第九十二話 マイアミ・エクスペリメント
●92.マイアミ・エクスペリメント
マイアミ国際空港から東に15キロほどの所にある、北米軌道エレベーター・フロリダ地上ステーションで行われた開業記念式典に参加している林原たち。副大統領やフロリダ州知事らの挨拶、郷に従え党副党首・林原の祝辞などがひと通り終わった。続いてフロリダの空に花火が上がり、第1便の搬送機が軌道ステーションに向かって出発し、セレモニーは無事に終了した。
「さてと、ケリーさん。昼メシをマイアミのスタバで軽く済ませてから、ワシントンのGNSP(アメリカ版郷に従え党)本部に顔を出しますか」
林原は地上ステーションの空飛ぶタクシー乗り場に向かおうとしていた。
「あ、言い忘れてましたが、モーガンさんは、隣のフューチャー・ベンチャー・パーク(FVP)にそろそろ到着しているはずです」
ケリーは思い出したように言っていた。
「え、党首自らこちらに」
「式典には呼ばれていないのですが、郷に従え党が半分出資しているフューチャー・ベンチャー・パークに注目していますし、林原さんに会いたいと言ってましたから、急遽予定を変更して来るそうです」
「となると、あちらですか」
林原は隣接する広大な敷地のフューチャー・ベンチャー・パークに向かう動く歩道の方に歩き出した。
林原たちがフューチャー・ベンチャー・パーク(FVP)のインフォメーション・センターで待っていると、ポロシャツを着た30才前後の男性が手を振って駆け寄ってきた。
「あの方が、エバンス・モーガン氏ですか」
と芽亜理。
「芽亜理さんのことも知っていますから、詳しく自己紹介する必要はないわ」
ケリーは、そう言いながらモーガンに手を振り返していた。
「しばらく見ないうちに若返りましたね」
林原はモーガンの姿を上から下まで見ていた。
「昨年、長寿医療をやりましたから」
モーガンは腕の色つやの良さを見せていた。
「そうでしたか。結構遅めだったのでは。その分、より一層若々しさが増してますよ」
「それにしても林原さんはもう英語はネイティブ並みじゃないですか。初めてお会いした頃はスマホが手放せなかったのに」
「これもスマホのおかげなんです。スマホで訳を聞きながら喋っていると自然と身に付くものでして、
中国語もかなり喋れるようになりました」
「ワタシの日本語、片言デスけど」
モーガンは日本語で言って笑っていた。
「それでは第7区画のナラヤン博士の所に行きましょう」
ケリーはパーク内専用の自動運転カートを呼んでいた。
「いませんね。どこに行ったんでしょうか」
ケリーは研究室の中を見回していた。
「あの人に博士はどこに行ったか聞いてみませんか」
と芽亜理。
「あのぉ、ナラヤン博士は、どちらにいらっしゃいますか」
林原は頭の毛が寝癖で跳ね上がっている研究員に話しかけた。
「…私ですが」
エリック・ナラヤン博士は肌の色が浅黒いインド系アメリカ人であった。
「え、私は林原でして、あちらがモーガン氏です」
「ようこそ、我が研究室へ」
ナラヤンは研究室の一画にあるソファの方に案内した。
助手が何年も使い込んでいるホワイトボードを運んでくると、ナラヤンはすぐにその前に立ち、原子核の模式図をさらさらと書いてから説明を始めた。
「皆さん、ご承知の通り、重元素は自然では存在せず人工的に作り出すのですが、例え作っても存在する時間は極めて短い。その上、作るのに正確さが必要です。そこで、我々のこの重元素を生み出すために、AIを使い、精密に衝突させる方法とα崩壊などがし難く安定した領域で存在する方法を確立しました。これは通常人間が導き出すと50年はかかる所を、わずか半年で導き出しました」
ナラヤンは鼻を軽くこすり自慢げであった。
「ここまでで何かご質問はありますか」
ナラヤンの問いかけに林原たちはしばらくポカンとしていた。
「あの、そのぉ、重元素はなんというのですか」
