第八十七話 国境線
●87.国境線
札幌の北都理科大学のリモート会議室に来ていた林原と芽亜理。
「火星の軌道探査機からインドラは上手く捉えられなかったようです。数枚の画像データぐらいでして、申し訳ありませんでした」
ファイサル・ムフタールはアラビア語で言っていたが林原のスマホが訳していた。
「国際インドラ分析委員会総務長のあなたが謝る必要はありません。統括責任委員長は私ですから」
林原の言葉にムフタール総務長は救われたような表情になっていた。回線の調子が悪いのか、ムフタールの画像に若干のノイズが入っていた。
「そう言っていただくと救われます」
「なんでも順調に行くとは限りません。この通信回線だって完璧だと言っても不安定な時がありますから」
「ぁぁ、エジプトのインフラが古いもので、時々画像が乱れることがあります」
「しかしインドラは難敵と言えますね」
林原は話題を変えていた。
「はい。今回の国際合同調査でわかったことと言えば、インドラ表面の構成鉱物は特段変わったものはなく、太陽系の小惑星と同じものばかりでして、年代測定の結果が太陽系よりも10億年古いということだけです」
「それだけでも、全世界の学者が携わることの意義はあると思います。疑念や憶測を払拭できますから」
「あと、内部構造などをいろいろ角度から調べていますが、人工的なものは見当たりません」
「それでも小惑星を削って整形し、くり抜いたことは考えられますよね」
「…その痕跡は今の所…、引き続き分析調査を継続します」
「この辺で報告は終わりに…」
林原が言いかける。
「あの、ムフタール総務長、インドラは地球近傍の特異点から出現し、水星、太陽、太陽を周ってから金星、地球、火星というコースを取っていますから、どう見ても意図的としか思えない面があります」
と同席している北都理科大学の天体物理学者の長谷川教授。
「私も同感ですが、だからと言っても、たまたまそうであった可能性もあり、意見が分かれるところです」
ムフタールはちょっと表情を緩めていた。
「インドラにはセンサーの類はなかったですが、それはあくまでも地球のセンサーなので、全く違ったシステムの機器ということないですか」
林原も気になっていたことを吐露していた。
「何とも言えません。現在は小惑星帯を通過中ですが、木星に向かうものと考えられます」
「木星の衛星に興味を持つとしても違和感はないです。むしろそれだからこそ、意図的と言いたくなります」
長谷川教授はもっと話したそうにしていた。
「あぁ、そろそろ終了予定時間なので、失礼したいと思います。長谷川教授には役不足かもしれませんが私が話し相手になります。それではまた」
と林原。
北都理科大学の観測データ受信室を見学する林原。芽亜理は長谷川教授の言うことで気になる点を、スマホでメモしていた。
「ここで国際インドラ分析委員会からの最新データを24時間受信保存しています」
長谷川は何も映っていないモニターのスクリーンセーバー画面を眺めていた。
「あのスクリーンセーバーの景色はどこですか」
「あれはアラスカのオーロラです」
「北海道でたまに見られるのは赤っぽいと聞きますが、本場はやはり緑色が鮮やかじゃないですか」
林原が言っていると学生が駆け込み長谷川に何か伝えていた。
「林原さん、インドラが消滅したそうです」
「消えたのですか」
「はい。たぶんの小惑星帯付近にも特異点があるのではないでしょうか」
「となると、木星には行かずに帰ったわけですか」
「これは大きな発見です」
長谷川は目を丸くしていた。
「消えたことがですか」
「地球近傍にだけ特異点が存在するのではなく、小惑星帯にもあるということで、これを上手く利用すれば、地球から小惑星帯に一気に行ける可能性が出てきたことになります。でも特異点のことは良く分からないので、あくまでも仮説ですが」
長谷川の目は遠くを見ているようだった。
「観測対象が消えてしまっても、全世界で協力すれば、特異点のことも明確になるでしょう」
林原はこの時点では世界協力はまだ続けられると思っていた。
郷に従え党本部の会議室には、党三役が集まっていた。。
