第十四話 属性の審判
観光客と祭りの参加者たちで足の踏み場もないほどにごった返す大聖堂前の広場。
その中心を力ずくで占拠したヴェルネ首席査察官は、持ち込ませた巨大な木枠に、一枚の大きな垂れ幕をこれ見よがしに掲げさせた。そこには、国家が定めた『魔法属性・階位相関図』が、冷酷に描かれていた。
ヴェルネは拡声魔法(風)を使い、傲然とした態度で広場の人々へ向けて冷たく告げた。
「――いいか、リエヴァンの無知なる民よ。魔法とは、我がロスナーサ王国の秩序そのものである。褐色(土)に生まれた者は地を這う平民となり、赤色(火)に選ばれた貴き血筋の者が国家を導く。それこそが、この世界を正しく統べる『属性羈束』の理なのだ!」
民衆が見上げる垂れ幕には、王国の絶対的な以下の階位が序列順に並んでいた。
発光色:褐色 属性:(土) 魔力値:一〜一〇〇
呼称:普通魔導師
発光色:青色 属性:(水) 魔力値:〜一、〇〇〇
呼称:中級魔導師
発光色:緑色 属性:(風) 魔力値:〜一万
呼称:上級魔導師
発光色:赤色 属性:(火) 魔力値:〜十万
呼称:特級魔導師
発光色:紫色 属性:(雷) 魔力値:〜一〇〇万
呼称:神級魔導師
だが、その不気味な紫色(雷)の欄の下には、本来ならばまだ続きが存在していた。
『発光色:白金(光)魔力値:一〇〇万〜測定不能 神の領域』。銀翼教会の経典にのみ残るその伝説の文字は、しかし、王国の官僚たちの手によって、上から赤い染料で「未確認のため抹消」と、乱暴かつ一方的に上書きされて消し去られていた。国家の管理が及ばない神の存在など、彼らにとってはただのノイズでしかないのだ。
「まず、なぜ我が局が臨時の監察を行い、貴様ら全員の魔力測定を執行するのか、その理由を教えてやろう! 第一の嫌疑は、王国へ届出のない『無登録の高位魔導師』がこの街に潜伏しているという明確な痕跡だ! その証拠こそが、現在進行形で街中を埋め尽くしているあの忌々しい鏡どもである! 貴様ら褐色(土)の低級民ごときの拙い手業で、あれほどの平滑度を持つ反射率を生み出せるわけがないのだ!」
ヴェルネの辛辣な言葉が、お祭りの熱気に冷水を浴びせるように響き渡る。
「さらに! 第二の嫌疑として、王国の国教である大星教のプセド神を著しく蔑ろにする、『聖女』などという不穏な反逆の噂が流れていることだ! したがってこれより、王国の安全管理に基づき、全リエヴァン市民に対する強制的な簡易魔力測定を行う! 執行を拒否する者は、王国に対する反逆の意思ありと見做し、その場で直ちに拘束する!」
広場を埋める市民の間に、凄まじい騒然とした波紋が広がった。 年に一度の待ちに待った『白銀の収穫祭』の当日。街中がこれまでにない美しさに磨き上げられ、白銀の輝きに遠方からの観光客たちも酔いしれているその最高潮のさなかを、王都の冷徹な権力が容赦なく蹂躙していくのだ。人々の歓声は一瞬にして消え失せ、リエヴァンの広場は一触即発の、張り詰めた泥沼の空気へと変貌を遂げた。
だが、ヴェルネの顔にはサディスティックな笑みが浮かぶのみだった。彼は遮光眼鏡の奥の目をギラリと光らせると、背後の馬車へと鋭く言い放った。
「ジルベール君! ぐずぐずするな、直ちに測定の準備をしたまえ!」
ヴェルネが鋭く指示を下した場所に、数人がかりで慎重に台座ごと運ばれてきたのは、鈍い光沢を放つ巨大な真鍮製の「天秤」のような形をした不気味な魔導装置であった。
天秤の片方の皿には、被験者が握るための無色透明な魔力鉱石が据えられ、もう片方の皿には、あらかじめ『上級魔導師(緑・風)』クラスの魔力が封じ込められた、王国の『基準原石』が鎮座している。
被験者が握ったイゾラントの出力が、国家の定める基準(緑・風)より弱ければ天秤は微動だにしない。だが、ひとたび基準値を超えれば、天秤は「ガタン!」と重苦しい音を立てて激しく傾き、背後に設置された魔導スクリーンに変色した属性の色――すなわち「緑」や「赤」が鮮烈に投影されるという、国家が誇る高精度な検知システムであった。
