第十二話 収穫祭
近頃、王都オロールに『リエヴァン界隈に関するいくつかの都市伝説』が広まっていた。
曰く、「リエヴァンの大聖堂が一夜にして天界の如く輝き始めた」
曰く、「その輝きは教会の敷地内にとどまらず、リエヴァン市庁舎の方まで広がってきているらしい」
曰く、「教会で働く孫のいる女が、どこからみても美少女にしか見えない」
曰く、「実は五年前に女神アルビナの生まれ変わりの聖女が誕生していて、それを生んだのは件の美少女らしい」
曰く、「聖女が泥水に触れると、たちまち清流となって流れ出した」
などといった類の噂話である。いずれも旅の巡礼者たちが持ち帰ったたわいもない話であり、いかにも尾ひれのついた三流のタブロイド紙が好みそうな与太話であった。
「――君は、どう思うかね?」
王都オロールに居を構える、王立魔法羈束局の執務室。 山と積まれた書類の奥から、首席監察官のヴェルネが、やる気なさそうに突っ立っている部下を鋭い視線で問いただした。
「は? どうって、何がですか、首席」
「例の、辺境都市リエヴァンに関する噂話のことだよ」
「ああ、あの旅の巡礼者たちが持ち帰った与太話ですか? 首席は、あんな市井のゴシップに何か気になるところでもあるんですか?」
部下のジルベールの、あまりにもお粗末な情報分析能力の低さに苛立ちを覚えながら、ヴェルネは自らの優秀さを誇示するように丁寧に教えてやることにした。
「気になるも何も、ジルベール君! これは完全に、銀翼教会が掲げる『アルビナ再降臨』の兆候だろう!」
「さいこうりん……ですか?」
「知らんのかね! やつらの予言書、確か『創世記』とやらに明記されているのだよ。白銀の光を以て不浄を祓う、女神の器の誕生についてな!」
ジルベールと呼ばれた若手職員は、上司が一体何をそんなに興奮しているのか、全く見当がつかなかった。そもそも彼にとって銀翼教会の経典など、異教徒の退屈な昔話でしかない。
「はぁ。……それが、うちの局の仕事と何か関係があるんですか?」
「ジルベール君! 我が王立魔法羈束局の、絶対の職務とは何だね!?」
「あっ、えーっと……王室直属の貴族、および教皇庁に属する聖職者を除く、すべての王国民に対する出生・死亡の管理、魔力測定の執行、ならびに違法な魔力使用に関する取り締まり、ですが……」
ジルベールは、採用試験の時に必死で丸暗記した宣誓内容を咄嗟に思い出し、早口で答えた。その焦りから、危うくデスクの上のコーヒーカップを袖でひっくり返しそうになる。
「まあ、いいだろう。であれば、今回のリエヴァンでの噂は、我が局の監視対象にすべて綺麗に当てはまるのではないかね?」
「そうなんですか?」
「いいかね、ジルベール君。五年前にリエヴァンでアルビナと瓜二つの聖女が誕生しているという噂、その聖女が触れるだけで泥水を清流に変えたという逸話、そして現在進行形で広がり続けるリエヴァンの『街全体の異常な美化現象』。これらすべての要素が、公式に登録されていない、国家の脅威となり得る高位魔導師の存在を指し示している。リエヴァンには現在、そんな高位魔法の行使権を持つ登録者は一人もいないにもかかわらず、だ」
この上司は、普段からオカルト系のタブロイド紙しか読んでいないのだろうかと、ジルベールは内心で深く訝しんだ。
「ですから、そんなの全部ただのデタラメなんでしょ? 尾ひれがついた噂ですよ」
