第八十六話 提案
●86.提案
党本部の党首室には、窓から明るい陽光が射しこんでいた。
「皆忙しそうだな。ところで芽亜理、軌道ステーションにいる時は、大人しかったが宇宙はどうだった」
林原は世界を飛び回っているベルガーとケリーの今日のスケジュールを確認していた。
「頭に血が上ってしまい、ボーッとするので、あまり好きではありません」
「俺も初めはそうだったが、慣れるとなんとか我慢できるものだよ。と言っても、何か月も行ったわけじゃないけど」
「そうですか。それにしても、あの時オペレーターの野田さんを勇気づけた手法には敬服いたしました。緊張をほぐすことを言い、集中力を高めて実力以上のパフォーマンスを引き出させたのですから」
芽亜理は大袈裟なくらいの尊敬の眼差しを向けていた。
「敬服か、おいおい、それはほめ過ぎだろう。そんな深い意味があって言ったわけではないが、とにかくうまく行ったな。それで、あの写真の分析は進んだんだろうか」
「郷に従え与党諸国の宇宙当局が協力し分析していますが、時間はかかりそうです」
「今、インドラは火星に向かっているらしいから、火星軌道上の探査機が使えるかもしれないな」
「火星の軌道位置によりますが、タイムラグが20分ぐらいなので、完全なAI自律操作になります」
「いくら優秀なオペレーターでも無理だな」
「それで林原さん、今日は早めに帰宅しますか。明日は早朝便で北京入りですけど」
芽亜理はタブレットPCのスケジュール表を見ていた。
「あぁ、そうだったな。久しぶりに朱大統領と会うから、シャキッとするために髪でも切りに行くか」
北京の中南海にある中華連邦共和国の大統領府は、中華人民共和国時代の建物が建て替えられ、新しいモダンな建物になっていた。林原は最上階にあるペントハウスのような応接室に来ていた。
「今回の選挙で新共産党が連邦議会に2議席獲得したと聞きましたが、支持層は増えているのですか」
林原はちょっと不安げな顔をしていた。林原は中国語もある程度話せるのだがスマホの翻訳機能を活用していた。
「やはり貧困層を中心に増えています。現在の民主主義と経済再発展に取り残された人達が共産党時代を懐かしんでいる感があります」
と第二次朱政権を率いる朱明徳。
「あなたは一旦大統領を退いたものの、根強い人気で再び返り咲いたのに、不満を口にする人達がいるとは…」
「全員が支持することはない、それが民主主義ですから」
朱はニヤリとしていた。
「でも、新共産党が中華郷に従え党や中華民主自由党と連立して与党になることはないでしょう」
「確かに連立はあり得ませんが、政権交代の可能性はあります。他の旧共産党系の党が伸びてきていますから」
「最悪、中華連邦共和国議会が旧共産党系の党で連携して政権交代しても、その上に中華連合の枠組みがありますから、一昔前に戻るとは思えませんが」
林原は自分を納得させるように言っていた。
「考えるられることは政権交代して中華連邦共和国が中華連合を離脱することです。もちろんこれは私の任期が終わってからになりますが」
「連合議会の郷に従え党の立場としては…、構成国の内政に関わることなので離脱を認めないわけには行かないですけど」
「林原さん、いずれにしましてもまだ数年は変化はないですし、今のうちに手を打とうと思っています」
「ところで、中華総合航天局や大学などのインドラの分析結果はどうなりましたか」
林原は別の話題に振っていた。
「サンプル分析には時間がかかりますし、やはりあの写真だけでは、学術的なことはわからないようです」
「こちらも数年はかかりますかね」
「ただネット上で、郷に従え党が何か重大な秘密を隠しているというのが拡散しています」
「日本ではまだあまり見かけないですが、中国ではそんなに広まっているのですか」
「はい。特に宇宙人のテクノロジーを独占しているとか、宇宙人とともに世界征服を企んでいるとかが広まっています」
「確かに世界天下統一は目指していますし、そうしなければとは思いますが、隠しているものは何もないですよ。それは学者たちが証明しているようなものですが」
「ぁ、林原さん、ありました。これです」
傍らにいた芽亜理がタブレットPCに表示させたSNSを見せていた。
「なるほど、憶測が憶測を生み、フェイクが真実になってしまいそうだな」