「いいかね。この天秤が傾くということは、我が王国の平民管理の枠組みを大幅に超越した、国家にとっての『劇物』であることを意味する。……まあ、こんな寂れた辺境の収穫祭に、私のような上級魔導師に並ぶ存在がいるはずもないがね」
ヴェルネは広場を埋める民衆を小馬鹿にするように言い放つと、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「まずは、お手本を見せてやろう」
彼が傲然とイゾラントに手をかざし、その結晶を強く握りしめる。次の瞬間、天秤の針が跳ね上がり、装置は勢いよく「ガタン!」と音を立てて傾いた。同時に、背後の大型スクリーンが、息を呑むほど鮮やかなエメラルドグリーン(緑・風)の光膜に染め上げられる。
「見よ。これこそが、国を支える『選ばれし者』の光だ。……さて、次はお前たちの番だ。この国家の天秤を不穏に揺らすような、大それた不届き者はいないかな? ――まずは、あの忌々しい鏡を製造したガラス工房の職人どもから、順にここへ連れてこい!」
「お待ちいただこう! 首席査察官殿!」
鋭く凛とした声が広場に響き、群衆が割れた。 上質な黒い法衣を纏い、威厳に満ちた足取りで現れたのは、リエヴァン大聖堂を統べる大司教エヴィックであった。
「おやおや、エヴィック殿。ようやくお出ましか。待たせてくれたね」
「この度の強引な臨時査察は、街を治めるセネシャル代官も当然、了解しているのでしょうな?」
「もちろん! セネシャル君も、きっと私と全く同じ合理的な考えの持ち主のはずだよ。何しろ彼は、私が王宮の高等文官だった時代のかわいい後輩でね。こんな埃っぽい田舎よりも、一刻も早く中央へ戻りたいと願っているんじゃないかな」
ヴェルネは遮光眼鏡の奥の目を細め、大司教を挑発するように言葉を続けた。
「……しかし首席、リエヴァンの市民に対する魔力測定は、規定通り今年執り行ったばかりのはず。それを、わざわざお祭りの当日に二度も行う意味など、どこにもないかと存じますが?」
「意味なら、大いにある。……いいかねエヴィック殿、このリエヴァンには、ちょうど数ヶ月ほど前から、不可解な奇跡な噂が立ち始めた。もし、その時期に、王国への届出を意図的に怠っている『未登録の高位魔導師』がこの街に潜伏しているのだとしたら……どう説明するのかね、大司教殿?」
「そ、そのような不届き者など、我が教会は関知しておりません……」
「関知していない? ならば、全員を測定したところで何の問題もないではないですか。疚しいことがないのならね! ――よし、ぐずぐずするな、連れてこい!」
ヴェルネが合図を送ると、天幕の奥から羈束局の武装随行員たちが、一人の幼い少女の身柄を引き連れて現れた。
(……まずい! まさか十歳に満たないブランシェの魔力測定を、王国が強行するとは!)
エヴィックの額に冷たい汗が流れる。あの子にはまだ、魔力を隠蔽するやり方を教えていないのだ。
「査察官殿! この子はまだ五歳になったばかりです。王国の魔力測定法によれば、十歳に満たない子への強制魔力測定は厳格に禁止されているはずではないですか!」
「これはこれはエヴィック殿、この私にまさかの魔力測定法の講義ですか……? 法には、こう書かれてありますよ。『但し、王国の安全管理に重大な妨げのある場合を除く』とね。今が正に、その場合ではないですかな? ――さっさとその『聖女』とやらを天秤の前へ連れてこい! 反逆の証拠を掴んでやる!」
屁理屈と権力で塗り固められた法律の刃の前に、エヴィックはぐうの音も出ず、その奥歯を強く噛み締めた。
ヴェルネがサディスティックな歓喜に目を輝かせながら、天秤へと歩み寄っていく。
エヴィックは、静かに覚悟を決めた。
このままブランシェがあのイゾラントを握らされれば、測定不能の白金の絶大なる光を放ち、装置の石ごと天秤を粉々に粉砕してしまうことは明白だった。そうなれば、教会が国家への不申告の高位魔導師を組織的に隠匿していたという、決定的な「国家反逆罪」が成立してしまう。ブランシェは王都へ拉致され、二度と日の目を見ない地下牢へ幽閉されるだろう。
(……やるしかない。この傲慢な査察官たちを、一人として生かして王都へ帰すわけにはいかない。――一人残らず、ここで屠る)
