第九十八話 伸びる魔の手
●98.伸びる魔の手
東京の郷に従え党本部の会議室には久しぶりに党三役が集まり、滝田総合情報局長の非公式な報告を聞いていた。
「あの基本仕様書のコピーだけでは、オルタナ・シモノフAIに僅かなダメージしか与えられないでしょう。故意なのか初めからそうなっていたのかは不明ですが」
総合情報局長の滝田は残念そうにしていた。
「結局、あまり役に立たないか…。しかし速成クローンに偽の記憶を教え込む技術は手に入れたいものだな」
林原は手元のタブレットPCに表示させていたボドロフの顔写真をゴミ箱に移動させていた。
「この件は日本や与党諸国の首脳には言っているのですか」
ケリーはだいぶ流暢になった日本語で聞いていた。
「まだです。公式の報告となるとオルタナ・シモノフAIに察知されてしまいますから」
「しかし与党諸国のAI安保体制ではまず漏れないでしょうが。用心に越したことないですよ」
ベルガーも日本語であった。
「AI万能の時代では、リモート会議はやり難くなったな。こうして顔を合わせる会議でないと、いつ情報が漏れるかわからないから」
林原は、むしろこの方が性に合っている気もしていた。
「それで林原さん、次は速成クローン技術か、偽記憶の定着技術を手に入れますか」
滝田が先回りをしていたので、林原はニヤリとした。
「それを手に入れて何に使うかは、まだ考え中ですが」
「その件で、アメリカで気になることがありました」
ケリーが言うと一同は彼女に注目した。
テキサス州オースティンにある先端生物学研究センターの駐車場に止めてあるレンタカーに乗る林原たち。
「AIの監視はないと思うけど、念のため自動を解除してと…、あぁ、運転するのも久しぶりだな」
ハンドルを握る林原。
「ムーアセンター長は30分後に戻って来るそうですから、すぐ近くのマクドナルドで昼を済ませた方が良いと思います」
と助手席の芽亜理。
「俺としては中心街にある、くら寿司に行きたかったが時間がないか。わかった」
林原はエンジンをかけていた。
マクドナルドでビッグマックとアイスコーヒーを急いで詰め込んだ林原たち。戻ってみると、早めに到着したムーアセンター長は、応接室で待っていた。
「よろしいですかな。うちの研究センターでは、火星をテラフォーミングするための菌などの地衣類と光合成をする苔、昆虫や小動物の速成クローン研究をしています」
ムーアは待ちくたびれたように話し始めた。
「それの人への応用は考えていますか」
「考えていません。あなた方が指摘された人間の速成クローンとは、全く関わりがありません」
ムーアはそう言うものの、どこかそわそわしていた。
「ここのセキュリティーに問題があるとも聞いていますが、その点はどうですか」
「…他の研究機関同様に、しっかりとしたものです」
「でも、国際人権委員会によると、非人道的なクローン技術が漏えいしている指摘していますけど」
「あ、あれですか。よくあるフェイクですよ。デマには困ったものです。それたけですか。お話しできることはもうありません」
ムーアは帰れと言わんばかりに林原たちを見ていた。
「わかりました。それでは最後に一つ。火星のテラフォーミングは素晴らしいことだと思います。その実験施設があると聞きましたから、興味があるので、ぜひとも見させてくれますか」
林原は話題を変えて和ませようとしていた。
「そうですか。副センター長、いや広報部長のハリスに案内させましょう」
ムーアが言った直後、秘書らしき女性がノックしてから応接室に入ってきた。
「センター長、ようやく副センター長の行方がメキシコとわかりました」
と秘書。
「君、お客様がいるのだぞ。あちらの部屋で聞こう」
ムーアは立ち上がり急いで応接室を出ようとした。
「あのぉ、ちょっと待ってください。グリフィン副センター長は行方不明だったのですか」
林原が呼び止める。ムーアは面倒臭そうな顔をしていた。
「はい。内々のことですので、あなた方には関わりがありません」
ムーアはきっぱりと言い放ち、隣の部屋へと姿を消した。
ノックをして隣の部屋のドアを開ける林原。
「何かお役に立てることはないですか。メキシコには郷に従え与党諸国と連携している総合情報局の諜報網がありますから」
「…ん、もう隠しきれないか」
ムーアは深く息を吐いていた。
「別に隠す必要はありませんよ」
「セキュリティ態勢が甘く、機密情報が漏えいしてしまったから、今後の予算削減は間違いなしです」
「まあ、それはアメリカ政府のことなので立ち入れませんが、済んでしまったことを今さら追及するよりも今後の対策です」
林原が言うとムーアは少し救われたような顔をしていた。