「インドラが消滅したことで、国際インドラ分析委員会は有名無実になってしまい。各国とも急速に興味関心が薄れてしまったようです」
ベルガーはドイツ開催された国際宇宙学会でムフタール総務長に会い、本音を聞きだしていた。
「名称を国際宇宙観測研究委員会に変更しますか」
とケリー。
「でもまだ特異点の研究などの課題がありますから、全世界の知識を結集させることに意義があると思いますけど」
と林原。
「その特異点なんですが、不意に消えたりして正体がつかみづらく、研究は断続的で目先の利益や話題には乏しいので、無理して国際協力はしたくないのが本音だそうです。それにインドラの国際協力に飽きてきた感もあるようです」
ベルガーは聞いてきたままを伝えていた。
「せっかくこの機運に乗って世界天下統一の足がかりにしようと思ったのですが、甘くはなかったようです」
林原が肩を落としているとスマホに着信があった。高坂首相からであった。
「さっそく、ロシアがモンゴルに侵攻したそうです」
林原はスマホの通話をオフにしてから言った。
「国際協力の美名はあっさりと破棄されましたね」
ケリーは人間はそのようなものだと達観していた。
「モンゴルと言えば中立国でしたし、かつてのソ連でもないからソ連復活の大儀とは違うと思いますけど」
「ベルガーさん、総合情報局によると親ロシア政権の樹立が目的だそうです」
「そういうことですか」
「とにかく就任早々の高坂首相にとっては大事のようで、私に指示を求めて来ました」
「旧内モンゴル自治区の南モンゴル国は中華連合の構成国だから、我々の陣営としても少なからず影響が出てきます」
ケリーは中華連合の南モンゴル国の地図をタブレットPCに表示させていた。
「厄介なことになりましたが、良くも悪くも何か動きがあれば、それをチャンスに変えるのが私のモットーですから、この先の方策を考えます」
林原はケリーのタブレットPCの画面を垣間見ていた。
上海の中華連合本部の代表室を訪れている林原と芽亜理。
「今回のモンゴル侵攻で、南モンゴル国ではこのままさらに南侵するのではと警戒していますし、親ロシア政権を嫌った難民が続々と南モンゴルへ流れて来ています」
劉玄仁代表は林原たちよりも深刻に受け止めているようだった。
「その中にスパイが紛れ込んでいることは確かですね」
と林原。
「間違いなくいますが、難民を受け入れないわけには行かないのが辛い所です」
「難民が押し寄せると言うことは、親ロシア政権が支持されていない証拠とは言え、政権奪還には武力が必要でしょう。しかし戦争は避けたいものです」
「束の間の世界協力の隙を突かれた感じです」
劉は天井を仰ぎ見ていた。
「一方世界に目を向けてみると、国境なき地球党も世界天下三分の計などなし崩し的に東南アジアで勢力拡大を図り始め、タイとカンボジアの国境紛争が激化しています。タイは郷に従え党与党諸国なので、我々の陣営としては見過ごすことはできないでしょう」
林原は代表室の壁に張られている世界地図を眺めていた。
「どこでも国境には根深いものがありますから…。そこでロシアのモンゴル侵攻を受けて、中国人の沿海州返還運動がより大きく過激になっています」
劉は軽くため息まじりであった。
「今や中露は政治体制が違いますから、同志というよりも過去の反感が蘇るのは当然かもしれません」
「私としては本音では沿海州を取り戻したいのですが、今さらということもあり、これがきっかけで大戦争になるのは避けたいのです」
「劉さんたち中国の民の納得がいく解決方法は私にも簡単には思い浮かびません」
「いずれにしましても国民感情が強く影響します。以前の中華人民共和国が反日教育をしていたため、国民の反日感情は必要以上に大きくなり、日本人を殺傷する事件が多発しそれを抑えるのに苦慮したことと重なるようです」
「かつて日本に向いていた敵対感情はロシアに向いているということですね」
「それもありますが、やはり権威的な国家は民主国家に勝る面があります。抑えるには強制力が必要なのですが、民主化している中華連合では、どうしても強制力は弱くなってしまいます」
