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夜勤特急  作者: Σ


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1/6

バズれば神、炎上すれば塵(前編)

「おい真田、お前明日から来なくていいよ。うちのブランドの服着て、SNSで炎上煽り動画出されたら困るんだよね」

 店長に告げられた言葉は、拍子ぬけするほど軽かった。

 真田玲(さなだ・れい)、二十四歳。都内のアパレルショップで働く派遣社員……いや、三分前に「元」がついたばかりの無職だ。

 原因なら、今も私の手の中でブルブルと震え続けているスマートフォンの中にある。

『【炎上】人気アパレル店員、SNSで過激発言連発!?「ブスはうちの服着るな」の噂を突撃取材してみた!』

 再生数はすでに三百万回を突破。コメント欄には「不買運動決定」「顔も性格も最悪だな」「特定班仕事しろ」といった罵詈雑言が暴風のように吹き荒れていた。

「……ちがう、のに」

 呟きは、深夜のビル街の冷たい風にかき消された。

 私はただ、有名になりたかっただけだ。地味で目立たない自分を変えたくて、フォロワー数十万人を誇る『炎上系インフルエンサー』の男にすがりついた。動画の尺作りのために「ちょっと過激なこと言ってよ」と煽られ、うまく編集されて、気づけばすべての罪をなすりつけられていた。

 ネットの海に一度放たれた悪意は、もう誰にも止められない。

 私の名前、過去のSNSアカウント、実家の住所まで特定されるのは時間の問題だ。

「……終わったな。どこにも行ける場所、ないじゃん」

 歩道橋のすみにしゃがみ込み、画面を見つめる。

 いいねの数、フォロワーの数字、再生数の数字。かつて私が喉から手が出るほど欲しかった『数字』が、今は私を殺すナイフになって突き刺さる。

 その時だった。

 ――プシューッ。

 静まり返った深夜二時の大通りに、場違いなエアブレーキの音が響いた。

 顔を上げると、目の前に一台の古びた大型バスが停まっていた。

 あずき色の車体。レトロなデザイン。路線バスのようだが、行き先表示板にはLEDではなく、手書きの達筆な文字でこう書かれている。

『終着駅なし』

「……なによ、これ。深夜バス?」

 車輪の脇にある扉が、静かに開く。

 中から漂ってきたのは、排気ガスの匂いでも、車内の芳香剤の匂いでもない。――香ばしい出汁(だし)と、ほんのり甘い醤油の香りだった。

「お客さん、乗るかい? 外は冷えるよ」

 運転席から顔を出したのは、白髪交じりの髪を後ろに流した、どこか飄々とした雰囲気の中年男性だった。ネクタイを緩め、エプロンを身につけている。

「……あの、私、お金あんまりないですけど」

「運賃は後払いだ。なに、温かいスープ一杯分くらいなら、そのスマホの『数字』より安くつく」

 マスターと呼ばれるその男は、口元に小さな笑みを浮かべた。

 追い詰めて身の置き所を失っていた私は、まるで吸い寄せられるように、バスのステップに足をかけた。

 バスの中に入って、私は目を見開いた。

 座席はすべて取り払われ、中央には立派な木製のロングカウンターが設置されていた。

 奥には小さな厨房があり、湯気が立ち上っている。壁の棚には見たこともない酒の瓶と、古びた単行本がズラリと並んでいた。

「動く……居酒屋?」

「うちは『夜勤特急』。社会に行き場をなくした奴らが、朝が来るまで避難するただの駆け込み寺さ」

 カウンターの奥で、マスターがグラスを磨きながら言った。

「先客がいるぜ、お嬢ちゃん」

 声をかけてきたのは、カウンターの端で一人、ウイスキーのロックグラスを傾けていた老人だった。仕立ての良いスーツを着ているが、目つきにはどこか世の中を割り切ったような凄みがある。

「マスター、いつもの。それと……このお嬢ちゃんに、胃に優しいものでも作ってやってくれ。SNSの毒を食らいすぎて、顔色が泥みたいだ」

「ちょっと! 人の顔見て勝手なこと言わないでください!」

 思わず反論すると、老人はふっと鼻で笑った。

「画面の中の『何万人』に怯えて、目の前のじじい一人に噛みつくか。元気があるのかないのか分からん娘だな」

「あなたに私の気持ちの何がわかるんですか! ネットじゃもう私の人生は終わりだって確定してるんです! 一度炎上したら、一生『悪人』のラベルを貼られて生きていくしかないのに……!」

 悔しさと恐怖で、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。

 私の叫びを、車内に満ちる出汁の湯気が静かに包み込む。

 マスターは黙って、ことりと私の前に白い陶器の椀を置いた。

澄んだ黄金色のスープの中に、細かく刻まれた野菜と、柔らかく煮込まれた鶏肉が浮かんでいる。

「コンソメスープ……?」

「ただのスープだ。食ってみな」

 促されるまま、スプーンですくって一口口に含む。

 あたたかい旨味が、冷え切った喉から胃へとじんわり広がっていく。緊張で強張っていた体が、解けていくのが分かった。

「……おいしい」

「そうだろう。それはな、フォロワー数『0』の男が、三時間かけて丁寧にアクを取って作ったスープだ」

 マスターはカウンターに両肘をつき、私の目をじっと見た。

「お嬢さん。フォロワーが十万人いようが、炎上して十万人に叩かれようが、君の胃袋を満たしてくれるのは『目の前の一杯のスープ』だけだ。画面の向こうにいる顔も名もない奴らは、君の晩飯代どころか、スープの冷め加減ひとつ心配してくれやしない」

「それは……そうですけど……」

「ネットってのはな」と、端の席の老人がグラスの氷をガラリと鳴らした。「怒りの自家発電所なんだよ」

「……自家発電?」

「人はな、自分より幸せそうな奴を引きずり下ろすか、わかりやすい『悪者』をみんなで石でもって殴っている時が、一番お手軽に『正義のヒーロー』になれるのさ。お前さんは悪人だから叩かれているんじゃない。『叩きやすい形をしたサンドバッグ』だったから叩かれただけだ」

 老人は懐から名刺を一枚取り出し、カウンターの上に滑らせてよこした。

『九条法律事務所 弁護士 九条 篤志』

「元・弁護士だがね」と老人はニヤリと笑った。「その炎上系インフルエンサーのガキ、著作権侵害と名誉毀損、営業妨害の満額回答で叩きのめす方法なら、教えてやってもいいぞ?」

「え……?」

「ただし、タダとは言わん。お前さん、度胸はあるか?」

 マスターが新しいグラスを私の前に置く。

「さあ、朝まではまだたっぷり時間がある。『夜勤特急』の夜は、ここからだ」

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