第八十九話 副反応
●89.副反応
首相官邸の首相執務室ではデジタル・ホワイトボードを前にして、林原、高坂首相、井原総合情報局長が討議していた。
「今や、長寿医療は郷に従え与党諸国だけの切り札ではなくなっています」
井原は立ち上がりホワイトボードの脇に立った。
「と言いますと」
と高坂。
「国境なき地球党やローカル政党国がラオスやケニアなどの旧郷に従え与党諸国を併合した際に、長寿医療技術が引き継がれ漏えいしてしまいましたから」
「それでも制度設計や肝となる部分は、漏えいしていないはずですし、一朝一夕には真似できない面があります」
林原はそうであって欲しくない立場でった。
「確かにそうなのですが、そこに新たな問題点が出てきました」
「えっ、それはなんですか」
林原と高坂は口を揃えていた。
「我が方の情報筋によりますと、完璧でない長寿医療と言うか、安全度が低いと言うか、雑で低品質の長寿医療を施した者に奇妙な症例が見られたとのことです」
「それは、ある意味自業自得ということなのではないでしょうか。我々の規定では、郷に従え党が下野した場合、契約解除を基本としていましたから」
林原は冷たく言い放っていた。
「全く事実無根ですが、その症例が長寿医療の欠陥だと、世界中に触れ回っていることなのです」
「逆切れみたいなものですね」
高坂は呆れ顔であった。
「それで、その奇妙な症例とは」
と林原。
「一旦心肺停止になり、次に息を吹き返した時には、精神的に錯乱状態になるらしいのです」
「錯乱状態ということは暴れて、襲い掛かるというわけですか」
林原はあり得ないという表情であった。
「そう言う場合もあるそうです」
「ゾンビ…ですか」
高坂は思わず口が動いていた。
「不安を煽っても仕方ありませんから、まず具体的に長寿医療の状況がどうなっているか整理してみますか」
林原はホワイトボードに世界の白地図を表示させた。
「友好ローカル政党国はインド スリランカで、敵対ローカル政党国としてはロシア、ベラルーシ、アフガニスタン、北朝鮮…、正統大韓民国はこちらに入りますか」
高坂は国名プレート表示をタッチして、敵対ローカル政党国の囲みに移動させていた。
「中立ローカル政党国としては大韓釜山国、インドネシア、スイス、オーストリアが該当しますか」
と高坂が続けた。
「あと付け加えますと、インド、スリランカ、パキスタン、バングラデシュ、タイ、ベトナム、イスラエル、イスラム・アラブ連合はローカル政党国ですが、郷に従え陣営に取り込むため個別に正規の長寿医療提携しています」
林原は赤いタッチペンでアンダーラインを引いていた。
「現時点での国境なき地球党領域は、ラオス、カンボジア、ミャンマー、サハラ以南のアフリカ、メキシコ、キューバを除く中南米が主な所です」
井原が最新情報をもとに国名などをタッチペンで書いていた。
「太平洋の島嶼国は、概ね友好的なローカル政党国と言って良いでしょう」
と林原。
「世界の勢力図は、ざっとこのようなものですかね」
高坂は世界地図を眺めていた。
「後、一概に郷に従え与党諸国と言っても、アメリカGNSPや中華圏の入郷随俗党を筆頭に、郷に従え自由党、民主郷に従え党、選択肢としての郷に従え党など、その国に適応した郷に従え党がいろいろとあります。必ずしも郷に従え党何々国支部や本部という形にはなっていません」
林原は郷に従え党の副党首としての立場で言っていた。
「なんか世界は狭くなりましたね」
ベルガーはしみじみ言っていた。首相の秘書が紅茶を持ってきたので、小休止することになった。
「このまま放置しておくと、現在我が陣営に取り込もうとしている国々に悪影響を及ぼしかねません。しっかりとしたエビデンスを以って反論し、根も葉もないデマ情報を一掃するしかないでしょう」
小休止後、林原はキッパリと言った。
「まずSNSなどのネットから始めますか」
高坂が林原の顔色を見ながら言っていた。
「それも並行して進めましょう」
「それでは私は国連大使にその場を設けるように命じておきます」
「総理、名ばかりで実行力のない国連でアピールしても意味ないです。ここは私が直接、学者たちを引き連れて各国に説明に行きたいのですが…、総理どうですか」
「林原さんが、そうおっしゃるなら、止めようとしても無駄ですよね」
高坂は苦笑いしていた。
「…どうしてもダメだというなら、従うつもりですが」
「まぁ、誰よりも説得力や交渉力があるのは林原さんですから、それが順当ではないですか」
井原は背中を押してくれていた。
林原たちが乗った中型飛行車は、ノイバイ国際空港から15分程で首都ハノイの上空まで来た。
「ここが共産党の一党独裁から多党制に移行したばかりのベトナムの首都っすか」
田沢は超高層ビルが立ち並ぶ街を見ていた。
「中華連合や中華連邦共和国の影響を受けて遂に2年前、政変があったばかりです」
芽亜理はすかさず説明していた。
