51 聖水
ここでふと床に転がる小瓶が目に入る。先ほどの教主の女性が落としていったものだった。
あれに聖霊を込めているとか言ってたっけ。結局彼女にはできないようだったけど……。もしかして、私になら可能だったりする?
と部屋の隅に置かれた水甕に目をやった。中には飲み水がたっぷりと入れられている。
ちょっと聖霊達、あそこの水に宿ったりできない? え、できるの? じゃあ、お願い。
すぐに聖霊達は次々に水甕の中へ。
ふむ、何の変哲もなかったただの水がものすごく清らかな物に変わっていくのが分かるよ。
「本日の治療も済みましたし、戻りましょうルーシャ様」
「ルーシャ様? いったい何を見て……」
私の視線の先を追ったトレイシーさんとミーティアさんは、聖霊達が詰まった水甕を凝視。二人でゆっくりと近付いていく。おもむろに中の水をすくって一口ずつ飲んだ。
「これは! なんて清らかな水! まるで体中の穢れが洗い流されるようです!」
「いえ、実際に肉体の回復を感じますよ! おそらく司教様の〈ヒール〉に匹敵します!」
なんと、たった一口で高位の神官の治癒魔法と同等とは。
おや、参謀達が欲にまみれた眼差しでこっちを……。
「……ルーシャ様、この水に何をなさったのですか?」
「え、聖霊達に入れるだけ入ってもらっただけ」
「それは魔力を消費したり疲れたりしますか?」
「いや、全然。聖霊達にお願いして動いてもらうだけだから、別のことをしながらでもできるよ」
私の返答にトレイシーさんとミーティアさんの顔は、今日一番というほどに輝いた。
――――。
「お待たせしました。それでは打ち合わせを始めましょう」
同じ首都の拠点内にある会議室に入ると、すでにキアとヨルンシスさんが席に着いていた。二人は私の後から続々と運びこまれる水甕を眺める。
キアの方が首を傾げつつ私に視線を戻した。
「打ち合わせ中にどんだけ水を飲むんだ」
「私が飲むわけじゃないって……。あれ、実は」
一口で高位聖職者の〈ヒール〉に相当する聖霊水を量産しているのだと、ざっくり説明した。
「会議の片手間でできるから気にしないで。よかったら持って帰ってもいいよ」
と皆で再び水甕を見つめていると、そこにトコトコとテルミラお母さんが。すでに聖霊が満タンになっている甕を選び、コップですくって飲み干す。
「……確かに、聖霊の濃度が半端ないわ。この水、たぶん絶対に腐らないし、あらゆる病気の予防薬にもなる。もう高級霊薬と呼べる代物よ」
これを聞いたキアとヨルンシスさんは互いに頷き合った。
「とりあえず、一甕ずつ貰って帰ろうか」
「そうですね、一甕で家が数軒立つほど価値がありそうですし」
ああ、うん、どうぞ……。
聖霊の特性として、あらゆる邪悪な存在を遠ざけることができるとか。おそらく人間にとって有害な細菌などもそこに含まれ、なのでお母さんが言ったようにあの水は腐らないし予防薬にもなる。さらに治癒の効果もあるのだから、販売すれば高値で取引されるだろう。
もちろん私は売るつもりなんてない。聖霊水は国中の支部に配備する予定だ。
二日に一度の私の治療を待てずに亡くなる人は大勢いる。エルフィリス各地で聖霊水が使用できればその多くを救えるはずだった。
「あんたね、それがどういうことか分かっているの?」
私の思考を読んだテルミラお母さんが尋ねてきていた。
「どういうことなの?」
「ここに運ばれてくる瀕死の人が増えるってことよ。あんたの負担が重くなるでしょうが」
「そんなの望むところだよ。千人くらいまでなら平気だから」
「平気でも結構な魔力消費でしょうが。ったく、こんなハイペースで魔法を使う二歳児知らないわよ!」
「明日で三歳だって……。……お母さん、私を気遣ってくれてありがとうね」
付け足した感謝の言葉に、テルミラお母さんはもう一度「知らないわよ!」とぷいっと顔を背けた。まったく、素直じゃないなー。何だかんだ私のことを思ってくれているのは分かっているんだから。
と少しほっこりした気持ちで見ていると、お母さんは先ほど汲んだ聖霊水にお酒をドボドボと。指でかきまぜて一気に飲み干す。
「うまっ! まるで神の酒だわ! あ、私も一甕貰うわね」
……ま、私のことを思ってくれるのはごくたまにで、大抵はろくでもないんだけど。どんな使い方してるんだ。聖霊達、アルコールも除去しちゃえばいいのに。
横目で睨んでいると、テルミラお母さんはキアの背後に控えているオーゼスさんを手招き。
「オーゼス、この甕を運んで。今からつまらない打ち合わせよ。あっちで一緒に神の酒を飲みましょ」
「仕方ないな……、確かに俺がここにいてもできることはないし行こう」
彼がお母さんの相手をしてくれたらこっちはスムーズに進むし、まあいいか。けどあの二人、恋愛感が全くないな。このまま飲み友達になるんじゃないの?