「ちょっと失礼。秘書官から連絡が入りました」
朱は話しているうちに段々顔が深刻になっていった。
「どうしました」
「…逮捕した新共産党のエージェントが司法取引で、新共産党本部が亡命中華人民共和国政府とつながっていると白状したそうです」
「やはりそうでしたか。それでそのエージェントは何で逮捕されたのですか」
「中華総合航天局に不法侵入したので逮捕されました」
「するとSNSの重大な秘密を隠しているというのを亡命中華人民政府が真に受けているというわけですか」
林原は意外な方向に展開している感じていた。
北京市内の新共産党本部ビルの近くを走る2トントラック・アルミバンの荷室にいる林原たち。
「君のテレパシーが役に立てると言うから一緒に乗ったのだが」
「間違いありません。でも林原さんまで来なくても良かったのですが」
「そうは行かないだろう。私の秘書だからな。それで今回のテレパシーの相手は誰だ」
「まだ曖昧なのですが、かつて身近にいた誰かです」
芽亜理は目が泳いでいた。
「趙さん、このトラックで誰を拾うつもりなのですか」
林原は荷室内の小窓からスマホを突きだして運転席の趙に聞く。
「私も聞いていないのですが、この辺りでピック・アップしろと言われています」
趙が言うと荷室の屋根が自動的に開き始め、超高層ビルの間から狭い夜空が見えてきた。屋根から入って来る風に林原と芽亜理の髪がなびいていた。新共産党本部ビルの140階から人影が空に舞った。
2トントラック・アルミバンは新共産党本部ビルが建つ街区を周回していたが、人影を確認すると、隣の街区に移動した。黒っぽいパラシュートが深夜の街区を広がり滑空する。
パラシュートの人影がどんどん大きくなり、アルミバン型荷室の中に入った。パラシュートは切り離され、荷室の屋根は閉じた。
「あ、あなたナタリーじゃないの」
芽亜理が入ってきた人影に向かって言った。
「あら、メアリーね。何か感じていたんだけど、この正体はあなただったのね」
「凄い荒業じゃない」
「うん、まぁそうだけど、なんか失敗しそうな気がしなかったわ。導かれているような気がしてね」
ナタリーはジャンプスーツの脱くと荷室にあった作業服を着ていた。
「私は林原だが、覚えているか」
「…、あの時の林原さんね。今は中華連合統合情報局でシャオテンテン39号ナタリー改めナタリー・リンと名乗ってます」
「だからこのトラックは中華連合統合情報局のもので、情報か何かを持ち出してきたわけか」
「いいえ。いずれ役に立つデータを手入力してきただけです。鉄壁のハッキング防御にはアナログが一番ですから」
ナタリーは任務が完了したので、どこかホッとしている様子だった。
「ナタリー、新たなミッションが入った。これを済ませれば、やっと家に帰れるぞ」
荷室の小窓が開いて趙が平然と言った。
「芽亜理たちはどうするの」
「道すがら安全な所で降りてもらおう」
趙は林原たちの方をちらりと見ていた。
「あのぉ、任務によっては芽亜理のテレパシーが役立つかも知れませんが」
林原はおとなしく降りるつもりはなさそうだった。
「インドラ隠蔽の偽情報を拡散させ社会を混乱させている拠点をつかんだので、そこを叩くのですが…
ナタリーも芽亜理さんも一緒にいるので、テレパシーの出番はありません。滞在先のホテルまでお送りしますから、ゆっくりと過ごしてください」
運転している趙は、ノールックで言っていた。
「そうですか。それではホテルで大人しくしてます」
林原は趙の懇願するような声色に、あっさりと引き下がった。
林原たちは昼近くまで寝てからホテルのレストランでブランチを食べていた。
「芽亜理、今日の予定はなんかあったっけ」
林原はパンケーキにメイプルシロップをかけていた。
「今日は予備日ですので、休養を取ってから夜の便で日本に帰ります」
芽亜理はハーブティーを飲み込んでから応えていた。
「休養日か、とは言ってももう半分近くは過ぎてしまったな」
「奥様のお土産にアクセサリーでも買いに行きますか」
「うん。芽亜理もその方がウィンドー・ショッピングできるのかな」
「でもなんか、私はそのような気分ではないのですが…」
「どうした。気分でも悪いのか」
「…ナタリーのことが気になって」
「テレパシーか」
林原が言っていると芽亜理のスマホに着信があった。芽亜理は急いでスマホを耳に当てていた。