「もういい! 明日にもリエヴァンに向けて出発するぞ。現地への臨時監察を敢行する。理由は『高位魔導師の不申告』および『無登録の高位魔法の使用』。ついでに出生時の情報偽装の疑いだ。局長への事後報告の書類は、道中で作成すればいい」
「ええっ!? ですが首席、リエヴァンの銀翼教会は聖職者ですし、そもそも教皇庁の管轄なんじゃ……」
ジルベールは、来週から予定していた待望の長期休暇を死守するため、必死の抵抗を試みた。
「馬鹿者! もし教会のバックアップの元でその『聖女』とやらが本物の力を秘匿しているなら、それは宗教を隠れ蓑にした『国家反逆罪』に他ならん! しかも、生まれて間もない子供はまだ聖職者ではなく、ただの平民扱いだ! 我が局の法が、大司教の野心に容赦なく割り込める隙はいくらでもある! 必ず尻尾を掴んでやるぞ!」
「了解です……(勘弁してくれよ……)」
上司の異常な執念の前に、ジルベールは心の中で涙を流しながら、静かに自らの休暇の予定表をゴミ箱へと捨てるのだった。
◆◇◆
交易都市リエヴァンは、年に一度の盛大な秋の収穫祭を迎えようとしていた。
祭りの当日に向けて、街の人々は誰もが忙しそうに、そして楽しげに準備に明け暮れている。
『白銀の収穫祭』と呼ばれるその秋祭りは、日が暮れるのが早くなるこの時期に、女神アルビナに向けて聖なる「光」を捧げる伝統行事であった。その儀式の内容は独特である。街中の建物の窓や広場にあらゆる鏡を配置し、太陽の光を正確に反射させて、街の中心にある大聖堂の女神像が持つ宝珠へと一箇所に集めるのだ。
元よりリエヴァンは大聖堂を中心に扇状に発展した街である。建物の窓の数は膨大であり、その一軒一軒の窓すべてに一斉に鏡が並べられる光景は、当日になれば壮観という他なかった。その神秘的な光の奇跡を一目見ようと、王国の各地からも毎年大勢の巡礼者や観光客がこの街を訪れるのだ。
「ブランシェ見て! もう街中の窓が鏡で一杯になってるわ!」
朝の礼拝が終わり、すっかり若返って美しくなったエミが、五歳のブランシェの手を引いて教会の周囲を穏やかに散歩していた。あの襲撃事件以来、ブランシェの警護はさらに厳重になっており、当然ながら彼女に単独行動など一切許されてはいなかった。
「ああっ……!」
街並みを見上げた瞬間、ブランシェは思わず小さな声を漏らし、その場で硬直した。
「どうしたの、ブランシェ?」
(……おいおい、あり得ないだろ、なんだあの絶望的な反射率は! 下手をすれば八十パーセントすら下回っているじゃないか! 前世の基準で言えば、鏡の反射率なんて九十、いや、最低でも九十五パーセントは維持してくれないと仕事にならないぞ……!)
「なんか、みんなのおうちの鏡……あんまり光ってないね?」
ブランシェは内心のプロとしてのイライラを必死に抑え込み、子供らしい無邪気さを装って首を傾げた。
「ふふ、しょうがないわよ。あのねブランシェ、ピカピカに輝く上質な鏡を作るのって、とっても大変なことなのよ。……そうだ! せっかくお天気も良いんだし、今から街のガラス工房を見に行ってみましょうか!」
「うん! わたし、いきたいな!」
弾んだ声で答える五歳の少女の脳内では、別の歓喜の咆哮が上がっていた。
(よっしゃあ! 日中にやっと大聖堂以外の場所へ外出できるぞ! 基本的に俺は光学迷彩を纏った真夜中にしか労働(夜勤)ができない身だからな。しかも行き先が、ガラス工房だと……!?)
