第九十九話 裏切り
●99.裏切り
田中が共同溝の天井パネルを外すと。その上に人がやっと一人通り抜けられるダクトがあった。林原たちはダクトを上り、総合情報局メキシコ支部の配電室に入った。
「ふぅ、これでひと安心か」
ペレスが言っている背後で銃を構える音がした。
「お前ら、誰だ」
小銃を構えた男が3人のうちの一人が言った。
「田中だ、カルロス田中だ。それに林原さんとペレスさんも一緒だ」
「…顔を見せろ。…あぁ、どうも。よくぞご無事で。さぁどうぞ、こちらへ」
その男の態度はがらりと変わった。
総合情報局メキシコ支部は、表向き日本酒からテキーラまで扱っているリカーショップを装っていた。林原たちはその倉庫の地下にある会議室に案内された。
「こんなに急速にメキシコが国境なき地球党領域になると思ってもみなかったです」
支部長の伊藤は狐につままれたような表情であった。
「それにしてもメキシコ政府は、誰も抵抗しなかったのでしょうか」
とカルロス田中。
「断片的な情報をつなぎ合わせると、何らかの好条件を提示されたり、AIトラブルの安全保障を約束された可能性があります」
伊藤支部長は部下の報告書が表示されているタブレットPCを手にしていた。
「やはり日米中などの強力な自国のAI安全保障体制がないと、防ぎきれないのかもしれません」
と林原。
「CIAのメキシコ支部には連絡がつきましたか」
カルロス田中が聞くとペレスは首を横に振ってスマホを耳元から外した。
「林原さん、あんたのとこの秘書とは連絡がついたのかい」
「幸、彼女は警戒してオースティンに留まっていたので、無事です」
「それで…これはあまり言いたくはなかったのですが、政府の要人たちは消された可能性もあります」
伊藤支部長は重い口を開くような感じであった。
「何か証拠でもあるのですか」
「国境なき地球党領域になったと発表したのは、政治犯として投獄されていた人物でしたから」
「でも基本的にAIは排除はしても殺すことはしなかったのですが」
「それは今までのことですよね。領域拡大の成功を重ねていくうちに、配慮する必要がなくなったのかもしれません」
伊藤は甘いと言わんばかりであった。
「確かに一人の人格をとして振る舞うAIなら横暴になることもあり得ます。私はそこが弱点の気がするのですけど」
林原は希望の光という含みを残していた。
「AIが本格的に牙をむいて来たら、メキシコから無事に出られるだろうか」
ペレスは珍しく若干弱気であった。
「支部長、街頭の様子を探っていた局員によると治安警察がこちら向かっているとのことです」
リカーショップのエプロンをつけた局員が地下に駆け降りてきた。
「何っ、どうしてここがわかったのだ。今まで鼻も引っ掛けなかったのに」
「わかりません」
その局員は首を横に振っていた。
「…たぶん、私やペレスさんのスマホ通話で発見されたのでは」
「あぁ、しかしそんなにすぐに居場所を突きとめられるのですか」
「AIなら造作もないことでしょう。油断してました」
林原が言うとペレスもすまなそうな顔をしていた。
「それでは、共同溝から逃げましょう」
伊藤支部長が言った直後、リカーショップは停電になった。真の闇になる地下室。すぐに地上の店内で銃撃戦がまった。
「踏み込まれました。早くこちらへ」
伊藤支部長はスマホのライト機能をオンにした。
「あ、スマホは、使うのをやめましょう。何らかの信号をキャッチされてしまいます」
林原はスマホに頼らず英語で言っていた。
「消しますけど、真っ暗では」
伊藤も英語を喋っていた。
「支部長、これでどうです」
ペレスがペンライトで伊藤の顔を照らした。
「それでは、こちらへ」
伊藤が地下室の隠し扉を開けると、反対側にある階段のドアノブがを荒々しく開けられようとしている。林原たちは後ろを気にしながら共同溝に向かう。隠し扉が閉まると同時に階段のドアが蹴り破られ、武装した治安警察隊がなだれ込んできた。