「あのミッション連絡は偽物で、罠にはまったナタリーたちは、場所はわかりませんが包囲されているとのことです」
「マジか。ありがたくないが、芽亜理のテレパシーの出番が来てしまったか。お、俺のスマホにも総合情報局の市原からの着信だ」
林原は目が輝きだしていた。
水素ジェット推進型の中型飛行車は、北京から天津に向かう飛行車専用レーンを飛んでいた。
「中国の統合情報局と日本の総合情報局が合同でナタリーさんたちの救出作戦をやることになったので、私も中国にすっ飛んできました」
市原は林原たちの前の席から振り向き様に言っていた。
「優秀な君と芽亜理がいれば、すぐに救出できるだろう」
林原は芽亜理と初対面の市原とを握手させていた。
「天津テレビ塔が近くなりましたから、この辺のビルのどこかで身動き取れなくなっているようです」
中華連合統合情報局の主任エージェント胡が中国語で言うと、林原のスマホが訳していた。
「しかし、一見すると平和な超高層ビル街にしか見えないが」
林原は周囲のビルや行き交う飛行車を見回していた。胡は同行している部下たちにGPS発信信号を探させていた。
「主任、あのビルの95階から信号が出ています」
と部下の一人。
「あぁ、良いですか。でも、ナタリーの気配は全然感じません」
芽亜理がいきなり言い出した。
「発信器だけ置かれている罠ということはないですか」
と林原。
「そうかもしれませんが…超常現象よりも目で確認しませんと」
胡は躊躇していた。
「コナイデ、オトリ。コナイデ、オトリ」
芽亜理は誰に言うわけでもなく夢遊病者のように口が動いていた。林原はふらついた芽亜理を揺さぶって、正気を取り戻させていた。
「芽亜理、今、来ないで、囮と言っていたよな」
「はい。耳元で聞えてました」
「胡主任、信じてください」
林原は語気を強めていた。
ドローンタイプの空飛ぶ車が2台、そのビルの95階に接近し、ホバリングした。空飛ぶ車から発砲音がし、窓ガラスが粉々になり、男たちが中に飛び込んで行った。次の瞬間、爆発がおこり、窓から火柱が噴き出した。
「林原さん、芽亜理さんの言うことは確かでした」
胡はすまなそうにしていた。
「気にしないでください。でも陽動作戦がだったとしたら、ナタリーたちに動きがあるはずです」
林原はそのビルを上から下まで、くまなく見ていた。
ビル一階のエントランスホールで銃撃戦が始まった。ガラスが割れる音や銃声が鳴り響いていた。銃声が止むとエントランスホールからナタリーたちが小走りに出てきた。しかしビルの敷地の茂みに隠れていた小銃を持った男たちに囲まれた。ナタリーたちは成すすべもなく、両手を挙げていた。
「これじゃ、どうすることもできない」
胡は舌打ちをしていた。
「ナタリーが捕まっちゃったわ。どうしょう」
芽亜理は自分のことのように焦っていた。
「彼女たちを射殺せずに、生け捕りにしたということは、交渉の余地があるかもしれません」
林原はその場の皆に希望を持たせていた。
「だとすると…エージェント交換するつもりでしょう」
胡はスマホで中華連合統合情報局に連絡していた。林原たちはただ、飛行車から状況を見守るしかなかった。
十数分後、中華連合統合情報局から折り返しの連絡があった。
「ナタリーと趙を解放する代わりに捉えられているロシアと亡命中華人民共和国のエージェントを解放しろと要求があったそうです」
胡はやっぱりと言う顔をしていた。
「その人物たちの解放は難しいのですか」
と林原。
「今回一連の社会混乱を招くフェイク情報拡散していた組織の幹部です。解放すれば、また拡散を指示するでしょう。今度はより狡猾に」
「ナタリーたちの謀略活動が成功しても、帳消しですか。でも仕方ありませんね」
林原は肩を落としていた。
「残念ですが、ナタリーたちは失いたくありませんから」
胡は苦々しそうにしていた。
「それで交換場所がどこで交渉相手は誰ですか」
「3時間後にあのビルの60階にある空中廊下で、交渉に立ち会うのはここの部隊を指揮している魯だそうです」
「空中廊下、そんなものありましたっけ」
「こちらから見えない反対側に隣のビルとつなぐ渡り廊下があります」
「現場の指揮官は信用できますかね。部下がナタリー達に殺されていますから」
林原は疑念を抱いていた。市原も危惧している様子だった。