「今の所、ベトナム郷に従え党はベトナム議会に1議席確保しているだけだけれどな」
と林原。
「自分らの陣営に来てくれますかね」
「それは、彼ら次第だけど、デマは訂正しないと話しにならないからな」
「初代大統領のグエン・バン・ズン氏はアメリカに留学経験があると聞きましたから、私が直接話せますね」
と柴里希美。見た目は30才前後の女性であった。
「あ、柴里博士は英語が堪能でしたね。それじゃ国際長寿医療機構のデータや資料を見せて懇切丁寧に説明すれば、バッチリですよ」
林原はスマホの翻訳を英語に設定していた。
「林原さんだって、結構英語がわかるのに、未だにスマホを使っているのですか」
「いゃぁ、間違いがあってはいけないですから」
「芽亜理さん、あの大統領府は誰の設計なんですか」
柴里は徐々に目の前に迫って来る大統領府のアーティスティックな建物を興味深そうに見ていた。
「えぇと、それはリチャード・グエン氏が設計と説明があります」
芽亜理は素早く検索して返事をしていた。
「それにしても、田沢も今や党の要人警護統括本部長だから、なかなか私と同行する機会はなくなったな」
「たまには呼んでください。体が鈍ってしょうがないっすよ」
「君はゾンビとかオカルト系は好きだろう。本物が見られるかもしれない」
「マジっすか。それで自分を呼んだんすか」
「林原さん、まもなく到着です」
芽亜理はぴしゃりと言う。中型飛行車は、完成したばかりの大統領府の駐機パッドに降下して行った。
大統領府の迎賓大広間は、宮殿のような豪華さがあった。林原は元首ではないのだが、元首クラスの賓客としてもてなされていた。
「この一年で経済的に急速に豊かになりました。日本には感謝しています」
グエン・バン・ズン大統領は屈託のない笑顔を見せていた。
「まだ一年ですけど、そんなに効果がありましたか」
林原は出された料理の旨さに感激して、はしゃぎ気味であった。
「ぁ、ちょっと失礼します」
「林原さん、トイレなら、あの者がご案内します」
大統領は案内係を呼んでいた。
案内係の後ろを歩く林原と芽亜理。
「芽亜理、君までついてこなくても良かったのに」
「そう言うことではなく、林原さん、今回の訪問は両国の今後の繁栄に寄与するという親善訪問は表向きでして、正規の長寿医療の安全性を説きに来たことをお忘れなく」
芽亜理は声を潜めて言っていた。
「もちろんだとも、長寿医療施設で柴里博士が説明する場を設けてもらっているから」
林原は芽亜理に宴席に戻るように促す。
「いえ、私もトレイに行きたかったので、途中までご一緒します」
翌日、林原たちは大統領とともに、大統領府の隣にあるベトナム長寿医療センターの講堂に来ていた。柴里は様々なデータや写真を表示させた大型スクリーンの前に立ち、流暢な英語で滔々と語っていた。大統領は時たま横目で林原を見て、用語が難しいとささやいていた。一方、長寿医療センター長のチャン・バン・ハイは目を輝かせて熱心に聞き入っていた。
「ということで、端的にご説明申し上げましたが、ここからは、それぞれの段階に応じてより詳細にご説明していきたいと存じます」
柴里はひと呼吸おいていた。
「あのぉ、柴里博士、私には、専門用語が多くて理解しづらい面があるのですが、そのナノロボットと遺伝子のコラボがマッチしないと、奇病などの副反応が現れるわけですか」
と大統領。
「まぁ、大雑把に言いますとそうなります。ここが正規の長寿医療と、非正規な海賊版の長寿医療の違いとなります」
「チャン君。君は長寿医療センター長として、よくわかったのかね」
大統領は脇で聞いていたチャンを不思議そうに見ていた。
「はい、大統領。正規と非正規ともに長寿になる点は同じでも、安全性がしっかりと検証されていない非正規は、副反応の危険を多分にはらんでいることがわかりました」
「そうか、それは良かった」
大統領が言っていると側近が静かに近寄り、何か耳打ちしていた。
「林原さん、長寿医療を扱っているホイアンの病院で、その副反応が見られたそうです」
「そこは、長寿医療センターの傘下なのですか」
「社会主義政権下から民間で長寿医療を行っていたらしく、今年になってから長寿医療センターの承認を得たと聞いています」
「民間で、ですか…。先ほどから柴里博士が指摘している非正規の悪い面が出ていると言えます」
「当時としては、取り締まれなかったもので…」
「大統領、我々の陣営に加わっていただければ、すぐに適切な対応ができると思いますが、今の所、対外的な規制がありますから」
林原はやんわりと言っていた。
「今後のことを考えると…」
大統領はいろいろな考えが頭に渦巻いているようだった。
「国民の健康長寿環境を整えることは、国民の支持を高めるものでもあります。長寿医療で実績を作れば大統領も安泰と言えます」
「でも、そうなると我々自由国民党は郷に従え党にならないといけないのではないですか」