「その分、粛清や監視に対する投資は減りますがね…」
林原は一応付け加えていた。
「そう言えば、北京の監視カメラは減ったかもしれませんよ」
劉はニヤリとしていた。
「そうでしたか」
「林原さん、世界天下統一には何らかの領土問題解決システムが必要不可欠ではないですか」
「はい。それには領土などに利害関係がほとんどない第三者的な国で構成する係争仲裁委員会
を設置して公正な判断を下すしかないでしょう」
「そう言っても、世界は狭くなっていますし、何らかのつながりがあります」
「偏らない複数の国の人を選ぶには、AIを活用するべきですかね」
林原はなんとなくスマホに目が行っていた。
「AIですか。一層のことAIに歴史的分析などをして客観的な結論を出すのも良くないですか」
「しかし中立なAIできて判断したとしてもです。強制力がない点は国際司法裁判所と同じなので、やはり強制力の必要性を強く感じます」
林原は全てが民主的なやり方だけでは、限界があるような気がしていた。
「強制力という点では、独自の兵力が必要なのですが、それをどう集めるかが問題になります。郷に従え与党諸国の軍隊を集めて連合軍を作るのも一つの手ですが、スピーディーな作戦行動にはやり難い面があります」
劉は剃り残した顎ひげをさすっていた。
「確かに各国の意見調整に時間が掛かったり、頻繁に統合演習などをしないと一体感は薄まるでしょう。差し迫った戦闘状態にでもない限り、徴兵制にはどこも消極的ならざるを得ないし、志願者も減る一方ですら」
「あぁ、そう言えば、現在中華連邦共和国では、軍の人手不足に対応するため、兵力の無人化の研究開発がかなり進んでいます」
「日本の自衛軍も研究はしていますが、そうでしたか。見学はできますか」
「もちろんです。それでは連絡しておきます」
長春市内の中華連邦軍駐屯地を訪れた林原たち。
「今回のロシアによるモンゴル侵攻では、本格的に無人化兵団が投入されています。しかしモンゴル側はほとんどが無人化されておらず、全く恐れず突っ込んでくるロボット兵士たちに圧倒された形で終わりました」
駐屯地司令官の葉はスマホの通訳機能をつかい丁寧に説明していた。
「ついにそういう時代が来てしまいましたか」
「それで、ロシアの無人化兵団は数人の指揮官となる人間が現場にいて、司令部との通信連携で動いていました。これはいわゆる中央制御通信型となります」
「中央制御通信ですか」
「ですが、それですと通信が遮断されたり、乗っ取られるという脆弱性があります。しかし我々の無人化兵団では通信は極力介さずに作戦を遂行する単独判断自律型の無人兵器を使います。それで現場の人間と臨機応変に対応するシステムを構築しました」
葉司令官は自慢げであった。
「自律型…なるほど」
「ですから、もしロシアの無人化兵団が中華連邦に攻め込んでも、自軍に影響なく通信回線を混乱させるか、妨害電磁パルスを発生させるので、モンゴルのようなことはなく返り討ちにすることができるわけです」
葉が滔々と説明していると、中断するように部下が報告に来た。
「何、昨日から演習に出ていた周中佐たちの消息がつかめなくなっただと」
葉は思わず口にしていた。
「どちらで演習をしていたのですか」
林原は興味深そうにしていた。
「牡丹江市の東方にある演習場です」
「あそこは…ロシアとの国境線に比較的近い所でしたっけ」
「近いとは言えます。…しかし、あいつは向こう見ずだからな」
葉は意味ありげな感じであった。
「捜索隊を派遣するのでしたら、同行しても良いですか」
と林原。
「捜索には我が軍の無人化兵団も参加するので危険はありませんから、構いません」
葉は胸を張っている感じであった。
「あのぉ、ロシアとの国境線が近いのですよね。それなりの危険はあるのではないでしょうか。奥様…ぁ、木本秘書室長からも、向こう見ずなことはさせないようにと見張り役を仰せつかっていますから」
芽亜理は割って入ってきた。
「え、そんなことユカ…木本に言われていたのか。でも大丈夫だ。葉司令官のお墨付きをいただいた無人化兵団と一緒だから心配はない」
