004 剣は抜けます。シャキーン音は別料金でございます
王太子側近団より、正式な相談が届きました。
剣は抜けます。シャキーン音は鳴りません。
王太子側近団の相談は、早かった。
王妃陛下が王家中枢分の緊急再契約を終え、貴族、楽団、神殿、側近団の加護を各自契約へ切り分けた直後である。
セドリックが応接室へ戻ってきた。
「お嬢様。王太子側近団代表、ダリオ・グレイシア様が面会を求めております」
「内容は」
「剣を抜いた際の威厳演出音、通称シャキーン音について、緊急のご相談とのことです」
王妃陛下は、静かに扇を閉じた。
ぱちん。
王妃陛下の威圧補助は、まだ正式復旧前である。
それでも、応接室は十分に静かになった。
「通しなさい」
「よろしいのですか」
「側近団の威厳演出補助は、先ほど王家中枢契約から外しました。最初の一件だけは、私も確認します」
「承知いたしました」
セドリックが一礼して退室する。
父は契約草案を整え、母は新しい紅茶を置き、姉は赤ペンを構え直した。
「お姉様。赤ペンは必要でしょうか」
「声が大きい方の相談ほど、書類が乱れます」
「経験則でございますか」
「経験則です」
ほどなくして、応接室の扉が開いた。
入ってきたのは、騎士団長子息にして王太子側近団の一人、ダリオ・グレイシア様だった。
背は高い。
肩幅もある。
金具の多い礼装に、よく磨かれた剣を帯びている。
目鼻立ちは整っていて、立っているだけなら絵になる。
黙っていれば、熱血な若き美形騎士である。
ただし、頬にはまだ赤い吹き出物が三つ浮いていた。
昨夜の揚げ物の件は、解決していないらしい。
「エルミナ嬢!」
ダリオ様は大きな声で言った。
「王妃陛下の御前です」
姉が即座に言った。
「失礼した!」
ダリオ様は姿勢を正した。
「王妃陛下、ローゼンベルク公爵閣下、ならびに皆様。突然の訪問をお許しいただきたい。これは王太子側近団の威信に関わる重大事である!」
声が大きい。
王妃陛下は扇を軽く開いた。
「剣は抜けるのですね」
「抜けます!」
「戦えるのですね」
「戦えます!」
「では、何が問題ですか」
ダリオ様は、深刻な顔で剣の柄に手をかけた。
「音が」
応接室が静かになる。
ダリオ様は、ゆっくりと剣を抜いた。
す。
それは、とても静かな音だった。
金属が鞘を離れる、控えめで実直な音である。
悪い音ではない。
むしろ本来は、こちらの方が普通なのだろう。
だが、ダリオ様の顔は絶望していた。
「違うのだ」
「はい」
「いつもなら、ここで」
ダリオ様は剣を掲げた。
「シャキーン、と鳴る」
「鳴りませんね」
「鳴らないのだ!」
ダリオ様はもう一度、剣を鞘に戻した。
そして、今度はやや角度をつけて抜いた。
す。
やはり静かだった。
ダリオ様は耐えきれなかったのか、剣を掲げたまま、小さく言った。
「……シャキーン」
応接室が止まった。
王妃陛下が扇を閉じる。
ぱちん。
「ダリオ」
「はい!」
「自分で言うものではありません」
「申し訳ございません!」
姉が赤ペンを走らせた。
セルフシャキーン禁止。
「お姉様、記録なさるのですか」
「再発防止です」
私は聖女加護管理台帳を開いた。
「確認いたします。王太子側近団の威厳演出補助、項目番号二百十四。剣を抜いた際の適切な金属音補助」
「それだ!」
「停止済みでございます」
「なぜ止めた!」
「婚約破棄に伴い、婚約者特典の提供対象外となったためでございます」
「だが、剣の音だぞ!」
「はい」
「騎士の魂だぞ!」
父が穏やかに言った。
「剣ではなく、音が魂なのかい」
ダリオ様は詰まった。
「……剣も魂です」
「音は」
「士気です」
姉の赤ペンが動いた。
剣は魂。音は士気。
母が紅茶を置いた。
「先ほどの静かな音も、上品でよかったと思いますよ」
「上品では困るのです!」
ダリオ様の声が応接室に響く。
「王太子殿下の側近が剣を抜いた時、周囲が『おお』となる必要がある!」
「今は」
「ならない!」
「剣は抜けております」
「抜けているだけでは駄目なのだ!」
私は台帳を確認した。
「関連項目も停止しております」
「関連項目?」
「構えた時の鎧留め具音補助」
「鎧留め具音」
「剣を構えた時、金具が控えめにカチャ、と鳴る補助でございます」
