第百三話 悪役
●103.悪役
官邸の首相執務室に呼ばれている林原。
「林原さん、今回の衆議院選で候補者を立てなかった選挙区では、軒並み左派系政党や国境なき地球党寄り政党が躍進しています。このままで良いのですか」
江本首相はかなり不安そうにしていた。
「少数与党になったが自由一新党との連立で政権の座は維持している。後1年半は辛抱してくれ」
「しかし、いくらリバース計画の陽動作戦とは言え、世論の風当たりは強くなっています。一層のこと…」
「いや、それはダメだ。オルタナ・シモノフAIを騙すための極秘事項だ」
「あ、はい。それはわかっています。うっ」
江本はわき腹を擦っていた。
「江本首相…、胃潰瘍が悪化したか」
「いぇ、これくらい大丈夫です」
「辛い役目をいつまでも君に任すわけには行かないか」
林原はじっくりと考え込んでいた。
日本や郷に従え与党諸国の危機に際して林原が再登板することになり、林原内閣が発足した。林原は首相就任早々、政府専用機でアラスカに向かう。アンカレッジ北方のガバメントピークにある保養施設フュチャーヴィラには、主要国の首脳が密談のため集まっていた。
「リバース計画のために、やられ放題は印象が良くありません」
コリン・ロバーツ米大統領は、どうも性に合わないと言った顔であった。
「あまりに批判にさらされるとリバース計画を暴露する政府関係者が現れる可能性もあります。何らかのガス抜きが必要てす」
アンナ・グウゼンバウアー欧州連合委員長はきつめのメイクで臨んでいた。
「それに、もしリバース計画が失敗した場合の策として、軍事的な作戦も練り上げた方が良いと思います」
柳剋中華連合代表は長寿医療をしていないのか白髪交じりのオールバックであった。
「このままで何の策も打たないと、ますます我が党の支持率が下がることになり、政権維持も厳しくなります」
とロバーツ米大統領。
「欧州連合離脱の動きが出てしまうと面倒なことになりますから」
「中華連合も離脱を危惧しています」
「それでは、西太平洋で合同軍事演習を行い、世論を納得させますか」
林原は皆が納得しやすいことを提案した。
「それを国際報道することで、オルタナ・シモノフAIにも知らしめることができます」
と柳剋中華連合代表。
「しかしオルタナ・シモノフAIや国境なき地球陣営がビビることはないでしょうが」
グウゼンバウアー欧州連合委員長はその先を見据えている感じであった。
「アメリカとしてはグアム周辺を演習海域として提供しましょう」
「この演習の真意はオルタナ・シモノフAIに悟られないようにすることが重要です」
と林原。
「かなり本気というか、失敗した時のフォロー策ですから、綿密な計画が必要となります」
柳剋中華連合代表は、噛み締めるように言った。
「それでこそ、オルタナ・シモノフAIを欺き、どちら転んでも全世界が奪還できますよ」
ロバーツ米大統領は、どちらかというと軍事的に圧倒することを好むようだった。
林原は、久しぶりの首相官邸執務室内を懐かし気に見回していた。
「テレビを蹴飛ばしてつけた壁の傷はどこにもないな」
「ちょっと寂しいですか」
木本は壁のどこかに残っている傷はないか探していた。
「待てよ。天井の傷はそのままだよ。ほらあれ」
林原は旧友に会うかの如く見上げていた。
「あぁ本当だわ。テレビの部品が弾け飛んだ時の傷じゃない」
「こりゃ、施設管理職員に文句を言うべきかな」
「せっかくの足跡を消しちゃ勿体ないじゃない」
「それもそうだ」
林原が言うと木本と二人で笑いあっていた。
「あぁ、それでユカ…木本室長、今日の予定は」
「まず30分後、西太平洋合同軍事演習に参加する大沢海将が挨拶に来ます」
「30分あるなら、昼飯を食っておくか」
林原は腹を鳴らしていた。
官邸の応接室には、フラワーアレンジメントに凝った木本が選んだ花々飾られていた。
「今回はドーロン通信などの艦隊間の意思疎通をスムーズにし、チームワークの強化を主眼とした演習にいたします」
大沢海将は、海上自衛軍の制服をビシッと着こなしていた。