林原が雰囲気を察して当たり障りのないことを聞く。
「まだ学術的には認証されていませんが、この粒子加速器で生成される重元素は元素番号125のワープニュウムと命名しようと思っています」
「ワープニュウム…、その名を冠すると言うことは」
モーガンは目を丸くしていた。
「はい。あくまでも仮説ですが、空間を歪ませてワープ空間を作っているようなのです」
「ワープ…。人工的に特異点を生み出せるとしたら、特異点の研究も進むでしょう」
林原は現実的に捉えていた。
「私はトレッカー(スタートレック・ファン)でもありますが、まさにSFの領域ですな」
モーガンは微笑んでいた。ケリーも微笑んでいる所を見るとトレッカーのようだった。
「エンタープライズ号は反物質という設定ではなかったですか」
芽亜理はあまり興味はないが、知識として知っていることを述べていた。
「ちょっと話が脱線しましたが、それでこのパーク内にある粒子加速器を使う時間をもう少し増やしたり、もっと直径の大きいものを設置していただけないかと思いまして」
「今日ここに我々を呼んだ目的はそれでしたか」
モーガンはナラヤンの本音を突いていた。
「モーガンさん、どうしますか」
ケリーは囁くように言っていた。
「あのぉ、ナラヤン博士。その要求が正当なものなのか考えたいので、加速器でやっている研究を見させてもらえませんか。ねぇ、モーガンさん」
林原が言うとモーガンはうなづいていた。
林原たちはフューチャー・ベンチャー・パーク(FVP)の地下に粒子加速器施設に案内された。
「ここの加速器は直径6キロですので、正直言って速度が不足していると言わざるを得ません」
ナラヤンはコントロール・ブースの操作盤の所に立って説明していた。
「私は物理学は詳しくないのですが、結構大規模な施設に見えるのですが…」
モーガンは湾曲しているトンネルの先へと続く加速器のパイプを眺めていた。
「どれだけ資金が投じられるかは、ここで得られる成果にもよりますね」
林原は渋い顔をしていた。
「直径6キロでは小さいと言っても過言ではありせん。世界には山手線の内側ぐらいの規模やそれ以上のものがあります」
芽亜理が林原の傍らで捕捉説明していた。
「施設の大小よりも、そのワープニュウムが実用化の目途が立つかではないですか」
ケリーは誰に言うでもなく、言葉を発していた。
「それでは、まずワープニュウム作り、それが歪んだ空間に消えるのをお見せしましょう。準備しますので、しばらくお待ちください」
コントロール・ブースに設置されたモニター画面を注視する林原たち。画面上では重元素ワープニュウムが生成され、電磁波を加えることで、その空間にあった鉄元素が消失していた。
ナラヤンはどうですかという自信に満ちた表情をしていた。
「確かに、そこにあった元素は消えたようですが、これはあくまでもモニター上のCGなので、実感がないのですが」
モーガンはこれだけかという顔をしていた。
「証拠を見せろと言うことですね。それでしたら、ちょっと荒っぽくなりますが、何かをワープさせて見せましょう」
ナラヤンは若干やけっぱちにも見えた。
「え、そのようなことが可能なのですか」
ケリーは思わず声を上げた。
「今まで、やった事はないのですが、約1ミリ立方に内接する球体空間内のものなら理論上はできるはずなので、やってみます。ただし、どの方向にどれだけの距離ワープするかは正確にわからない面があります」
「それだと1ミリ立方と言えどもかなり無謀なことになりませんか」
林原はなだめるように言う。
「例えばどこかの銀行の金庫の中とか、誰かの人体の中とか、いろいろと考えられますよね」
ケリーも林原の後に続いた。
「方向はある程度予測できますので、地球上には影響はありません」
とナラヤン。
「その方向とは、どちらになりますか」
モーガンがたたみかける。
「地球重力の方向とは別の方向になります。ですから宇宙のどこかになります」