ダリオ様は真剣な顔で剣を構えた。
無音だった。
姿勢はよい。
剣筋も乱れていない。
ただ、何も鳴らない。
「静かだ」
「はい」
「静かすぎる」
「奇襲には向いております」
「そういうことではない!」
ダリオ様が叫ぶ。
姉が赤ペンを動かした。
静音性あり。本人は不満。
「さらに、マントなびき補助も停止中です」
ダリオ様が、勢いよく振り返った。
マントが、少し遅れて、だらりと揺れた。
風がないので当然である。
ダリオ様は自分の背中を見ようとして、やや不自然な姿勢になった。
「……なびかない」
「はい」
「昨夜までは、振り返るだけでこう、ばさっと」
「補助でございます」
「風ではなかったのか」
「室内でございますので」
父が小さくうなずいた。
「室内で毎回マントがなびくのは、不思議ではあったね」
「不思議と思っていたのですか!」
「少しだけ」
王妃陛下も静かに言った。
「私も、少しだけ」
ダリオ様は傷ついた顔をした。
整った顔立ちなので、傷つく姿も妙に絵になる。
頬の吹き出物さえなければ、悲劇の騎士のようだった。
だが、ダリオ様はそこで終わらなかった。
「ならば」
彼は剣を構え直した。
「音に頼らず、動きで見せる!」
そう言って、一歩踏み出した。
その瞬間、なびかなくなったマントが足に絡んだ。
「……っ!」
熱血な美形騎士は、剣を掲げたまま、非常に静かに片膝をついた。
転んではいない。
転んではいないが、勝った騎士の膝ではなかった。
応接室が静まり返る。
私は尋ねた。
「今のは」
ダリオ様は顔を上げた。
「戦術的沈下です!」
姉の赤ペンが走った。
マントなびき補助停止時、戦術的沈下が発生。
「お姉様」
「本人申告です」
父が穏やかに言った。
「マントなびき補助は、足元事故防止も兼ねていたようだね」
「そのようでございます」
「なびきだけではなかったのか!」
ダリオ様が叫ぶ。
私は台帳を確認した。
「マントの裾を視界と足元から自然に逃がす補助も含まれております」
「それは大事ではないか!」
「はい。ですが、本来の名称はマントなびき補助でございます」
母が言った。
「なびかないマントは、ただの布なのですね」
ダリオ様は、まるで宿敵の名を聞いたような顔をした。
「ただの布……」
姉が赤ペンを動かした。
戦術的沈下。原因、ただの布。
ダリオ様は立ち上がった。
顔は良い。
姿勢もよい。
ただ、マントへの信頼を少し失った顔をしていた。
私は続ける。
「鎧きらめき補助も停止中です」
「待て」
「はい」
「鎧は磨いている」
「磨かれております」
「では、なぜ昨日までのように、こう、光を受けてきらりと」
「角度と光量の補助でございます」
母が首をかしげた。
「今も十分きれいでは?」
「違うのです、奥方様」
ダリオ様は胸を張った。
「騎士の鎧は、見る者の目を少し細めさせるくらいがよいのです」
姉の赤ペンが走った。
目を細めさせる鎧。要安全確認。
「安全確認!?」
「眩しすぎる鎧は、周辺への影響を確認する必要があります」
「鎧とは、そういうものでは」
「ありません」
姉は即答した。
ダリオ様は口を閉じた。
「名乗り声反響補助も停止しております」
「それもか!」
「はい」
「ならば、試す」
ダリオ様は一歩下がり、胸に手を当てた。
「王太子側近団、ダリオ・グレイシア! 殿下の剣として!」
声は大きかった。
非常に大きかった。
だが、普通だった。
壁に反響せず、天井にも広がらず、ただ応接室で声の大きい若者が名乗っただけである。
沈黙。
ダリオ様は、少し迷った後、小さく付け足した。
「……として」
父が静かに尋ねた。
「今、ご自分で反響を足しましたか」
「少しだけです!」
姉の赤ペンが走った。
セルフ反響も禁止。
「まだあるのですか、その禁止は!」
「増えました」
私は台帳をめくる。
「斬撃余韻補助も停止しております」
「斬撃余韻?」
「敵を斬った後に、少し遅れて響く重い音でございます」
「ザン、か」
「はい」
ダリオ様の顔から、明らかに血の気が引いた。
「ザンも、か」
「停止済みでございます」
「斬っても?」
「斬れても、ザンは別でございます」
姉の赤ペンが走った。
斬れても、ザンは別。
ダリオ様は、しばらく剣を見つめた。
「では、斬った後に自分で」