「今の世の中、ネットを介さないといろいろと不便な面があると思いますが、閉じた環境内なら、通常通りに電子機器は使っても構わないはずです」
「はい。それでも、最悪の事態を想定していますので、電子機器の使用は最小限にとどめています」
「とにかく、各国海軍との連携は万全なものにしてください」
「はい。それにしましても、奥様のセンスが光りますね」
大沢海将は花の匂いに思わず話題を変えていた。
「妻があなたに相応しいアレンジにしたと言ってましたよ」
「それは光栄です」
「大沢海将はフラワーアレンジメントに詳しいのですか」
「私は疎いのですが、妻がたしなんでいます」
「そうでしたか。さぁ、お茶をどうぞ」
林原と大沢は少し和んだ雰囲気になった。
「ヒトハチマル計画の…いやリバース計画の第二の切り札となる演習なので、細心の注意を払い望む所存であります」
「それで領域奪還などもやるのですか」
「島嶼地域での上陸奪還作戦も演習項目の一つになっています」
「結構、派手になりそうではないですか」
「この演習はリバース計画との関連が密接なので、大掛かりになることは確かです」
「しっかりと頼みます」
と林原。
「総理の激励ありがとうございます。それでは行って参ります」
大沢は敬礼をしていた。
『「この海域で軍事演習が行われていますが、皆さんはどのようにお考えでしょうか」
ワイドショー番組の司会者は、西太平洋の海域図が記されているパネルボードの前に立っていた。
「この今行われている合同軍事演習は、オルタナ・シモノフAIや国境なき地球党陣営をいたずらに刺激するだけなので、即刻止めてもらいたいです」
と左派系の放送作家。
「話し合いによる和平を構築するべきです」
元野党議員のコメンテーター女性。
「私としては衛星画像などからオルタナ・シモノフAIに筒抜けになる演習に意味があるのか疑問です」
とコメンテーターとして呼ばれた軍事評論家。
「いゃ、だからこそオルタナ・シモノフAIに見せつけることで抑止力を高められるのです」
と唯一政府寄りのコメンテーターの若い男。
「いゃぁ、お手上げ状態で無策の政府がやってる感を出すための演習ですよ」
左派系の放送作家は飽きれたような口調であった』。
「また、不毛な言い合いが始まりましたね。消しますか」
木本はリモコンを林原に渡していた。
「しかし以前に比べて視聴者が煽られずに冷静にテレビを見るようになったから、そう簡単に世論操作はできないだろう」
「人を騙すには身内からと言いますが…、微妙ですね」
木本は難しい局面にいることを実感しているようだった。
「奴らには言わせるだけ、言わせておこう。これでオルタナ・シモノフAIも油断するだろうから」
林原はリモコンを静かにデスクに置き、テレビを蹴飛ばすつもりはなかった。
「どうでしょうか。相手はAIですよ」
「大ばくちが吉と出るか凶となるか、わからないが」
首相官邸で記者会見に臨む林原。
「サンテレビの神山です。国民全員にスマホの使用時間制限を設けるということは、AI安保体制が機能していないからでしょうか」
「いえ、しっかりと機能していますが、オルタナ・シモノフAIに関わらず、あまりにもスマホに依存する社会に警鐘を促すための制限です」
「新日本新聞の新藤です。スマホ依存と言いましても、今やこれなしでは生活が成り立たないと言っても過言ではありませんが、どうでしょうか」
「生活が成り立たないでは困るのです。我が国は災害が多いので、インフラに被害が及んだ際に適切な対処ができるように、日ごろからの訓練的な意味合いもあります」
「国際メディアネットの杉村です。ネット環境のバックアップ機能を充実させるのが先ではないでしょうか」
「充実化は進めておりますが、未曽有の災害が頻発するので限界があります。ですからスマホ使用時間制限がある意味のバックアップとも言えるのです」
「総理、それは詭弁だ」
と毎朝新聞の松原。
「日本は言論の自由が保障されていますから、いろいろなご意見はあると思います」
林原はにべもなく言う。