「彼らは上下関係が厳格で上の指示には忠実なので、勝手な感情で動かないはずです」
胡はキッパリと言っていた。
林原たちは隣のビルの60階で予定時刻まで待機している。空中回廊の向こう側には魯の部下が小銃を持って立っていた。まだエージェント交換のロシア人と中国人は来ていなかったが、こちら側でも不測の事態に備えた統合情報局員たちが詰めかけていた。
林原は腕時計を見ながらスマホで3者通話をしていた。市原と芽亜理は林原をガードし周囲に目を光らせていた。
「フェイク情報の拡散を収めるには、それも一つの方法かもしれません。それに林原さんが党首として臨むのなら、説得力があると思います」
とケリー。
「それでは、私が提案説得してみます。先方が乗って来るかはわかりませんが…、ベルガーーさんはどう思いますか」
「まぁ、この状況では私も異は唱えません。やってみてください」
とベルガー。
「党三役のおふた方の承諾を得たので、エージェント交換のついでに交渉してみます」
林原はちょうどロシア人たちが到着したので、スマホの通話をオフにした。
予定時刻より10分遅れて、空中廊下の向こう側にナタリーたちが引っ立てられてきた。
「よーし、交換と行くか。俺の合図でサハロフたちを放して歩かせろ。こちらからはナタリーたちを歩かせる」
魯はロシア語で言い、自分の前にナタリーたちを立たせていた。
「わかった」
胡がスマホを介して応えていた。ほぼ同時に双方のエージェントが歩き出した。空中廊下の真ん中辺りで、ナタリーたちとサハロフたちはすれ違う。林原たちは息を飲んで見守っていた。
ナタリーたちは胡の部下たちに引き寄せられた。芽亜理は真っ先にナタリーに駆け寄りハグしていた。
「これでこのラウンドは終りだな。胡さんよ、次のラウンドでまた会おう」
魯は不敵な笑みを浮かべていた。林原は素早くスマホの設定をロシア語にしていた。
「ちょっと待ってくれ」
林原が叫ぶと、魯は面倒臭そうに立ち止まって振り向いた。
「今回、双方の攪乱作戦はドローということになったが、いつまでも繰り返しフェイクを流すのは止めにしないか」
「あんた、誰だ」
「郷に従え党党首の林原だ」
「…ふーん、あんたがそうなのか。確かにその顔見たことがある。とんでもないラスボスのお出ましかい」
「無駄なフェイクを流しても何も変わらないぞ」
「フェイクだと、あんたらが何かを隠しているから、本当のことを言うまで止めるわけにはいかない」
「本当に何も隠していないって言うか、インドラのことは何も分析できてないし、わからないのだ」
「お得意のペテンかね。そんなこと信じるわけないだろう。探査機を2機も投入したのだから」
「それでもお手上げ何のだ。あんたらの立場もあるだろうが、地球内のことはひとまず棚上げして、宇宙のことは全世界で協力して分析してみないか」
「一緒に協力ということは、インドラのサンプルなどの情報を開示すると言うのか」
「そうでもしなきゃ、何かを隠している言い張るだろう」
「そうやってロシア政府、亡命中華人民共和国政府、新共産党の中国人を懐柔しようという魂胆か。国境なき地球党やイスラムアラブ連合などとも協力するとは思えないがな」
「文字通り全世界で協力ということになるから、郷に従え党や国境なき地球党のグローバル政党与党諸国や、あんたらローカル政党与党諸国も三つどもえで協力ということだ」
「どうかな、政府間の長年の因縁もあるし、そう簡単には行かんぞ」
「政治的、宗教的、民族的な主張は棚上げして、宇宙のことに目を向けるということだ」
「なんか、ご立派で大それた事だな。俺の一存では返答はできない。たぶんこのエージェント交換とあんたの提案も一部始終は送信録画されているから、これを国家のトップに見てもらい結論を出すことになるだろう」
「一見すると挫折しそうな試みだが、宇宙に出ている人間が増えている今なら成功するはずだ。全世界の知力を結集して分析解明にあたれば、隠し事などなくなり、その結果を全世界が共有できる」
「林原さんよ、勝手にほざくのは良いが、誰が取りまとめる責任者になるんだ」
「私が取りまとめよう。今この場に携わらない各国にも呼びかけてみるよ」
林原はまだ誰も登ったことがない高みに立った気がしていた。
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