コンバーチブルタイプの空飛ぶ車は、高度50センチ程で飛びながら、アスファルト舗装道路を進んでいた。
「もっと高く飛べるのに、これじゃ、普通の車と変わらないな」
林原は真っ直ぐ伸びる道路を見ていた。
「でもこうして飛べば国境の飛行規制に引っかからずに、道路を走ることができるんです」
ハンドルを握るメキシコから迎えに来た総合情報局員のカルロス田中。彼のスペイン語は林原のスマホが日本語にしていた。
「スターウォーズのランドスピーダーみたいじゃないですか」
流暢なスペイン語を話すCIAのジャック・ペレスは、全く揺れない乗り心地を楽しんでいるようだった。
「しかし、こうして林原さんが直々に来るとは思っても見ませんでした」
とカルロス田中。
「メキシコは郷に従え与党諸国ですから、身の危険を感じることはないのでオブザーバー的に同行しました」
「それでも作戦行動に入ったら、秘書が待つ情報局支部に戻ってください」
ジャック・ペレスは、素人には困ったものだという表情をしていた。
「もちろんです。しかしアメリカ政府の追及を恐れてグリフィン副センター長がメキシコに逃げて亡命
とは意外でした」
林原はペレスのあまり表情を気にしていなかった。
メキシコ国境ゲートを過ぎるとヌエボ・ラレドの町に入り、レンタカー会社の前で停車した。
「空どぶ車はここまでです。ここからは目立たないように、あの一般的なエタノールエンジン車に乗り換えます」
カルロス田中は手際よく、スマホを店員のスキャナーにかざし予約確認していた。
「それでメキシコのどこにいるか目星はついているのですか」
助手席に座った林原は運転席のカルロス田中にたずねる。
「いいえ。それはまだです。メキシコに入国し亡命を申請したことだけです」
「捕まえてスムーズにアメリカで裁判となりますかね」
「とにかく亡命が許可される前に捕まえなければなりません」
ジャック・ペレスは決意の程を林原に示していた。
メキシコシティーに入った林原たちは、メキシコ出入国管理庁の近くまで来ていた。
「アメリカからの亡命申請は中南米諸国からの亡命に比べたら圧倒的に数が少ないし、審査も緩いので
すぐに認定されるでしょう」
カルロス田中は信号が赤になったのでブレーキを踏んでいた。
「亡命認定の通知日は今日なので、窓口が開く午後1時以降にグリフィン副センター長は必ず現れるはずです」
後部座席のペレスは本日中に捕まえる気満々であった。
「滞在先の住所に郵送ということはないですか」
と助手席の林原。
「本人確認は絶対条件ですから、郵送やメールということはありません」
「それじゃ、ファストフードのバーガーでも買って、メキシコ出入国管理庁の前で張り込みますか」
「その先にバーガーショップがあります」
カルロス田中は信号が青になったので、アクセルを踏んだ。
バーガーキングの店内は、結構込んでいたが、空いているボックス席があったので、3人はそこに陣取っていた。
「ここで食べる他に張り込みようにも買ったけど、まだ少ない気がするよ」
ペレスはトレーにワッパー、ホットドッグ、アップルパイなどを山盛りにして席に戻ってきた。
「ペレスさん、この先にケンタッキーもありますから、寄っていきますか」
「おぉ、それは良い」
ペレスはそう言いながらトリプルワッパーチーズの包み紙を開けていた。
「メニューは日本のものとあまり変わらないですが、店の雰囲気が違いますね」
林原はマッシュルームワッパーを口にしていた。
「ここなら地元のレストランに行って、とんでもなく辛い物を食べるというようなことないです」
カルロス田中は、ジンジャーエールをゴクリと飲んでいた。
「んむ…。あいつ、グリフィン副センター長に似てないか」
ペレスはトリプルワッパーチーズを食べるのを中断する。
「あぁ、そうですね」
カルロスもペレスの言う方を見た。
「この時間とこの場所にいる可能性は高いですね」
林原の言葉がペレスの確証につながった。
「奴だ」
ペレスは懐から拳銃を出しかけたが、周囲を見て止めた。
「行き先は決まってますから、焦らずに後を付けて出入国管理庁の前で捕まえましょう」
と林原。
「奴のために、メシを中断するのはしゃくだからな」
ペレスは大人しく同意していた。
「田中、奴は外に出そうか」
ペレスはコカ・コーラゼロを飲み干していた。
「今、トレーのゴミを捨てているところです」
「それじゃ、我々も行きますか」
林原はゆっくりと立ち上がった。
一足先に店を出るグリフィン副センター長。バーガーキング前の横断歩道を渡ろうとしていた。
「信号が変わる前に俺らも渡っちゃおうぜ」
