バズれば神、炎上すれば塵(後編)
「度胸……ですか?」
思わず聞き返すと、元弁護士の九条老人は不敵な笑みを深め、ロックグラスをあおった。
「あの手の炎上系インフルエンサーって奴らはな、自分を『安全圏にいる無敵の編集者』だと思い込んでいる。動画を継ぎ接ぎして他人を悪者に仕立て上げ、正義の味方を気取った愚民どもに餌を投げ与える……。だがな、一番恐れているのは『自分の手の内を明かされること』と『物理的な請求書』だ」
「物理的な、請求書……?」
「名誉毀損の損害賠償、店舗への営業妨害に伴う補償金、それと撮影不可区画での無許可撮影による権利侵害だ。裁判に持ち込めば確実に勝てるレベルで証拠を固めてやる」
九条老人は胸ポケットから高級そうな万年筆を取り出し、コースターの裏にすらすらと文字を走らせた。
「奴の動画の編集点は稚拙だ。お前さんの発言の前後を切り取った痕跡が丸わかりになっている。オリジナル音声データを保全し、奴が『煽り発言を誘導した瞬間』のメッセージ履歴を残していれば、裁判所は一発で奴の悪意を認める」
「メッセージ……! LINEのやり取り、全部残ってます! 『これ言ったらバズるから打合せ通り頼むね』って……!」
「上出来だ」九条老人はニヤリと笑った。「で、お前さんに求める『度胸』ってのは他でもない。逃げて怯えて泣き寝入りするのをやめ、奴が一番『バズりたがっている』生配信の現場に、この警告書を持って突撃する覚悟があるかどう開発だ」
一瞬、血の気が引くのを感じた。
またあの男の前に出る? ネットで晒され、何万人に叩かれているこの状況で?
「……無理、ですよ。私、そんな強い人間じゃ」
「おいおい、勘違いするな」
カウンターの奥から、マスターが静かな声で割り込んだ。手に持った布巾で、丁寧にグラスを拭いている。
「九条のじじいが言いたいのは『戦え』ってことじゃない。『自分の人生のハンドルを、画面の向こうの有象無象に握らせたままでいいのか』ってことだ」
マスターは厨房から、小さめの鉄鍋を取り出した。中には、じっくり煮込まれた飴色のタマネギと柔らかそうな豚肉。
「ネットの炎上なんてものはな、他人の人生を消費して楽しむ焚き火みたいなもんだ。薪くべをやめて、こっちから水をぶっかけりゃ、ものの数分で冷めちまう。お前さんがいつまでも陰で震えてたら、あいつらは新しい薪を見つけるまでお前さんを燃やし続けるぞ」
そう言って目の前に出されたのは、香ばしい醤油と生姜の香りが立つ、出来立ての「特製豚生姜焼き丼」だった。
「食いな。腹が減ってちゃ、自分の意見ひとつ言えなくなる」
出汁の効いたコンソメスープのあとに続く、ガッツリとした濃いめの味付け。タレが染み込んだ米を口に押し込むと、なんだか体の底からじわじわと、忘れていた怒りと熱が湧き上がってくるのが分かった。
私だって、一生懸命働いていただけだ。
地味な自分が嫌で、少し目立ちたくて、うまいこと言われて利用されただけなのに。
どうして私だけが仕事をクビになって、家から出るのも怖がって、人生を諦めなきゃいけないの?
「……行きます」
丼をきれいに平らげ、口元を拭って私は立ち上がった。
「私、あいつの生配信に行きます。自分の言葉で、ちゃんと引導を渡してきます」
「威勢が良くなったじゃないか」九条老人は満足そうに頷き、コースターの裏に書いた覚書と名刺を私に握らせた。「費用は奴からむしり取る賠償金から成功報酬でいただく。ついでに、そのアパレル店の店長にも送達してやれ。『不当解雇』の手続きもセットで進めてやるからな」
「ありがとうございます……! あの、お会計は……」
マスターに尋ねると、彼はフッと目元を緩めた。
「運賃と飯代で、ちょうど五百円だ。それと――」
マスターはカウンターの下から、小さなレトロな缶バッジを取り出し、私の手に載せた。
「ここの常連の証だ。戦いが終わって、また社会に行き場がなくなったら、いつでもこのバスを探しに来な」
翌夜。
都内某所のレンタルスタジオ。
『はいどうもー! 炎上コレクターのタツヤでーす! 今日も話題の悪徳アパレル店員の裏側について生配信で突撃しちゃいまーす!』
三万人以上が同時視聴する生配信のカメラの前で、調子よく喋り散らかす男――タツヤの目の前に、スタジオの扉が勢いよく開いた。
「――ちょっと待ちなさいよ」
『え……? ゲ、お前、昨日のアパレル店員!? なに勝手に入ってきて……』
カメラの前に乗り込んだ私は、スマホの画面でも、誰かの作った筋書きでもなく、自分の足でしっかりと床を踏みしめていた。
「タツヤさん。あなたがカットした『打合せLINEのスクリーンショット』と、九条法律事務所からの受任通知書です。名誉毀損および営業妨害で、正式に法的措置を取らせていただきます」
『は、はあ!? お前、生配信中だぞ!? 炎上して反省もしてないのかよ!』
「生配信だから言ってるのよ。画面の向こうの皆さん、彼が編集でカットした『過激発言を指示する音声データ』、今からここで再生しますね」
スマホを掲げ、再生ボタンを押す。
スタジオ内に、タツヤ自身の焦ったような指示声が響き渡る。
『もっと大げさに言えって! 「ブスは着るな」くらい言わないと動画伸びねえだろ! 編集でうまくやるからさあ!』
一瞬で、コメント欄の流れが変わった。
《え、これマ?》
《切り抜き捏造だったんかよwww》
《タツヤ詰んだな》
見る見るうちに青ざめていくタツヤの顔。
数字に支配され、数字で人を殺そうとしていた男が、自分が一番信じていた『数字』の海に飲み込まれていく瞬間だった。
私は一礼すると、カメラに向かって言い放った。
「私は自分がした浅はかな行動を反省します。でも、ネットの数字だけで誰かの人生をサンドバッグにしていい理由にはなりません。――失礼しました」
スタジオを出ると、夜風が驚くほど心地よかった。
一週間後。
ネットの炎上はすっかり沈静化し、タツヤは全アカウントを停止、私への謝罪と賠償金の支払いに応じた。元のアパレル店からは復職の打診があったけれど、私は断って新しいセレクトショップでの面接を決めた。
深夜二時。
仕事を終えて歩く大通り。ふとエアブレーキの音が響き、あずき色のレトロバスが目の前に停まった。
「やあ、お嬢さん。顔色が良くなったな」
ドアが開き、エプロン姿のマスターが顔を出す。
カウンターの端には、相変わらずウイスキーを飲んでいる九条老人の姿が見えた。
「マスター! 今日はお腹ペコペコで来ました!」
「あいよ。今日はフォロワー『0』の男が作った、とびきり美味いカレーがあるぞ」
ステップを上がりながら、私はポケットの中の缶バッジをキュッと握りしめた。
ここには、数字も、フォロワーも、他人の評価もない。
ただ、温かい料理と、自分を取り戻せる場所があるだけだ。
(第一話・完)




