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第十八話 泥の再誕

 リエヴァン北部にそびえるオレオル山。その中腹からせり出した断崖の先に、二人の男が立っていた。

 そこから見下ろすリエヴァンの街並みは、まるで一枚の絵画のように美しく、そして静まり返っていた。


「ドルヒよ……言った筈だぞ、手を出す必要はないと……キサマの悪い癖だぞ」


 低く、地を這うような声が響く。声の主は、禁忌の闇魔術を操る老人、シュテルンだった。

 

「……申し訳ありません、シュテルン様。ですが、懐に忍ばせていた小型の検験器プリューファーが、一瞬だけあのガキの魔力を捉えたのです」


 ドルヒは苦渋に満ちた表情で頭を下げた。

 

「ほう……。それで?」

「それが……完全に『非導体ニヒト・ライター』でした。検験器の針が、ピクリとも動かなかったのです」

「!?……馬鹿なことを」

「しかし、事実です。あのガキは異常です」

「ふむ……。五年前にキサマが失敗した理由も、そこにあるわけか……」

 

 ドルヒの顔には深い憔悴の色が滲んでいた。

 

(……シュテルン様の計画を完璧にするため、終焉結界の仕上げにあのガキをあらかじめ始末しておこうと思ったのだが。……クソ、あと一瞬対応が遅れていたら、逆にこちらが拘束されていた。あの時、ガキが何かに気を取られていなければ危なかったな……)


 シュテルンは街を見下ろしたまま、淡々と問いかける。

 

刻印スティグマは済んだのだろうな……?」

「はっ、問題ありません。発動と同時に仕込んでおいた港の倉庫街には火を放つ手筈です。……どこにも逃げ場はありません」

「五年、か。少々時間をかけすぎたがな」

「ですが、それも今日で終わりです。あの忌々しいガキも、銀翼教会も、リエヴァンも……すべて」

 

 シュテルンが不気味に目を細め、その枯れ木のような両手を天へと突き上げた。


 「終焉術式! ――『カタストローフェ(百鬼夜行)』!」

 

 その宣言とともに、彼らの足元の岩肌を伝って、一条の禍々しい青白い光が崖下へと猛スピードで駆け下りていった。

 光は暗い森を狂い咲くように抜け、平野を横切り、一直線にリエヴァンの城壁へと向かっていく。それは、未明にドルヒが腐蝕魔法で脆弱化させた、まさにあの城門を目指していた。


「……これでもう、誰にも止められぬ」

 

 巨大な生贄の祭壇を見下ろす執行人のように、冷酷な言葉を置き去りにして、シュテルンとドルヒは「転移」した。


 ◆◇◆

  

 ザザァァァンッ!


 激しい波飛沫を上げながら、一隻の高速船がリエヴァンの港の沖合を全速力で遠ざかっていく。


 全長三十メートルほどの引き締まった船体。マストは中央の見張り台に一本あるのみで、そこには望遠鏡を構えた見張り員が一人座っている。その頭上には、黒地に銀の竜蛇――『ヴィーヴル・デ・マレ(深淵の竜蛇)』の刺繍が施された旗印が、誇らしげに風にはためいていた。

 船尾では数人の水魔導師イドロマンシアンが海流を強引に操り、常識外れの速度で船を航行させている。


 船内の薄暗い船底。

 激しい船体の揺れに合わせ、頑丈な鉄格子が嵌められた木箱がガタガタと傾いた。

  

「おいおい、そう落ち込むなよ。ものは考えようだぜ、お嬢ちゃん」


 木箱に入れられたブランシェの前で、先ほどエレーヌに金貨を手渡した大男が、退屈しのぎのようにずっと話しかけてきていた。


「お前は滅多に拝めねえほどの器量よしだ。帝国のお大尽様にでも買われれば、リエヴァンで泥をすするより、よっぽど贅沢でマシな暮らしが待ってるかもしれねえぞ?」

  

「…………」

 ブランシェは膝を抱えたまま、一言も発しない。

 

(……まあ、これでよかったんだ。結局、この世界にすら俺の居場所なんて最初からなかった。前世でいうところの『不当解雇』、あるいは『僻地への左遷』ってところだな……)


「俺もこの商売を長くやってるがよ、目先の金目当てに自分の子供を奴隷に売り飛ばす親なんざ、この世にいくらでもいるんだ。気にするな」


(……うるさい男だな。こいつはこいつで、俺を慰めているつもりなのか?)

 

「あの女……お前の母親には金貨十枚しか渡さなかったんだがな。お前のその『紅玉』みたいな瞳は、ただでさえ希少な白変種の中でも今まで見たことがねえ。闇市場の競りにでも出せば、ひょっとすると『星金貨エトワール』十枚以上の値がつくかもな」


(……星金貨だって!? 確か一枚で、通常の金貨百枚分の価値があるって学校で教わったな。……ってことは、エレーヌが我が子を売ってまで手に入れた金貨が相場の端た金だったなんて……まあ、今の俺にはどうでもいいことだけどな)


 大男はブランシェのあまりの静けさに拍子抜けしたのか、ふう、と息を吐いて立ち上がった。


「おいお前、ちょっと甲板へ出てみないか?」


「……!?」


「お前、魔力を持たねえ『沈黙者スィランス』みたいだしな。この海の上じゃあ、逃げようにもどこへも行けねえだろ。それに、お前にはこれからたんまり稼がせてもらう予定だからな。これは特別扱いだ」