「言ってはいけません」
「まだ言っていない!」
「顔に出ておりました」
「顔に!」
姉がさらに追記する。
セルフザン未遂。
王妃陛下が静かに扇を閉じた。
ぱちん。
「ダリオ」
「はい!」
「自分で効果音を足してはいけません」
「肝に銘じます!」
母が静かに言った。
「元気はありますね」
「元気だけでは足りないのです!」
ダリオ様が叫んだ。
王妃陛下が扇を持つ手に少し力を込める。
「声量は十分です」
「ありがとうございます!」
「ですが、近いわ」
「失礼しました!」
ダリオ様は一歩下がった。
父が穏やかに言った。
「つまり、側近団は剣、構え、マント、鎧、名乗り、斬撃後の余韻まで、演出補助を受けていたわけだね」
「そのようでございます」
私は答えた。
「なぜ、そんなものが必要になったのですか」
姉が問う。
私は台帳を確認した。
「最初は、王太子殿下の式典随行時に、側近が緊張で声を詰まらせないための補助でした」
「まともですね」
「はい。そこから、王太子殿下の威厳に関わる、式典の見栄えに関わる、隣に立つ者が地味だと殿下の輝きが落ちる、という運用解釈が重なりまして」
「重なりまして?」
「現在の状態に」
姉は赤ペンを止めた。
運用解釈の肥大化。
「ダリオ様」
「何だ」
「側近団の皆様は、この補助を把握されていましたか」
ダリオ様は少しだけ視線をそらした。
「剣を抜けば格好いい音が鳴るものだと思っていた」
「構えた時のカチャ音は」
「鎧が応えてくれているのだと」
「マントは」
「振り返ればなびくものだと」
「鎧は」
「磨けばあのくらい光るものだと」
「名乗りは」
「気合いを入れれば響くものだと」
「ザンは」
「斬れば出るものだと」
姉の赤ペンが、静かに動いた。
認識に加護の混入あり。
王妃陛下が深く息を吐いた。
「ダリオ。側近団の威厳演出補助は、王家中枢分から外します」
「王妃陛下!」
「剣が抜け、戦えるなら、公務上の最低限は満たしています」
「ですが、シャキーンが」
「各自契約です」
王妃陛下は一言で切った。
ダリオ様は、しばらく立ち尽くした。
「各自……」
「必要なら、あなた方が正式に申し込みなさい。申請書を書き、目的を明記し、対価を支払いなさい」
「目的」
「シャキーンが欲しい、では通りません」
姉が赤ペンを持ち直した。
「申請理由としては弱いですね」
「では、王太子側近団の士気維持」
「少しよくなりました」
「式典時の視覚および聴覚上の威厳確保」
「さらによいです」
「王太子殿下の隣に立った時、地味に見えないため」
「本音が出ましたね」
ダリオ様はうなだれた。
母が紅茶を勧めた。
「まず、座ってお飲みなさい。声が大きいと喉が乾くでしょう」
「ありがとうございます」
ダリオ様は素直に座った。
素直な方ではある。
ただし声が大きい。
私は申請書の雛形を一枚出した。
「こちらに、必要項目をご記入ください」
「分かった」
「なお、シャキーン音につきましては、標準、控えめ、重厚、緊急時用がございます」
ダリオ様が顔を上げた。
「選べるのか」
「はい」
「重厚とは」
「王宮大階段など、広い空間で剣を抜いた際に適した音でございます」
「控えめは」
「近距離で耳に優しい音です」
「緊急時用は」
「人命救助や警戒時に、周囲へ危険を知らせる実用音でございます」
父がうなずいた。
「緊急時用は意味があるね」
「はい」
「標準と重厚の違いは?」
「気分です」
「そこは実用ではないのだね」
「はい」
ダリオ様は真剣に悩み始めた。
剣術の型を選ぶ時より真剣そうだった。
「標準は捨てがたい。だが、王太子側近団としては重厚も」
「予算に応じてお選びください」
「予算」
「はい。音にも費用がかかります」
ダリオ様は撃たれたような顔をした。
姉がすかさず言う。
「無料で続けるな。相手が馬鹿になる」
「家訓ですか」
「家訓です」
「……よい家訓だ」
ダリオ様は、なぜか少し感動していた。
私は申請書の下に、注意書きを添える。
「ただし、威厳演出補助は、実力そのものを上げるものではございません」
「分かっている」
「本当に?」
姉が聞いた。
ダリオ様は少し黙った。
「……たぶん」
王妃陛下が、静かに扇を閉じた。
ぱちん。
ダリオ様の背筋が伸びた。