集合住宅の裏手にある変電所のシャフトを上り共同溝から外に出た林原たち。
「私が車を持ってきますから、それに乗りましょう。ちょっと待ってください」
カルロス田中は集合住宅の駐車場にある車の1台に目星をつけて歩いていく。伊藤支部長は、周囲に目を配っていた。程なくエンジンがかかった地上車が林原の前で止まり、3人は素早く乗った。
「田中さん、カーナビは止めておきましょう。私が地図を見てナビゲートしますから」
助手席に座る林原は、ダッシュボードの奥にあった古びた地図帳を手にしていた。
「しかし、それだと今はない道や新しい道が載ってませんけど」
田中はマニュアル車のシフトレバーを切り替えていた。
「カーナビは、ネット網とやり取りしますから、AI気付かれます。仕方ありません」
「しかし、こいつは、かなりの年代物だぞ。オーナーは大切に乗っていたのだな」
後部座席のペレスは感心していた。
「田中、緊急退避行動ガンマがダメなら、出たとこ勝負で臨機応変に行くしかないぞ」
運転席の真後ろの伊藤は、田中の様子を見ていた。
「わかりました」
「それで伊藤支部長、我々はどちらに向かうのですか」
と林原。
「取りあえずメキシコ支部から離れましょう」
メキシコシティーの中心部から離れると、徐々に店や近代的な集合住宅はまばらになって行った。
「田中、燃料切れに注意しろよ」
伊藤は燃料計に目が行っていた。
「あっ、これってガソリン車か。今時、ガソリンスタンドなどないだろう」
とペレス。
「はい。でも今まで乗っていた形跡があるので、エタノール燃料でも動くよう改造されているはずです」
田中は消費量を抑えるために車の速度を少し落としていた。
「地図によるとこの先にガソリンスタンドがありますが、充電スタンドになっていないことを祈りましょう」
林原はパタンと地図帳を閉じていた。
元ガソリンスタンドだった所は充電スタンド兼燃料スタンドでもあった。林原たちは自動販売機コーナーで、お気に入りの缶飲料を飲んでいた。
「この先どうしますか」
とカルロス田中。
「とにかく、メキシコからの救出要請するしかないが、それにはまず連絡をどうするかです」
伊藤は難しい顔をしていた。
「スマホやメールは短時間でも使えないでしょうし、電話は盗聴されて、キーワードに引っかかる内容があれば居場所が特定されます。メキシコ上空の衛星も送信電波は妨害されているはずです」
林原は自分で言っているうちに、ネガティブになりかけていた。
「それじゃ、何かい。伝書鳩ぐらいなのか」
ペレスは呆れ顔であった。
「何かあるはずです。そうだ。中古リサイクルショップに行きましょう」
林原は腕組をした次の瞬間閃いた。
「ええ、何を言っている。レコードやカセットテープでも買うのか」
ペレスは空き缶をゴミ箱に投げ入れた。
「FAXを買いましょう。あれなら通常のアナログ電話回線でつながることができます」
「それでもAIに感づかれるのではないですか」
伊藤は空き缶をゴミ箱に押し込んでいた。
「林原さん、電話ボックスなど、もう街中にはほとんどありませんけど」
「古びた老舗の商店なら電話回線はそのまま残っていませんか」
「それはそうでしょうけど」
田中も伊藤も懐疑的であった。
燃料を補給した車は中古リサイクルショップがありそうな所を巡っていた。
「お、ありましたよ。あそこの店に寄って下さい」
と窓から身を乗り出すようにして探していた林原。車は店先に停まった。
ショップ内は古い家具、皮が張り替えられたソファなどが所狭しと並べられていた。林原は日本製のFAX機と録音機能付きのウォークマンを抱えていた。
「あと、送話器に付けるカプラーがあれば、完璧なんだが」