(……そういえばさっき、地下でイゾラントを無理やり握らされたっけ。無駄なのに。……でも、せっかくだ。これが最後だ。リエヴァンの景色だけでも、目に焼き付けておくか……)


 ブランシェは静かに頷くと、大男の後に続いて甲板へと上がった。船底を見渡す限り、他に囚われている子供の姿はなかった。ブランシェ一人で星金貨十枚以上の価値になるのなら、組織としてもリスクを冒して何人も拐う必要はないのだろう。


 重い扉を押し開けて甲板に出ると、海風が白銀の髪を激しく揺らした。

 乗せられるときは意識が酷く沈み込んでいて周囲を見ていなかったが、改めて見渡すと、想像以上に立派で洗練された構造の高速船だった。 


 水魔法による推進力を主としているため、一般的な帆船のような巨大なセイル(帆)を張るマストはない。ただ中央に一本、見張り台を備えた細いマストがそびえ立つのみだ。船体は水流の抵抗を受け流しやすい滑らかな曲線を帯びており、風向きに左右されることなく海を切り裂いて進んでいく。

 この速度であれば、目的地にはあっという間に到着するはずだ。

 行き交う何人かの乗組員たちが、珍しい生き物でも見るような目でブランシェを一瞥しては通り過ぎていく。


(……リエヴァンは、どっちの方向だろうな)


 ブランシェは目を凝らして陸地を探したが、遥か彼方に霞んでしまっていた。エミやエヴィックたち親しい魔力の痕跡を辿ってみるが、距離が離れすぎているのか何も探知できなかった。

 

(……まあ、いいさ。座標ゆくえのない旅路なら、この船の揺れに身を任せるのも悪くない。……それに、エヴィックさんたちの思惑どおり、教会の聖女として縛り付けられたままの人生なんてまっぴらだった。新しい土地(転職先)で、また一からお掃除(やり直し)をするだけだ)


「おい、なんだ? お前、もう船底に戻りたいって? せっかく甲板に出してやったのに、おかしな奴だ」


 大男の呆れた声を背に、ブランシェはリエヴァンへの未練を完全に断ち切るように、再び薄暗い船底へと足を進め、階段を降りていった。


 ――それから、間もなくのことだった。


「おかしらぁ! リエヴァンの港から、煙が上がってやす!!」


 見張り台の最上部にいる男が、裂けるような大声を張り上げた。


「何だと……!? 何があった、見せてみろ!」


 お頭と呼ばれた大男は、巨体に似合わぬ俊敏さでマストの縄梯子を駆け上がっていった。見張り員から望遠鏡を引ったくり、片目を細めて陸地を凝視する。


「……チッ、ここからじゃ距離がありすぎてよく見えねえな。戦争でもおっ始まったのか?」


 遠ざかる陸地の地平線から、どす黒い煙が空へ向かって不気味にたなびいている。燃えているのが港の倉庫街なのか、それとも停泊している船なのかまでは判別できない。


「いずれにしても、間一髪だったな。もう少し出航が遅れていたら、俺たちまであの騒ぎに巻き込まれるところだったぜ。いい街だったのによぉ、お気に入りの酒場もあったんだがな……」


「お頭ぁ、どうしやす? あのガキにも、街が燃えてるって教えてやりますかい?」


「……やめとけ。もういいだろう、これ以上あいつに辛い思いをさせる必要はねえ……」


「へえ? お頭、まさかあのガキに情でも湧いちまったんすか?」


「ば、馬鹿言うんじゃねえ! あいつは星金貨だぞ! これ以上落ち込まれたら、価値が下がるだろうが!」


 大男――海賊『ヴィーヴル・デ・マレ』の首領である「深海アビスのアロイス」は、手下のからかいを真っ赤になって怒鳴り散らすと、即座に甲板へ向かって指示を飛ばした。


水魔導師イドロマンシアンの野郎どもを総動員しろ! 魔力をケチるな、全速前進だ! 厄介事に巻き込まれる前に、さっさとこの海域をずらかるぞ!」


 荒々しく命令を下しながらも、アロイスは望遠鏡を握りしめたまま、遠ざかっていくリエヴァンの不穏な煙を、いつまでもじっと見つめ続けていた。


 ◆◇◆


 ――数刻前。

 

 リエヴァンを強固に囲んでいた城壁。その「三箇所」の城門から、突如として細く黒い光の柱が天へと立ち上がった。

 それは腐食魔法で侵されていた門を容易く溶解し、しばらくするとドス黒い染みへと変わった。


 北、東、西――。

 三方から染み出した「黒い泥」の波が、規則正しい街並みを容赦なく塗り潰しながら、中心部の大聖堂を目指して這い進んでいく。


 その黒い泥の波の一つひとつが、かつて人間だったモノを飲み込み、新たな泥人形ゴーレムへと作り変えていく。


 一つが二つに。二つが四つに。

 昨日まで、さっきまで続いていた、平和だった街の営みが、急速に泥に飲み込まれていく。

 その無音の侵食は、まるで水槽に落とした一滴のインクのようだった。


「な、なんだこれ――」


 驚愕の悲鳴が上がったかと思うと、それはすぐに、肉と骨がひしゃげる鈍い音にかき消された。

 先ほどまで隣にいた男が、いまや泥の塊となり、別の人間を求めて腕を伸ばしている。


 一人、また一人。

 百鬼の行列は、街の住人を飲み込むたびに膨れ上がり、逃げ惑う群衆を黒い波となって呑み込んでいった。

 

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