第十一話 ステルス清掃員
「ねえ、ブランシェ、知ってる? 最近、この教会の中に『幽霊』が出るんですって」
ある日の昼下がり、エミが五歳の孫娘を怖がらせようと、いたずらっぽくジト目を向けて話しだした。
「ゆうれい?」
「そうよ。夜中、誰もいないはずの廊下を、白銀の光の筋がスーッと通り抜けていくの。そうして翌朝になると、その廊下だけは塵一つ落ちていないくらいピカピカに磨き上げられているらしいわ」
「……それのどこが、ゆうれいなの? ちっともこわくないけど?」
「違うのよ! それを偶然目撃した修道女が言うにはね、光が通り過ぎる時、どこからか不気味な声が聞こえたんですって。――『だめだ! あそこもだ!』『これじゃあ、こっちの汚れの方が余計に目立っちまうじゃないか!』……って。怖いでしょう? きっと、大昔に亡くなった清掃係の修道女の霊が、夜な夜な掃除をしに彷徨っているのよ」
「こ、これからは……きっと気をつける、んじゃないかな。ゆうれいさんも……」
「はあ? 何を言っているの、ブランシェ?」
引きつった笑みを浮かべるブランシェの言葉を、エミは不思議そうに聞き流した。
当然である。その「大昔に亡くなった清掃係の幽霊」の正体は、他ならぬ目の前の五歳児なのだから。
(知ってるも何も、正体は俺だ。あの襲撃事件以来、付きっきりになったエミや屈強な護衛たちの目を盗んで、夜な夜な教会のクリーン作業(夜勤)を行っているんだ。人呼んで『ステルス清掃員』だな。……ちくしょう、つい職人魂に火がついて声に出ちまってたか。次からは気をつけよう)
彼女が開発した『光子透過迷彩』は、自身の体の背後にある光(景色)の位相を極限まで整列させ、そのまま前面へと回り込ませることで、視覚的に完全な透明人間となる高等魔術だった。みんなが寝静まる深夜、彼女はこの光学迷彩を纏って、監禁部屋(自室)から颯爽と出撃を繰り返していた。
「あのっ……えっと。きっと、アルビナ様が直々にお掃除にいらっしゃったんじゃないかな……」
気まずくなったブランシェは、誤魔化し半分、真実半分といった台詞をあどけない声で呟いてみた。
「まあ! ブランシェ、あなたが言うととっても神秘的で素敵ね!」
さっきまで幽霊で怖がらせようとしていたことなど、エミは綺麗さっぱり忘れてしまったようだった。彼女は弾けるような満面の笑顔を浮かべると、愛しい孫娘を細い腕でギュッと力強く抱きしめた。
(うう、苦しい……。しかし、エミのやつ、あのオレオル山の事件からこっち、どんどん若返ってないか? 聞けば、最近は教会に信者でもない若者たちが、エミを一目見ようと集まって来ているらしい。街で見かけた男たちの間で『あそこに住んでいる麗しい美少女は誰だ』と噂になっているのだとか)
あの事件の日、瀕死の重傷を負ったエミに対し、ブランシェは「細胞単位のミクロのオーバーホール(修復工事)」を施した。結果として、古くなった細胞や不純物まで綺麗さっぱり取り除かれてしまったエミは、今や二十代前半と言われても通るほどの驚異的な美貌と若さを取り戻してしまっていた。
(『聖女の力による規格外のアンチエイジング』なんて王国にバレたらそれこそ破滅だ。慌てたエヴィック大司教が、エミにあまり外出しないよう直々に厳重注意したらしい。……いやぁ、大司教さんも隠蔽工作が大変だね。まぁ、全部俺の作業のせいなんだけどな)
◆◇◆
――同日、深夜。
静まり返った大聖堂の最奥。「銀翼の女神像」が厳かに鎮座する中央回廊、その天を突くような吹き抜けの空間に、白銀の小さな影が音もなく蠢いていた。
天井は幾重ものアーチ型フレームが連なる複雑な立体構造。その高所には、古代の歴史を物語る巨大なステンドグラスが嵌め込まれている。地表からの高さは、およそ五十メートル。
ブランシェは、この世界に来て初めて礼拝をさせられたあの日から、どうしても我慢がならなかった「未清掃区域」へとついに足を踏み入れていた。
(……高所の煤払いか。もはや、この体を与えられた天命としか思えないぜ! このステンドグラス、一体何百年前から放置されているんだ? 経年の煤どころか、鳥の糞までこびりついてガチガチに固まってるじゃないか。これじゃあ、せっかくの朝の礼拝の時、綺麗な光が差し込んでこないだろ)
前世の感覚であれば、大掛かりな足場を組むか、屋上からゴンドラを吊るさなければならない危険な高所作業だ。しかし、今の彼女には関係ない。
(光子の密度を足元で完全に均一化させて、空中に『見えない足場』を構築するといくか!)
虚空の階段を上るように空へと立ち、小さな右手をかざす。
「……『極高圧光子剥離』!」
純白の魔法円がステンドグラスの表面をなぞるように高速展開し、爆速で頑固な汚れを素粒子レベルで剥ぎ取っていく。
(透過率九十九・九パーセント。よし、これなら前世のプロの目から見ても文句なしの合格点だ。……ついでに、この下にある女神像の埃もピカピカにブラッシングしておいてやるか。細かい彫刻の隙間は、念入りにな……)
◆◇◆
翌朝。
大聖堂の扉を開けた信者や神父たちは、息を呑み、その場に一斉に崩れ落ちた。
そこに広がっていたのは、まるでこの世のものとは思えない、天界の宮殿さながらの光景だった。
何百年もの間、薄暗い影を落としていたステンドグラスからは、かつてないほど濃密で純粋な、極彩色の聖なる光のビームが中央回廊へと降り注いでいる。その光に照らされた大理石の柱も、天井の梁も、そして「銀翼の女神像」も、一切の陰りなく白銀に輝いていた。
「……あ、ああ! 柱が、天井が、女神様が輝いている……!」
「昨夜、女神アルビナ様がこの地に降臨されたに違いない……!」
奇跡の光に包まれながら、涙を流して狂信的に床へ額を擦り付け始める大人たち。
騒ぎを聞きつけて飛んできたエヴィック大司教は、そのあまりにも神々しく、そして「物理的に隠蔽不可能な奇跡の痕跡」を前に、深く胃を押さえて立ち尽くすしかなかった。
そんな下界の喧騒を、自室のベッドの上で透過3D探知をしながら見つめていた五歳の少女は、
「ふん、換気状態も良くなったな」
と、プロの清掃を終えた心地よい達成感と共に、すやすやと二度寝を極めるのだった。




