第百話 スマホ依存
●100.スマホ依存
潜水艦は潜降し波間から消え、すぐにその海域にメキシコ空軍の対潜哨戒機が飛来し、対潜魚雷や爆雷が何発も投下された。海中で爆発が起こり、海上に水煙が上がっていた。
「逃げ切れたかな」
林原は海面に潜水艦の浮遊物が浮かんでこないことを祈っていた。
「対潜哨戒機が立ち去らない所を見ると、まだやられてないな」
とペレス。
「伊藤支部長、潜水艦を沈めてしまったら、一網打尽にはなりませんよ。捕虜にしたかったのではないですか」
林原が探るように言った。
「AIの指示が変わったのでしょう」
「これからどうするのです。指示は受けているのですか」
林原は伊藤たちを憐れむように言う。
「そろそろ、メキシコの警官隊が来る手筈でしたけど、林原さんたちを丁寧に扱うように言っておきますよ」
「それはどうも」
林原はどうするのが最良か考えるが、アイデアが浮かばなかった。
その日の夜のうちに林原たちは警官隊にヌエボ・プログレソの集落まで連行された。鍵が掛けられた倉庫に押し込められ、周囲は警官とロボット警官が常に見張っていた。
「セイシロー、どうする。このまま大人しくしているのか」
「…潜水艦の状況がわからないから、ここを抜け出ても、逃げ切れないだろう」
「外のロボットはAIと直結して指示されているのかな」
「だぶん」
「それにしても、どこかで見かけたタイプのロボットだな」
「アメリカ製だろう」
「アメリカじゃ家政婦ロボットとして、よくスーパーに買い物に来ていたよ」
「ん、待てよ。アメリカ製なら、入れ替わってもわからないな」
「だから、なんだよ」
「ジャック、私に策がある」
林原は、不敵な笑みを見せていた。
ペレスは林原は羽交い絞めにする。必死に抵抗する林原。
「しかし、こんなことして、オルタナ・シモノフAIの目に留まるのか」
と小声でペレス。
「わからないが、やるだけの価値はある。力を抜くなよ」
林原も囁く。
「このヤンキー野郎、汚い手を放せ」
林原はペレスの手を振りほどき態勢歩を立て直すと、数発立て続けに殴り続けた。しかしペレスにはダメージにはなっていなかった。
「そんなもの、蚊に刺されたようなものだ」
ペレスは林原の腹に一発見舞った。林原はうずくまる。が、ゆっくりと立ち上がった。
「ロボット警官、とにかくオルタナ・シモノフAIに会わせてくれ、話がしたい。こいつと一緒に居る正気でいられない」
「おい、セイシロー、てめぇのせいで、こんなことになったんだぞ」
ペレスは再び林原につかみかかっていた。
「オルタナ・シモノフAI、このままだと、こいつに絞め殺される」
林原は悲鳴のような声を張り上げていた。ロボット警官は倉庫の中の様子をじーっと見ていた。
「林原征志郎、私を呼んだか」
「おう、その声はオルタナ・シモノフAIか。我々が監視下で捉われて生きている証拠の映像をアメリカか日本に送ってくれ。そうすれば政治犯や捕虜の交渉がよりスムーズになるだろう」
「なんでそんなことを言う」
「このヤンキー野郎の顔を見たくないし、早く自分の家の温かいベッドで寝たいからな」
「人間は感情の生き物だし、様々な欲求に弱いのが欠点だな」
「つべこべ言わずに頼む」
「大人しくしていろ、その倉庫の内と外を撮った映像を、我々の交渉条件を付けてアメリカGNSP本部に送ってやる。回答を待て」
オルタナ・シモノフAIの声がすると、顔や腕にあざがあり、息を荒くしている林原とペレスはその場にしゃがみ込んだ。
「セイシロー、丸一日経っても、何の音沙汰もないぜ」
ペレスは外のロボット警官を垣間見ていた。
「今夜あたり動きがあるだろう。日本にある私の思考をモデルにしたAIでこの行動の意味を読み取れれば、だが」
林原はケリーやベルガーの顔が頭に浮かんでいた。
「ふーん、そんなもんかい。こっちもAIってことか」
「果報は寝てまただよ」
「セイシロー、そうも言ってられんぞ。交代したロボット警官は重武装になっている」
「潜水艦の給仕ロボットの特徴は見られないか」
「給仕ロボット…、そんなものあるか…足元がやけにきれいだな、長靴でも履いていたのか」
「長靴…、調理場の油で滑らないように長靴を履くとしたら、」
「汎用家事ロボットを潜水艦の給仕ロボットに転用したわけか。あり得んだろう」
「とにかくあのロポットに話しかけてみよう」
林原は、倉庫の格子窓を開けた。
「どうやってここに来た」
「答えられません。もう一度」
とロボット。
「俺は林原だが、この声を分析しろ」
