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第九十話 占領地交渉

●90.占領地交渉

 林原は中華連邦共和国大統領府の応接室に来ていた。

「パラムシル島・シュムシュ島(占守島)戦で、あっさりとロシア軍を撃退できたことに油断があったかもしれません。それに正規の長寿医療では副反応は有り得なかったですから」

朱明徳大統領は一見すると冷静のようだが、攻撃されたことにショックを受けているようだった。

「まさか故意に長寿医療の副反応患者を送り込み、黒河市内を混乱させるなど、なりふり構わないやり口には驚きました」

林原は最初はスマホなしの中国語で言っていたが、途中からスマホの翻訳機能を起動させていた。

「それが権威主義独裁国家の怖い点です」

中華連合代表の劉玄仁は当然とばかりに言っていた。

「現時点でロシア・亡命中華人民共和国連合軍が侵攻した公別拉河以北までの占領地では、凱旋帰還と称して中華人民共和国を名乗っています」

と中華連合統合情報局長の黄隆起。

「…とにかく、国際郷に従え党軍と中華連邦共和国軍が対処応戦したので、連合軍の侵攻を黒竜江省北部で食い止めることができましたけど、まさかこんなに早く国際郷に従え党軍が役立つとは思ってみませんでした」

朱明徳大統領は盟友でもある劉玄仁や林原の方に顔を向けていた。

「このところロシアは何かと戦争をやる気満々ではないですか」

林原は苦々しそうに言う。

「無人化兵団は、人命をほとんど失いませんし、自由に動かせますから」

朱明徳大統領は困った時代になったという表情をしていた。

「でも、戦費はかなりのものになるはずですが」

と劉玄仁。

「どうでしょうか。ミサイルの代わりにドローンを使うのですから、一概に言えないと思います」

黄隆起は現状を淡々と言っていた。

「やはり、民主主義国家というものは脆弱ですね」

朱明徳大統領はぼそりと言う。

「そんな弱気にならないでください」

と林原。

「そうですよ、いろいろな意見があれば、偏ることがない判断ができます」

劉玄仁はやっとつかんだ民主主義が大切だと考えていた。

「時間を要するのは確かですけど…、そんことよりも今は、これからどうするかです」

林原はその場にいる中華首脳たちを元気付けるように見ていた。

「奪還しましょう。共産党がまた広がる恐れがあります」

黄隆起は、はやる心をかろうじて抑えていた。

「国民感情としては占領された領土は取り返せとか、中華連邦政府は弱腰だという声が上がっています」

と朱明徳大統領。

「このままにしておくわけには行きません」

と劉玄仁。

「国民感情は無視できませんが、奪還となると中心地の黒河市街地が戦場となり犠牲が強いられます」

林原は慎重な考えを示していた。

「林原さんは、奪還に反対なのですか」

朱明徳大統領はちょっと不満そうであった。

「いえ、そうではありません。最終的には、大統領や代表の決定には従います。しかし占領地には郷に従え党支持者もいるわけですから、ロシア側の情報を入手する窓口として利用できないですか」

「無理して、奪還せずに利用するのですか」

朱明徳はその手があったかという顔をしていた。

「スパイ活動の表舞台としてか…」

と劉玄仁。

「こちらの情報が洩れるリスクはありますが、得られるものは大きいと思いますし、大きくする必要がありますけど」

林原は無理強いするつもりはないので、小さめの声であった。

「…それでは国民が納得しないでしょう。それこそ弱腰とSNSが炎上します」

朱明徳はやっぱりダメだという顔になっていた。

「悲願の沿海州奪還も遠のくと騒がれ、民主主義はやはり弱くてダメだと、なりかねません」

劉玄仁も渋い顔をしていた。

「こういうのはどうですか。沿海州の兵力が手薄な所を占領するのです。特に軍事的に重要な所でなくて良いのです。できれば今回、占領された面積と同等の面積が良いですけど」

「それで、交換交渉というわけですか」

黄隆起はそんなに甘くはないという表情であった。

「それもありですが、国民感情の沿海州奪還の意図があるともアピールできます。その上、手薄な所を狙うのですから人的犠牲は極力ゼロに近くなります」

「何もしないよりは良いでしょうが、もう少し詰める必要があります」

朱明徳はぶっきら棒に言っているが、もしかしたらうまく行けるかも知れないと、心が動いているようだった。林原と中華首脳たちは、互いに忌憚のない意見交換ができていることに、絆が固くなっている気がしていた。