威圧補助なしである。
「ダリオ」
「はい!」
「剣の稽古は続けなさい」
「もちろんです!」
「シャキーンは稽古の代替ではありません」
「肝に銘じます!」
姉が赤ペンで書いた。
シャキーンは稽古の代替ではない。
父が満足そうに頷く。
「大事な一文だね」
「契約書にも入れます」
「そうしよう」
さらに私は追記する。
セルフシャキーン禁止。
セルフ反響禁止。
セルフザン禁止。
ダリオ様が震えた。
「全部、契約書に入るのか」
「再発防止でございます」
「私は、思ったより信用されていない」
「実績がございますので」
「つらい」
整った顔が、本気でしょんぼりした。
少しだけ、気の毒ではある。
ダリオ様は申請書を書きながら、ぽつりと言った。
「エルミナ嬢」
「はい」
「昨日まで、私は自分が格好よく剣を抜ける男だと思っていた」
「剣は抜けております」
「音がなかった」
「はい」
「構えても鳴らなかった」
「はい」
「マントもなびかなかった」
「はい」
「鎧も思ったほど光らなかった」
「はい」
「斬っても、ザンは別だった」
「はい」
ダリオ様は、少しだけ遠い目をした。
「私は、思ったより普通だったのだな」
応接室が静かになった。
それは、少しだけ寂しい気づきだった。
けれど、必要な気づきでもあった。
王妃陛下が静かに言う。
「普通なら、鍛えればよいのです」
ダリオ様が顔を上げた。
「王妃陛下」
「加護で飾られた威厳より、鍛えて身につけた威厳の方が長持ちします」
「はい!」
「ただし、式典で急に地味になると困るので、必要な分だけ契約しなさい」
「はい!」
現実的だった。
とても王妃陛下らしい。
私は申請書を受け取った。
「確認いたします」
ダリオ様の記入した希望項目。
剣を抜いた時の金属音補助、重厚。
構えた時の鎧留め具音補助、控えめ。
マントなびき補助、控えめ。
鎧きらめき補助、標準。
名乗り声反響補助、控えめ。
斬撃余韻補助、必要時のみ。
最後に、小さく追記があった。
吹き出物軽減補助、可能であれば。
私は少しだけ目を伏せた。
「肌荒れについては、別窓口でございます」
「別なのか!」
「はい。威厳と肌は別問題でございます」
「昨日、揚げ物を我慢したのに」
「それは昨夜も伺いました」
姉が赤ペンで書いた。
揚げ物の申告、二回目。
母が薬草茶を用意した。
「まず、飲みなさい。有料です」
「ありがとうございます!」
ダリオ様は薬草茶を受け取った。
声は大きい。
顔はよい。
だが、少しだけ普通である。
王妃陛下は、契約書の控えを確認すると、静かに立ち上がった。
「エルミナ嬢。王家中枢分については、この条件で進めましょう」
「承知いたしました」
「側近団の威厳演出補助についても、方針は確認できました。今後の個別相談は、ローゼンベルク家と各部署で進めなさい。必要なものだけ、宰相府を通して私に上げます」
「かしこまりました」
王妃陛下は扇を閉じた。
ぱちん。
「レオナールの頭皮関連文書は」
「頭皮箱へ」
「よろしく」
「承知いたしました」
王妃陛下が屋敷をあとにされると、応接室に少しだけ静けさが戻った。
戻った、はずだった。
その時、屋敷の外から音が聞こえた。
ぴいい。
ひゅるる。
どん。
笛が泣いた。
弦が迷った。
太鼓だけが勝っていた。
セドリックが窓の外を確認する。
「王宮楽団の皆様でございます」
「練習でしょうか」
「本人たちは、緊急事態と申しております」
姉が赤ペンを持ち直した。
「練習不足ではなく?」
「本人たちは、緊急事態と」
外で、もう一度音が鳴った。
ぴい。
ひゅる。
どどん。
太鼓だけが、先ほどより強くなっていた。
私は聖女加護管理台帳を開いた。
「次は、楽団ですね」
「はい」
「順番に確認いたします」
ここまでお読みいただきありがとうございます。
第4話は、王太子側近団の威厳演出補助回でした。
剣は抜けます。シャキーンは別料金です。
セルフシャキーン、セルフ反響、セルフザンは禁止でございます。
次回、王宮楽団の再契約です。
笛は泣き、弦は迷い、太鼓だけが勝っております。
練習不足を加護でごまかしてはいけません。
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