エヴィックは王国への欺瞞として、表向きには魔力を持たぬ「沈黙者」ということになっている。だがそれは、彼の卓越した魔力隠蔽が成せる業に過ぎない。その真の実力は、王国全体を見渡しても十数人ほどしか存在しないとされる、『特級魔導師(赤・火)』――グランクリュの領域。
彼の本気の魔力をもってすれば、ヴェルネら査察官一行など、一瞬で灰燼へと変えることなど造作もなかった。さらに、リエヴァン大聖堂には、彼の思想に共鳴する手練れの戦闘魔導師たちが掃いて捨てるほど伏せられている。
エヴィックは、老けメイクの皺を酷く歪めて傍らに控えるエミの耳元へ、
「エミよ。私が術式を展開し、合図を送ったら、何があってもブランシェを連れてこの街から逃げろ」
大司教の凄まじい殺気を含んだ声に、すべてを悟ったエミは、言葉を発することなく、ただ決然とした瞳で深く首を縦に振るのだった。
やがて、重苦しい沈黙の広場を通り、天秤の前へと引き立てられたブランシェの姿は――「聖女」の面影など微塵もない、あまりにも無残なものであった。
身に纏っているのは、すっかり色褪せて擦り切れた、まるでボロ雑巾のような孤児院のチュニック。死人のように真っ白な剥き出しの腕や足には、生々しい打撲痕や痛々しい擦り傷がいくつも浮かび上がり、自慢の白銀の髪は手入れもされずにボサボサに乱れている。さながら、深い闇の底から這い上がってきた哀れな幽鬼のようであった。
広場に集まった民衆から悲痛な息が漏れる中、ブランシェはか弱い少女を完璧に演じきり、胸の前で小さく手を合わしてお辞儀をしてみせた。
(――よし、俺の『光子擬態迷彩』の出来栄えはどうかな? 光の屈折率をミリ単位で微調整して、本来とは違う悲惨な容姿をホログラム投影する応用技なんだが……って、あれ? エヴィックさん、なんでそんな凄い形相でこっちを睨みつけてるんだ? エミまで、今にも心臓が止まりそうな顔でこっちを見てるぞ。……もしかして、やり過ぎたか?)
エヴィックたちの決死の覚悟など知る由もないブランシェは、大人たちの尋常ならざる表情に内心で小首を傾げた。
「何をモタモタしている! さっさとその汚い手で石を握るんだ!」
目の前に現れた薄汚れた幼児の姿に、猛烈な違和感と拍子抜けを覚えながらも、ヴェルネは苛立ちを隠さずにブランシェの背中を乱暴に小突いた。
(……これが王都で噂されていた聖女だと? どこをどう見ればそうなる。ただの行き倒れ寸前のドブネズミではないか。まさか、私の見当違いだったというのか……!? ――いや、まぁいい。この天秤がすべてを暴き立てる)
小突かれたブランシェは、観念したように俯きながら、天秤の皿に載せられた無色透明なイゾラントへと、青白い小さな手をゆっくりと伸ばしていった。
(待てよ。……これって、あのオレオル山で襲われた後、大聖堂でエミに握らされた、あの石と全く同じやつじゃないか?)
ぼんやりと前回の記憶を呼び覚ましながら、ブランシェは天秤の横に堂々と掲げられたカラーチャートの垂れ幕を、見た。
(うん? 一番下の欄。赤く乱暴に消してあるけど……『発光色:白金(光)魔力値:一〇〇万〜測定不能 神の領域』だって――!?)
その瞬間、彼女の脳内で完璧な危険予知のシグナルが激しく点滅した。
(そうか……! このまま何も考えずに石を握っちまったら、あの時と同じで『ピカっ!』と凄まじい光を放って砕け散るんだ。そうなれば、このいけ好かない役人の前で、俺が『神の領域』だってことをご丁寧に証明しちまうことになる! 今までエヴィックさんたちが必死にやってくれた隠蔽工作が、全部一瞬で水の泡になるってことか!)
そんな面倒な事態は、静かに平穏な引きこもりライフを送りたい彼女にとって、絶対に回避しなければならない不純物であった。
(よし! なんとしても正体を隠し通して、あの天秤をピクリとも動かさないでやるぞ。要するに、魔力の粒子(光子)を一滴も外部へ漏らさないように、完璧に遮蔽すればいいって話だろ。清掃の現場の基本中の基本だ。……よし、漏洩防止の養生処理、完了!)
エヴィックが背後で特級魔法の炎を練り上げる中、ブランシェの小さな手が、冷たいイゾラントにそっと触れた――。