「分析完了。認識。先ほどの回答はエアバックで浮上、海岸から近道を徒歩」
「潜水艦は無事なのか」
「はい。救出に来ました」
「でも、一人なのか」
「はい。他に待機中のドローン2機による空中支援があります」
「セイシロー、やったな。殴り合うもんだな」
「ジャック、喜ぶのはまだ早い」
30分程経つと、倉庫の鍵が開けられ、林原たちが外に出ると、入れ替わりに縛り上げられた警官2人が倉庫に入れられた。
「急いでください。他の警官やロボット警官、オルタナ・シモノフAIに気付かれるまで189秒しかありません」
「3分ちょっとと言えよ」
ペレスは給仕ロボットを突いていた。
「たった3分じゃ、海岸線にもたどり着けないな」
林原は顔を強張らせていた。
「気付かれた後は、ドローンの支援があります」
「あまりあてにならない気がするけど」
とペレス。減らず口を叩くペレスをしり目に林原は給仕ロボットの後に付いて走り出した。
「こいつが本気出したら、100mは8秒2ではなかったか」
「いいえ、私のタイプは7秒89です」
先頭を走る給仕ロボットは振り向いて言っていた。
「わかった。わかった。前見て走れ」
ペレスは苦笑しながら走っていた。
微かな月明かりの夜道だが、給仕ロボットの腰にあるLEDの光を頼りに走れば、迷うことも転ぶこともなかった。まだ海は見えないが、捉えられていた倉庫からは、かなり離れた所まで来ていた。
「ほぼ時間通りに気付かれたようだぜ」
ペレスは頭上の強力な光の束を見上げる。海岸線の方向にサーチライトの光が動き回っていた。一方海の方からは、戦闘ドローンが後方に飛び去って行った。
「頼むぞ、食い止めてくれよ」
林原が言っているそばから、空のどこかでサブマシンガンのような音が断続的に聞えてきた。ドローン同士の空中戦が始まっていた。
どちらのドローンかわからないが、派手に爆発する音がしていた。その衝撃に林原たちは身が引き締まる思いがした。
「セイシロー、取りあえず、空から攻撃されずに海岸まで来たぞ」
「次は、ロボット警官たちだろうな。ジャック、拳銃は」
「取り上げられてるよ」
「林原さん、ペレスさん、これをどうぞ」
給仕ロボットは着ていた防弾ベストのポケットから自動拳銃を素早く取り出し投げていた。
銃声が上がる。林原の足先2mぐらいの所の砂が舞い上がった。
「セイシロー、奴らが近くに来てるぞ」
「どこから、撃ってきているのだ」
「…たぶん、あそこだ」
ペレスが狙いをつけて拳銃をぶっ放すと草むらで金属音がした。
「ビンゴだが、近すぎる」
ペレスと林原は、顔を見合わせてから、全速力で砂浜を駆けだした。
「その方向に走って下さい。ここは私が食い止めます」
給仕ロボットが背後に立ちはだかり、ロボット警官の弾丸を受け止めながら、応戦してくれていた。微かなサーボモーター音を発てて駆け寄るロボット警官たち。給仕ロボットは、着実に1体1体を仕留めていたが、弾丸もかなり受けていた。頭部は片目が損傷し、胸部の防弾ベストには弾丸がめり込んだ跡が多数見られた。さらに左股関節部に弾丸が命中し、左足が動かなくなった。給仕ロボットが苦戦していると、ドローン1機が加勢し、ロボット警官たちの頭部を撃ち抜いたが、そこで弾切れとなった。まだロボット警官が1体残っていた。給仕ロボットは歩けずによろめいている。ロボット警官が背後から飛びかかろうとしたが、そこをドローンが体当たりして倒し、ロボット警官もろとも自爆した。自爆破片を浴びながら給仕ロボットは逆立ちをすると、両腕を使って走りだした。背後で爆発音がしても振り向かずに疾走する林原たち。
「セイシロー、あそこに明かりが見えるぞ」
「ボートに人影がある」
「こりゃ、まいったな、横を見ろよ」
とペレス。給仕ロボットが逆立ち走りで、林原たちの横に並んでいた。
「お前ら、そこまでだ。止まれ。止まらないと撃つぞ」
メガホンによる警官の声がした。
「構うものか」
とペレス。数発の発砲音がする。そのたびに給仕ロボットのボディに弾丸が命中していた。
「頼むぜ、逆さ韋駄天」
と林原。
潜水艦の乗組員2名がゴムボートのエンジンをかけて浅瀬の波間で待機していた。林原たちはボートに飛び乗る。給仕ロボットは海岸線で逆さ仁王立ちになっていた。彼は林原たちの様子を背中で見届けているようだった。ボートはフルスロットルのエンジン音を響かせ急加速した。海面は荒れているわけではないが、海岸線から遠ざかる程、波しぶきを浴びながらつき進んだ。海岸線では給仕ロボットが自爆する音がし、炎が上がっていた。
