アルゴリズムの忠犬(後編)
「システムの鼻を明かす……ですか?」
健太が尋ねると、九条老人は身を乗り出した。
「お前さんが作ったアプリ『Optima』の仕様だがね。ユーザーの行動データやストレス度合いを解析して『最適解』を出すんだろう? ならば、そのアルゴリズムが『想定していないパラメータ』を叩き込んでやればどうなる?」
「想定していないパラメータ……」
「人間の『意地』と『非合理な選択』だよ」と九条老人が言った。「AIは過去のデータから確率を計算する。だが、未来を確定させるのはいつだって、データから外れた個人の突飛な決断だ。お前さん自身が開発責任者なら、AIの判定を覆す『例外処理(例外ルート)』を実証してみせろ」
健太はハッとした。
『Optima』のアルゴリズムには、学習データに含まれない異常値が観測された際、一時的に最適化計算を保留し「人間の主観評価」を優先する安全装置が組み込まれている。
「そうか……AIに『この判定は誤りである』と学習させるには、スコア最悪の組み合わせで成果を出し、アルゴリズムの予測モデルを更新させるしかない……!」
「難しく考えるな」とマスターが豚汁のおかわりを渡しながら微笑んだ。「要するに、『AIにバカにされたままでたまるか』って、彼女の手を握り返しに行くだけの話だろ?」
「マスター、言い方!」と玲が笑う。「でも、そうですよ桐島さん! 効率なんかより、目の前の大切な人のほうが絶対大事です!」
胸の支えが、すっと消えていくのが分かった。
計算が合わないからと怯えていた自分が急におかしく思えてくる。自分が好きになったのは、AIが弾き出したハイスコアの女性ではなく、泥臭く一緒に泣き笑いしてくれた彼女なのだ。
「……僕、行きます。彼女にちゃんと話します。『AIの判定は相性最悪だけど、僕の判定は最高だ』って」
「よし、言ったな!」九条老人が満足そうに頷く。「費用はそうだな……そのアプリとやらで、ワシにぴったりの飲み友達でも探すアルゴリズムでも組んでもらおうか」
「喜んで!」
健太は豚汁を最後まで飲み干し、席を立った。
翌朝。午前六時。
夜勤特急を降りた健太は、朝日が差し込む街頭のベンチで、彼女に電話をかけた。
『もしもし、健太? こんな朝早くにどうしたの?』
「あ……ごめん、起こした? いや、あのさ……」
健太は深く息を吸い込んだ。
「僕たちが使ってるアプリのAIがさ、『二人は相性最悪だから別れろ』って言ってきたんだ」
『はあ!? なにそれ、意味分かんないんだけど!』
「だよね。僕も意味分かんないと思う。だから……AIの言うことなんか無視して、これからも一緒にいてほしい。非効率で、無駄が多くて、喧嘩ばかりでも……僕は君がいい」
電話の向こうで、一瞬の静寂があった。
やがて、ぷっと吹き出すような声が聞こえた。
『ふふっ……なにそれ。健太、いっつも効率とかデータとか言ってたのに、バカみたい』
「……うん。バカになった」
『いいよ。じゃあ、今日の朝ごはん、一緒に手間ひまかけて手で捏ねる、非効率な焼きたてパンでも作ろっか』
「……ああ!」
スマホの画面を見ると、アプリ『Optima』の画面にエラー表示が出ている。
『警告:予測モデルとの乖離を検知。アルゴリズムを再学習中……』
健太は爽快な気分で、スマホをポケットに押し込んだ。
完璧な計算よりも、目の前の不確実なぬくもりの方が、ずっと愛おしい。
数日後の深夜。
夜勤特急のカウンターで、健太は玲とマスターに報告していた。
「おかげさまで、彼女とやり直せました。アプリのアルゴリズムにも『非合理な選択による幸福度の補正機能』をアップデートで追加することにしたんです」
「へえ! それって凄くないですか!?」と玲が目を輝かせる。
「ただの自己満足ですよ」健太は苦笑しながら、豚汁をすする。「でも、数字に振り回されるユーザーが一人でも減ればいいなって」
「いい酒の肴になる話だ」
カウンターの端で、九条老人がグラスを傾けてニヤリと笑った。
夜勤特急は今夜も、社会の理不尽と数字に追われた人々を乗せて、静かに街を走り続けている。
(第二話・完)