「いえ。ベトナムには既に1議席を獲得している郷に従え党がありますから、そこと連立政権なるだけでも大丈夫です」
「あのぉ、林原さん、大統領、私がそこに行ってもかまいませんか」
柴里はチャンスとばかりに言った。
「幸、ベトナムに柴里博士がいることですから、奇病に対処できると思います」
林原も後押ししていた。
「わかりました。ホイアンまで政府専用大型飛行車でお連れしましょう」
「ここがホイアン中央病院ですが…、警察の規制線が張られています」
同行している長寿医療センター長のチャン・バン・ハイは怪訝そうな顔をしていた。林原たちの乗った大型飛行車は病院の駐車場に着陸していた。規制線の中から、現場の指揮官らしい警官が大型飛行車の所に歩み寄ってきた。
「お待ちしておりましたが、状況が悪化しまして、精神異常をきたした患者たちが立てこもってしまいました」
と現場の指揮官。
「立てこもって、何か要求してきているのですか」
とチャン・バン・ハイ。
「いいえ、ただ暴れまくって逃げ隠れしているだけですが、敷地の外に出ないように包囲しています」
「中には何人ぐらいいるのですか」
林原はスマホの翻訳機能をベトナム語にしてチャン・バン・ハイの横から口を挟んでいた。
「暴れている患者は8人で、病院関係者は死傷者5名ですが全員退避しています」
「兵糧攻めにして弱った所を一網打尽にしますか」
と林原。
「それでは時間がかかります。もはや治療の余地はないので、見つけ次第狙撃して全員排除するつもりです」
「私としては、異常副反応の症例を詳しく分析したいので、生け捕りにして欲しいのです」
柴里はスマホを介して言う。この最中にも銃声が聞こえていた。
「隊長、2人を排除しました」
指揮官の無線機に部下から報告があった。
「後、6人。残りはなんとかなりませんか」
林原は無理を承知で言う。
「生け捕りと言われても、完全に殺さないと症状が伝染するのではないですか」
「いいえ、そのようなことはありません」
柴里とチャン・バン・ハイが口を揃えていた。銃声は病院の一階奥の方から聞こえていた。
「でも、部下たちは急にそう言われても、恐怖が先に立ち、息の根を止めるまで撃ちまくります」
「隊長、リネン室に隠れていた2人を射殺しました」
さらに指揮官の無線機に部下から報告があった。
「残り4人です。林原さん、どうしましょう」
柴里は焦っていた。
「隊長、罠をしかけて生け捕りにできませんか」
と林原。
「できないことはないですが、誰か囮になってもらわないと。彼らは健康な人間に食らいつこうとしますから」
「人肉を好むのですか」
柴里は興味深そうにしていた。次の瞬間、林原たちが立っている傍に屋上から患者2人が落ちて来た。
「あっぶねぇ、」
田沢の足元のそばに血まみれの肉片が散らばっていた。
「残り2人です。私が囮になりましょう」
「林原さん、ダメですよ」
と芽亜理。
「自分がなります」
と田沢。
「田沢、一緒に病院に入って、ひと暴れして来ようか」
「林原さん、良いんっすか」
「たまにはな」
林原が言うと芽亜理は成す術がなくあ然としていた。
林原と田沢を先頭にして、警官隊が病院内の廊下をゆっくりと歩いていく。
「今、階段の方から物音が聞えなかったか」
「はい、自分も聞こえたっす」
「皆さん、ついてきてください」
林原はスマホを介して言った。
階段を上っていると、上からけたたましい奇声が響き、青白い顔の患者二人が駆け下りてきた。林原は患者の1人を蹴り払ったが、よろけたものの獣のような目で林原を睨み、飛びかかろうとした。そこを横から田沢が体当たりして、患者を階段の踊り場の方に突き落とした。その際に肩を噛みつかれていた。踊り場の患者は立ち上がろうとするところ、両足を撃たれていた。さらに銃声がし、もう1人も足を撃たれて倒れていた。銃を構えた警官たちはこの状況を遠巻きに見ていた。
「田沢、大丈夫か」
「こんなのただのかすり傷っすよね」
田沢は警官隊の後方にいた柴里に呼びかけていた。柴里はうなづいていた。
「うちの田沢が噛みつかれても、ご覧の通り平気です。皆さん伝染することはありませんから、網をかけて捕縛してください」
林原の言葉に警官たちはどっと押し寄せ、患者二人を生け捕りにした。
「こいつら臭いし、うるさいっすね」
田沢を網越しに睨みながら奇声を発する患者たち。柴里とチャン・バン・ハイは生け捕りにした患者たちをじっくりと見ていた。
「柴里博士、こいつら治療できそうですか」
林原の頭に疑問符が浮かんでいた。
「なんとかできると思います。いや必ずします。この患者から得られるデータは今後の長寿医療に大いに役立ちますから」
と柴里。
「しかし世界的に見ますと、正規よりも非正規の方が多くなりそうではないですか」
とチャン・バン・ハイ。
「そうならないように、我々がします」
林原は決意めいた言葉を口にしていた。