「NNジャパン放送の平川です。先ほどの話にもありましたがAI安保体制が機能しているので、このところの国境なき地球党側のサイバー攻撃は極めて軽微だと聞きます。ですから実際にその必要が無くても、支持率アップのためにやっている感を演出しているのではと、市民団体が抗議していることについて、いかがお考えですか」
「それは邪推です」
林原は切り捨てるように言った。
首相官邸の執務室にいる林原は、書類整理が終わるまで長沢総合情報局長を応接コーナーで待たせていた。
「木本、後は頼む」
「はい。まとめておきます」
木本は、書類ケースを自分のデスクに持って行った。
「これで、ひと段落がついたと。長沢総合情報局長をお待たせ。いゃぁ、参ったよ。AI安保が守り切っていることは本当だし、半分は陽動作戦の一環だからな。しかし何の策も講じていないと、オルタナ・シモノフAIに何かの作戦かと警戒されてしまうし、国民の反感を買い支持率が下がるからな」
林原は胸の内を吐露していた。
「総理、お気持ちはお察しいたします。それでAI安保の件なのですが、一部オルタナ・シモノフAIに破られている可能性があるのです」
「本当か。まずいな」
「スマホ洗脳のような本格的なものではないのですが、原因が特定できない決済システムの誤作動が起きています」
「そうだとすると、今回のスマホの使用時間制限は意味があったな」
「いずれにしても、原因究明を急ぎ、オルタナ・シモノフAIの侵入は防いでくれ」
「はい。しかし対策を強化するにも弱めるにも塩梅が難しい面があります」
「そこをうまくやってくれ。リバース作戦の成否がかかっているからな」
「承知しております。あぁ、ちょっとすみません。局から緊急連絡です」
長沢総合情報局長は応接コーナーの端に行きスマホを耳に当てる。彼は真剣な顔で聞き入っていた。
「総理、ダニール・ゲルトを逮捕したとのことです」
「ダニール・ゲルト…、あの国境なき地球党側の大物工作員のか」
「はい。これはあちら側には大きな打撃になるかと思います。いろいろと情報を聞き出せそうです」
「なるほど、ゲルトは我々にとっての赤石隆登に匹敵するな」
「赤石ですか、郷に従え側としては痛い逮捕でした。彼は決済システムの情報を吐かされたようです」
「ゲルトの奴は赤石のように口を割るかな」
「局の方で何とか致します。お任せください」
長沢総合情報局長は意気揚々としていた。
林原は執務室のテレビをつけた。
『「先日、機密情報法違反で逮捕されたダニール・ゲルト容疑者は、スパイ交換条約に基づいた首相の特別措置により釈放されました。国境なき地球党側からは赤石隆登氏他、スパイ容疑をかけられた人物たちが帰国する予定です。では街の方々の反応はどうでしょうか」
女性ニュースキャスターが言うと、画面が街頭インタビューに切り替わった。
「あなたは首相の特別措置をどう見ますか」
レポーターがマイクをを向ける。
「せっかく逮捕したダニール・ゲルト容疑者を、しっかりとした取り調べもないままに釈放とは驚きです」
とスーツ姿の中年男性。
「特別措置は賛成ですか」
「そりゃ、反対ですよ」
と年配の女性。
「今回の釈放をどう思いますか」
「何か考えがあるのでしょうが、違う気がします」
と若い男性。
画面が切り替わり、ニューススタジオになり、女性キャスターの顔がアップになる。
「この他、SNSに批判が殺到しています。えぇぇ、それでは上野の夜桜祭り会場の桜井さん…」
女性キャスターはニッコリして次の話題に変えていた』。
「桜が見ごろを迎えたってさ」
林原は平然としていた。
「テレビはこれだけど、ネットではあなたの洗脳説が流れているわ」
木本はかなり心配顔であった。
「今回は悪役を演じなければならないからな」
林原は深い思いを秘めた目で木本を見ていた。
首相官邸の前の通りをデモ隊が通過していた。手にしたプラカードには『打倒!林原内閣』『洗脳された指導者は即刻退陣』『日本を売り渡すのか』などが書かれていた。窓から外を見ていた林原は、そっとレースのカーテンを閉めていた。
「あ、官房長官からメールです」
と木本。
「何だ」
「朝霞の自衛軍で不穏な動きがあるとのことです」