◆◇◆
街の外れにひっそりと佇む、年季の入った古いガラス工房。 そこには、火属性の『特級魔導師』のような、派手な高位魔法を操る者は一人もいない。
額に大粒の汗を浮かべた、褐色に輝く魔力を持つ『普通魔導師』の職人たちが、古めかしい窯に向かってじっと真剣に手をかざしていた。
「レゴワールさん、こんにちは」
エミがそのうちの一人の職人に、にこやかに話しかけた。
「う、うわあっ!? エ、エミさんかい! 誰かと思ったら……あまりに綺麗になってるから、見違えちまったぜ」
「いやだわ、何言ってるのよ。今日は工房を少し見学させてもらおうと思って来たのよ」
「ぜ、全然かまわねえよ。エミさんなら大歓迎だ。……で、そっちの可愛いお嬢ちゃんは?」
レゴワールは、珍しい生き物でも見るかのように、遠慮のない視線をブランシェへと寄せた。
「私の孫よ。ブランシェっていうの。もうすぐ白銀の収穫祭でしょ? だから、お祭り用の鏡作りの大変さを、この子に見せておこうと思ってね」
「ま、孫だって……!? いや、まぁいいや。ようやく祭り用の注文分も一段落ついたところだから、ゆっくりしていきな」
エミと職人の日常会話を他所に、五歳のブランシェの意識は、目の前の真っ赤に燃える窯へと釘付けになっていた。
(驚いたな……。魔力による火力増強ではなく、普通の薪の炎でガラスを溶かしている。……そうか! 火力を強引に上げるんじゃない。窯の内部の熱伝導を、土魔法の応用で完全に外部から遮断しているんだ。無駄な熱エネルギーを一切外へ逃がさない……。効率化の鬼だな、ここの職人たちは。どうりで、普通魔導師の出力だけでこれだけのガラスが融解できるわけだ)
「私はあんまり魔法の仕組みには詳しくないんだけどね。ここの人たちは皆、土魔法を使っているのよ。ガラスを均一に薄く延ばすのも、滑らかに磨き上げるのも、裏に銀を定着させるのも、全部彼らの魔法の手仕事。これがリエヴァン独自の製法なのよ」
「なんだい、エミさんはやけに鏡作りに詳しいじゃねえか。まるで鏡職人のおかみさんみたいだな」
レゴワールがからかうように笑うと、エミの表情から一瞬で陽気さが消えた。
「ええ……昔ね……あの人が……」
エミは長い睫毛を伏せながら、繋いでいたブランシェの小さな手をぎゅっと強く握りしめた。
「おい! レゴ! 滅多なことを言うんじゃねえ!」
工房の奥から、親方の怒鳴り声が響く。
「いいのよ、親方。もう、ずいぶん昔の話だもの……」
(なるほど……。十五年前に魔物に殺された、俺のおじいちゃん。あの人は、鏡職人だったのか……)
エミの寂しげな横顔を見て、ブランシェはすべてを理解した。
その後、レゴワールが性懲りもなくエミを食事に誘って親方に再度どやされるといった一幕を経て、二人は工房を後にした。
大聖堂への帰り道、ブランシェの心は、先ほどまで黙々と窯に向き合っていた魔導職人たちの静かな熱気に、強く当てられてしまっていた。
彼女は、お土産にともらったガラス工房の「失敗作の鏡の欠片」をポケットの中でそっと握りしめた。 歩きながら、その掌の中で極小の高圧光子を稼働させ、歪んだ硝子の表面へ一瞬の「研磨」を施す。 原子レベルで極限まで平滑化され、一切の凹凸を失ったその結晶の欠片は――この世界のいかなる名匠も到達し得ない、光の反射率「九十九・九九パーセント」という物理の限界値を叩き出していた。
(おじいちゃん……。俺が代わりに、やってみせるよ。――今夜、リエヴァン中の全ての鏡を、完璧にクレンジングしてやる)
エミに手を引かれながら夕暮れの帰路を進むブランシェ。 彼女は、リエヴァンの西日を受けて金剛石と見紛うばかりの眩い残光を放つ「元・失敗作」を、エミに気づかれないよう、大切にポケットの奥深くへとしまい直すのだった。