「政治思想はともかくとして、中国人の住む領域がちょっと広がることには変わりないと言えます。まぁ、あくまでも占領地の交換をしなければの話ですが」

林原は刺激的なことを付け加えていた。

「連邦共和国では支持者は僅かですが、共産党は非合法ではありませんから、いずれ平和的に取り込むこともできますかね」

朱明徳は打って変わって気を良くしていた。

「大局的にとらえポジティブ思考の未来と行きますか」

劉玄仁もその方向に賛同し始めた。


 ハンカ湖の上空を渡り鳥の群れのように飛来する戦闘ドローン群。日差しにきらめいていた湖面が暗くなる程であった。湖畔にいたロシア人たちはあ然として空を見上げていた。

 中露国境線から100mほど離れた所で地面が爆発と共に吹き飛び土埃が舞う中、穴が開いた。穴の奥からは斜路が続き、そこを進む小型戦闘車両やロボット兵士が続々と地上に出てきた。静かだった森林地帯に複数の車両のエンジン音やロボットのサーボモーター音がし始めた。地上と上空のドローンは連携し国境警備兵を見かけると急降下して銃撃をしていた。国境警備兵がほとんど何もできないままであった。あっさりと中華連邦軍はロシア領に侵入した。


 「ウラジオストク攻略が目的なら、まずウラジオストクをミサイルなどで攻撃するでしょうが、

いきなりの国境線突破は戦術上あまり意味がないので、何かの陽動作戦なのかと混乱しているようです」

李准尉は多目的戦闘車両を停止させた。

「調子よく進軍できるのはここいら辺りが潮時かな」

周大佐は多目的戦闘車両の上部ハッチを少し開け、森林地帯の木々がまばらになり、人家がちらほら見える丘陵地帯を覗き見ていた。

「はい。ウラジオストクに近づくにつれて、ロシアの抵抗が激しくなっています」

李准尉はロボット兵士と偵察ドローンから報告をまとめていた。

「それは当然だよな。だからこのような攻め方をするのは素人か、他に目的があるのか、いろいろと探っているだろう。予定通りだな」

「この作戦で周大佐はさらなる昇進が待っていますよ」

と李。

「お前だって曹長から昇進しているではないか。煽てるなよ」

「周大佐、ロボット兵士23号と6号が作動不能になりました。内部構造を探られないため爆破しますか」

李は多目的戦闘車両のモニター画面表示を確認していた。

「いや、兵力にまだ余裕があるから四足歩行ロボットで回収させよう」

「了解しました」

「それで…もう少し南下したポスペロフカ付近まで進んだら守りに転じよう」

周大佐は手元のタブレットPCに地図を表示させていた。


 総合情報局の市原は、地元の河漁師を装い南モンゴル国と黒竜江省の境になる河を渡り、中華人民共和国を名乗る占領地に入った。岸辺から少し離れた所にある半分廃屋となった漁師小屋の前まで来ると、背後から銃口を突き付けられた。

「こんな夜中に密漁ですか」

女性の中国語が聞えた。

「漁期が解禁と聞いたもので」

市原は中国で答えていた。

「あ、市原さんですね」

「はい。あなたが…中華連合の統合情報局のイリーナ・宋さんですか。いゃぁ、ロシアの血が入っているからお美しい」

市原はイリーナ・宋の顔に見惚れている感じであった。

「お上手ですこと」

宋は軽くあしらっていた。

「宋さん、ここから黒河市内までは徒歩ですか」

市原は、周囲を見るが乗りものはなかった。

「小屋の中にバイクがあります。それと夫婦を装いますからイリーナと呼んでください」

イリーナは小屋の中に入って行った。

 イリーナがエンジンをかけると、市原はシート後部に跨った。ちょっと躊躇しながら腰に手を回して振り落とされないようした。バイクは腐りかけている扉を吹き飛ばし、小屋から飛び出して行った。

 黒河市に向かう途中、共産党占領軍に出くわしたが、イリーナが黒河市内の魚屋だと告げると簡単に道を開けてくれた。


中立国インドネシアのジャカルタは、強い陽光が降り注いでいた。林原は中華連邦共和国側の停戦交渉特使として、グランド・ハイアットホテルのコンファレンス・ルームに来ていた。五つ星ホテルらしくレースカーテン越しの特大窓からはムルデカ広場が見下ろせた。

 林原の側には元百団代表の頼淑恵、陸大尉の弟で中華連邦共和国外務次官の陸正らが座っていた。一方の楕円テーブルの反対側にはロシアの停戦交渉特使としてイーゴリ・チトフと側近が座っていた。


