵌められた両手の指先を、こっそりと木製の座席へ向けてかざした。


「――『極高圧光子剥離フォトン・スクレイパー』」


 極小かつ超高密度に出力を調整された光子の刃が、馬車内のあらゆるこびりついた汚れ、染み、悪臭の元を原子レベルで綺麗に剥ぎ取り、消滅させていく。

 ついでにブランシェは、車輪の軸受けへ向けても光子を送り込み、金属摩擦を一時的に「ゼロ」へと書き換えた。


 途端に、それまで不快な悲鳴を上げていた馬車のギシギシという雑音がピタリと止まり、まるで高級絨毯の上を滑るかのような、極上の滑らかな乗り心地へと変化した。


(……よし。ようやく人間の乗る通常レベルの環境になったな。拠点に着くまで、少し眠るとするか)


 目隠しの奥で満足そうに口元を緩めると、ブランシェは手枷の嵌った手を胸の前で組み、新天地への道中、穏やかな眠りへと落ちていくのだった。

  

 ◆◇◆

 

 どれほどの時間が経過しただろうか。脳内のフレームが捉える光源の角度からして、太陽はすでに真上を過ぎ、西へと傾き始めている。不意に、馬車が完全に停止した。周囲に、複数の人型のワイヤーフレームが近寄ってくるのを感知する。


(……ようやく『拠点』とやらに着いたのか?)


 居眠りをしている間も、ブランシェの全方位索敵ソナーとマッピングはオートマチックで継続していた。これで、港町アンファングからこの場所へ至るまでの完璧な3Dマップが完成した。データはポケットの中、祖父の鏡の破片へといつでも取り出せる形で蓄積されている。

 

「よし、ガキを降ろせ!」


 荒々しい怒号とともに、人型のワイヤーに腕を掴まれて馬車から引きずり降ろされた。

 直後、目隠しが手荒に外される。光が網膜を刺し、視界が復活すると同時に、それまで脳内に広がっていたワイヤーフレームの世界へ、一瞬で色と質感が「肉付け」されていった。

 

(……奴隷商人のアジトというよりは、砦のような建物だな。廃墟か?)

  

 そこは、黒い石造りで築かれた堅牢な城塞の中庭だった。

 後方、今しがた潜り抜けてきた大門はすでに固く閉ざされている。分厚い木材に重厚な鉄板が容赦なく打ち付けられた、強固な扉だ。


 ブランシェが立たされている中庭は、軍の一個中隊が馬を並べて整列できるほどの広さがあり、たかが奴隷や密輸品の荷降ろし作業にはあまりにも広すぎた。

 周囲は高い城壁で囲まれている。入ってきた大門を背にしてすぐ右側には、天を突き刺すような高い尖塔がそびえ立ち、左側には厩舎が設置されていた。広場の突き当たり中央には、地下から四角い建物の屋根が半分だけ地上に突き出しており、そこが地下への入り口となっているようだ。

 建物の窓はすべて上階部分の、それも弓矢や魔法を放つための狭い「狭間窓(銃眼)」しかなく、最初から戦争を前提に作られていることは明らかだった。城壁の上には、武装した男たちが油断なく巡回している。

 

 ブランシェは網膜から得た視覚情報と、先ほどまで探知していた生体反応のワイヤーフレームを完全に融合させ、砦の構造を精密に3D映像化していった。


(……大人の男が、ざっと二十人。いずれも魔力反応は微塵もない。全員が魔力ゼロの沈黙者スィランスか。……それと、あの突き当たりの地下室に、子供が三人、いや、四人いるな。……ん? 待てよ。……全員が『共鳴者レゾナンス』じゃないか!)


 ブランシェは僅かに眉をひそめた。


(魔力持ちの子供たちが四人もいて、なぜ魔力を持たない沈黙者の大人たちの言いなりになっているんだ? 恐怖で支配されているのか、それとも何か別の理由があるのか……。まあ、大人しくしていれば後ですぐに会えるだろう。……それよりも。あっちの右側にある高い塔の中、一体何が潜んでいる……?)


(……っ! 『森巨人トロール』だ! しかも二体もいやがる……! とんでもない大型モンスターじゃないか。万が一暴れ出したら、ここにいる男たちが全員で束になってかかったところで、到底抑え込めるはずがない。いったいどうやって、あんな化け物を手懐けて大人しくさせているんだ……?