「…軌道エレベーターや人工衛星に影響があるとまずいですね」
と林原。芽亜理も同意するようにうなづいていた。
「我々の計算では距離としては最低でも2万キロ以上となります」
ナラヤンはすぐに応えていた。これで林原たちは、危惧する点がなくなってしまった。
再度、重元素ワープニュウムが生成され、それが置かれた空間にあったモールス信号と光を発する0.2ミリほどのマイクロロボットが消えた。拡大されていない画面上ではワープニュウムは見ないが、光る点が消えたのは確認できた。林原たちは、紛れもない事実を目撃したのだが、感動するものがなかった。コントロール・ブース内は、しばらく沈黙が流れた。
「それで、ナラヤン博士。あのマイクロロボットはどこに行ったのですか」
林原がようやく口を開いた。
「今、調べているところです」
「この広い宇宙の中をですか」
ケリーは無理でしょうという表情であった。
「…とにかく、見つかったら連絡してください。ナラヤン博士、今日はいろいろと貴重な実験を見せていただいて、ありがとうございました」
モーガンは締めの言葉を発していた。
「これが、世界を、いや人類を一変させる第一歩の実験なのです。要求の件、よろしくお願いします」
ナラヤンは、どこか無念そうに林原たちを見ていた。
ケリーとモーガンはワシントンに戻り、林原と芽亜理は帰りの便が来るまで時間があるので、キーウェストのアーネスト・ヘミングウェイ博物館を訪ねていた。博物館の塀沿いを歩いていると芽亜理のスマホにナラヤンから着信があった。
「林原さん、これからマイクロロボットを回収に行くので、同行しますかと言っています」
「発見したんだな。ぜひとも同行したいと言ってくれ」
林原が言うと芽亜理は、その旨を伝えていた。
「先に軌道ステーションに行って待っているとのことです」
「地上ステーションではなく、軌道ステーションの方か。一刻も早く回収したいナラヤン博士の気持ちの表れだな」
林原はスマホで空飛ぶタクシーを呼んでいた。
軌道エレベーターの搬送機は、チベットのものとほぼ同一規格で、垂直に上っていくモノレールのようだった。林原たちは軌道ステーションに着くと、文字通り飛ぶようにして軌道ステーションのスペース・ポート・ロビーに急いだ。
「林原さんたちが来るまで時間があったので、回収用の宇宙船をチャーターしておきました」
ナラヤンは林原たちが来るのが遅いと言わんばかりであった。
「どの宇宙船ですか」
「あの第3ポートに接続している宇宙船です。うちの助手用の宇宙服も積んでいますから、あとは乗るだけです」
「それじゃ、急ぎましょう」
林原が言うと、若干表情が和らいだナラヤン。
小型の宇宙船には林原、芽亜理、ナラヤン、助手、操縦士が乗っていた。
「ここは地球からどのくらい離れているのですか」
林原は宇宙船の窓越しに小さくなった地球を見ていた。
「地球から月の方向にだいたい12万キロの宙域です」
ナラヤンは操縦席の距離計をちらりと確認していた。
「ここまで遠くにある0.2ミリの物体を良く見つけられましたね」
「…これは、さすがに無理がありますので、これから探します」
「えっ。見つかったから連絡をくれたんじゃないのですか」
「私は決して発見したとは言っていません。ただ同行するか尋ねただけですけど」
ナラヤンは平然としていた。
「でも、あんなに急いでいたけど…。そうか確かに…。あの状況での私の思い込みだったか…」
林原は自分が帰国しないよう呼び止めるために、ナラヤンが一芝居打ったと悟った。
「気を悪くなさったなら、謝ります」
「それで、何らかの目途は立っているのですか」
気を取り直す林原。
「私の仮説による計算ですと、この辺りで微弱なモールス信号が確認できるはずなんです」
「わかりした。我々が見守る以外にできることはありますか」