 「まず、何で日本人の林原さんがいるですか」

「中国の方ですと、沿海州に関しましては熱くなりがちなので、中立的な立場として私が大統領と代表から任命されました」

「中立ですか。いささかそれは無理があります。中華連合も中華連邦も郷に従え陣営ではないですか」

「沿海州は日本に関わりはないですから」

「サハリンとは違いますかね」

チトフは皮肉っぽく言う。

「サハリンは今や独立国ですけど」

林原が言うとチトフはちょっと熱くなりかけていた。

「ものは良いようですな。それに極東領域では国際郷に従え党軍が連携していることは確かです。例外はありますか」

チトフは我に返ったように冷静に言った。

「今回の件が例外にあたり、全く関与していません。現場の指揮官に聞けば明白だと思います」

「表向きはそうですが、どうだか。それで何か話すことはあるのですか」

「こちらの案としては面積が違いますが、黒竜江省北部の占領地と沿海州の占領地を交換したらどうかと提案します」

「そのような虫の良いことを言われても無理です。初めからそのつもりで侵略させたのですか。まさに

軍国主義ですな」

「このまま行けば、中華国民の世論に押されてウラジオストクに攻め込むこともありえます」

「そのようなことはできますか。このまま停戦せずとも、我々自身の力で侵略軍を追い払うことができます。交渉の余地はありません」

「中華連邦の無人化兵団の実力はご存知のはずです」

「脅すのですか。あなた方が地域紛争から全面戦争に持ち込もうと言うのなら、受けて立ちます」

「ここでちょっと休憩を入れたいと思いますが、いかがでしょうか」

「休む必要はありません。ここにいるだけ時間の無駄です」

「それでは最後に一言良いですか。次回の占領地交換交渉に期待して、我々はポスペロフカ付近以南は侵攻しません」

「偽善の平和主義ですか。勝手にしてください。ロシア軍が奪還するのは確実です」

チトフは冷たく言い放っていた。


 ジャカルタから北京に向かう旅客機が中華連合域内に入った。

「林原さん、ちょっといいですか」

と林原の横に座る頼淑恵。

「どうかしましたか」

林原はイヤホンを外していた。

「我が方がウラジオストクに攻め込まなければ、ロシア側は基地施設の老朽化対策に時間が稼げます。森林地帯など後回しでも構わないはずです」

「私もそう見ています」

「非常に狭い領域とは言え、沿海州に占領地があるということは国民感情をなだめる意味もあります」

「でもどうでしょうか。これで黒河市でのスパイ合戦で何らかの成果がないと、この一連の作戦は成功とは言えませんよ」

「それでも林原さん。あの最後の一言で釘をさしたのは効果的だったと思います」

「いゃぁ、元百団の頼さんにお褒めいただくとは光栄です」

林原は硬めの表情だったのが和らいでいた。

「でも、こうして中華人民共和国政府がなくなった今、生きがいと言うか張りがなくなった気がしてました」

「頼さん、黒竜江省の北端で復活してますから、まだまだ気が抜けませんよ」

「台湾で気楽な陶芸生活をしている場合ではないですかね」

「ですから、今回も私と一緒に交渉団として任命されたわけです」

林原は頼を励ますように言っていた。

「大統領や代表が出番を作ってくれたわけですか。あの人たちなら大陸を任せられます。

ところで、話は変わりますが、奥様や娘さんはお元気ですか」

「はい。娘はまだ小学生ですが、建築家を目指しています」

「早いものですね」

「頼さんとは、中華連合が発足して以来、会う機会があまりなかったでしたから、今度、うちの娘の誕生日会も兼ねたホームパーティに来てくださいよ」

「よろしいんですか」

「もちろんです。ユカママ、いや木本も、それに芽亜理もお会いしたいと言ってましたから」

林原は今さらながら旧友に再会したような気分であった。頼は林原が妻のことを旧姓で呼んでいたので、ニヤッとしていた。


 市原の運転する冷凍アルミバン・トラックは、ロシア軍の占領地総司令部のチェックゲートの所で停車した。

「今日は、イリーナはいないのかい」

ゲートの兵士は市原が提示する偽造パスを端末で読み取っていた。

「ご覧のとおり、豊漁だったから荷物がいっぱいなんだ。後からバイクで来るよ」

市原は中国語訛りのロシア語で言い、助手席につまれた発砲スチロールケースの方に視線を向けていた。トラックの後方で、接近してくるバイクのエンジン音がした。

「あ、来た来た。イリーナだよ。それじゃ一足先に中に入らせてもらうよ」

市原が言うと兵士を軽く敬礼してから、ゲートを開けていた。


 市原が押す台車には発泡スチロールケースが高々と積まれ、イリーナが押す台車には、大量のウナギが入っている大型のバケツが積まれていた。二人は総司令部敷地内の建物と建物をつなぐ渡り廊下を歩いていた。

「あぁ、君たち、食材庫はあっちだぞ」

総司令部の職員が呼び止めた。

「すみません。迷ってしまって。あっちですね」

市原は愛想よく言った。だが、市原たちは職員が立ち去るのを待って、食材庫とは反対の方向に歩き出した。

 

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