林原は、いろいろなケーブルが積んである一画を探していた。
「このヘッドフォンで何とかならないのか」
と傷だらけのヘッドフォンを付けたペレス。
「林原さん、電卓は使えますかね」
田中はスマホの機能の一つではなく、単独の機械として成立している電卓を手にしていた。
「何かの計算をする時には使えると思います。買いましょう」
「このショップの防犯カメラはレジ前にしかない。あれを避ければ、AIに気付かれないだろう」
伊藤は店内を隈なく見ていた。
「それじゃ、お会計は商品の目の前で現金取引がよいでしょう」
林原は店主を呼んでいた。会計のついでに店内にアナログ電話回線があるか店主に尋ねたが、ないとのことだった。しかし隣のバイク修理店にはあると言われた。
すぐに隣のバイク修理店に行く林原たち。店主にカネを渡し、電話回線を使わせてもらえるようにした。林原は手際良くFAX機を接続した。
「ここに救出を要請する文面を書いた紙をセットしてと…、アメリカGNSP(郷に従え党)本部にダイヤルすれば、連絡がつきますよ」
林原は、スルスルと読み取り口に吸い込まれていく紙を見ていた。
「高度な暗号通信よりも、単純なアナログ回線の方がAIは苦手なはずか…」
伊藤は感心していた。
「いずれ、気付かれるでしょうが、時間がかなりかかると思います」
「それって、どれくらいになるのだ」
とペレス。
「神のみぞ知る所ですけど」
林原が言うとペレスは不敵な笑みを浮かべていた。
「あぁ、それとこの音信号もウォークマンで録音していますから、どこかで電話ボックスを見かけたら、送話器から流せば、もう一度送ることもできます」
「もうFAX機はいらないわけですか」
田中は初めてみるFAX機がかなり大きく見えているようだった。
「しかしFAXの返信を受け取るには、この機械は必要です。ですから、1時間ぐらいは待ってみましょう」
「林原さん、このバイクショップには、防犯カメラは一つもないから、丸1日居ても、見つからないと思うが」
と伊藤。
「ここのオヤジが迷惑だと感じたら通報するかもしれないがな」
ペレスは遠巻きにこちらを見ている店主のことを気にしていた。
50分後、FAX機が作動し、排出口から感熱紙が出てきた。古びた感熱紙だが、文字を読み取れた。その紙には『エル・トルド沖を見よ』と書かれていた。林原はメキシコの地図帳を開き、エル・トルドの地名を探したが、どこにもなかった。
「…エル・トルドですか…たぶんバラ・デル・トルドとかヌエボ・プログレソの近くだと思います」
伊藤は記憶を探りながら言っていた。林原が地図帳を見るとヌエボ・プログレソはあった。
車はヌエボ・プログレソの集落を通り過ぎ、バラ・デル・トルドの集落にたどり着いた。そこはいかにもメキシコの田舎といった風情であった。
「ここからは車で行けないので、海岸線を北に向かって歩けばエル・トルドです」
カルロス田中は車から降りると海岸線を眺めていた。
「エル・トルドには何があるんだ。飛行艇でもくるのか」
ペレスは海のきらめきを眩しそうにしていた。
「『沖を見よ』ということだから、何かが来るのでしょう」
林原は空を仰ぎ見ていた。
「まぁ、ここまで無事に来れて良かったですよ」
伊藤はホッとした表情になっていた。
林原、ペレス、カルロス田中、伊藤支部長は人気のない海岸線をしばらく歩いた。
「しかし、我々がエル・トルドに着いたとしても、それをどうやって確認するのだろう」
伊藤がポツリと言った。
「いつたどり着いたなんて、知らせる方法がありませんよ」
と田中。
「この先に電話ボックスがあるとは思えませんから、このFAXの音信号を送ることができないですけど」
林原は音信号が録音されているカセットテープが入っているかウォークマンを確認していた。
「確かに、となるとエル・トルドで何日も待つことになるのか」