店先に出た、レスを小走りになった。カルロス田中、林原も後に続いた。
通りの方から車のエンジン音が聞こえて来た。赤信号で停車している車の横をすり抜けて、暴走車が
横断歩道に突っ込んで来る。横断歩道を渡っている歩行者は皆、避けようとした。しかし、車体と人体がぶつかる鈍い音がした。グリフィン副センター長は、間に合わず暴走者に跳ね飛ばされ、宙に舞っていた。ペレスは声も出さずにただ見ているだけであった。林原は、グリフィンが人形のように地面に叩き付けられ音を耳にしていた。その暴走車は、横の青信号の通りから来た車数台と派手に激突しぐちゃぐちゃになっていた。
「おぉ、なんていうことに…」
カルロス田中は天を仰いでいた。
ペレスは血まみれのグリフィンのもとに駆け寄る。
「おい、グリフィン、しっかりしろ。この野郎、死んでるんじゃねぇ。アメリカで裁判だ」
ペレスはグリフィンの体を激しく揺さぶっていた。林原はスマホで警察を呼んでいた。周囲はこの悲惨な事故に人だかりが出来ていた。
滞在先のホテルのラウンジにいる林原たち。
「あの暴走車は自動運転だったそうです」
カルロス田中は部下からの報告を伝えていた。
「ということは、車の所有者か管理者の責任だな」
ペレスはやり場のない怒りを抱えていた。
「自動運転ですか…。メキシコはまだオルタナ・シモノフAIに浸食されていないはずなのに」
林原は嫌な予感がしていた。
「AIの仕業なのか」
ペレスは林原の方をじろりと見る。
「まだ確かなことはわかりません」
林原はラウンジに設置された防犯カメラを見ていた。突然、ラウンジの照明が全て消えた。窓から差し込む薄明かりだけになった。
「停電か。このホテルは3つ星だから、すぐに自家発電で復旧するだろう」
とペレス。
「メキシコの電力事情はどうなんでしょうか」
林原は誰に言うでもなく言っていた。
「このところ、停電が多いのは確かですが、原因はわかりません」
とカルロス田中。
「停電時間は長いのですか」
林原は段々薄暗さに目が慣れてきた。
「そうですね。だいたい、1時間ぐらいでしょうか」
「えぇ、自家発電がなかったら、そんなに長くなるのか」
ペレスは思わず声を上げた。
「確か…このホテルの自家発電施設はリニューアル中だったと思います」
田中は申し訳なさそうに言っていた。
「全く、メキシコでは何もかもが裏目に出るな」
ペレスは吐き捨てるように言うと、トイレに向かった。
「お客様、たった今、メキシコは国境なき地球党領域になりました。市内の安全が確保される外出はお控えください」
ホテルマンが林原たちの所に来た。
「えぇっ、そんなことってあるのか」
ペレスは顔色を変えていた。
「今や日の出の勢いのオルタナ・シモノフAIならありえます」
林原はスマホのニュース速報で確認していた。
「だとしますと、ここに居るよりか、総合情報局メキシコ支部に行った方が何かと安全ですし、最新情報が入手できます」
カルロス田中はラウンジで自分たちをマークしている人物がいないか確認している。
「しかし、外出は控えろと、言っているではないか」
ペレスは動く気はなさそうであった。
「オルタナ・シモノフAIの支配下に入ったので、林原さんや郷に従え与党諸国の人間は必ず拘束されます」
田中が言うとペレスはしぶしぶ、うなづいていた。
「それで、どうしますか」
林原も周囲に注意を払っていた。
「まずは部屋に戻るふりをしてラウンジから出ましょう」
ホテル関係者専用の廊下を歩く林原たち。リネン類を運んでいる客室係やエレベーターのメンテナンス要員などとすれ違っていた。
地下にある食材搬入用の駐車スペースに停めてあったミニバンに乗る田中。運転席で配線などをいじると、すぐにエンジンがかかった。林原たちは素早くミニバンに乗った。
斜路を上り地上に出ると、ホテルの正面エントランス付近に軍関係の車両が停車していた。地下の搬入通路からミニバンが出て来たので、小銃を構えた兵士たちが、止まるように叫んでいたが、それを無視して、ミニバンは走り去る。ミニバンの後部ハッチに数発弾丸が当たったが、林原たちは無傷であった。
「奴らは追ってきますかね」
林原は運転席の田中に言う。
「いや、メキシコシティーの監視カメラ網で探しますから、追わないでしょう。ですから、そこのショッピングモールの駐車場に入ります」
「そんな所に車が通れる秘密の通路でもあるのか」
覚悟を決めているペレスは拳銃の安全装置を外していた。
「車は無理です。降りて電線やガス管、光ファイバーなどが通る共同溝を歩きます」
「共同溝で妙な奴がいたら、こうだ」
ペレスは拳銃を構えて口がバーンと動いていた。