波間を進むと潜水艦のセイル(潜望鏡が立つ艦橋部)が海面から顔を出していた。林原たちは潜水艦の乗組員たちの手を借りて潜水艦に乗り移る。ハッチが完全に閉まる前に潜水艦は潜水し始めた。
「潜水艦で救出されて、たった2日間の休養はでは物足りなかったでしょう」
ケリーは小型飛行車の運転席に座っているものの、自動モードになっていた。
「いや、そうでもないですよ。ただジャックのパンチは結構効いたから」
林原は目の上の絆創膏を触っていた。
「ロサンゼルスの病院で健康チェックした結果は、身体面は別として精神的には立ち直っているとドクターが言ってました」
芽亜理がケリーに言っていた。
「そうでしたか。タフですね」
「それでケリーさん、ネバダのクラークにある収容施設ってあまり聞いたことがないのですが」
「あそこは国境なき地球党の政治犯や捕虜が収容されてる特別な施設です。今回の交渉で
危うく林原さんたちと交換になりそうでしたけど」
「私も、メキシコが国境なき地球党領内になるとわかっていたら、行かなかったですけど。ケリーさんたちには心配をかけました」
「いやー、この混とんとした世界情勢では不測の事態は付きものですから」
ケリーは淡々としていた。
「もうそろそろ到着ですか。でもそれらしい建物は見当たりませんが」
林原は下を見ていた。
「地上5階地下4階のあそこの目立たない建物です」
「あ、そこの柵で囲われているところですか」
「はい」
ケリーは自動を解除して、屋上の狭いスペースに降下させていた。
林原たちは収容施設の医療区画統括室がある3階に案内された。
「捕虜たちのスマホを分析した結果、ある種の洗脳媒体として活用されていることがわかりました。これを我々はスマホ依存洗脳と呼んでいます」
医療統括長のマーレイはピシッとプレスされた白衣を着ていた。林原はスマホの通訳機能は使っているものの、英語を直に聞いていた。
「洗脳媒体ですか。私もこんなに簡単に伊藤や田中、メキシコ国民が懐柔されるとは思っても見なかったですし、何かあるのだろうとは感じてはいました」
林原はもモヤっとしていたことの辻褄があってきた気がした。
「政治犯は自ら進んで理念に共感している面があるので、それほど活用されてないと言えます。しかし捕虜は領域になる前から徴用された一般市民が兵士になっているので、これが活用されていることが顕著です」
「このスマホによる洗脳媒体の活用は、郷に従え与党諸国にどの程度浸透しているのですか」
ケリーは間髪入れずに質問する。
「しっかりとしたAI防衛システムを構築している郷に従え与党諸国には、まだほとんど浸透していないと言えます。ですからこのようなことは起こらないのですが、それ以外は無理なようです」
「メキシコは郷に従え与党国でしたが、しっかりとしたAI防衛システムと言いますと、どの国を指すのですか」
ケリーは由々しき事態だという表情であった。
「今の所、ヨーロッパ連合、中華連合、日本、アメリカぐらいでして、中立国も危ういと言えます」
「イスラム圏はどうなのですか。根強い宗教的な教えや文化があるのに、洗脳されてしまうのでしょうか」
林原は視野を広げていた。
「日夜手にしているスマホですから、彼らにしてもスマホ依存洗脳の影響から逃れられません」
「そのスマホ依存洗脳とは具体的にどんなものなのですか」
林原は言うと、芽亜理に一部始終を記録しているかの確認もしていた。
「何でもスマホ頼りにして考える力を奪うことから始まります。カーナビ、グルメのレコメンド機能、転職結婚などの様々なマッチングアプリ。これらは一見すると自分で選択しているようですが、知らぬうちにいつの間にか誘導されているのです。それもAIが望む方向にです。それらが積み重なり、考え方が少しずつ国境なき地球党を望む意識に変わるようになっています。さらにいろいろな画面にサブリミナル効果画像が挿入されている形跡がありました」
マーレイ医療統括長は、滔々と語っていた。
「なるほど…。人間のサイト管理者にならサブリミナル画像挿入は違法として規制できても、AIには規制などできないから、スマホ依存洗脳はやりたい放題ですか」
ケリーはお手上げという顔をしていた。
「それもスピーディーな点がより厄介にしています」
「このままだと世界天下統一どころではなく、むしろ我々が駆逐されるかもしれません」
林原は今までやってきたことが無になりかねないと感じながら、自分のスマホを見ていた。