「特にないですけど、時間はかかるかもしれません。芽亜理さんと宇宙スナックでも食べてリラックスしていてください。あ、それと操縦士は暇なので、宇宙船の操縦体験ができると思います」
ナラヤンは操縦士の肩を軽く叩いていた。助手は後部ハッチ室に行き、宇宙服を装着していた。
ナラヤンは、船外活動をしている助手と連絡を取りながら、センサー類のモニター画面をチェックしていた。操縦士は操縦体験の準備し、林原たちは窓のそばで漂っていた。
「ナラヤン博士はなかなかの策士だな」
林原は濡れせんべいのような宇宙スナックを口にしながら囁いていた。
「私も発見したかの確認はしていなかったので、申し訳ありません」
「何も君が謝ることはない。それよりも宇宙酔いは慣れたか」
「この宇宙スナックを食べたら、なんかスッキリしました」
芽亜理の顔色を幾分良くなっているようだった。
「あのぉ、そろそろよろしいですか。操縦体験の準備が整いました」
操縦士は操作パネルの前に漂ってくるように手招きをしていた。
「助手の方が船外活動をしているのに、宇宙船を動かして良いのですか」
林原は手動操作に切り替わっている機器類を見ていた。
「はい。大丈夫です。船外活動に支障のないように、800mほど動かして元に戻るだけですから」
「なんか簡単そうですね。林原さんが終わったら私もやってみたいです」
芽亜理も興味を示していた。
「それでは、まずこのレバーを前に倒して、前に進みましょう。停止させる際はレバーを少し手前に引きます」
操縦士は林原の斜め上に漂いながら操作を指示する。
「ドローンの操縦のようですね」
林原は言われていなのに、レバーを右に倒して、軽く旋回させようとしていた。
「扱いやすいように、いろいろと改良されていますから。右にやったら、左に倒して修正してください。…そう、そうです。操縦士の素質がありますね」
操縦士は煽てるように言った。
「ホワイト操縦士、林原さんはうまくできそうか」
「はい。バッチリです」
「それじゃ、君も宇宙服に着替えて、うちの助手をサポートしてくれ」
「了解しました」
ホワイト操縦士は、舞うようにハッチ室の方に飛んで行った。
林原と芽亜理は顔を見合わせていた。
「…初めからそのつもりだったのか。またしても策にはまったか。彼の才能は政治力になるんじゃないか」
「そのようですね」
芽亜理はモニターを見ながらキーボードを叩いているナラヤンを見ていた。
「林原さん、もう少し位置を…、右に12m動かしてください」
ナラヤンは宇宙船の方向を変えるように指示していた。マイクロロボットを捜索して4時間が経っていた。
「これで、良いですか」
「はい。それで、今度はX軸方向に3m、Y軸方向に5m、Z軸方向に1mです」
「こんな感じですか」
「なかなかです。プロ顔負けですが、欲を言えばX方向に0.6mプラスしてください」
ナラヤンは林原の気分を損ねないように言っていた。
「はい、そのままキープしてください。あぁセンサーで微弱信号の発信点をだいぶ絞り込めました」
「ナラヤン博士、発見できそうですか」
「はい。時間の問題です。次はXに12m、Yに9m、Zに4m、それで私の合図で、X3、Y5、Z7に移動してください」
とナラヤン。林原は操られていることを楽しんでいるようにも見えた。
「ナラヤン博士、マイクロロボットを捕獲しました」
助手からの無線連絡があった。
「間違いないな」
「はい。信号コードにまぎらせた特定パルス波形が完全に一致しています」
助手はキッパリ言い放っている。ナラヤン、林原、芽亜理は拍手して喜んでいた。
「ということは、確かにワープ成功というわけですね。人類の新たな時代の幕開けじゃないですか」
林原はナラヤンと力強い握手を交わしていた。
「私は、林原さんのような著名な人にこの発見を立ち会ってもらえたことに感謝します。さもなくば私がいくら学会で発表してもフェイクだとかで、マッド・サイエンティスト呼ばわりされますから」