ペレスはぶっきら棒に言っていた。
またさらに歩き、4人は日が暮れた来たことに気が付いた。
「おい、あれって奇跡か。こんな所にサーフボードショップがあるぞ」
ペレスが最初に発見した。
「古そうだし、電柱が崖の方から伸びていますよ」
とカルロス田中。
「ツウだけが知るシークレットポイントって看板に書いてある。そうか…だからここを指定してきたのか」
林原はアメリカGNSP(郷に従え党)本部のリサーチ力に感服していた。
「さてと、どうしますか」
と伊藤。
「店主にアナログ電話線を借りますよ。こいつを接続させるために」
林原は、張りのある声で言っていた。
「これで、我々がここに来たことがわかるはずだから、反応を待ちましょう」
林原は押し当てていたウォークマンのスピーカーを電話の送話器から離した。
「ここにアナログ回線があるとわかっていたらFAX機を車に置いて来なくて良かったじゃないですか」
とカルロス田中。
「それもそうでした。念のためだったウォークマンが使えるなら、少々重くてもFAX機も持って来れば良かった」
林原は仕方ないという表情をしていた。
「林原さん、沖合いに潜水艦が浮上してきました」
海原を眺めていた伊藤が電話機のある店内に戻って来た。
「助けが潜水艦だったとは意外だな」
ペレスは海原を見るため外に出た。林原も後に続いた。
「ん、何もたもたしてるんだ。さっさとゴムボートで迎えに来るべきだろう」
とペレス。
「もはや敵地になったメキシコ沖だから、いろいろと警戒してるのはないですか」
林原か言っていると、首筋に銃口が突きつけられた。後ろを振り向くと伊藤が拳銃を構えていた。隣ではカルロス田中がペレスに拳銃を突きつけていた。
「これで一網打尽というわけで、交渉材料が増えたと言うわけです」
と伊藤。
「えっ、何を言っているのですか」
林原はポカンとしていた。
「潜水艦と林原さんたち二人のことですよ」
田中は静かに言った。ペレスはあ然として両手を挙げていた。
「申し訳ないが、国境なき地球党幹部は私のキャリアを高く買ってくれているし、メキシコに住む家族を養わなければならなりません。それに息子たちを大学に行かせるカネも必要なので、こうする選択肢しかなかったのです」
伊藤は重荷が取れたように淡々と喋りだした。カルロス田中はペレスに銃口を突きつけながらゆっくりと伊藤の方に歩み寄っていた。
「私も申し訳ないと思っていますが、長年の夢だった宇宙飛行士の職にあっせんしてもらいました。国境なき地球党領域では話す言葉は英語となっていますが、スマホで訳すことは許容範囲だし、すぐに英語に慣れて話せるようになりますよね。林原さん」
カルロス田中は林原が語ったかつての経験のことを言っていた。
「…私も確かにスマホを使っているうちに英語と中国語はかなり喋れるようになってはいるが」
「宗教や伝統文化だって公式の場ではなく、個人的に携わる分には許容範囲って聞きますし」
田中が付け加えていた。
「なっなんと、お前らそうだったのか。メキシコの他の連中も多かれ少なかれ、そんなことで懐柔されたわけか」
ペレスは顔を真っ赤にしていた。
「そうでしたか。是非もありません。AIは個人にアジャストした欲求を満たすことで従わせる手法を駆使するとは聞いていましたが、現実に裏切りとして突きつけられるとは思っても見ませんでした」
林原はがっくりと肩を落としていた。
「おいおいセイシロー、腹なんか斬るなよ。信長じゃねぇーんだから」
ペレスは林原をファーストネームで呼んでいた。
「ジャック、信長なんて知っているのか」
林原もファーストネームで呼ぶ。
「それりゃ、知ってるさ」
「たぶんゲームだろうが、日本史をリスペクトしてるな」
林原はペレスのことをなんかソリが合わないと思っていたが、急に最高最強の相棒といった感情が流れた。




