第二話 塵埃の狭間と話を聞かない女神アルビナ
城田は闇の中で気が付いた。
(何も見えない)
空気の揺らぎも、塵の浮遊すら感じられない、完全な『無塵室』のような暗黒だった。目が開いているのか閉じているのか、それとも事故で頭を打って視力が無くなってしまったのかわからなかった。そもそも今、自分が立っているのか寝ているのかさえわからない。とりあえず身体が無事か右手で顔を触ろうとした。
(動かない。やっぱり事故だ。林道を走っているときに幻覚が見えたところまでは覚えているのだが)
どれほどの時間が経ったかもわからない静寂の中、正面にふと小さな光の点が見えた。光はどんどんこちらに近づいてくる。眩しい光の中に人影が見えた。やがて光っているのはその人影そのものだとわかった。それは真っ白な少女の姿だった。少女の背には銀の翼が生えている。絵画で見た女神の絵そのままだ。その幻想的な姿にしばし見とれてしまう。
(夢? 幻覚を見てるのか?)
さっき林道で転倒して路上に昏睡してるのではと想像した。
「ごめんなさい……」
とっさに城田は
(誰?)
と声を出そうとしたが声は出なかった。
「私はアルビナ」
問いに答えるように頭の中に声が聞こえてきた。すごく遠くから聞こえるようでもあり、すぐ近くで囁いているようにも聞こえる。アルビナはそのまま真っすぐルビーのような深紅の瞳で城田を見つめてきた。
(アルビナだって? ……深緋色の綺麗な瞳だな……夢にしてはやけに鮮明だな? これはあれか、さっきの事故で死んだってことか?)
「びっくりさせてしまいましたね。あなたが今いるこの場所は『塵埃の狭間』。私があなた方の『此岸』に干渉してしまったため、『歪み』ができてしまいました。そこへあなたが『滑り込んで』しまったのです。この塵埃の狭間では肉体は存在できません。大変言いにくいことなのですがあなたの肉体はもう存在していないのです」
(塵埃の狭間だって……? つまり、世界の隅っこに溜まった『ゴミ捨て場』みたいな場所ってこと? 掃除屋には馴染みのある名前だな)
「肉体を究極までバラバラにすると何が残ると思いますか?」
(いきなり質問!? ていうか心に思い浮かべるだけで会話ができてるのか? えーっとバラバラにすると……原子とかですか?)
「ちゃんと会話できてますよ。あなた方の此岸では原子というのが最小ですか?」
(ええっと、確か原子より小さい素粒子とかいうのがあるって清掃の仕事で、静電気とか、光触媒の仕組みとかを調べているときに、そういう物理の話を読んだことがあるな……人の意識とか記憶なんかも電気信号でそれが魂みたいなものを形作っているとか……)
「そうですっ! あなたは今まさにその状態なんです!」
(はあ、つまり魂だけになったってこと?)
「あなた方の言い方ではそうなりますね」
(それで、もう元には戻れないんですね?)
「はい。ごめんなさい」
(戻れないだって? だとしても、何か問題あるかな?)
城田はしばし考え込んだ。
(果たして自分は元のあの世界に何か未練があるだろうか。両親は既に亡くなっていて、恋人もいない。孤独を楽しむためツーリングをするくらいだ。どうしても戻りたい場所なのか? 仕事……? もう少し磨きたかったかな……)
(えっと、大した人生じゃなかったし。なので……戻れなくて大丈夫です。ここで適当にぶらぶらしてます。そもそも何ていうか、俺がもっとうまく「あれ」をすり抜ければこんなことにならなかったんでしょうし。アルビナさんにまで迷惑をおかけしてすみません。でもまあ……突然「あれ」が現れたので、あれ、普通じゃちょっと避けるの無理だったんで、魔法でも使えれば空中に浮かんだりして滑らなかったかなーなんて)
「私に迷惑ですか……自分がこんな目に遭っているのに相手のことを考えるなんて。あなたは変わった人ですね。それより、魔法が使えれば……ですか」
アルビナは小さな首を横に傾けて考え込むような仕草をした。短めの真っ白な髪が揺れて、毛先が肩に触れた。
「わかりました。あなたの願いを叶えましょう」
(へっ? 願いって何? 今、俺何か願い事言ったっけ……)
「つまり魔法が使えればあなたは物事を全てうまくやれるということです!」
アルビナは胸の前で小さな手をぽんと打った。
(この人、あれだ、人の話を聞かないタイプだ。まあ神様ってそういうもんかな)
城田はひとり置いてけぼりにされる感覚を味わっていた。
「ここは数多の此岸と繋がっています。あなたには魔法のある此岸で生まれ変わってもらいます」
(うん。もう好きにしてくれ! 今さら神さまに逆らってもどうしようもない)
「ここを出るには別の此岸に生まれ変わるしかありません。少しばかり困難があなたを待ち受けているかもしれませんが、あなたには私の姿と、世界を構成する最小の『光』を操る力を授けますから思うままに人生をかけて世界と共鳴してみてください。私からのせめてものお詫びです」
(光……? 光子のことか。なるほど、やることは同じだ。これからは、世界の分子や光子を整列させて、綺麗に磨き上げてやればいいんだな)
――次の瞬間、地面が急になくなったように身体が落下していく感覚がして気が遠くなり、そして虚無が訪れた……。