林原が言うと、葉はその通りといった表情をしていた。
林原と芽亜理が同行する捜索隊は、多目的戦闘車両から降りると、周中佐たちを捜索を開始した。生身の人間2人の指示でロボット兵士3体、4足歩行ロボット3体が散らばり茂みの奥に入っていくが、偵察ドローン2機は多目的戦闘車両の荷台に積んだままであった。
「もう、この先は国境線ですか」
林原はかなり喋れるようになった中国語で言い、緩い斜面の林の先を眺めていた。
「はい。この辺りで周中佐たちのGPSの記録は途絶えています。故意かどうかはわかりませんが」
捜索隊長の陸大尉が話す広東訛りの中国語は林原のスマホが訳していた。
「隊長、国境線の向こう側に10mほど行った所に消し忘れた足跡が見えます」
李曹長は双眼鏡を手にしていた。
林原たちが到着する24時間前のウラジオストク海軍基地。その敷地内にある司令本部ビルの建設土木部の窓枠外側の縁に、カブトムシ程の大きさの羽ばたき型ドローンが羽根を休めていた。角のような集音マイクを伸ばし、建設土木部の職員たちの会話を録音していた。
1時間半程、羽ばたきドローンは羽根を休めると飛び去って行った。青空の下、ドローンは海軍基地から200mほど離れている集合住宅の屋上に向かって飛んでいく。そこで待機していた宅配ドローンを装った羽ばたき偵察ドローン母機。その格納箱の蓋が開き、羽ばたきドローンは中に入った。すぐに母機は、垂直上昇し、ドローン空路レーン高度に達すると水平飛行に移った。
「ちょっとやり過ぎかもしれないが、羽ばたきドローンの実力を試したかったからな。ウラジオの海軍基地なら、何か瓢箪から駒の情報が得られるかもしれないよ」
周中佐は母機の飛行ルートを示したタブレット画面を見ていた。
「初任務になりますかね。あまり期待はできませんが、集音マイクで、くだらない内輪話しでも録音できれば大したものです」
許准尉もタブレット画面を垣間見ていた。
「お、なんだ、なんだ。バッテリー切れで墜落か」
「中佐、国境線まで1キロの地点で高度0になっています」
「遠出させ過ぎたか」
「どうしますか。母機が発見されるとまずくないですか」
「1キロか。回収に行くぞ。我々の身の安全のためロボット兵士も連れて行こう」
周中佐はGPS装置をオフにしてから国境線に向かって歩き出すと、許准尉とロボット兵士2体が後に続いた。
林原は李曹長から借りた双眼鏡で周囲を見ていた。
「GPSデータによると中佐たちは21時間程前に国境線を越えたようです」
視力の良い李曹長は中佐たち足跡の方向を裸眼でじっと見つめていた。
「もう少しで丸一日か。ロシア領内で何をやっているのだろう」
と陸大尉。
「殺害されたり捕まった可能性もあります」
「…面倒なことにならなければ良いが」
陸大尉が言っていると、国境線の向こう側から銃声が散発的に聞こえてきた。
「これは大変なことに…」
林原はまずいと言った表情をしていた。
「国境線のこちら側から、支援するしかありません」
陸大尉は自動小銃を構え直していた。
ロシア側の国境警備兵の声が聞こえてくる。発砲の合間に熊の吠え声がしていた。
「あれは、熊ですか」
林原は周中佐たちではないと肩を落としていた。
「あぁ、なるほど、あの熊の声は周中佐ご自慢の人工音声です。ということは、もうすぐそこまで来ているはずです」
陸大尉は注意深く茂みの間を見ていた。木々の間から、走り寄って来る人影があった。暗がりから木漏れ日の当たる場所に人間二人とロボット兵士が姿を現した。周中佐たちは国境線に張られた鉄条網の切れ間を通り抜けて来る。すぐに彼らは多目的戦闘車両の陰に隠れた。
1分程遅れて、ロシアの国境警備兵が木漏れ日の当たる場所に姿を現した。
「熊だ。そっちの熊が来たから、追い返したぞ」
陸大尉はロシア語で声を張り上げていた。
「どっちに行った」
とロシアの国境警備兵。
「あっちの斜面の方に行ったよ。肉付きが良かったから食ったら旨いぞ」
陸大尉は、ニヤリとしていた。ロシア兵たちは、半信半疑のようだったが、民間人を伴った、軍服が全く汚れていない捜索隊しかいなので、すごすごと引き上げて行った。