 ……どうやらこいつら、ただの奴隷商人じゃなさそうだな。さて、どう動くか……)


「頭のてっぺんから足の先まで、ほんとに真っ白なガキだぜ!」

「へへっ、いったい金貨何枚分になるんだ?」

 

 周囲で男たちが下卑た笑い声を上げながら、値踏みするように騒ぎ立てている。

 悪い予感はしていたが、まだ人間らしい情緒の残っていた『ヴィーヴル・デ・マレ』の海賊どもの方が、何倍もマシな手合いだったようだ。


 額から右目の下にかけて、縦に大きな青痣のある大男が顔を近づけてきた。男は奴隷商人のくせに、実戦で使い込まれた鈍い銀色を放つ、金属製の本格的な甲冑を着込んでいる。


(……こいつ、ただの奴隷商人の分際で、なんでこんな重武装の甲冑なんて着てるんだ?)


「ふん。俺たちを観察してんのか? 物怖じしねえガキだな。だが、器量は申し分ねえ。ヴィーヴル・デ・マレの野郎ども、極上の上物を仕入れやがった。……だが、その呪われたような赤い目ん玉だけは、俺は好きになれねえな。おい、アウェ! そのガキの手枷を外してやれ」


「へいっ、お頭」 


 アウェと呼ばれた背の低い男が、乱暴に手枷の鍵を外した。ブランシェと大して変わらない、小柄な身長の男だ。アウェもまた、軽量ながらも頑丈な革の甲冑をしっかりと着込んでいる。


「部屋に連れて行ってやれ。先客のお友達に会わせてやんな」


「へいっ! ……ほら、おらッ! さっさと歩け!」


 アウェに背中をドカドカと不躾に突き飛ばされる。


(……痛っ。いや、言われなくても普通に歩いてるんだけどな。チビは総じて気が短いから仕方がない。しかし、青痣のお頭といい、帝国の奴隷商人は全員が兵士並みに武装しているのか? その上、番犬代わりにトロールまで飼っているなんて……)


「なあお前、生まれたときからそんな化け物みたいな色なのか?」


「……」


 ブランシェは歩きながら僅かに目を細め、血の筋のような、深紅の双眸でアウェを冷酷に睨みつけた。


(……今ここで、こいつの存在ごと分子レベルで『消毒』してやってもいいんだがな。それよりも、地下にいる共鳴者レゾナンスの四人の方が気になる。……今は我慢だ)


「ちっ! 薄気味悪いクソガキだぜ」


 再びアウェに突き飛ばされながら、地面から不気味に突き出した建物の入り口から、地下へと階段を降りていく。

 石を強固に積み上げて造られた、牢獄のような堅牢な構造だ。

 地下へと深く降りていくにつれ、先ほど外で索敵した『共鳴者』の魔力反応が近づいてくる。やはり三人――いや、違う。最後の一人は、今にも消え入りそうなほど弱々しい、瀕死の波長だった。まるで、死にかけているかのように。

 

 右曲がりのスロープを降り、薄暗い廊下を進んでいくと、突き当たりに太い鉄格子が嵌められた頑丈な扉がいくつか見えた。格子の隙間から、こちらを覗き込んでいる女の子が何人か見える。


 アウェは面倒くさそうに鍵束をガチャガチャと鳴らし、女の子が覗いていた扉の鍵を開けた。


「おらッ、さっさとしろ!」


 吐き捨てるのと同時に、アウェはブランシェの背中を、容赦なく思い切り蹴飛ばした。

 

 ――ごちんっ!!


 無防備に放り出されたブランシェの小さな身体が、冷たい石畳の上で派手な音を立てて転がった。


「お頭からは『殺すな』とは言われてるがよ、『怪我をさせるな』とは言われてねえんだよ。分かったか、クソガキ!」


 アウェは下卑た勝ち誇るような笑みを浮かべ、鉄格子を乱暴に叩きつけた。 


(……。はい、殺すリスト第一位確定しました)

 

 ブランシェはゆっくりと身体を起こすと、ガチャンと音を立てて閉ざされた鉄格子の向こう、肩を揺らしながら満足げに去っていくアウェの小さな背中を、暗闇の底から、いつまでも冷徹に睨みつけ続けるのだった。

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